第三十一話 ≪強欲な獣≫は――
重力を感じさせぬ着地。
崩れ果てた街並みはほぼ壊滅と言ってもいいほどの状態だ。
美しく舗装されていた白い石畳は見る影もなく剥き出しのクレーターを曝し、切り落とされた亡者の腕が粒子に還った。
街全体を囲う城壁からたいまつのような人工的な篝火が灯りが照らす先。白い巨体が瞬く間に紅い閃光に飲み込まれた。
「VGAAAあAああAaあAあああァあああAAAああ嗚呼アァァああAあッ!!!?」
肉を焼く匂いと耳障りな不協和音が風に乗って身体を震わせる。
それでも未だに奇形の化物としての姿を晒すところを見ると、≪
生きながら死を体現する化け物は哀れだ。
そして――、
白と赤の影が上空から落ちてきた。
「よぉ。随分と待たせちまったな。どうだ調子は」
「これだけやっても殺しきれないってのがいまだに信じられないね。≪
「それだけ秘薬の効力が絶大だって言うことだろう。紛い物でこれだ。もしもコイツが本物だったらと思うと頭が痛いな」
ぽっかりと穴が開いた城塞に目を向ければ、不安げに眉をひそめ両手を胸の前に組む少女の姿があった。
「ずいぶんとうれしそうだねユウヤ。あの子が無事でほっとしたのかい」
「そんなんじゃねぇよ。久々にいいもんが見れた。ただそれだけだ」
「ならオバル尋問官は……」
「殺しちゃいねぇからそんな英雄様が顔すんじゃねぇ。……少なくともあのガキは憎しみを飲み込むことを選んだ。俺を気遣っているのか。それとも他人を恨むことを知らねぇ本物の馬鹿なのか。どちらにせよお前の思惑通りに進んだわけだ」
「そうか。それは本当によかった」
おおかたレミリアが殺しに手を染めなくて安堵した、といったところか。
死ぬか生きるかの瀬戸際だってのになんて腑抜けた顔しやがる。
その視線がやや下に傾き、小さな息づかいが聞こえてきた。
「解呪石、壊してしまったんだね」
「……勢いでやっちまった感はあるが、やっぱまずかったか?」
「いいや。たかが魔石一つで少女の命が救えるのなら是非もないね。永遠に使われず宝物庫のなかで眠っているよりよっぽど有用な使い道だ」
「何に使ったか知ってるって顔だな」
「ははっ、まぁ彼女に色々と君のことは聞いているし、それにその充溢したオーラに気づけないほど鈍くはないつもりさ」
それに、と付け足し、今にも起き上がりそうな奇形の竜を無視して、レミリアの方に視線を投げかけた。
「少なくとも彼女は君の気高さに救いを見出したように見えた。君の活躍一つで彼女が前に進む力を手にできるのなら僕は――、騎士としてその願いを全力でサポートするだけさ」
「気力十分ってか。英雄って奴はどいつもこいつもお人よしだな」
「そうでもないよ。僕は僕を許せない。……まだ僕は未熟だからね。≪至高の剣≫の称号なんて得ても僕には救えない……、世界のどこかで救われない命がはずなんだ。だから、せめて手の届く範囲の命は救ってあげたいんだ」
「……そりゃ神にでもなったつもりか?」
「いいや僕は人間だよ。人間だからこそ、僕はこの力を以て誰かの力になりたいだけなのさ。それが例え浅ましくも醜い我欲であってもね」
「……それが自覚できているだけお前はまだマシなヒーローだよ」
一つも取りこぼしたくない、か。
確かにこれほどまでに無謀で大それた願いを堂々と口にできる者はそういない。
それが茨の道であり、苦難の十字架を背負うと知っていてコイツは、諦めきれずに魂の底から渇望しているのだ。
見知らぬ弱者の救済を。
そう言う意味ではコイツもまた、レミリアと同じように瞳の奥に眩い輝きを持つ者だ。
