幕話 ■■■■の記憶
◆◆◆ ???――
暗い部屋の中で、ご主人様はおっしゃいました。
『お前ほど哀れで醜く利用しがいのある奴隷はいないよ■■■■。ああ興味深い。なんて興味深いんだ。もっとお前の悲鳴を聞かせてくれ。もっとお前の全てを見せてくれ。そうだ。それでいいもっと僕を喜ばせてくれ』
ご主人様はおっしゃいました。
『お前の血。お前の血こそ全ての生命を狂わせる知恵の果実だ。お前は呪われている。生まれながらに死んでいる。だがそれと同時に祝福されている。ああなんて悲劇だ。なんて喜劇だ。――安心しろ。お前の全ては僕が余すところなくすべて使いきってやろう。その魂の一片まで僕の愛を注いでやろう。それこそがこの世界に生れ落ちた僕の使命なのだから!!』
ご主人様はおっしゃいました。
『ああ、愛すべき我が奴隷よ。この行いこそが僕の愛だ。例えその身体が朽ちようともその魂までは決して朽ちない。神々なんかには奪わせはしない。奪わせてなるものか。……だから安心するといい■■■■。お前が生きていたという証は僕が永遠にこの世界に刻み続ける。――さぁ今日も僕の愛を注いでやろう』
それからご主人様は研究に明け暮れました。
毎日毎日、『わたし』の身体を生きたまま切り刻み、研究をつづけました。
来る日も。来る日も。来る日も――。
そして長い時間をかけて、ついにご主人様は見つけました。
『完成だ。これが僕が探し求めていたもの。世界の全てを救える至宝だ!! 見てくれ■■■■。これがお前から生まれた新しい救いだ。これこそが僕の悲願だ!!』
書き綴った書物を抱えてご主人様は喜びました。
暗い暗い部屋の中で一人で喜びました。
何十。何百。何千の屍が暗い部屋に積みあがります。
そしてご主人様はおっしゃいました。
醜く変わり果てたはわたしを見て、ご主人様はおっしゃいました。
これが愛なのだと――。
その手には白く銀色に光る粉が握られていました。
◇◇◇
声が、聞こえる。
わたしを、傷つけた男の人の声が。
身を僅かによじれば真っ赤に染まった鉄棒を押し当てられた熱の痛みが臓腑の内側を駆け巡る。
朦朧とする意識のなか。思考が上手く定まらない。
夢を見ていた気がする。とても不思議な夢を。
でも徐々に覚醒していく思考は夢の追及を許さず。次々と脳裏をかすめ魂を焦がしていく恐怖の記憶が、わたしの魂を嬲っていく。
「――、―――――!!」
震えることも、叫ぶことも死ぬことも許されない状況で、冷たい刃物の感触が肉を抉り切り裂いていく感触を今もはっきりと覚えている。
死にたくても呪いによって死ぬことを許されず、永遠と生きたまま切り刻まれる。
男の人たちはわたしが泣き叫び、許しを請う姿を見て笑っていた。
初めだけ優しかった男の人たちの声が、いまはこびりついたように頭の中に響き渡る。
『お前のご主人様はどこだ?』
『あの男とはどういう関係だ?』
『なぜ、ここに連れてきた?』
答えるたびに嘘だと決めつけられ、刃物が肉を切り裂く。
結局わたしはあの人を裏切った。
痛みから逃れるために知っていることを全部話した。
それでもあの男の兵士たちはわたしの言葉を信じてくれなかった。
『嘘をつくんじゃねぇ!!』
『もっと苦しみたいみたいだな?』
『奴隷の分際で俺らを馬鹿にするんじゃねぇッッ!!』
頭が焼き切れそうになる。頭痛と共に胃の底からこみあげる吐き気が止まらない。
床を転がる力なんて残っていない。
どうしてわたしばっかりこんな目に合わなくちゃいけないのだろう。
どうしてわたしは奴隷に生まれてきたのだろう。
「で、このガキどうする?」
だからこそ男の人たちの声はわたしにとっては恐怖でしかなかった。
気が付けば知らないところにいた。
天井につるされ、やめてと叫んでも血走った目で刃物を振るい、泣き叫ぶわたしを愉しんでいたあの男の人たちがいる。
相談をしている。
また、わたしを傷つけるための相談が。
