第二十四話 解き放たれたる『肉』の枷

 ◆◆◆ 荒神裕也――


 鳴り響く終焉の鐘は終わりであり始まりである。


 ここにようやく一つに闇が白日の下にさらされた。


 観念したようにリオンの手により大人しく縛られるオバルを見つめ、俺は忌々しく小さく息を吐き出した。


「すまないユウヤ。幼気な少女をあんなにした彼が憎いだろう。苛立つ君の気持ちは痛いほどわかる。――がいまだけは堪えてくれ。彼にはまだ聞かなきゃならないことがあるんだ」

「わかってるよ。俺だって別にそこのクズみてぇに物事の重要性がわからねぇほど馬鹿じゃねぇ。復讐ってのはあのガキみたいなクズ共の手で弄ばれた奴らが主張してこそ初めて正当な意味を持つ。巻き込んだ俺とテメェが脇からどうこう言える立場じゃねぇってことは弁えてる」

「本当にすまない。彼は必ず協会が裁く。僕は彼女らを彼と同じような外道に変えるわけにはいかないんだ」


 結局のところ、司法の裁判ってのは復讐の連鎖を断ち切るための儀式でしかない。

 こんな茶番で今まで犯した罪のすべてが許されるのであれば、世界に復讐なんて言葉は存在しないだろう。


 正義感。背徳感。罪悪感に劣等感。


 加害者がいれば当然、被害者がいるように。

 例え全ての自由が許されたこの世界であっても、生命が生活を営む上での最低限度の秩序というものは無意識に浸透しているようだ。


 それは生まれながらに人間が背負った業の証明なのかもしれない。

 束縛されれば自ら解放されたがり、自由を許されれば自ら秩序で己を縛りたがる。


「……ふっ、人間ってのはままならねぇな」

「何か言ったかい?」

「いいやなにも。それで聞きたいことは聞けたのか?」

「いいや残念ながら何も知らないようだ。手がかりはゼロさ」

「おいおいどんだけお人よしんなんだよ。この期に及んで何も知らねぇはありえねぇだろ」


 これで終わりであれば簡単だったのだがそうは問屋が卸さない。

 今回はあくまでかねてよりクソデブの動きを怪しいんでいたレイブンの懸念が別の方向で的中していたに過ぎないのだ。


 実際のノッカーの大量発生の原因は何一つわかっていない。


「慣れてねぇんなら俺が代わりに尋問でもしてやろうか?」

「そんなことができるのか!?」

「むしろ聖人君子のテメェよりかはうまくやれる自信がある。……まっ、少々荒っぽくなるがいいよな?」


 そう問いかければ両腕を拘束されたオバルがあからさまに肩を跳ね上げた。

 一歩一歩距離を詰めれば、筋肉と脂肪の巨体が両足をばたつかせて壁際まで追い込まれるいく。


「お、俺は何も知らねぇ!?」

「そうか喋りたくねぇか。なら仕方ねぇ。だがコイツを使えば少しは口が軽くなるんじゃねぇか?」

「ばっ、待てお前『それ』は――、ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!?」


 構わず深々と『それ』を太ももに突き立てば醜い獣の絶叫がほとばしる。


 地下室でダルマになってるクズ共から押収した品だ。

 確か≪断末魔の棘ラブ・マックス≫と≪狂い咲く聖女の叫びクライシス・オブ・メイデン≫。

 渡航者が手掛けた呪具なだけあってその性能は立証済みだ。


 例え、皮を一枚薄く裂いたとしても右足が切断されたと脳が誤認するほどの幻覚と幻痛だ。

 急激な血圧の変化で死ぬこともなければ、出血死など夢のまた夢だろう。


 深めに刺したところで右足が骨ごと抉り取られた程度で済むはずだ。


「俺の知ってる情報は全部吐く。だから殺さないでくれ!!」

「死にゃしねぇよ。ちょっと頭の中がいかれる程度だ。あのガキですら耐えられたんだクズのお前でもあと四、五回程度なら余裕で耐えられんだろ?」

「ひぃぃいいいい!?」


 息も絶え絶えに震えるオバルの表情が絶望の色に染まる。

 この顔をあのガキにも見せてやりたかったが、あいにく医務室で寝てんなら仕方がねぇ。

 もったいねぇが俺一人で楽しむこととするか。


「で、なにをききゃいいんだ?」

「……魔獣ノッカーの件。指定大罪人との関係。あなた達が隠そうとしてきたこの薬の正体。すべて洗いざらいはいてもらおうかオバル尋問官」

「だそうだ。さぁ好きにしな。正誤の判断は俺がする」


 そう言って反対側に鋭い刃物のついた夜に濡れた金槌とナイフのように短い儀礼用の短刀を振ってみせれば、正面から怯えた声と共に脂ののった舌が動き出す。


「ファンウェイの野郎は、俺に部下を掌握するために有効な薬の話を持ち掛けてきた。なんでも新しくできた嗜好品だとその定期的な売買ルートを欲しがっていた」

「ほぉそれで?」

「薬を定期的に売るためには、あに――いや。バルバトスが邪魔だった。だから俺とファンウェイは利害の一致ってことで、あいつの酒に薬を混ぜて酔った内に殺したんだ。ノッカーのことは知らねぇ」


