第六話 十字架と六芒星

 カツン、という硬い音が響いたと同時に世界が暗転する。


 まるで空間を切り取ったかのような奇妙な感覚。

 音も色も時間の概念すら切り取られた異空間。

 周囲の色彩が剥がれ落ちたかと思えば、モノクロの世界が姿を現した。


「荒神さん」

「わかってる。明らかに普通じゃねぇな」


 そして周囲に視線を走らせれば動くことのない存在力の塊が五つ。俺達を取りか組むようにして跪いてた。黒衣を目深く羽織り、香りが虚ろな存在に確かな存在感を与えていた。

 謎の存在にはっきりとした命の気配を感じる。


 それに――


「この空間。もしかしてこれって――」

「ああ、神域だな。……それも本物とは比べ物にならねぇほどお粗末な代物だ」


 ≪結界≫と言っても一口に言えば様々ある。


 空間を一時的に切り取り支配下に置くタイプ

 術者が対象を設定し、任意にその空間を弄ることのできるタイプ。

 そして、結界術によって新たな小世界を創造し、君臨することで絶対的な支配力を得るタイプ。


 前者は人の領域で操作できるものであり、後者は神の領域に踏み込んだ者だけが許される世界の創造術の基本骨子だ。


 俺が作り出した人工的な結界術≪伏魔殿≫ほど精巧なものではないが、時間に干渉する程度の強度を持った結界。

 しかも、限定的ではあるが俺やヤエだけでなくガキどもまで動けるとなると、特定の人物を補足または感知して対象を隔離するタイプの結界のようだ。


 どういった意図があってこんな街中で俺達を隔離する理由は未だはっきりとはしないが、それでもこの術師の力量だけはなんとなく把握できた。


 敵。

 そう判断した瞬間、俺の全神経は一個の殺意となって行動する。


 一瞬の目配せのうちに俺の意図を理解したヤエが、ルーナともどもを抱えて地面を踏みしめ飛び去ったのと、俺がこぶしを握り締め一息に振りかぶるのはほぼ同時だった。

 後方からガキどもの悲鳴が聞こえるが関係ねぇ。

 そばに居られても邪魔なだけだ。

 頭蓋を叩き割る正確な一撃が正面の黒衣の存在に伸び、その拳は空を切った。

 同じように全力の蹴りを他の黒衣の存在に放てばこれもすべて手ごたえなく終わる。


「手ごたえはなし、か」


 手ごたえを全く感じないというより、霞を相手しているといった方が正しいか。

 現に尾を引くように黒い靄が拳に纏わりつき、瞬く間に消滅していく。

 となると秘密はあの目深くかぶった黒衣にありそうだ。

 そしてそのままこぶしを握り締め、地面を踏み出せば――


「きゃあっ!!」


 黒い衣を纏った連中が突如掻き消えたかと思うと、建物の二回で待機していたガキどもから悲鳴が上がった。


 空間移動。

 この結界が奴らの支配下にある以上、当然座標の移動は奴らの任意によって行われるという訳か。


 結界を構成する術者の常とう手段だ。

 その分制約も多いが、力量さえあればその制約はいくらでもカバーできる。

 例えばこんな風に。


「チッ、黒曜ッ!!」


 コールと同時に、異空間から黒曜が吐き出される。

 この≪アイテムボックス≫という術式も一種の結界術だ。


 アイテムボックスから顕現させた黒曜を握りしめ、宙を跳ぶ。


 ≪天翔≫


 足裏に纏わせた魔素を足場に、空を蹴り建物二階に身を乗り出せば、再び取り囲むように幽鬼じみた洋装の黒衣の集団がガキどもを取り囲んでいた。

 そこにヤエの姿はない。


 別の座標に飛ばされたか。それとも虚しく殺されたか。

 どちらにせよ関係ねぇ。一切の躊躇なく宙を蹴りだせば、ガキどもに手を伸ばしかけた黒衣の存在の側頭部に蹴りを打ち放った。


 当然手ごたえはない。しかし――


「ボサッとしてねぇで速く来いッ!!」

「了解ですッ!!」


 煌めく刀身が黒衣の存在を胴を斜めから切り裂いた。

 銘を≪神殺し≫

 人が悪神を殺すために打たれた刀剣は、人の作ったまやかしに惑わされることなくその存在を断ち切った。


「やったか」

「手ごたえありです。けど――」


 言い淀むようにして顔をしかめる変態女。

 見れば黒い鮮血が人のような何かから飛び散り、モノクロの世界に墨汁を垂らす。

 けれども謎の液体は空中で、瞬く間に灰となり果て、ボロボロに崩れ落ち消えていく。

 

