第二十三話 終端を告げる者
◆◆◆ オバル=ジグムド――
叫びと共に、捻じ曲がる空間から結界の刃が獣の顎のように縦横無尽に伸びて牙を剥く。
時に枝分かれし、領域を不規則に犯し、統率の取れない結界の刃は互いを砕きながら甲高い悲鳴を上げて侵入者に襲い掛かる。
その不出来なまでに脆く醜い牙は、あの出来損ないのノッカーどもを連想させた。
黒い棒きれを握る侵入者。
渾身の一念を込めた不可視の刃は無慈悲にそして確実に、憎たらしい冒険者の五体を切り刻む――はずだった。
『雑』に振るったとわかるほどいい加減な剣戟。
それだけで強力な結界は、黒い紫電の刃によってガラスの砕け散るが轟いた。
「は…………」
間抜けな声が部屋に木霊する。
それが自分の口から放たれた言葉だと理解するのにずいぶんと時間がかかった。
砕け散った透明な殺意は、魔素へと還元され粒子となって消えていく。
白金等級クラスの魔素を含んだ死の刃が。
たった一人の冒険者に容易く破壊された。
それだけで背筋に冷たい悪寒が走り、心臓を鷲掴みにされる感覚が俺を襲った。
『契約』の呪いが発動したわけではない。
にも拘らず、その深紅の瞳の奥に俺は自分自身の死を見つめていた。
本能が理解する。
俺はこの男に殺されると――。
「ば、馬鹿な。バカな馬鹿な!? たかだか銀等級風情の冒険者にこの城塞最大級の大魔術が防がれるなど――」
「……それだけテメェの術式が雑だってことだ。並みはずれた魔素を溜め込んだって使用者の技術が未熟じゃあ意味がねぇ。料理人の腕如何で飯の質が変わるようにな」
「くっ――!?」
それでは俺がこの都市の王に相応しくないと言われているようじゃないか。
あざけるような声が俺に向けられる。
「どうする大人しく投降するか? いまなら腕のに三本で許してやるが」
「だ、黙れ!! 一度凌いだ程度でいい気になりやがって。俺にはまだ迎撃術式を行使する決定権がある!! もう一度魔素をかき集めさえすれば――」
素早く魔石に手を触れ命令を送る。
しかし、ツカツカと靴を鳴らし、近づいてくる冒険者の身体は依然として健在だ。
「な、なぜだ!? なぜ認証しない!! 俺はここの王だぞ。バルバトスを殺し、全ての権利は俺に譲渡されたはずだ。なのに何故反応しな――っ!?」
瞬間、振り上げた黒い木刀が正確に俺の横っ面を叩く。
身体が宙に舞い、背中に衝撃が加わる。重みで背後の執務机を破壊しされる音が鼓膜を震わせ、整理されたはずの書類がいくつも空を舞った。
俺の絶叫が脳髄を震わせ、痛みが熱となり身体を蝕む。
口から吐き出される血液に混じって何か硬いものが吐き出された。
それは歯だ。舌で口内を這わせれば奥歯の何本かが折れ、鋭くとがっていた。
俺を見下ろす深紅の瞳。
その輝きには一抹の哀れみと侮蔑が込められていた。
「……無様だなオイ。いい加減憐れすぎて見るに堪えねぇ」
「貴様――ッ!! 俺はこの国の王だ。この都市の主になにをしたかわかっているのか!?」
「まだ気づいてねぇのか。なぁ、いい加減教えてやったらどうだ。テメェが最後まで懸念していた洗脳って線はもうねぇだろ」
「――は? 何をいって……」
カシャンと金属を擦り合わせた音が聞こえる。
それはとても聞きなれていながら、不思議な響きが脳内にいつまでも残り、高潔と洗練を帯びた輝きを響かせた。
直視するだけで魂が屈服してしまいそうになる重圧な存在感。
そしてそんな特別な鎧を賜った者を俺は四人しか知らない。
「残念だよオバル=ジグルド。長年、聖王都に仕えてれていた同胞の『二人』をこんな形で失うことになるなんて――」
