第二話 メイド長 カティス=フランシア

◆◆◆ 荒神裕也―― 


 今更ではあるが、説明しておこう。

 俺、荒神裕也は和やかな日常とは程遠い人間だ。


 血で血を争う毎日。くだらないクソ神どもの最上の計画を知り、その破綻のために全ての人生を費やしたと言ってもいい。

 同情を引く気などさらさらない。

 『アレ』は俺が選んだ人生だ。

 例え友を裏切り、好意を寄せてきた女をこの手で殺す羽目になろうと後悔はない。


 全ては俺が望んで選択したことだ。

 それは『いま』であっても変わらない。


 そう。変わらないはずなのだが――


「どうしてこうなった」


 コーヒーを啜り、大きく息をつけば、喧騒が鼓膜を叩き朝からカオスな惨状となった食卓を眺める。


 ロンソン村の邪神討滅事件が世間を騒がせてから約二週間。

 一週間前に昏睡状態からルーナが目覚め、新しい使用人を迎えたというのにここの日常だけはまったく変わらない。

 

 食卓を挟んで相対する二人の女。

 メイド見習いのルーナ=ローレリアとその主人ヤクモ=ヤエ。


 いかにおいしいデザートを作れるかでくだらない物議をかますのは結構だが、俺を巻き込むのだけはやめろ。

 喧しい二人の間に挟まれる俺の身にもなれ。

 

 しかしそんなことを訴えようとこの馬鹿どもの熱は止まらない。


 先番、紺色のメイド服に身を包むルーナ=ローレリアの主張が食卓を叩く。


「ですからヤエ様!! 確かに生クリームが至高なのは認めますが、いくら何でも甘ければいいというものではありません。素材の味をいかに生かし、引き立てるのか、それこそが料理というものですッッ。ヤエ様のそれはただ砂糖を大量に突っ込んだだけの甘味料。そんなの邪道ですッッ!!」


 そう言って、真っ白に染まりあがった謎の物体を指さすルーナ。

 あれが食い物だというのはこの世全ての食材への冒涜に他ならない。

 その意見に関してはほぼ同意だし異論はないが、なぜできたてホカホカのアップルパイが俺の目の前にあるのか説明してもらいたい。


 対して、黒髪の変態クソ野郎の女主人ヤクモ=ヤエ。

 どういう精神構造をしているのか依然と自信ありげな笑みを浮かべては、睨みつけるような意見を受け止めていた。

 その笑みに当惑するルーナを一瞥し、唇の端がより一層深く吊り上がっていく。


「な、なにがそんなにおかしいんですか!! こんなの勝負になりません。私のお菓子の方が……」 


「ふっふっふっ誤魔化さなくてもいいんですよ? わかります、ええわかりますともッッッ!! さてはルーナちゃん。あなた、わたしの力作に嫉妬してますね? このアラガミスペシャルの脅威にッッ!!」


「なっ――!? 何を根拠にそんな……」


「隠さなくてもいいんですよ? なにせわたしは荒神さんの趣向から味の好みまで全てばっちり記憶しています!! そんじゃそこらのアップルパイ程度にこのアラガミスペシャルショートケーキが負けるはずがありません!!」


「そんな、まさか――!?」


 なぜそこで驚く。そしてなぜ俺を見る。

 自信満々に言い放つが、いつ俺が変態なんぞに味の好みを語った。

 少なくともそんな記憶はないし、いくら甘味が好きでもそんなゲテモノを食べる気も起きねぇ。


 おおかた『アニメ』ではそうでしたー!! とか語るつもりなんだろうが、全部それで済ませばいいやなんて安直なこと考えてねぇよな?