 黒衣から伸びた白い指先が、胸元の十字架と六芒星のペンダントを握れば、その僅かに覗いた口元から声にならない叫びが天上に木霊する。


「――――――」


 ゆっくりと、しかしはっきりとした幽鬼じみた動きで立ち上がる黒衣ども。

 それはまるで神にささげる讃美の鎮魂歌だ。


 皆一様に胸の前で両手を組み、冒涜的な歌声が俺の魂を不気味に撫でまわした。


「……招来。歓喜。祝福? そりゃ誰に対する讃美歌だ」


 すると背後から服を引っ張られる感覚が俺の意識を寸断した。

 後ろを振り返れば動揺に顔を強張らせるルーナ視線が助けを求めるようにして、うずくまる二人の少女に向けられる。


「なにがあった」

「わかりません突然苦しみだして。……レミリアちゃん。マリナも一体どうしたの!?」

「チッ、少し待ってろすぐ片付ける。おいヤエ!!」

「ハイなんですか!!」

。どうやら人間じゃねぇようだ存分に叩き殺せ」

「了解!!」


 これで二人とも矯正転移などされては話にならない。

 目的がはっきりしない以上どうしようもないが今は目の前の脅威の排除に集中する。


「少し待ってろ。すぐ終わらせてやる」

「アラガミ様、これ……ちょっと」

「……うん。すごく怖い」


 レミリアとマリナが同時に胸を押さえて苦しみだす。

 確かに不快な音程だが人体に害をなすような毒電波は放っていないはずだ。

 現に俺やルーナ、ヤエに至るまで不快感を表情に表すだけで異常は見られない。


 嫌な予感がする。

 取り囲んでいたに不安げに俺の服の裾を掴み上げていたマリナとレミリアから悲鳴が上がり、突然頭を抑え始めればこれが非常事態であることなど一目瞭然だ。


 刀身に邪気を纏わせ、一息に振るえば何ら抵抗なく切られて鮮血をまき散らす黒衣ども。

 まるで着られることを望んでいるように刃の前に立ち、鮮血をまき散らす。

 しかし胴を切ろうとも腕を引きちぎろうとも、飛び散るのは黒い鮮血ばかりで肉片は一つも地面に零れ落ちることはない。それどころか――、


「(何だこの味は。薄口だがコイツは人間の魂か? よくわからねェ門まで混じってやがるな)」


 仲間が切り伏せられているというのに、一向に気にする様子はなく。むしろ死を恐れないその姿はどこか教化じみた例の信者どもを想起させる。

 死を恐れぬ狂気の匂い。

 一歩一歩布の擦りあう音が地面を濡らし、乾いた音が輪郭を崩す。

 そして――


「動くな」

「――」


 動くものが一体もいなくなった頃。

 口元から声にならない音を紡ぎ出し、黒衣の奥から人ならざる眼光が覗く。

 強引に黒衣をはぎ取り、胸元から無造作にぶら下がった十字架を掴み上げればそこにはがいた。


 徹底的に加工された人形のフォルムは一切のつなぎ目もなく光沢を放ち、表情のない青白い眼球はガラス玉のように光り輝いていた。

 おそらく嗅ぎなれた匂いはこのガラス玉から漂っているのだろう。


 僅かに背後を流し見れば、讃美歌が止んだことによって頭痛が収まったのか身体中に汗を浮かべてたマリナとレミリアが変態女に介護されているところだった。


 改めて作り物めいた奇妙な存在に向き直れば、その顔が僅かに憤怒の色に染まる。

 仲間を殺された怒りではない。

 これはむしろ大事なものを汚された時の屈辱の表情に似ている。


「答えねぇとは思うが一応聞いてやる。」

「――」

「なぜ俺達を結界に隔離する必要があった」

「――」

「テメェ等の目的はなんだ」

「■■」


 まるで滑らかに異音を響かせ、その作り物じみた指先が唐突に俺の背後を指し示す。


「■■■■■■■■■■■■」


 作り物の人形が嘲りの表情を浮かべて俺を見る。

 明らかな挑発だ。

 だがコイツの思惑通りに時間稼ぎされるいわれもない。


「しゃべらねぇなら望み通り死ね」


 ザンっと黒曜を走らせれば胴体と頭部が綺麗に分離し、首元に掛けられていた十字架が地面に落ちる。

 そしてその首がはねられると同時に背後の誰かに向けて何らかの異音が響き渡った。


「マリナ!!」

「おねぇちゃん!!」


 恐怖に声を引きつらせ、庇いたてるように両腕を広げたルーナに抱き着くマリナ。

 恐る恐る胸にうずめた視線を床に這わせれば、その茶色い瞳が無機質なガラスの瞳と視線が合い。そして一拍間が開いたと同時にマリナの瞳大きく見開かれる。


「……な、なに? うつわ?」

「えっ――!?」


 思わずと言ったようにマリナの顔を凝視するルーナ。

 何も聞こえないはずの言葉に首をかしげるマリナも自分が何を口走ったのか理解できずに不思議そうな顔をしている。


 すると、残された頭部が砂のように塵となり、唐突にモノクロの世界が終わりを告げる。


 まるで何事もなかったかのように動き出す世界。

 雑踏の中で木霊する言葉の数々が鼓膜を叩き、喧騒が蘇る。


 あたりを見渡せば、まるで先ほどまでの出来事が何もなかったかのように世界は周り、人々の称賛の声が口笛と同時に響き渡った。


 呆然とその場に立ちあたりを見渡す。

 すると珍しく呆気にとられた表情を浮かべるヤエが流し目で俺を見つめ、


「荒神さん今のは……」

「……さぁな。いまのところは何もわからねぇが、どっかの馬鹿が俺に対する嫌がらせで手の込んだいたずらを仕掛けたって訳じゃなさそうなのは確かだな」


 俺は手のひらに残された金色に輝く十字架と六芒星の集積体を眺め、静かに肩をすくめてみせた。

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