第三十話 内側に眠りし価値の獣

◆◆◆ 荒神裕也――


 一気に飛び出せば、たたらを踏むようにして抵抗を見せるオバル。

 腰に差した派手な派手な名剣はどうやら飾りのようで、数度打ち合えばあっさり砕けて残骸が床に零れ落ちた。


 そのまま一切の容赦なく腕、腿、脛、胴を黒曜で叩きつければ不快な息づかいと共にえずくようにして呻きだす。


 まったくなっちゃいねぇ。


 何も纏わぬただの木刀でこれだ。

 邪気を纏わせていればそれこそ頭蓋が割れ、今にも脳漿が床に飛び散っている頃だろう。


 振り上げるだけで簡単にフェイントに引っかかる。

 咄嗟に顔を守るように左腕を上げるクソデブ。そのがら空きの太っ腹に邪気を載せた膝を突き立てれば、鎧ごと蹴り砕いた一撃が深々と鳩尾に吸い込まれていった。


 痛みに顔を歪める巨体が床にバウンドし、派手に転がっていった。

 そして座ったままたるんだ顎を揺らし、その太い指先が何度も宙を彷徨った。


 その巨体を無理やり掴み上げれば、醜い命乞いが飛んできた。


「ま、待ってくれ。殺さないでくれお願いだあああ」

「テメェはその命乞いを何度聞き流してきた」

「ひっ――!?」

「何度、テメェの欲求を満たすために命を弄んだ」


 答えられるわけがないだろう。何せコイツにとっては他人の命などおもちゃ程度の価値しかないのだから。

 そのまま投げ出すように床に転がせば、ズザザッと激しく後退るオバルが必死に表情を繕い震える指先を俺に突きつけてきた。


 その醜い唇から吐き出される言葉はもちろん――虚勢だ。

 感情とは裏腹に、引き攣る声と身体は全身から嫌な汗を拭きださせていた。


「第一なぜおまえがここにいる。お前は、お前は外の化物とやりあってるはずだろ。冒険者なら市民を守れ。全てのことを優先して境界に使えると誓ったのだろう。なぜ貴様はそこまで俺を執拗に追い回す。俺がいったい何をした!!」


 どうやらまだわかってねぇらし。

 ここまで来ると呆れを通り越していっそ感心させられる。


 こんなにも自分を愛せる人間もそうはいないだろう。


 非難する言葉が徐々にエスカレートし、高尚なまでに並べられた謳い文句が突如として停止する。

 その脂ぎった視線は、俺の後ろに隠れるのではなく横に立つレミリアに注がれていた。


 戦慄く唇が驚きに変わり、怒りの咆哮として醜い獣が大きく身を乗り出した。


「お、おいまて!! おまえ、まさかこんな家畜のガキのためにわざわざ戻ってきたっていうのかッッ!? 全ての人類の滅亡がかかっているこの局面で!!」

「ああテメェにとっては馬鹿げてるだろうな。だがそんなくだらねぇ価値観なんざ俺には関係ねぇし、テメェが心配していることも起きねぇよ」


 瞬間、頑丈に張られたはずの結界が大きく軋み始めた。

 城塞を震わせる白い竜の咆哮と共に、大地が割れる音が響いた。


「おーおーずいぶんと派手にやってんな」

「な、なんだこの揺れは!? 一体何だというのだ!!」

「不甲斐ない英雄様のストレス発散。その余波だよ。なんでも、あの子は救いは僕じゃないとかほざいてなて俺ここに送り出しやがった。まぁテメェみたいなクズ相手じゃなにも発散できねぇだろうからな」


 長時間にも及ぶ戦闘の末。

 リオンが全てのノッカーを追い立ててきた時にはさすがに驚いた。

 それと同時に、大量の紛い物を吸収させる羽目になったがそれは仕方がない。


 連絡手段のとりようがなかったのだから――


「(まぁ、ああいったやらかしに関してはすでに経験済みだ。特に問題はねぇ)」


 実際に強化された白い竜相手でも引けは取らなかった。

 故にこうしてあのお人よしの厚意に甘える結果となったわけだ。


「まっ、俺が始めたことだ。最後の結末くらいは見届けたいとも思ってたがな」


 一歩。肩をすくめて近づけば紅潮したクソデブの肌が血の気を失う。


 この後の結末に何となく察しがついたのだろう。

 緩めることなく距離を詰めれば、醜く踵を返して逃げだしたんで黒い紫電を走らせ、オバルの両足の腱をそぎ落とした。


 無様に転倒し叫び声をあげる憐れな獣。

 傷つけることは慣れていても傷つけられることは成れていないらしい。


 憐れむようにオバルを見つめるレミリアの視線を一瞥し、俺は億用の切っ先をその脂ぎった正面に向けてやった。


「何か言い残すことでもあるか? 数秒だけなら覚えておいてやる」

「ま、待て。待ってくれ。お前は本当にそれでいいのか? たかだかガキの奴隷一人と俺の命どちらがより重要かなんてわかり切っているだろう。それほどまでにこの奴隷が大切か?」


