第二十一話 残虐なる獣の群れ

◇◇◇


 ぼろ雑巾同然の細い四肢が床に投げ出される。

 

 レミリアを連れてきた兵士の一人がいたずらにその骨ばった身体を蹴りつければ、うつ伏せに倒れたレミリアが無様に転がった。


 ダランと力なくぼろ雑巾同然の細い四肢。

 そこには無数の浅い切り傷が刻まれており、中には肉を抉りだしたような刺し傷や打撲の拷問の痕が窺えた。


 死人より死人らしい生気のない身体に、虚ろな枯草色の瞳。


 ガシャンと鉄扉が重く閉まれば、新たに加わった三人の兵士達に向けて野太い声が快く室内を震わせた。


「おう、ご苦労だったなお前ら。どうだ楽しめたか?」

「久々にやりがいのある仕事でしたよ。思わず犯したくなるほど刺激的でした。日頃から自分ばっか楽しまないでこういうのを俺たちにも回してくださいよ」

「馬鹿いうんじゃねぇ。こんな愉しみ他人に譲れるかってんだよ」


 そう言って返ってくる言葉もどこか砕けた態度からするとクソデブの直属の部下かなにかだろう。

 オバルが幼い少女の顔を踏みつければ、周囲から嘲りの声が四方から上がった。


「さっすが次期トップのオバル=ジグムド。幼女と言っても容赦がないですね。頭の固い老兵とは違ってやることが違う。俺一生ついていきます!!」

「おいおい。あんなポンコツと比べられてもうれしくねぇよ。同期っつっても俺の人間性まで疑われるだろうが」

「『奴隷は人間と思うな。俺はただの家畜だ』って俺らに叩き込んだのはオバルさんじゃないっすか。コイツ、『尋問中』いい悲鳴でずっと鳴いてくれましたぜ?」

「途中、あまりの痛みに出るもん全部まき散らしてましたけどね」


 すると嘲笑と侮蔑の声が楽しげに爆発した。


 ある者は鼻を摘み。

 ある者は腹を抱え。

 ある者は軽蔑の目を向け、僅かに身を引く。 


 その全ての恥辱と冒涜が、立った一人。虫のように地面に転がるレミリアに向けられた。


 ここまで馬鹿にされながらもレミリアは身動き一つとろうとはしなかった。

 虚ろな枯草色の瞳を天井に向け、口をだらしなく開け放っていた。


 その無様な姿を目の当たりにし、胸に去来した感情はのは怒りではなく僅かな落胆だった。


「(……そうか。とうとう壊れちまったか)」


 ただ単なる気まぐれで助けたはずだ。

 それこそこの程度のことで落胆するほど情を注いできたわけじゃない。


 そしてそんなクズみたいな博愛主義者になった覚えもない。


 そもそも、そんなものは天照やあの変態女の役割だ。

 ガキ一人の無様な姿を見たくらいでここまで心揺さぶられる必要はない。


 奴隷の行き着く末路など少なくともわかっていたはずだ。

 こんなもの想像の範囲内だ。

 にも拘らず――、


「(なに一丁前にショック受けてんだよクズが。善人にでもなったつもりか?)」


 この結末すら、あのガキが進んで選び取った結果に過ぎない。

 巻き込んだと言われればどちらかと言えば俺が巻き込まれた方だ。


「(……どう壊されたのか知らねぇが。ついに諦めたか)」


 目の前に広がる光景を眺めながら俺はただただ大きなため息をつく。


 貧民街のガキどもが貴族共に焼き殺された時のことを思い出せ。

 身勝手な理由だけで浄化の火を放たれ、生きたままガキどもが焼き払われたあの時を。


 あの時だって何ら感情は湧いてこなかったはずだ。

 クソガキだって所詮はその程度の存在だ。


 一瞬掠めた脳裏に数刻前の少女の顔が頭を過ぎる。


 怯えながらも俺の服を掴み。畏れながらも俺の瞳をしっかりと見据える枯草色の瞳。

 その運命に抗おうとする強い輝きはここにはない。

 ここにはただの『屍』がいるだけだ。


 人間としての尊厳を文字通り踏みにじられ、男どもに弄ばれる。

 浅く息をしているがその顔は血に濡れていた。傷を踏みにじられても、痛みに身をよじることも声を上げることもしない。


 これではただの人形だ。

 いや年端もいかないガキに期待した俺が馬鹿だったか。


「……ふっ、憐れだな」


 言葉にするはずのなかった言葉が、口の中で転がすようにして漏れる。


 するとその小さな独り言を耳ざとく聞き取ったのか、唐突に贅肉のついた顔を上げるオバルの瞳が大きく見開いた。


「おいおい今なんて言った兄ちゃん。憐れ? いま憐れっつったのか?」

「……だったらどうだよ」


 大きく欠けた三日月のように目尻が鋭く変わった。

 まるでようやく欲しかったものを見つけた子供のような無邪気な笑みだ。


「いやー薄情な奴だなあんた。このガキはこんな惨めな姿になるまであんたにまつわる情報を一言も洩らさなかったっていうのに、そのセリフは随分と酷ぇんじゃねぇか? もっちとねぎらいの言葉があってもいいだろう。それとも罪悪感で心が泣いちまってるのか?」


