エピローグ 俺達の帰る場所――
◆◆◆ 荒神裕也――
ノッカー出没事件。
一歩間違えれば、人類の安念が瓦解しかねない事件を終えて俺達が聖王都に仲良く帰ってこれたのはそれから四日後のことだった。
城門都市の城下町は一言で言うなら、人っ子一人住めない見るも無残な姿に変わり果てていた。
ほとんど白い竜の攻撃と俺の不倶戴天の余波がトドメとなったようだが、聞くところによると。あれはあくまで兵士たちの息抜きと訪れる冒険者の宿泊地としてあとから付け足した機能に過ぎないらしい。
魔獣化した人間以外死者はなく。≪未踏領域≫を塞ぐ城門も無事に機能しているのはほぼ奇跡に近かった。
≪
そして――、
「――ってなわけっでこいつの身柄は一時的に俺の名前で預かることになった。元々身寄りのねぇガキだ。誰かが保証人にならなきゃってことで押し通された」
「なるほどなるほど。一時期、一週間以上もわたしに黙って屋敷を抜け出し、あまつさえうら若き可憐な少女と午前様のお帰りにはそういう理由がありましたか。へーほーふーん?」
「だったらいい加減正座はやめねぇか? みっともねぇし、そもそも俺はあのクソメガネの依頼で城門都市に用があったんだ。赤の他人のテメェにどうこう言われる筋合いは――」
「というか僕はなんでこんなことになっているのかな?」
「二人とも足の裏ツンとしますよ?」
「「――ッッッ!!!?」」
あのクソデブの拷問ですら響かなかった俺がこのざまとはなんとも丸くなったものだ。
帰宅早々、扉をあけ放てば変態女の仁王立ちである。
何をどう感知したのかは知る由もないが、だいたい想像できてし舞えるから死にたくなる。
結果ぞろぞろと屋敷の奥からやってきたマリナやルーナの潤んだ瞳に正座を余儀なくされ今に至る。
いくら傍若無人の悪党であろうとさすがに女四対一じゃ分が悪い。
ちなみにこの変態女に久しぶりにあいさつしたいと立ち寄った聖騎士王様は完全にとばっちりである。
大の男が二人。女に囲まれ説教を受けるのはなかなかにシュールなものだ。
「まず援助交際とか拷問とかいろいろ聞きたいことはりますけど一ついいですか?」
こめかみをぐりぐり指先で弄り大きく息をつく変態女。
カッッッ!!!? と目を見開き大きく息を吸うと、面倒なスイッチが入った音が聞こえた。
「な、ん、で、――わたしも連れて行ってくれなかったんですか? 荒神さんの初陣をお手伝いするのがわたしの使命なのに!!」
「知るかっ!? つうか仕事だっつってんだから仕方ねぇだろ。第一、テメェにも仕事があっただろうが」
「そうですけどー、あーもうズルイズルイズルイズルイズルイー、リオン君ばっかり荒神さんの大活躍を見れてズールーイッ!?」
「駄々っ子か。いい歳した女がみっともねぇ真似してんじゃねぇ。ガキどもが見てんだろうが」
気まずそうにその痴態を見つめるルーナは目を逸らし、マリナは腹を抱えては変態女の真似をし、ポンコツメイド長のカティスに至っては無表情で何か別のことを模索しているようだった。
たかが任務一つでこの始末。もしや一人で任務に行くたびにこんな面倒な結末が待っている訳じゃないだろうな。
「……マジであたま腐ってんじゃねぇの?」
「そんなの知りません!! ――ってか荒神さんの雄姿をわたしだって見たいに決まっているじゃないですか!! あーもー羨ましいというかもう書類なんてほっぽってついていけばよかったアアああああああ嗚呼アッ!!」
まるで邪神よろしく、背後のどす黒い炎を滾らせるように黒髪を搔き乱し、暴れ狂う変態女。
対して堂々と宥めようとするルーナも必死だった。
「ちょっ!? 落ち着いてくださいヤエ様!! 初めての方が怯えています。というか私たちが恥ずかしいです!!」
「んなもん知るかい!! こちとら嫉妬の炎で燃えとるんじゃ!! というか荒神さん愛好会、会員ナンバー二番ルーナ=ローレリア!! 貴女だってなかなか帰ってこない荒神さんに涙目だったで毎日、ギルドに足繁く通っていたでしょ!! わたしは知ってるんですからね!?」
「わあああああああああッ!! なんでそれを言っちゃうんですか秘密っていたじゃないですか、というか当たり前じゃないですか。一日二日留守にすると思ったら一週間ですよ一週間。アラガミ様の実力は疑っていませんが、一週間以上も連絡もなければだれだって心配するじゃないですかッッッ!?」