 とりあえず変態女の視線を無視して、視線を移せばどういう訳か悔しそうに表情をゆがめるルーナがいた。

 打ちひしがれたようにテーブルに手を付き、唇を噛みしめている。


「所詮、あなたのは家庭料理。真なる愛は己の内側からあふれる感情によって生み出されるものなのです」


「――くっ!? 確かに、私程度の腕ではこれが精一杯です。――でも、料理は私のなかで一番の得意分野。財力に物を言わせて高級品だけ揃えればいいと豪語するヤエ様になんか絶対に負けません!!」


「ふーっはっはあ!! 負け惜しみは結構。所詮は一介の使用人風情がご主人様に勝とうなど百年早いのです。あーはっはっはっはぁ!! 勝利の笑みが止まりませんなぁ? ――さぁ、決着の時です」


 そして二人の視線が俺に向けられる。


 なぜか決着を委ねられたが、何をもって決着とするのかいまいちわからねぇ。

 それでもって、


「朝から甘いもんはねぇだろ」


 ――と、まじめに言葉をかえす。

 そもそもの結論をすべてひっくり返す言葉。それを聞いた二人は表情を絶望に染め上げ、小さく震えだした。

 さらに――、


「そもそもこのバカげた量を一人で食わせようってのかテメェ等は。こんなもん食ったら胸焼けで死ぬぞ」


 追い打ちを一言述べれば、二人の身体に衝撃が走ったようだった。


「どういうことですかヤエ様!? 話が違います!!」


「なん、だと。……じゃあ、わたしがこれまでに綿密に書き留めていた『荒神さん♡取扱説明書』は一体ッッ!?」


「んだよ、そのクソみてねぇな情報。第一、俺がいつ甘味の好みをテメェに伝えたよ」


「そんな!? 荒神さん!! せっかくわたしが愛情込めて作ったんです一口くらい食べて、そして愛を囁いてくれてもいいじゃないですか!? どうです? クリームマシマシでチョコマシマシで、甘党の荒神さんにピッタリですよ?」


「んなゲテモノ食う気も起きねぇ」


「な、ならこのアップルパイです。確かに生クリームが至高性には負けますが、素材の上品なおいしさなら負けません。甘すぎるのがダメならぜひ私のアップルパイの方を!! あんなゲテモノより絶対においしいので食べてください!!」


「だから、いらねぇって言ってんだろ」


「マリナもマリナも、カティスおねぇちゃんとクッキー作ったのたべてぇ」


「「ここで第三勢力!?」」


 最終的に現れたマリナ=ローレリアの言葉に三つ巴のにらみ合いが完成する。

 悪気がないぶん、強く出れないのか膠着状態が続く。


 茶菓子の好みでここまで白熱できるコイツ等の熱意はどっからくるのか。

 女は甘いものが好きだと聞いたことがあるが、ここまでだとは正直舐めていた。


 いろいろとややこしい『手続き』がようやく終わったかと思えばこれだ。

 それぞれの力作をフォークに突き刺し、何かを言い合っている。

  