 反応がない奴を嬲っても面白くないとでも考えたのか。

 嘲笑する視線がレミリアの身体から離れ、公開処刑を愉しむが如く下卑た視線が俺を取り囲む。


 オバルがあからさまに周囲を焚きつければ、兵士たちから失笑が零れた。


「もしかしたらそのガキの貞操でも気にしてんじゃないですか? オバルさんの話では一晩買った仲だっていうし」

「ああ、なるほどな。だとしたらわりぃことしたな。俺の部下は変態が多くてどんな変態行為をしたかわかったもんじゃねぇんだわ」

「……、」

「おっ!? 初めて顔色が変わったな。ふははッ、あんだけ痛めつけられても顔色一つ変えなかったあんたが奴隷のガキのピンチには反応すんのか。こりゃとんだロリコン様だなオイ」


 頭上から勝ち誇ったような下卑た笑い声が飛べば、つられて兵士たちも笑い声をあげる。


「なぁ何とか言えよ。無反応じゃつまんねぇだろうが」


 強引に髪を掴まれれば、脂ぎった瞳に復讐の炎がチラチラと燻ぶっているのが見え隠れしている。

 俺を一瞥するなり、クソデブの余裕の二文字がその汚ぇ顔面に張り付き、嘲笑するように肩をすくめてみせた。


「これも全部、あんたと関わりさえしなければ、このガキもこんなキツメの拷問を受けずに済んだかもしれねぇのになぁ」


 囁くようにして品位のない言葉が俺の魂を逆なでる。

 ああ、なるほど。コイツは久しく忘れていた感情だ。


 むしろここまで『我慢』していたことが驚きなくらいだ。


 俺の顔を見るなり口笛を鳴らすクソデブ野郎。

 何かを思いついたのか他の兵士に俺の身体をさらに拘束させると、その視線が背後で横になるレミリアに向けられた。


 一歩一歩とレミリアの身体に近づくデブ。

 しゃがむなり、白い髪を無造作に掴めば背後に立つ兵士の一人に声を掛けた。


「しっかし徹底的に痛めつけろとは言ったがこんなにしちまって。。……おい、壊してねぇだろうな」

「あれ? おかしいっすね。俺達が拷問した時はションベン漏らしながらいい悲鳴を上げてくれたんですけど――」

「……ちゃんと『あれ』は使ったんだろうな?」

「はいっす。オバルさんの言う通り『こいつ』で徹底的にやってやりましたからね。こんなのでもまだちゃんと生きてるはずっす」


 そう言って背格好の低い若い兵士が腰から濡れた闇に濡れたようなどす黒いの小刀を振ってみせた。

 なにやら濃密な腐臭が狭い室内に充満していく。


 禍々しい死の匂い。それと同時に『妙な』香りまで漂ってきた。


 しかしどうやらこのぼんくら共は気付いていないらしい。

 その趣味の悪いデザインの短刀を一瞥するとクソデブマッチョも目を細めて納得したように小さく頷いた。


「そうか。なら死ぬことはねぇな」

「オバルさんもドSっすねぇ。こんなぼろ雑巾までにしてまだ痛めつけようっていうんですか」

「散々舐めた態度取ってくれたんだこのくらいの楽しみはなくちゃいけねぇ。さぁてまだ叫ぶ気力は残ってるかなぁっと」

「もしかしたら気絶してるだけかもしれないっすね。……おい、起きろよガキが。いつまでもおねんねしてんじゃねぇぞ!! テメェが目覚めねぇと俺が怒られんだろうが!!」


「――ッッッ!!!?」


 つま先が腹部にめり込み、少女の体躯がを激しく浮かび上がる。

 地面に吐しゃ物が薄汚い床を汚し、激しく痙攣した身体はやがて激しい息づかいに変わりそして――、


「あ、……」


 たった一言。間の抜けた声を漏らして空気を震わせた。

 周囲からせせら笑う声が鼓膜を叩く。


 満足そうに頷くオバル。

 数人の兵士に命令し、強引にレミリアの両腕を持って立たせれば、


「で、俺が聞きてぇのはこのガキをどうやって手に入れたかだ」


 兵士から奪った趣味の悪い短刀で貫袋服の引き裂いた。

 傷だらけの身体に刻まれた焼き印が露わになる。


「おーおー。やっぱあのクソ商人も兄ちゃんと同じロリコンだったのかもな。こんなに痛めつけなくたって。もっとはあったろうに」

