第十六話 聖騎士王 リオン=ドラグニル


「いけるかエバロフ!!」

「ばふッ!!」


 一瞬、出来た僅かな余白。

 どこのどいつか知らねぇが助かった。


 体勢を立て直してエバロフを立ち上がらせれば、まるで問題ないとばかりの勇ましい息づかいが飛んでくる。

 走り出すエバロフにまたがり、一息に走らせる。

 蹄が力強く石畳を蹴り、一瞬で加速していく。


 距離はおよそ三百メートル。

 こいつの足なら十秒もかからず踏破して見せるだろう。

 だが――、


「追いかけてきた」


 当然、得物を前に大人しくするような奴らじゃない。

 レミリアの声に後ろを振り返れば、影を伝うように泳いで渡る化け物共が、城塞の跳ね橋で待ち構えるようにして、不気味なうめき声をあげて飛び掛かってきた。


 避けるよにエバロフに指示を出したところで、エバロフの身体が僅かに傾き、スピードが落ちた。

 先ほどの転倒で足に何かしらのダメージを受けたのか。

 短くたたらを踏むようにして、エバロフの身体が僅かに傾く。


「(くっ――、無理をさせすぎたか)」


 転倒した馬ほど脆いものはない。

 しかもそれが高低差のある瓦礫の山から落ちたのならばなおさらだ。


 自分の判断の甘さに舌打ちし、冷静に敵を見据え、改めて黒曜を構える。

 このままグズグズしていたら第二陣の波まで襲いかかってくる。

 すると見計らったように二条の閃光が地面を走り、飛び掛かった化け物が縦に割けて汚物を曝す。


 そして――、

 化物の身体が跳ね橋の縄を断ち切る音が聞こえた。しなるように暴れるロープがもう一本の命綱を根元から切断する。


「――そのまま走れッ!!」


 まっすぐ飛んでくる男の声に、俺はすぐさまエバロフを走らせる。

 苦悶な息づかいが下から聞こえるが、関係ない。


 ここで下手に迷えば、『コイツだけ』崖下に飲み込まることになる


 瓦解する跳ね橋。落下していく獣共の悲痛な声は死神の舌に飲まれ、俺達を深淵の崖下に誘うべく崩壊の音が産声を上げる。


「アラガミ様ッッッ!? 後ろッ!!」

「言われなくてもわかってるよ!!」


 知恵がねぇくせに食い意地だけは張ってやがる。

 意地きたねぇ奴らだ。


 跳ね橋が堕ちようとも飛び出してくる化け物共を背後に捕らえ、手綱を振るう。


 これだけは使いたくなかったが、仕方ねぇ。

 手綱を握り、黒曜の力を伝播させて一時的エバロフの身体を強化させる。


 下手をすればエバロフの魂を汚染させ、死期を早める結果になるがそんな些細なことを言っている場合ではない。


 加速するエバロフの四肢が、崩れうねりを上げる跳ね橋を正確にとらえ、波のようにうだる橋の勢いを利用して飛び上がった。

 確実に距離は稼いだ。あとは俺が背後の雑魚どもを始末するだけ――


「紫電――」


 振り返り黒曜を構えた瞬間、清廉な剣戟が俺の後ろを通過し、水っぽい花火を無数に散らしてみせた。

 そうこうしているうちに勢い良く崩れたエバロフの身体が城塞内に滑り込む。

 すると、城塞内に施錠するような結界の音が鳴り響き、


「……よく、生きてくれたね」


 投げ出された体を持ち上げれば、頭上から快活に笑みを浮かべる青年が右手を差し出してきた。


◇◇◇


 事情聴取という名の尋問を終え、自由の身になるなり連れてこられたのは多くの人間がひしめき合う一つの空間だった。


 街の入口にあった城門と同じような、許可のない者の出入りを禁じる類の結界だろう。

 ざっと数えただけで二百人。

 男に女に商人に兵士。様々な身分の人間が入り交じるこの空間はさながら、一つの世界のようだ。

 おそらくこの要塞に使える兵士の訓練場か何かだろう。

 頑強すぎる造りの分厚い壁の上に強力な結界が内部にも張られてあった。


 城門要塞ガーディア。

 その都市部の主要機能を集約させた巨大な『門』内部でも、大きな動きがあった。


 行き交ういら立ちとうめき声。


 事情聴取の際に兵士の老兵から簡単な話を聞けば、どうやら街中で不審な魔獣が大量に確認されたらしい。

 未確認の魔獣の群れ。

 それゆえ、非常事態宣言が為されこの城塞に人が集められたそうだが、


「発生原因がいまだに不明って、なんだよそりゃ――」


 湧き上がる魔獣の群れになすすべもなく籠城まで追い込まれたらしい。

 外に張られた結界は城塞内に魔獣が入ってこられないようにするためのものと、外に魔獣の群れを逃さないようにするための二つの意味があるとのことだった。


 それでも張り詰めた緊張しか伝わってこないのは状況が全く好転しない不満の表れだろう。

 チラチラと俺の顔を見ては、目を逸らす人間はどいつもこいつも疲れ切った表情をしていた。


 意味もなく動き回る人間が多いなか。大広間に集められた人間を見渡し、俺は大きく息をついた。


「――ったく、いったいどうなってやがる。渡された荷物を運べば終了じゃなかったのかよ、軟禁されるなんて聞いてんぇぞクソッタレ」