「……どうしてこうなった」

「なんでも『これで意中のあの人もメロメロ☆ いま男性がやってもらいたいランキング第一位はこれ!!』という掲載記事に影響されたみたい」

「また馬鹿なことやってんな。そう思わねぇかテメェも」

「微笑ましい?」

「なんで疑問形なんだよテメェ。それと答えになってねぇよ」


 俺の嘆きを応えるように、背後から抑揚のない声が降ってきた。

 清潔に保たれた右手が食べ終えた食器の数々を片付けていく。


 後ろを振り返れば、そこには広すぎる屋敷に同化するように一人の女が立っていた。

 清潔感を擬人化したような長身のメイド、とでもいえばいいのか。

 流れるような金糸の髪を後ろで編み込んで遊ばせ、ルーナやマリナが着ている紺色のメイド服に袖を通しているがどうにも同じものとは思えない気高さがある。


 ただし、その顔に張り付いている表情はピクリとも動いていなかった。

 能面とでもいえば聞こえがいいが、感情が欠落したようなその面だけは気に入らねぇ。


「相変わらずの無表情だな」

「これは生まれつき。それに失礼」

「ならもちっと敬語使えやポンコツメイド」

「暴言。訴える。今日のご飯抜き決定」


 おおよそ、誰かに仕える者とは思えない気軽さ。

 敬意を払われているのか馬鹿なにされているのかわからねぇ。

 ただ一つ言えることは、これだけ言っても表情が動かないことだ。


 それでも仕事には一切問題ないとでもいうように、一つ一つの所作に無駄がない。むしろ凛としたその佇まいは、素人のルーナたちと比べるとはっきりわかるほど熟練していた。 


「……あれはテメェの入れ知恵か?」

「はてなんのことやら。私そう言った色恋に疎い。ただおもしろいことが書いてある? とヤエ様とルーナに雑誌を渡したらこうなった」

「チッ――、確信犯かよ。どぉりでデザートがありますなんて急に張り切る訳だ」


「料理はメイドの基本。それに年頃の女の子に囲まれてアラガミ様も内心ドキマギ? 朝から発情期、危険」


「その慌てぶりを外から見て愉しもうなんざいい趣味してんな、テメェも」

「テレテレ、恐れ入る」


 そう言って、スカートを優雅に持ち上げてみせるメイド長。


 名をカティス=フランシア。


 目の前で茶菓子談義を続けている姉妹が、この屋敷でメイドとして仕えると決まった際に、クソメガネことヘルガ=レイブンクローが送ってよこした『レイブン家』専属メイドの一人だ。


 どういう意図でこんなポンコツをよこしてきたのか知らねぇが、クソメガネ曰く『屋敷の勝手を知っている者がいた方がいいだろう』とのことだった。


 初日で送り返してやろうかと思ったが残念なことにその予想は的中した。


 初めはやる気に満ちていたメイド姉妹も、広すぎる屋敷の上に慣れない作業のせいでツボを割ったり、飯を焦がしたりと散々だった。


 そこで現れたのがこのポンコツメイド、カティス=フランシア。

 並々ならない惨状を前に完璧な形で屋敷を復元して見せた。

 今では慣れない働きをするルーナたちの『上司』としてこの屋敷の掃除洗濯家事の全てをこなし、マリナやルーナの一般教育まで受け持っている。


 さすが完璧を自称するレイブン家のメイドなだけあって質の高い仕事ぶりだ。

 教養まで完璧に身に着けている。

 ……この性格を除いて、だが。


「それでアラガミ様はどこ子を狙っている? 私、マリナ辺りが丁度いいかと推量」

「そんなに俺を変態趣味にしてぇのかテメェは。――んでもって、なにしれっと背後取ってんだ。気配なかったぞおい」

「? 失礼。背中ががら空きだったものでつい……、まぁメイドの嗜み。お気になさらず」

「テメェもか、おい」


 赴任早々、「どこのチンピラ?」と喧嘩を売ってくるコイツのことだ。

 おそらくわざとやっているのだろう。

 このやり取りもいい加減慣れてきたが、たまに容赦なく俺の琴線を土足で踏み抜いて来るから質が悪い。


 クソメガネ辺りに何か言い含められているのか、俺にだけ当たりが強い。

 しかも表情が乏しいぶん、何を考えているのかわからねぇ。 

 

「――ったく、エルマといいテメェといい、あのクソメガネに関わる人間は他人の背後に回らなきゃ話もできねぇのか?」

「失礼。以後気をつけたい。可能なら善処する」

「善処かよ。――で? 何の用だ?」

「? コーヒーのおかわりをと」

「とぼけんな。滅多に俺に近寄らねぇようにしてるテメェが唐突に背後取る訳ねぇだろ。おおかた他の奴らには聞かれたくない話か? いいから話せ」


 すると表情は乏しいぶん、周囲に纏う空気が僅かに変化した。

 おそらくは驚きだろう。

 僅かに動いた目蓋を見逃さずに、湯立つコーヒーを口に含むと、


「どうしてそれを? まさかエスパー?」

「そんな大層な能力は持ってねぇよ。これは単なる推理だ」

「推理?」


 そう言って首をかしげるカティスを見据え、コーヒーに口をつけ小さく頷いた。


「ああ、あいつらを焚きつけたのはテメェだろ? 普段は俺だけに舐めた態度取るテメェがこんな間接的な嫌がらせをしてくるとは思えねぇからな。適当な記事で変態女の意識を吊って引き剥がそうとしたんじゃねぇかと思っただけだ。……ルーナは単にヤエを躍起にさせるための疑似餌だな」