「なんとしてもあの商人の情報を吐かせろって言われてもな。犯しても反応がなきゃつまらねぇだろうし、第一、こんな傷だらけのガキ下半身が反応しねぇ」
「だいたいもう喋る気力もねぇだろ? だったらそこの男に聞いた方がよくないか? 指の二、三本弾いてもいいって話だし」
「なら俺がやるわ。リーダーが言ってたことが本当ならガキを徹底的に壊して見せしめにしてその男を絶望させるってのも面白れぇ」
とても若い男の人がわたしを見たような気がした。
あの声はわたしを率先してお仕置きしていた人だ。
やめてと言ってもやめてくれず、天上から吊るされ何もできないわたしを蹴ったり殴ったりしていた――、
「こいつはいい声で啼いてくれたからな、この男の心にもさぞかし響くだろうよ」
わたしは、男の人が嫌いだ。
この世から消えてしまえとさえ思ったことがある。
子供であろうと容赦なくなぶり殺し、自分の快楽のためだけに力を振るう姿を何度も見てきた。
だからわたしは、男の人が嫌いだ。
『おしおき』で肌を何度も切られ、血で濡れていくわたしを見て興奮して狂ったように人間性を失うあの姿が。
「……あ、っ――」
叫びすぎてのどが掠れて声が出ない。
逃げる力ももう残っていない。
結局わたしは救われない。
だってわたしは人間じゃないから。生まれた時からずっとそう教え込まれたから。
所詮、わたしは奴隷。
醜い奴隷だ。
この世界は、わたし達に優しくない。
強い人たちが弱い人をいじめて喜ぶ世界。
どうせ、あの人だって同じだ。
胸の底でわたしを嘲笑って、利用しようとしていたに違いない。
絶対そう。そうじゃなきゃおかしい。
なのに――
「――――っ」
わたしと同じくらい、ボロボロだった。
頭から血を流し、身体中に痣や切り傷ができている。
椅子に縛り付けられているあの人の姿を見た瞬間、さっきまで考えていた幼い猜疑心が吹き飛び、胸が刃物で切り裂かれたように激しく痛んだ。
「(あ、ああ。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ)」
脳内で絶叫がほとばしる。
わたしのせいだ。
わたしと関わったから。
わたしがご主人様の秘密を何もしゃべらなかったから。
関係ないこの人まで巻き込んでしまった。
込み上げる感情が喉を震わせる。
優しくしてくれたのに。
こんな醜いわたしを気遣ってくれたのに。
わたしがあのひとをまきこんでしまった
神様。神様。神様神様神様。
もしいるならわたしとあの人を助けてください。
わたしはもうすぐ死んじゃうけど。
せめて、あの人だけは――。
「おっ!! こいつまだ意識がありやがる。ラッキー!!」
絶望の声が身体を硬直させる。
伸ばしかけた右手が勢いよく踏みつけられた。
「おいおい。まさか浮気か? 奴隷の分際で愛してもらえると本気で思ってたのかよこのゴミが」
髪を掴み上げられ、わたしの身体が強引に持ち上げられる。
うめき声を漏らす力なんて残ってないない。
「ほんとおまえ物好きだよな。あのバルバトス大隊長の目を盗んでよくやってたもんな」
「そりゃいつの話だよ。もういねぇ奴の話を慕ってしょうがねぇだろうが」
「まぁ確か。あの人はむかしから頭が固すぎんだよ。こんな危険区で生活してんだ。多少のヤンチャくらい目を瞑って欲しかったよ」
舌なめずりする男の目が赤く血走り始める。
そう、この眼だ。
みんなそうだ。
みんなわたしを前にするとおかしくなる。
暴力を振るわずにはいられなくなる。
「おいおい殺すなって命令だろ。コイツも使っておくか?」
「≪
その名前はご主人様の口から聞いたことがある。
でも馬鹿なわたしには何を言っているのか理解できなかった。
「あーたしか、死者が蘇るとかなんとか言い伝えられてんだったか? 俺はまだそんなに詳しくないんだが、あれって本当なのか?」
「さぁな。ただ、俺は信心深いんだよ。帝国の渡航者を殺した勇者様が言うんだから間違いねぇだろ。んなことより、グダグダ言ってねぇでさっさと薬よこせ。薬」