「そうそう。僕もそのつもりだったんだけどね。あいにくとこんな非常時だから、おいそれと部外者を自由にさせるわけにはいかなくて」

「んでもってテメェは何しれっと隣に居んだよクソが」

「ははっ、そうカッカすると血管が切れやすくなるぞ。とりあえず事情聴取おつかれさま。ユウヤ」


 問答無用で押し付けてくる生ぬるい杯を受け取れば、そこには俺とそう変わらぬ年齢の男が立っていた。 


 まず初めに目についたのは燃えるようなその赤い髪。

 癖っ毛のように跳ね返り、それでもなお他者を威嚇しないのはその下にお人よしの童顔があるからか。薔薇を溶かし込んだようなその瞳は、俺に前にしても恐れを抱くことなく柔らかな色を放っていた。


「……慣れ親しんだような訳知り顔で近づいてくんのは一向に構わねぇが、テメェがどこのどいつかくらいはっきりさせろクソッタレ」

「ああ、そういえば成り行きで部下に任せっきりで自己紹介がまだだったね」


 そう言って一息に自分の杯を乾かせば、鎧姿の青年は人懐っこい快活な笑みを浮かべて自己紹介を始めた。


「僕はリオン。リオン=ドラグニル。≪至宝の剣≫の一人で国からは≪聖騎士王≫の称号を頂いているかな。……君のこともレイブンからよく聞いてるよ」

「……面倒くせぇ伝わり方してるような気がするが、そうか。テメェがあのクソメガネの同僚か。……噂に聞いてたよりずいぶんと若ぇんだな」

「ははっ、どんなうわさが広がってるのかわからないけど、それはよく言われるよ。なにせ同僚の中では僕は一番の若輩者だからね。いつも部下には助けられてばかりさ」


 そう言って頬を掻いてみせるリオン。

 謙遜気味に言ってみせるが、その若さで≪至宝の剣≫という最高位の称号を手にする意味を理解しているのだろうか。

 その一言でどれほどの人間が嫉妬に狂うか。

 ……いや、この天然具合を見るからにおそらくなにもわかってはいないだろう。


 まるであの直情馬鹿を見ているようだ。


「しかし、クソメガネか。彼をそんな呼称で呼べるなんて噂通り相当仲がいいんだな君達は。あの子の話通りの人間で安心したよ」

「……噂? 何の話だ」

「ああ、こちらの話さ。あまり気にしないでもらえると助かるかな。君がドのつく変態だとか。恋敵とか僕は全然何も聞いてないよ」

「おい待て。いったいそりゃどこ情報だ」


 問い詰めればはぐらかされる始末。

 気付けばいつの間にか茶番に巻き込まれている自分がいた。

 だが、このくだらない茶番ですらコイツにとってはまじめな人助けなのだ。


 クスっと誰かの笑い声が鼓膜を震わせる。


 小さく舌打ちして、改めて周囲に視線を走らせれば、リオンを中心に張り詰めていたはずの空気がいつの間にか弛緩しているのがわかった。


「(……おそらくわかってとぼけてる訳ではねぇみたいだな)」


 リオンがとぼけたような言い訳を口にするたびに周りはなぜか安堵しきったような表情が伝播する。

 たった一人の人間の行動が、周囲の緊張感を慣らし、調和させてく。

 実際、赤と白銀の装備もさることながら、リオンの放つその存在感はどこか俺の嫌悪する『あいつら神々』に近い雰囲気を醸し出していた。


 どこか神聖でいて、心安らぐ空気。

 けれども身体の奥から匂わせる魂の香りは確かに人間だ。


 それも、あのクソメガネとは比べ物にならないくらいの『普通』さを感じさせた。


「(……自然体そのものでこれほどまでの存在感か。確かに、王という肩書を持つだけのことはあるな)」


 実力もさることながら人柄の人気なら現国王より断然コイツの方が上だろう。

 それこそ聖王都の統治者とは、別に存在する≪聖騎士王≫という肩書に相応しいだけの実力を有しているという証に他ならない。


 実際に、恐怖に駆られていたはずの人間はここにはいない。

 外から現れた異物の『存在』がここにいるにもかかわらず、気付けば俺という存在はこの小さな世界の中で受け入れられつつあった。


 ≪自然体≫こそかこの青年の力の正体とでもいうように。

 神々を除くすべての存在とは一線を画した魂の『強さ』をその身体から醸し出していた。


 そこにいるだけで魂が屈服するような感覚。けれどもそれは決して無理に跪ような不快なものではなく、むしろ他者の心の隙間に寄り添うような温かさを感じさせた。


 そう――。それはまるであの天照開耶のように。


「ふっ――、まさか、こんな奴がこの世界にもいたとはな」


 どこの世界にもいるものだな。生まれながらに救世主としての性質を持つ魂というものは。


「うん? なにか言ったかい?」

「いいや。なんでもねぇよ」


 肩をすくめるようにして言葉をはぐらかすと、全ての思考を切り替える。

 やはりこの世界は面白い。

 そうして照れくさそうに笑みを浮かべる『お人よし』に向き直れば、俺は改めて事の本題に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る