 一瞬だけレミリアの不安げな視線が絡まり、掴まれた袖を軽く振り払った。


「その程度のガキならいくらでも買える。奴隷は何も一人だけって訳じゃない。そのガキがあんたに何の価値をもたらすのかは知らねぇが、せいぜい銅貨一枚程度の働きしかできねぇ。それなら色々、商人に顔の効く俺を生かしておいた方があんたのためになる。わかるだろう?」

「……ああ、それは確かにそうだ。認めてやるよ。確かにこのガキに支払えるものなんて何もねぇ。助けたところで俺が得することは一つもないだろうな」

「そ、そうだろ。俺が金を工面して――」

「だが、テメェのようなクズは生きる価値もねぇよ」


 言いかけた言葉に被せるように言い放てば、ポカンと口を広げるクソデブの表情が激情に染まった。

 そして――


「ヤレ!! 命令だ!! その生意気なクソ野郎をぶっ殺せ!!」


 誰に向かって言っているのか獣の号令が虚しく響き渡る。

 すると、隣にいたレミリアが僅かに顔を白くし、突然身体を掻き抱き始めた。

 それを勝利の宣言と撮ったのか、オバルの表情に余裕の笑みが戻っていく。


「ふふふっ、結局は全てが俺を中心に回っている。ご高説どうもありがとう!! 守りたかったものに殺され絶望して死ねクソ野郎が!!」


 しかしいつまで経っても何かが起こる気配はない。

 それはレミリアも困惑したような顔を浮かべ、両手を見つめていた。

 徐々に冷や汗が噴き出すクソデブの荒々しい声がレミリアに飛ぶ。


「おい薄汚いクズ奴隷!! 何をしているそこの男を殺せ!! これは俺の命令だ。奴隷風情が俺の言うことを聞けないっていうのか!!」


 パシンッ!! と空気を打つ音があった。


 それは一歩進み出た少女の手から放たれた決別であり、初めての反抗だった。


「わ、わたしは、人間です。あなたの、ものなんかじゃありませんッッ!!」

「なっ――!? お前なんで俺の言うことを――これは一体どういうことだ!!」


 震える声ではっきりと自分の言葉を紡ぐレミリアを見つめ、わかりやすく狼狽え始めるオバル。


「ははっ変われば変わるもんだな、いい顔してやがる。……絶望的に分の悪い賭けだったがどうやら結果は両方とも俺に傾いたらしい」

「な、なんの話だ!! 貴様何を知っている!?」

「こういうことだよ間抜け」


 手を開けばこぶし大の魔石が握られていた。

 それは深い紫色の輝きを中央に灯し、命脈するように何度も点滅していた。


 見る者が見れば相当するような品物。

 それは――、


「解呪石だと!!」


 後退るようにして腰を抜かし、震えだすクソデブ。

 手の中で弄ぶようにしてその紫色の鉱物を握りしめると、その憐れな姿を見下ろし鼻で嘲笑ってやった。


「御明察。さすがは長年聖王都に使えてるだけあって知識だけは無駄にあるのな」

「術式無力化の高等魔石をなぜ貴様が持っている!! それは皇族のみが扱うことを許された代物だ貴様のような平民が持っていいものじゃあ……、まさかっ!!!?」

「気付いたか? 皮肉なことにあのクソメガネの置き土産だよ」


 解呪石。

 高等呪術師三十人が己の技術を魔素に変換し封じ込めたとされる代物らしい。

 らしいというのは、あくまでリオンに預けられた際に説明を受けた聞きかじりでしかない。

 しかし厳重に封印されていたところを見るとかなりの年代物だというのはわかる。


 そしてそれはなにも周囲の術式を無力化、解呪にとどまらない。

 指定した人間のデータさえあれば解呪石は完璧に対象を捕捉し、全ての魔素を霧散させる。


 つまり――。


「テメェの持つ全ての権限はすでに剥奪済みだ。その隷属紋を含めてな」

「……そんな!? いったいいつからだ。貴様にそんな素振りはなかったぞ!!」


 クソデブが結界の刃で俺を切り刻もうとしたときには全てが終わっていたのだ。

 あのお人よしの英雄様は最後までその使用を出し渋っていたが、最後の最後に使う決心を決めたらしい。


  いまやこの街にいる限りコイツの居場所は完全にこの解呪石に酔って捕捉されているのだ。


 一歩二歩と歩み、腰に下げた二振りの呪具を放り投げる。

 それはよく見慣れているであろう二つの呪具。

断末魔の棘ラブ・マックス≫と≪狂い咲く聖女の叫びクライシス・オブ・メイデン≫。


「これを俺によこしてどうする気だ。

「リオン=ドラグニルからの伝言だ。そして選べ。ここで惨めに自殺するか、大人しく投降するか。これがあのお人よしからの最期の慈悲だ」

 

