接続章
接続章 陰の中に蠢く影
◆◆◆ ???――
第七区三十六番通りのとある屋敷。
その中庭で賑やかな光景が青空のもとに響き渡る。
小さな幼子を囲むようにして入り乱れる可憐な花たち。
その光の住人だけが住むことを許された日の下で、少女たちの戯れを慈しむように眺める二つの眼差しが、緑に富んだ中庭に向けられていた。
あくまで彼らの意識は子供たちに向けられている。
心臓の高鳴りを必死に抑え、影の中に溶け込むようにして『なにか』が身を隠した。
息をひそめ慎重に気配を消す。布を擦り合わせるような音が響き、小さなため息が漏れるが、それでも懸命に影の中に溶け込むように努める。
バレてはいけない。
これは自分に課せられた唯一の仕事。失敗は許されない。
壁際に耳をそばだて、息を殺す。
アラガミ=ユウヤとリオン=ドラグニル。
報告によれば城門都市ガーディアの危機をたった二人で乗り越えた世界の英雄は、いまだ何事もなかったかのように互いに肩を並べ、壁に寄り掛かっていた。
この世を破壊するに足りる力を持つ二人に張り詰めた緊張感はない。
まるで穏やかな草原でも見ているような不自然な静けさが、大気を満たす。
世界を単独で破壊できるほどの力を持つ者たち。
小さく喉を鳴らし、精神を落ち着かせれば、清涼な声が風に流れ、柔らかな息づかいが影に溶けた。
「……いい家族じゃないか。ユウヤ」
「そりゃ厭味か」
ポツリと漏れたリオンの言葉に、アラガミは大きく目を見開き、そして忌々しそうに表情を歪める。
肩をすくめる仕草は哀愁が漂い。どこか諦めを感じているようにも見えた。
「あのくだらねぇ惨状を見て本気でそういえんならお前の感性は狂ってんな。脳が腐り落ちる前に医者に行くことを勧めるぜ」
「ははっ!! まぁ確かに国の英雄たる彼女にあんな側面があるのは驚いたけど――、それでもいい家族だと僕は思うよ」
まるで理解できないとでも言いたげに、緩く首を振るうアラガミ。その色眼鏡に隠れた深紅の瞳が今もなお和やかに騒ぎ笑い合う少女たちに向けられた。
「けっ、毎日があんな面倒ごとに見舞われんなら俺は早々にこの屋敷を出ていくぞ。気が狂いそうになる」
「心にもないことを言うもんじゃないぞユウヤ。彼女らのような可憐な花たちを見捨てていけるほど下衆でないことぐらいは僕にもわかるよ。……それで、君はどこの子を狙っているんだい? ルーナちゃん? ヤエさん? それとも君の好みはやっぱりレミリアちゃんかな?」
「これ以上ふざけた戯言抜かすなら土に埋めんぞクソ野郎が。……あいつらはそんなんじゃねぇよ。ただの同居人だ同居人」
そう言うが、彼がこうしてこの第七区に屋敷を持ち、彼女らと共に過ごすようになった経緯は調査済みだ。
けれどこうして彼を観察すればするほど、彼の人物像はわからなくなる。
現に――、
「……だが、レミリアの件。あれは正直お前がいて助かった。礼を言う」
観察対象の言葉は、赤髪の男を驚かせるものだった。
害ある破壊の化身なのか。それとも命を慈しむ聖者なのか。
報告によれば彼の性質は明らかに前者だ。
しかしこうして観察を続けているうちに、その実態がまるで解らなくなる。
けれど彼がこの空間を何となくだが大切にしているという事だけはこの短い間の調査でなんとなくわかった。
「何を言っているんだい? それは僕の台詞さ。彼女が生きることを諦めていたらここまでスムーズに事件の解明はできなかった。これは君の手柄さ」
「だとしてもだ。お前がいなかったらあのガキは死んでいた事実は変わらねぇ」
「だとしたらなおさらお礼を言われる筋合いなんてない。人助けは騎士の義務だ。僕はただ僕の身勝手で君に協力したに過ぎない。……あの子にしてみれば僕は偶然居合わせただけのやじ馬さ。彼女がいまもこうして笑っていられるのは君のおかげ。改めてお礼を言わせてくれ」
「止せよ。俺はそんな善人みたいな柄じゃねぇ」
そう言って顔をそむけるアラガミ。