自然と口角が持ち上がる。
そうだ。真の戦いには大義などない。
それが真に己の我欲。魂のぶつかり合いであるのならば、それら全ての事象は自然と後からついて来るのだ。
だからこそ――、
「他人の願いを踏みにじる覚悟はいいか聖騎士王」
「ああ、その覚悟ならいつでもできているよユウヤ。君と僕の全てを以てこの悲しい渇望にケリをつけよう」
聖と魔。
互いに人の身でありながら人の領域を超越した者が同時に飛び出した。
吠えたてるは白き獣の王。
その腹部から織りなす数十もの破壊が一斉に狙いを定めて殺到した。
地面の全てを抉り、破壊する狂気と渇望の御手。
この世の全ての我欲を集積させた集大成が、俺とリオンを飲み込もうとする。
「紫電一閃ッッ!!」
「
赤と黒の閃光が交わり、次いで黒い液体が噴き出す。
暴れ狂う管の全てを塵に還せば、痛みに喚く雄たけびと同時に、獣の王の顎が大きく十字に割れた。
そして――、
「総員回避ッ!!」
ステータス機能を用いた号令が飛ぶと、
口の中から飛び出してきたグロテスクな舌先からいくつもの閃光が瞬いた。
ドッッッ!!!? と、
強固に張られたはずの結界を貫く光線が城塞の壁を破壊する。
もうもうと立ち込める土煙。
心配そうに振り返るリオンだったが、飛び交う点呼に胸を撫でおろしたところを見るとそうやら死者はないらしい。幸いにもレミリアも無事だ。
「……これ以上結界に負担を賭ければそれこそ本末転倒だ。となれば――」
「力ずくでもこっちに振り向かせる必要があるな」
つまり――。
空気を切り裂く音と共に死地へと自ら足を踏み込む。
破壊と閃光の舞踏会。
あまりにもまっすぐに。愚直なほど破壊をもたらす死の光線が
眼前に広がるは奇形の竜。
醜く歪む願いの結晶に黒曜を走らせればうだるように身体を振り回し、その爪と牙が容赦なく俺とリオンの身体に襲い掛かる。
破壊と再生。
リオンが赤い閃光を振るえば斬られた箇所に亀裂が入り、崩壊を迎え。
俺の黒曜がその額を砕けば、その肉塊は醜い魂の断片事黒曜に喰らい尽くされる。
しかし、何度も死にながら秘薬によって生かされた白き竜は徐々にその形を変えながら、抗い。そして再生を繰り返す。
そして、その永劫に思えるような輪廻が破綻を迎えようとしていた。。
亡者のなれの果ては腹部から伸びる無数の白い腕を『レミリア』めがけて伸ばしはじめた。
秘薬の源泉たる血を持つ少女。
彼女めがけて伸ばされる
だが――、獣の願いは届かない。
少女に伸ばされる御手の悉くを赤い閃光が消し飛ばす。
「これ以上、あの子の肩に重荷は背負わせない!!」
覚悟めいた言葉と共に崩壊の波が一斉に白い獣に襲い掛かる。
「GYAAAAああああAAあああああああああああああああッッッ!!!?」
胴を斜めに切り飛ばされた化物の巨体が僅かに傾いた。
ドクドクと未だ傷が塞がらない三つある眼球が赤と銀の騎士に狙いを定めた。
そして薔薇色の瞳が一瞬、俺に何かを投げかける。
吐き出される破壊の光線を縫うようにして大地を駆けるリオン。
その動きに翻弄されつつも苛立ちを含んだ咆哮を天に上げる白き竜は、その鋭い牙を煌めかせ、上半身を食いちぎるように牙をたてた。
「――ッ、全拘束解放!! ≪
周囲の魔素が煌めく神気に変わり、白銀に輝く清浄の光となる。
振り下ろされる救済の一撃。
聖騎士王リオン=ドラグニルの聖剣が深々と化物の眉間に突き刺さった。
そして――
「天恵≪終焉を告げる者≫」
その白い巨体に根付くような赤い呪印が刻まれる。