「俺は、俺がこんなところで死ぬ?」


「アラガミ様。本当に、これでいいの?」

「……どういう意味だ」

「だって、その。……可哀そう、で」


 その無垢な言葉がどれほど目の前の獣のプライドを傷つけたか

 戦慄くようにして顔を伏せぶるぶる子犬のように震える獣から、部塵と何かが切れたような音が聞こえてきた。

 そして――


「ふ、ざ、けるなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 憤怒の激情がその面の厚い革に浮かび上がり、少女の腕に手を伸ばす。

 チャリンと≪狂い咲く聖女の叫びクライシス・オブ・メイデン≫を握りしめレミリアごと道連れにしようと小刀を突き立て。

 その切っ先が無垢な少女の肌に触れようとした瞬間、


 バゴンッッ!! という派手な音と共に獣の身体が頭から壁に突き刺さった。

 力なく腕が垂れ下がり、パラパラと土煙が零れ落ちる。


 ピクリとも動かない獣を一瞥すると大きく息をつき、腰に手をやった。


「ゲスが。最後の最期で救いを投げ捨てやがった」

「……死んで、しまったんですか?」


 裾を掴む幼い表情が不安で彩られる。


「いいや。ぶっ殺しちまった方が早いがそんな生ぬるい逃げは俺が許さねぇよ。あのクズは自分が助かる未来を自分で捨てた」

「じゃあ、生きているんですね」

「ああ。だがこの後に待ってんのは死んだ方がマシだと思えるような地獄がだろうがな」

「あ、あの。どこに、行くんですか?」


 不安げな声が背中をかすり、

 そう言って黒曜を振るえば、結界で補強されたはずの城壁が内側から壊れた。


「やり残しの仕事を片付けてくる。お前はここに居ろ」

「そ、そんな。ダメです。死んじゃいます!!」

「ならお前はあの化け物がこのまま外に出て、人間を殺しまわってもいいっていうのか?」

「そ、それは――」


 言い淀む言葉の端々に秘め事が見え隠れする。


 しかし俺はすべて知っている。

 こいつが例の秘薬の原料であり、その血液こそが≪禁断の果実エデン≫製造の触媒であることも。

 レミリアという一個の個体が人間に創り出された存在であることも。


 そして――

 全ての諸悪の権化だという事も。だが――


「それがどうした。俺はただ気持ちよく終わらせたいだけだ。お前が何者だろうが俺にとっては関係ないんだよ」


 この解呪石が見る目がない者が見ればただの石ころに見えるように。

 価値あるものとは観測者の主観に委ねられる。


 俺にとってはレミリアもこの解呪石もその裏に隠れた価値なんて単なる付属品でしかない。


「壊しちゃ、だめです」


 解呪石を握りしめようとした瞬間。俺の右手の前に小さな手がそっと添えられる。

 枯草色に染まる瞳。

 おそらくこの少女はこの石の価値を十分にわかっている。

 そしてこの解呪石で何をしようとしているのかも――


「わたしにはまだ、そんな価値は、ありません」

「だろうな。……だがなレミリア。たった一つの石ころとガキの願い。どちらが尊いかなんて比べるまでもねぇよ」

「あっ――」

 

 バリンと手のひらで握りつぶすと莫大な魔素の塊が小さな石頃から噴き出した。


 案の定必要以上に蓄えられた魔素は俺が求めた必要量を軽く満たし、黒曜に吸収されていく。


「あ、あのどうして――」


 言い淀む少女の瞳には疑問の色が浮かんでいる。

 両手を組み替え、せわしなく視線を泳がせるレミリア。


 自分の死で貸してしまったことに自責の念にでも駆られているのか。まったく生真面目な奴だ。


「(こんなの俺のキャラじゃねぇんだがな)」


 頬を掻いて、右手をその小さな頭に乗せる。

 そして――


「俺の魂を動かした責任は最後まで取れよ? お前が選んだ選択の所為でこれから面倒な書類の手続きが増えるんだからな」

「えっ――、それって」


 レミリアが言葉を紡ぎ終える前に、身を乗り出し振り返る。

 そして――


「生きて帰るぞレミリア。あのクソ商人を一泡吹かせるには、お前の力が必要なんだからよ」 


 そう言い放ち。俺は全ての重力に身を委ねて城塞から飛び降りた



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る