その視線の先には、事件の元凶となったであろう少女の姿があった。
楽しげに少女たちと会話を楽しむ日常から視線を逸らし、彼の瞳に鋭い色が灯る。
「……で、わざわざ俺を中庭に呼び出して何の用だ。いい加減、例のクソ商人の足どりは見つかったのか?」
「いいや。それは残念ながらまだ何もわかっていない」
事件の真相を何も知らないとはいえ、城門都市崩壊の件はある程度の情報が入っている。
≪
出てきた証拠と証言を秘密裏に解析したところ、黒い情報がボロボロと零れ落ちてきた。
ファンウェイという商人と城門都市の尋問官であるオバルが企んだとされる、とある薬を使用したバルバトス大隊長殺害の暗躍計画。
副作用による人体の魔獣化。
事の首謀者であるオバル尋問官はレイブン直属の騎士共に尋問を受け、知りうる情報を全て吐かせたという情報が入っている。
結果呪いと≪
おおむね報告通りの情報を
「拘束したオバル尋問官が自供した断片的な情報をもとに想定した結果。彼はこの国に恨みを持ち、近々何かを仕掛けてくることくらいさ」
「チッ――、面倒なことになりそうだな」
「だが君にとっては都合のいい面倒ごとなんじゃないのかい?」
「あん? そりゃどういう意味だ?」
疑問に眉を顰めるアラガミの声に、リオンは何でもないように肩をすくめて答えてみせた。
「彼女に刻まれた≪
「ああそいつははじめに聞いた。このままでは一か月後に呪いの浸食であのガキが死ぬこともな。お前ら≪至宝の剣≫の特権をもってしても一か月が限度なのも驚きだが」
そんな報告は聞いていない。
おそらくこれリオン=ドラグニルの単独行動だ。でなければあの方が自分に情報の共有を図らないわけがない。
「ようするにだ。それまでに片を付けなきゃ、レミリアの呪いは解けないまま――、か。だがお前らの特権を使ってでも解呪できないほど難しい術式か? ありゃ、どう見積もってもど三流の術師に毛が生えた程度の呪いだろうが」
「たしかに呪い自体は拙いものだったけど問題はそこじゃない。彼女の魂に刻まれた契約印が問題なんだ。無理に引っぺがせば魂が壊れる可能性が高い。それだけ神の名のもとに行われる≪
「まぁ、契約の消失は向こうにも伝わっているはずだろうけどね」と言って肩をすくめてみせた。
そうして重苦しいため息が聞こえたと思えば、場を和ませるような清涼な苦笑が風に乗って響き渡る。
「フランならなんとかできたんだろうけど、残念ながらこういった類の呪いは僕の専門外でね。どうにもできないんだ」
「それでよく聖騎士王なんて肩書を名乗れるな」
「ははっ、それを言われると結構辛いな。努力はしているけどそっちはてんでダメなんだ」
人の命がかかっているにもかかわらず軽口に彼らの規格外さがうかがえる。
そうして様子を見ることしばらく。
大きく息を付くリオンの重いため息一つで、周辺が冷たい空気で覆われる。
張り詰めた空気に身を曝せば、真剣な言葉が影に木霊した。
「レイブンの見解ではおそらく近々、この国に現れるそうだ。次は何か別の目的を携えてね」
レイブン、という言葉に僅かに声が漏れそうになったがそれどころではない。
咄嗟に口に手を当て声を押し殺せば、悲鳴が漏れていたであろう。それほど壁越しからでも伝わる鋭い殺気はすさまじいものだった。
恐怖が、解き放たれる。
語調を低めて放たれる言葉がうるさく鳴り響く心臓を鷲掴んだ。
「……つまりなんだ。そいつは俺に対する脅しか?」
「いいやただの忠告さ。それを決めるのは君次第、――なんだろう?」
あれほどまでの殺気を受けてもピクリとも動揺を見せないリオンも怪物だ。
とりあえず――、
「二週間後の聖王都。君は多くの人に振り回されることになるのを覚悟した方がいい」
そう笑って、彼らは和やかにその場をあとにした。
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