「……何の話だ」

「おっと。そう焦んなよ俺はいま機嫌がいい。妙な知りたがりは身を亡ぼすぜ?」


 そう言うなり、二つのどす黒い匂いを漂わせる『呪具』を隣の兵士に預け、懐から取り出した新しい葉巻に火をつける。

 何度か口の中でふかしたあと、白い煙をうまそうに吸い勝ち誇ったように大きく息をついた。


「ただ一つ言えばこのガキはただの奴隷じゃねぇってことだな。でなけりゃこんな傷だらけのガキ呪いなんかで縛って大事に手元に置いたりなんてしねぇよ」


 つまりレミリアには傷跡など問題にもならないほどまでの利用価値があるという事か。


「出るところに出れば、それこそ俺を裏切ったクソ野郎も真っ青になるレベルだろうよ」


 酒に酔ったかのように上機嫌に語りだすオバル。

 まるで冥土の土産でも持たせるような気前の良さで次々と唇を動かしていく。


「……俺らもあいつらが連れてくる上玉には何度か世話になったことがあるからな。あいつの裏商売はよく知ってる。そうなるとちょくちょく商人の間でまことしやかにささやかれている噂なんかを耳にするときがあんのよ」

「噂だと?」

「色々あるぜ。始まりの森での邪神討滅の秘話から出所不明の麻薬ルート。東の地で新たに発掘されたダンジョンなんてのもある。まさに寝物語にはもってこいじゃねぇか」


 上機嫌に語るオバルが大きく息をつき、


「それで、テメェ等とクスガキに何の関係があんだよ」

「関係大ありだよ。なにせコイツは例のブツの――」


 そう言いかけた途端、鐘の音が城塞内に響き渡った。

 忌々しそうに顔をしかめるクソデブが小さく舌打ちして立ち上がった。


「ちっ、巡回の時間か。これからが楽しいってのに。……おいお前ら俺についてこい」


 すると三人の新兵が威勢よく返事をして、重い鉄扉をこじ開けた。

 立ち去ろうとするオバルを一人の兵士が呼び止める。


「それでこいつらはどうしますか?」

「拷問してでも聞き出せ。俺は巡回ついでに8階の執務室でそいつの認証コードを抹消してくる。そこの兄ちゃんが騎士王様には怖くて一人森の方に逃げだしたとでも言っていかなきゃなんねぇからな」

「じゃあ俺らの好きにしていいんすか!?」

「ああ、なかなか口を割らねぇからな。最悪ガキの指五六本程度なら落としても構わねぇよ」


 真面目な口調の兵士を押しのけ、趣味の悪い短刀を持っていた男が声をあげれば、嘲笑と共に呆れた声が返ってくる。


「きちんと仕事しろよ。……まぁ、お前らはこいつらと違ってもう中堅なんだから言わなくてもわかってんだろうがな。……ほらこいつは今週分だ」

「ヒューッ!! さすが次期大隊長。相変わらず太っ腹っすな。どっかの大隊長とは器が違うぜ」

「うるせぇ。事実だろうがそうおだてんじゃねぇよ」


 そうして三人の兵士に指示を出し先に行かせると、新兵が去ったことを見送ってオバルはそのでっぷりした鎧の隙間から白い粉の入った袋を三人に手渡した。

 嬉しそうに顔を綻ばせる兵士共。


 口々に感謝の言葉が飛び交い、恭しく見送りの言葉が吐き出された。


「――ってわけだ。もう逢うことはねぇと思うから言っておくがここでお別れだ。ここに残る三人は女でも平気で拷問を愉しむクソ野郎だ。吐くなら精々早めにするこったな。黙ってても苦しいだけだぜ?」

「……ああ。その余裕が次に歪むのを楽しみに待っててやるぜ」

「まだ強がるか。大した兄ちゃんだなあんたも。だがもう無駄だ、その縄は特別製の呪いが込められてる。ちょっとやそっとで切れるもんじゃねぇよ。大人しく後生大事に匿ったガキと一緒にあの世にいきな」


 そう言い残して、手を振り去っていくクソ野郎。

 重苦しい扉がゆっくりと閉ざされた音が鼓膜に響き渡った。

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