 なるほど嘘はついていないようだ。嘘は。だが――、


「……奴の目的はそれだけか?」

「………………ああ、これ以上は、何も――」

「はい、ダウト」


 もう一度深めに≪狂い咲く聖女の叫びクライシス・オブ・メイデン≫を突き立てれば絶叫がほとばしった。


「な、なんで俺は正直に――」

「俺はお前に隠すなっつったよな。見え透いた嘘はわかってんだよ。あとお人よし。俺に任せたんなら最後まで見届けろ。邪魔すんじゃねぇ」

「しかし、これでは彼とやっていることが同じでは――」

「言い換えれば聖王都がいままで黙認してきた尋問方法でもあるがな。……なぁオバル尋問官?」

「ひっ――!?」


 第一コイツは腐っても一流の尋問官だ。

 その道についてはプロだろうし、当然、尋問の手順やその法則についてはここにいる誰よりも詳しいはずだ。

 それは言い換えれば、どうすれば秘密を洩らさずに済む方法も熟知しているということ

 一切の容赦なく、今度は≪断末魔の棘ラブ・マックス≫を浅く胸に突き立てれば、案の定。痛みに耐えかねて鼻水と涙で顔面を汚した筋肉デブがヒーヒー喘ぎながら口を滑らせた。


「話す。離すからもうやめてくれッッ!!」

「それはテメェの誠意次第だな。それで? 何を隠している」

「俺も、詳しくは知らねぇが、あの男には強力なバック、がいる。でなけりゃこんな秘薬アイツ個人が一人で捌ける訳がねぇ」

「……秘薬、だと」

「『約束された救済の奇蹟』――、と言えばリオン卿。あなたにもわかるはずだ」

「――ッ!? まさか『禁断の果実エデン』か!?」


 いままで背後で不満げに俺の尋問を見つめていたリオンが飛び掛かるようにオバルの肩を掴んだ。


「なぜだ。なぜ闇に葬られた禁忌の秘薬を商人が持っている!! あれはとうの昔に失われたはずだ」

「知らねぇよ。俺だって初めは驚いたさ。この秘薬の製造方法は文字通り、製作者の死後と同時に文字通り消失したんだからな」

「まがい品という可能性は――」

「ブツの効果は本物だった。今では冒険者の間でも簡易版って形で裏ルートで出回っている。こんな風にな」


 そう言ってオバルの怯えた視線が自分の懐に向けば、訝しげに険しく眉をひそめていたリオンが懐をまさぐり、中から白い紙箱を取り出した。


 それはオバルが俺に勧めてきた葉巻の入った『アップル』という嗜好品だった。


「奴らはこの嗜好品を冒険者にばら撒いて顧客を作り、本命の秘薬を売りつけていたんだ。葉巻の方は効能が薄いがそれなりの多幸感を得られる。原料の秘薬となりゃ言わずもながらだ」


 なるほど売人の常套手段か。

 その薬物が違法であれば確かにこいつもあのクソ商人との関係を隠したがる訳だ。


「……もしその話が真実としたら大変なことになる。また各国で『禁断の果実』を巡っての聖戦が起きるぞ」

「……そこまで危険なもんなのか?」」

「五番目の渡航者。通称『死霊の花婿』が異世界から持ち出した技術を応用して作ったとされる秘薬だ。なんでも飲み続ける限り最上の幸福と永遠の命を手にできるとまで噂されていた。君が持っているその二振りの武器も彼の成果物さ」

「こいつの――」


 改めて握ればわかる。

 禍々しいまでの怨念の中に確かに尋常じゃないほどの魔素の流動を感じる。

 生きた武器、というべきか。


 同じような生きた呪具を扱っている俺だからこそわかる境地というべきか。

 こいつらは近くに置いておくと何かよからぬことが起きると俺の直感が言っている。

 だが――、


「なぜいまさらそんな過去の人間の話が出てくる。まさかこの件にまでその死人が関わってるなんて言わねぇだろうな」

「考えたくないが相手は稀代の魔術師だ。魂になっても生き延びていたと考えてもおかしくない。最悪なのは『死霊の花婿』とファンウェイが何らかの形でつながっているといことだが――」