おおよそ聖騎士には似つかわしくない天恵。
だが周囲の魔素を変換し、神の御技として昇華された純粋な神気は、白い欲望の獣の頭上に巨大な≪神樹≫を形成させた。
それは一つの世界とも呼べる存在力の塊。
その存在全てが崩壊の呪縛へと転換し、赤い閃光が皮膚の上に鮮やかに走った。
神域に近い力場が白き紛い物をこの世に繋ぎとめる最後の墓標と化す。
「GYAAAAAAAA嗚呼アAAAAァァAAAAAAAAAA嗚呼アああああ嗚呼ア!!!!」
いくつも折り重なった魂の叫びが天を裂く。
血管のように張り巡らされた破壊の標は、再生と破壊の狭間で踊り狂い、ついに再生が間に合わずに白い表皮はグズグズに溶けるように分解し始める。
≪
「いまだユウヤ!!」
懐かしさを胸に仕舞い、五本の指先に残されたすべての力を込める。
そして一気に白い奇形竜との距離を詰める。
「VAAAA嗚呼アAAAAAA嗚呼アああああああァァあぁAAAAああ!!!?」
全ての邪気を黒曜に集中させれば、死を拒絶する叫びが俺の魂を叩いた。
それは今だに生にしがみつき諦めきれない欲望のなれはて。
とある少女の身体の一部から漏れ出した祈りの結晶の罪過。
ここまで壊されてもなお必死に抗い。醜くも生きることにしがみつくのは奴隷となり果て、魂を凌辱されてもなお生き続けることを願った強靭な少女の意思だ。
この怪物のなれの果てこそがレミリアが胸の内に抱え、そして辿るかもしれなかった原初の≪願い≫そのもの。
その歪なまでに歪みを魂に刻み込み、
「なんだ。随分と大層な願いじゃねぇか」
思わず零れた言葉を最後に黒曜を握りしめる。
生き続けるという目的以外、持ちえない憐れな獣を一瞥し、
「禁忌――、
直後、荒神裕也の中心で今一度、漆黒の閃光が瞬いた。
漆黒の閃光はどこまでも高く伸び、欲望にまみれた魂の全てを喰らい尽くす。
≪強欲な獣の王≫
その咆哮は今は叶わぬ慙愧の願いを天に届け、そして――
ピシリッッ!! と。
薄氷が割れていくような音と共にその白い巨体を崩していった
空気中に分解される光の粒子。
飽くなき欲望に狂い。ただ生きることしか願えなかった獣は、その狂おしいほどまでため込んだ願いを手放し、鮮やかにこの世の楔から解放されていく。
「終わった、か」
「ああ。だがすべてが終わったわけじゃねぇ」
どれだけの命を喰らい。どれだけの願いを溜め込んだのか。
その僅かな名残りをこの眼で見届け、目で追えば。そこには両手を胸の前で組み、なにかに祈りを捧げる傷だらけの少女の姿があった。
「―――――――」
小さく、どこまでも小さな声が大気に溶ける。
それは奴隷として縛られていた自分自身に最後の別れ。
そして生み出してしまったことへの心からの謝罪と感謝。
……そんな言葉儀式めいた言葉を口にし、俺と目が合った。
全てがこれで終わったわけではない。
ただ――
「ずいぶんとマシな笑い方ができるようになったな。レミリア」
獣から無垢な人へと姿を変えた少女を一瞥すると、俺はその魂の輝きに応えるようにして片手をあげた。
束縛された獣はここにはいない。
儚げな笑みを浮かべ、拙くも幼い感情を振りまくレミリア。
その子供らしい笑みを浮かべる姿に思わず小さく笑ってみせれば――、
その枯草色の瞳から無垢な雫が零れ落ちた。
それは、この世に初めて人として生まれ落ちた、幼き欲望の最初の産声だった。
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