なぜか別の意味で共鳴し始める女二人。
止める側が煽る側に回ったら誰がこの惨事に収拾をつけるんだ。
案の定。助長する叫びは止まらないどころか私怨に油を注ぐ羽目になった。
「そうです!! 開耶さんみたいな正義の英雄との共闘なんてめっちゃおいしいに決まってるじゃないですか。あのクソ女神ぜってぇのぞき見してるよ。ここ一番で楽しんでるよ!!」
「被害妄想も甚だしいなオイ。あのクソ女神がのぞき見している証拠なんてねぇだろうが、……たぶん」
自信をもって宣言できないのがつらいところだ。
何せオタクという変態どもはいついかなる奇行に走り出すか俺の頭脳を以てしても予測不可能なのだから。
膝を折り、床に跪くけば、吠えたてるような奇声が屋敷を貫く。
「いーえ、あのクソ女神なら絶対にのぞき見してますやってますー!! だって、わたしだったらそうするから!! ああ、もうっ!? わたしが部屋に籠ってシコシコ書類の相手している間にそんな超絶イベントがあったなんて!! 死にたい!! 一回死んでそんで生まれ直して今度こそ見たい!!」
これを本気で言っているのだから手に負えねぇ。
ご近所さんにはさぞ迷惑なことだろう――
そもそも近所迷惑を心配する悪党なんざ、呆れて声も出ねぇが現実逃避でもしていないとやっていけないから仕方ない。
そんな自分に心底呆れつつも大きく息をつくと、ふと真っ先に事の元凶であるあのクソメガネの顔が思い浮かんだ。
事と次第によっては慰謝料でも請求しに行くところだが――、
「……なぁ、あのクソメガネはどうなってる」
「ははっ、エルマちゃん経由で聞いたところによると、ヤクモちゃんに物理と弁舌のダブルパンチでコテンパンにのされてショックを受けているみたい。彼けっこう繊細なところあるから寝込んでるそうだよ」
「……憐れな」
「街と一緒に解呪石も粉々に粉砕したと報告したら、声も聞こえなくなった」
「……憐れだ」
「憐れなのはわたしじゃあああああああああああああああああああああああああああああッッ、あっやだ久しぶりの荒神しゃんの匂いナニコレしゅごいッッ!!!?」
とりあえず問答無用でアッパーカットを繰り出せば、キレイに飛んでいく変態女が非常にいい顔で床にバウンドした。
手慣れた手つきで介抱を始める女たち。
「あの、アラガミ様を、いじめないで」
「迷惑なら、わたしは出ていくので。お願いします」
「なに言ってるんですか。わたしの荒神さんをたぶらかしておいて、そんなの絶対に許しませんよ?」
「あ、あ、――ッ!?」
身を固くするレミリア。
一瞬腰を浮かしかけたリオンを片手で制すれば、膝をついたヤエがレミリアの身体をその柔らかい身体で包み込んだ。
耳元でそっと吐き出される言葉が少女の身体を震わせる。
「いままでよく我慢しましたね。荒神さんからある程度の事情は聞いています。もうここはレミリアちゃんの家なんですから出ていくとかそんなこと言っちゃダメです」
「えっ――?」
音の調子が外れた声に、ヤエは静かに笑みを浮かべれば身体を僅かに離してその黒曜石の瞳をまっすぐに向け、その白く短い頭髪を撫で、傷ついた右頬に優しく手を置いた。
「この屋敷の主としてレミリアちゃんを正式にメイドさんとして雇いたいと考えています」
「でも、わたし、その――、顔だってこんなに醜いし。頭悪くて――その、」
「そんなの関係ありません。レミリアちゃんは十分に綺麗です」
「わたしは作られた命なんですよ? みなさんと違うんですよ」
「そんな些細なことでわたし達があなたを軽蔑するとでも?」
「わたしがいると、……迷惑をかけちゃう」
「それならその問題の悉くをわたしと荒神さんが排除します。大丈夫ですそんな心配そうな顔をしないでください。こう見えておねェさんは世界でそこそこ強いと評判なんですから」
そう言って鼻息を荒げ、胸を張るヤエ。
言葉を探して何もでなくなるレミリアが、そっと俯きだすとヤエはその両手を骨ばった細い肩に置き、
「……というかあなたは今回の初任務で荒神さんの活躍を間近で見ていた張本人なんですから。荒神さんの全てを語ってもらうまで否が応でも絶対に逃がしませんよ絶対に!!」