結局いつもこうだ
いくら願っても、神様はわたしを助けてはくれない。
だってわたすは汚いから。汚れてるから。呪われているから――。
「(奴隷、だから――)」
初めから知っていた。
これがこの世界の答えだ。
自由なんて名ばかりの救いのない理。
わたしたちには自由なんてものはない。
あの夜。胸に抱いた感情はわたしの愚かな勘違いだったのだ。
「(ああ、地獄を見せるってこのことだったのか)」
あの夜言われた言葉を思い出す。
そうか。こうなることを知っていてあの人は――。
「(それでも、わたしは――)」
そんな思考を遮るように男の興奮気味な叫びが鼓膜を震わせた。
「よーしよし。コイツだコイツ。テメェのご主人様がいなくなられると俺まで困るからな。おい、色男!! いまからテメェの最愛のガキがどんな姿になるかよーく見ておけよ!!」
白い粉を開封して中に入った銀色の輝きを放つ粉を注射器で溶かし血管に注入する。
「ふぅ~キタキタキタ。あの商人も最高の土産を置いていったもんだぜ。
――うっ」
パリンと注射器が顔のすぐ横に落ちて、割れる。
仲間の男たちがいぶかし気な目を向けるなか。胸を抑えるように苦しみだす兵士。
駆け寄る仲間の腕を振りほどき。そして――
「うおおおおぉぉぉぉぉぉっぉおおおおおおおッ」
投げ出されたかと思えば、大きな掌がわたしの首を捕まえる。
握りつぶす力が気道を圧迫して、変な声が漏れた。
血走った眼でわたしを見つめ、涎を垂らす兵士。
あの人がくれた新しい服はいつの間にかズタズタに切り裂かれていた。
恐ろしく怖い真っ赤な眼がわたしのガリガリな身体を凝視する。
あの右手が次に私をどうするのかと考えると、動かない四肢が僅かに痙攣していくのがわかった。
「(こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい――)」
でもこれ以上、あのひとに迷惑をかけられない。
わたしが死ねばそれでいい。少なくとも、この人には関係のないことだから。
「ははっ!! 醜い最期だな。泡拭いて窒息死なんざまるで蛙だな。呪われてなけりゃ俺が飼ってやってもよかったのによ」
唾を吐きかけ、わたしの苦しむ姿を嘲笑う男。
わたしだって綺麗になりたかった。
お友達を作って、お外で遊びたかった。
ちょっとだけおいしいものを食べて。あったかいお布団で寝て、お仕置きに怯えることなく目を覚ます。
奴隷の分際で過ぎた願いかもしれない。。
呪われた存在がこんなことを言うのはおこがましいのかもしれない。
それでも、そんなささやかな生活を送りたかった。
「(……最後に、もう一回。あなたの声が、聴きたかった)」
掠れた声はもう言葉にでない。
だから、わたしの人生はもう終わり。
だから、わたしの願いは叶わない。
なにもかなえられないままわたしの人生は惨めに終わる。
それでも――
「あ……、たと、い――、しょに、い…、きた、――った」
右手が何かに触れた。
視界は真っ暗になってもう見えない。
ほとんど文章にならない言葉。
だけどその一瞬脳裏によぎる真っ赤な瞳がどこか満足そうに輝いているのを見て――。
「――馬鹿な奴だな。お前も」
全ての音と光が消え去ったあと。聞こえるはずのない優しげな声を確かに聞いた。
暖かい温もりがわたしを包む。
薄く瞼を持ち上げ、うめき声を漏らす。
一瞬だけ垣間見えた、僅かなほほえみ。
あの一瞬で、どうなったのかわからない。
これがわたしの望んだ妄想だとしても、それでいい。
「(あなたに、あえて。よかった――)」
たとえ死ぬような目に合っても。
抱きかかえられただけででわたしの胸は満たされる。
心地よい『匂い』がわたしを包む。
微睡む世界のなか。
全ての意識を温もりに委ね、わたしは静かに意識を手放した。
耳元で「あとは任せろ」とそう聞こえたような気がした。
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