 そう言葉を区切り赤い瞳がオバルに向けられる。


「本当にあなた達の企みとノッカーの件は関係ないんだな」

「あの化け物に関しては本当に何も知らねぇんだ!! それにそんなやべぇ案件ならそもそも俺は関わってねぇ」

「……なるほど。それでその胸の呪いか」


 すると筋肉デブの身体が大きく震え瞳が大きく見開かれた。


「呪い? それは一体どういうことだ?」

「ずっと不思議に思ってた。あのクソ商人が他人を、ましてやこんな脇の甘いクズをここまで信用するなんて考えられねぇ。おそらく秘密がバレた際の口封じの術式でもかけられているのか? 相手は商人だ。契約を結ぶ際に密かに≪朱焔しゅえん≫の内側に禁足事項を込めた呪いを付加していてもおかしくはねぇ」

「という事はここまで派手に動いたのは――」

「自分が死にたくなかったからだろうな。あのクソ商人と取引を交わした時点でコイツはもう後に引けない状況だったんだよ」


 ペラペラ口の軽い奴だ。

 なにもしゃべっていなくてもそのブサイクな面は雄弁に真実を物語っている。

 しかしだからと言って同情するかと言えばそれだけは絶対にない。

 元々ガキをいたぶって喜ぶようなクソ野郎だ。

 純愛精神豊富な誇りなんてもんは持ち合わせていないだろう。


 結局はなるべくしてなった結果に過ぎない。


「で、どうする? ノッカーに関しちゃたいした収穫はねぇようだが」

「いや。それでも事が事だ。もし本当にこれが『禁断の果実エデン』ならその秘薬の製造方法が第三者の手で解明されたという事になる。そうなれば世界はまたあの地獄に逆戻りだ。いますぐレイブンに連絡を――」


 国のトップの一人がこれだけの焦りを見せるのだ。

 どうやらかなり切迫した状況らしい。

 下手をすれば国が滅びかねないほどの事案なのだろう。

 しかし先にステータス機能で何らかの通信があったのか。突如として耳に手を当て――、


「それは一体どういうことだ!!」


 あからさまに眉をひそめて声を荒げるリオン。

 おそらく部下からの通信か。


 その通信から漏れ聞こえてくる声は一抹の焦りが含まれていた。


「状況を説明しろバーノン。なに!? ノッカーが――? 警備はどうなっている。結界の効果で城塞内には入れないはずじゃあ――」


 そうして言葉を区切ったところで、リオンの視線が背後に飛ぶ。

 正面のクソデブからも怯えた声が上がり、その視線の先を振り返れば、そこには三人の新米兵士が


 少なくとも二度と立てないように関節から何まで粉々に粉砕したんだがな。


 唖然と空気が弛緩するとともに、強烈な腐臭が突如、部屋全体に充満し始める。

 それはどことなく嗅ぎなれた匂い。


 そうこれは――、


「(シュブニグラスと同じ――ッ!?)」


 すると唐突に三人の新米兵士の身体が大きく唸りを上げた。

 胴から腕まで関節が不自然に折れ曲がり、大きく脈打つ胸部が膨れ上がる。ねじれるように身を伸ばす者もいれば、不自然に身体が膨らみ始める者もいる。

 そして――。


「お、オバル様。た、たすけ――」


 それが男の遺言だった

 伸ばしたはずの歪んだ右手がとぐろを巻き、濁った言葉は遂に人語を返さず獣の唸り声に変わる。

 そして体を丸めるようにしてが出来上がると。


 パンッッッ!!!? と大きな破裂音と共に人肉と皮の化合物が赤い霧を含んで部屋にはじけ飛んだ。


「FUSYURURURURURU」


 舌を巻くようにして現れた三体の獣。

 赤黒い液体を床に滴らせ、白い息を吐き出す。

 気骨稜々の四肢を床に付け、剥き出しの筋肉が徐々に黒く染まっていく。

 それはどれとして同じ姿のものはいなく。立ち込めるきつい腐臭が俺の鼻腔をくすぐった。


 部下の消失。突如現れるノッカー。知らずに行われた企み。


「……なるほどそう言うことか。道理でわからねぇはずだ。道理で見つからねぇはずだ。……まさか人間が魔獣化するなんざな」


 黒曜を構えると、三つの眼球がそれぞれの獲物を捉える。

 そしてそれは輪を描くようにして一度散会し、その不格好な牙をかき鳴らして襲いかかってきた。

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