「色々台無しだよテメェ、一番重要なのはそこかよ」
「当然です!! この世に荒神さん以上に尊いものはありません!! でも泣いている女の子だって見捨てておけません」
はっきりと断言するヤエの言葉に、枯草色の瞳が大きく揺れる。
その震えは次第に方から喉に伝わり、そして――
「……わたし、ここにいて、いいの?」
いまにも泣き出しそうな声が屋敷の玄関を震わせる。
「当り前じゃないですか!! ここにいる人だれ一人としてあなたを拒んだりしません!! ねぇみんな」
「そうですよ!! アラガミ様が連れてきたのなら悪い子なんかじゃ絶対にありません!! 大歓迎です!!」
「わーい新しいおねぇちゃんが増えた!!」
「メイドとして教育。仕込みがいがある」
口々に賛同の言葉が飛び交い、潤んだ枯草色の瞳が俺を捕らえた。
いいの? と涙にぬれた瞳が許可を求めている。
それは何度も何度も考えあぐねてついぞ答えを求めてしまう子供の目。
何か大切な探し物を見つけたときに見せる歓喜の瞳だ。
だが元々、そのつもりだったし、レイブンにも話は通している。
救った命って終わりではあのクソデブのようなクズに成り下がることを意味する。
俺もそこそこのクズだがさすがにあそこまで誇師のない生き方をするつもりはない。
正座を崩し、小さく肩をすくめてみせれば、貸し出した黒い上着を握る幼い指先が強く丸まる。
そのあまりにも無垢で意気地のない仕草に小さく息をつけば、一度レミリアを招き寄せるその幼い胸元の中心を指で弾いた。
弾かれた場所を片手で抑えるレミリアが不思議そうに瞳を見開き、やがて幼い顔立ちに戸惑いの表情を浮ぶ。
「――うぅ、アラガミ、様???」
「……あの夜の言葉。もう忘れっちまったのか?」
すると小さな唇から言葉が漏れ、瞳が大きく見開かれる。目尻には大粒の涙が輝きを取り戻し、唇がきつく結ばれた。
ようやく思い出したか。
ほんと、こんな役割は俺の趣味じゃねぇんだが、今回ばかりは仕方がねぇ。
「(ほんと、ガキらしくなったな)」
慣れない手つきでレミリアの頭に手を置き、出来るだけ丁寧に左右に手のひらを動かした。
「……覚悟しろって言ったろ? 見ての通りかなり喧しい奴らで戸惑うことが多いだろうが、これがお前の選んだ地獄だ。俺やこの聖騎士様に多少の罪悪感を感じてんなら甘んじて受け入れろ」
「で、でも。わたしは――」
「わかってるよ。納得できねぇんだろ? ならこいつはお前に課せられた罰だ。苦しみの気を苦を抱えて死ぬまでこの幸せを噛み締めろ。それでようやくお前の罪は完済される。どうだ? いい考えだろ」
床にポタポタと涙の痕が落ちる。
それは枯草色の瞳を爛々と輝かせる少女の目元から落ち、醜く頬を濡らし、大きく蹴れども懸命な息づかいが耳元から聞こえてくる。
胸に柔らかい感触が飛び込み、胸元を濡らす。
それはあの夜見た。少女の瞳の奥に瞬いていた輝きよりも強く優しい色を全身に灯していた。
「……はい。ありがと、ごじゃいましゅ」
感謝の言葉が途切れ途切れに零れ落ちた。
梳くように指を滑らせればくすぐったそうに身をよじる感覚が伝わってくる。
「つう訳だ。これからコイツのことよろしく頼むわ」
「任されましたアラガミ様。誠心誠意甘やかさせてもらいます!! ねっマリナ?」
「うん!! ほらレミリアおねぇちゃん泣かないで。マリナ、皆が返ってきた時のためにクッキーや板の一緒に食べよ?」
「待ってマリナ。その前にお風呂。旅の疲れをまず癒してから。部屋の準備ももうできてる」
「――というか痺れた足を隠していつまで格好つけてるんですか荒神さん? ここが弱いの知ってるんですからね?」
そう言って余計根逆鱗に触れたクソ変態の末路は言うまでもない。
破壊音が鳴り響き。
様々な感情の声が一斉に飛び交う。
ここはまさしく混沌の箱庭。
小さ内気づか合いが鼓膜を震わせ、視線を僅かに下に落とせば、傷つき痛みに耐えていた少女の横顔は、小さな喜びにぬれていた。
明日の未来に震え怯えていた醜い獣はもういない。
それは薄暗く未来に絶望する者の表情ではなく、どこにでもいる年相応の少女が浮かべるどこまでも朗らかでどこまでも優しい笑い声だった。
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