「あ、ああ。ああああなたは――、リ、リオン=ドラグニル」
掠れた声で喉を震わせれば、無残に開け放たれた扉の奥から、聖王都最強の騎士王が現れた。
若くして幾度も襲い来る国の危機を救い。その高潔なる魂を以て民衆を導いてきた至高の勇者。
愁いを帯びた柔らかな薔薇の瞳がうずくまっている俺に向けられる。
しかしなぜ奴がここに。報告ではすでに城門前に待機しているはずなのに――、
「なぜ僕がここにいるか不思議そうな顔をしているね、オバル尋問官」
「――ッ!?」
「驚くのも無理はない、何せ命令を下したのは僕なんだから。でもオバル尋問官。その討伐計画自体が囮だと本気で考えなかったのかい? あなた達、裏切者をあぶりだすための」
囮、だと……
あの大規模作戦自体が俺達を見つけるための――
「そうさ。レイブンの案で一芝居打たせてもらった。ユウヤに頼んで内部調査を頼んだのもそのためだ。僕じゃ警戒されて調査にもならないだろうからね。……でも、まさか拷問を受けているとは思わなかったたよ」
「はっ――、あの程度拷問の内にも入らねぇ」
肩をすくめてみせるアラガミ。
まさか自分が捕まることすら織り込み済みだったというのか!?
「まぁ、俺としては痛み以上の収穫があったからな。俺からは何もねぇよ」
「そうか――、ありがとう」
「負い目を感じているんだったらそれを俺に向けるのは筋違いだ。はっきり言っちまえば不幸なのは俺達、大人の企みに巻き込まれたあのガキだからな」
「それに関しては言い訳の余地なんてない。僕の所為で彼女を巻き込んだ。この件が終わり次第、僕は彼女にも贖罪しなければならない。だけど――」
そう言葉を区切り、優しげな瞳に苛烈な光が灯った。
「その前にこの問題にケリをつける」
憎悪でも、怒りでも、怨みでもない。
おおよそ人間を超越した未知の感情が、剥き出しの魂に襲い掛かる。
これが騎士のトップに立ち、人間を超越した者の強さか。
ただそこにいるだけで、魂が、身体が無意識に屈服してしまう。
人としての存在が、明らかに違う。
これが特異点。現人神と呼ばれる者の魂。
薔薇の瞳の奥に、隠れた黒い輝きを見た。
それはどこまでも俺を逃さないという聖なる断罪者の光と同時に、救世主としての側面の輝きを放っていた。
その高潔なる瞳がどこまでもまっすぐに罪人の俺を見下ろす。そして腰に備え付けた聖剣を抜き放ったかと思えば、その曇りのない切っ先が俺の喉元に向けられた。
「――俺を、ここで殺すのか」
「いいや。あなたを裁くのは俺ではない。神があなたの罪過を裁くのだ。そしてあなたはその一生を費やして全ての罪を償わなくてはならない」
もはや言葉はなかった。
静かに断罪の言葉に耳を傾ける。
「オバル=ジグムド尋問官。兄、バルバトス=ジグムド殺害の容疑。および指定大罪人ファンウェイ=ウェイダータとの共謀の罪で拘束する」
文字通り言葉の端々にほとばしる魂の重圧が身体を縛りつけ、身動きが取れなくなる。
これが、王たる資質を持つ聖者の言葉か。
一瞬でも出し抜けると考えた自分が愚かしい。
頭を垂れるようにして膝をつけば、気高き魂を前に俺の矮小なる魂はいつしか抵抗することをやめていた。
「終焉の日。神がこの世全ての罪を
無慈悲なる宣告の宣告が魂を震わせる。
その途端、上階で鐘が大きく二回鳴り響く。
身体を震わせる絶望の音色。
それは俺がいままで築き上げてきた野望を打ち砕くに値する終わりの晩鐘だった。
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