「ほぼ正解。お見事。そしてヘルガ様より伝言」


 その言葉に眉をひそめた。


「……あいつから?」


「そう。本日の正午。冒険者ギルドの方に行ってほしいとのこと」

「あの変態女ではなく俺にか?」


 改めて問いかければ同意の言葉が返ってくる

 その奇妙な報告に眉を顰めると、口元を右手で覆い隠したカティスがそっと耳打ちする。


「(なんでもアラガミ様にしか頼めない緊急の用事があるらしい)」

「あいつが俺に頼み事ねぇ」

 

 そう一人ごちると、伝言を伝えて満足したのか顔を離し大きく息をつくカティス。

 表情は全く変わらない奇妙な女だが、ここ最近、なんとなくだが表情の差分を見分けられるようになってきた。


 現在は任務を終えて満足しているのか、やや誇らしげな顔をしている。


 これも変態女のおかげとは思いたくないが、実質アイツと関わってから奇妙な変化に気づけるようになっている自分がいるのも確かだ。

 誠に不本意だが。


「メンドクセェが了解した。あいつの指示に従うのは癪だが、この屋敷と少しばかり恩があるからな。……で、他に何かあるか」

「午後の予定は開けておけ、断れば叩き切るぞチンピラ」

「相変わらず上からだなあのクソメガネ」


 どういう用事があるのかは知らねぇが厄介ごとの匂いがする。

 あの気位の高い堅物メガネのことだ。変態女に頼むのならともかく、俺を目の敵にしているアイツが頼みごとというのはいささか奇妙だ。


 とすると――、


「ヤエには頼めない用事って訳か」


「おそらく。それといい加減、私のことテメェではなくカティスと呼べ低能。と忠告。アラガミ様に名前で呼ばれるのは甚だ不本意。だが、彼女たちに示しがつかないのも真実。誠に不本意。けど我慢する」


「……二回も言うか」

「大事なこと。私、先輩。今度こそちゃんとやる」


 そう訳の分からないことを言っていきなり意気込むカティス。


 なにやらそれなりの過去があるらしい。

 俺には関係ないことだが、「聞かねば排除」という物騒な言葉を聞いてしまえば頷かざる負えない。


「どうする?」

「わぁったよ。面倒だが極力善処してやるよ」

「それでいい。もし破ったらご飯抜き。決定」

 

 肩をすくめて言ってやれば、頷きが返ってきた。

 家事全般を賄えるという事はこういう脅し方もあるのか。

 マジで料理が上手い分、俺の中では少々の痛手だったりする。

 すると今までお菓子談義に火花を咲かせていたヤエが何かを感じ取ったのか、突然顔を上げると、


「そうやってほかの女に色目を使わないでください!! 嫉妬しますよ!?」

「なんでそうなるクソ野郎」


 いきなり会話に入ってきて、その下らねぇ勘違いは甚だ遺憾だ。

 そしてなぜテメェまで絶望的な表情で俺を見やがる。


 ここに仕えて以来初めての感情の発露だ。

 

「……えっと、その困る。私、心に決めた人がいる。そう肉体関係、少しNG」

「なんで俺が振られたみたいになってんだよ」


 すすっとさりげなく距離を取るカティス。


 その言葉を皮切りに茶菓子談義は大いなる脱線を迎え、 その隙を見計らった変態女がキワモノ片手に特攻してくる運びとなった。


 いよいよ収拾のつかなくなったカオスを二つの拳で黙らせ、ここに勝者と敗者が誕生する。

 そうして最終的に『物理で決めるッ!! 誰のお菓子が一番おいしいか選手権』は二人の屍を床に晒し、純粋少女ことマリナ=ローレリアがちゃっかり勝利を掻っ攫ったのはいうまでもない。

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