第二章 強欲の獣たち
前話 闇の中の胎動
◆◆◆ ???――
不滅の楽園、アルレヒア。
地図にも海図にも描かれていない世界の『裏側』にソレはいた。
闇を溶かし込んだ荘厳な玉座。
見下ろす者と見下ろされる者。
この大聖堂には二人しかいない。
そんな邪性に染まる古くかび臭い講堂のなか。
顔がはっきりと見えないはずの世界で、玉座に腰かける男が不快に眉を潜ませる姿が、見下ろされる男の脳裏によぎった。
「我の聞き違いかウェスコット。貴様はいま、例の
「はっ!! 聖王都に潜伏させている密偵による確かな情報です。かの国から渡ってきたいくつもの行商に話を聞きましたが間違いないかと」
「……なるほど、今回は少しばかり籠りすぎたようだ。――それで、邪神討滅者は誰だ」
悪意を孕んだ闇の声が講堂に響き渡る。
恭しく跪き、畏れに額を床に擦りつけるウェスコット。
主人の言葉に額に大量の汗がにじみ、その体躯全てを使って振るわせる声が巨大な講堂に響かせた。
「聖王都が誇る銀翼の騎士団と≪至宝の剣≫ヘルガ=レイブンクロー。そして≪孤高の聖騎士≫だと報告を受けております」
「≪青の聖剣≫とあの女か……。ふっ、忌々しい奴らめ。我が野望を悉く邪魔するか」
「い、いかがなさいますか?」
「……放っておけ、アレはただの試験的なものだった。データが取れただけでも十分だ。それよりもウェズコット。貴様、なにを隠している?」
「――ッッ!!!?」
驚きに身を固め、息を呑むウェズコット。
闇の奥から覗く深淵の瞳が、男の魂を鷲掴んだ。
「どうした、我に告げることがまだあるだろう」
誤魔化せば、首が飛ぶ。
そんな直感が頭を過ぎり、身体から滴り落ちる脂汗が未来の自分自身の結末をはっきりと予感させた。
どうして、と頭の中で転がる疑問の声。
それでもウェズコットと呼ばれた小太りの男は主の声に逆らえず、震える声帯を必死に抑えながら、再び恭しく額を床に擦りつけた。
「きょ、協力者のホグレス=ローレリアが捕まりました」
「ほぅ?」
一拍だけ間の空いた僅かな沈黙。
口調は全く変わらないはずなのに、周囲の空気が重くのしかかる。
そして、冷たい声が講堂に響いた。
まるで出来の悪い子供を諭すような声。
それでも響き渡る冷たい声には死臭が漂っていた。
「ウェズコット。我は確か貴様にこう告げたな? 全てのことを慎重に進めよと。貴様にそう命じたはずだ。そして貴様は何と答えた?」
「お、仰せのままに――と」
「そう、そうだウェズコット。我は確かにそう聞いた、貴様の口からな。……だが、わからんなウェズコット。我はわからんのだよ。どうしてそのようなことになる? 貴様はこの我に偽りを口にしたというのか?」
「い、いえそのようなことは決してありません!! そして、ご安心ください我が君ッ!! 奴らは何も我々の情報を掴んではいません!! ホグレスには記憶消去の呪いをかけましたし、念のため奴の身柄は私の密偵に始末させました。奴を叩いても情報はなにも――」
しかし、ウェズコットの言葉は玉座に座る男の荘厳なため息でかき消された。
たった一言。
その色は失望。
そのたった一言が矮小な男の言葉を巨大な存在感で黙らせた。
空気が徐々に膨らみ、言葉に怒気が混ざる。
「いいや違う、違うぞウェズコット。貴様のその心配は誤りだ。我はなにも貴様の失態に怒っているのではない」
静かで純然たる言葉の重圧が男の身体を圧し潰し、それは講堂を震わせる。
その感情は怒り。
闇が歪み、玉座に座る男が右手をかざす。
そして――、
「我が気に入らないのはな。貴様が己が失態を隠すために協力者を始末したことではなく、畏れ多くもこの我を欺けると信じて疑わずにいたことだッ!!」
「があぁ、あアアああああああああああァああああああああああああッッ!!!?」
男の口から激しい絶叫がほとばしった。
赤い光の柱。
それがあらかじめ男の身体に突き刺さっていたかのように突然現れ、ウェズコットの肺に、心臓に、頭部に深々と突き刺さっていた。
絶叫に身体を痙攣させるウェズコット。
赤い柱が突き刺さった患部から出血はなく、死にきれない永劫の苦しみが魂を蝕んでいく。
そして永劫続くと思われた絶叫は、赤い柱の消失と共にパタリと消え失せ、男の身体は力なく地面に横たわった。
「お――、おゆる、しを……、わが、き……み」
息も絶え絶えに救いを乞い、玉座の男を見上げる。
その汚物から洩れる声に目を細め、玉座に腰を据える男は再び右手をかざした。
するとウェズコットの巨体が不自然に宙を舞い、バタバタともがき苦しむ。
「ならばウェズコット。貴様が手にした成果をいまここで述べよ。小心者の貴様のことだ。何か収穫があって我が前におめおめと顔を出したのであろう? なければこの首、我の手でへし折ってやろう」
「――ッッ!!!?」
ギリギリと気道が潰され、痛みで身をよじる。
頭に血がたまり、空中でもがき苦しむが、喉元を掻き毟りながらもあらん限りの掠れた声を響かせた。
「――け、計画が第二段階を迎えました」
「……ほぅ」
すると玉座に座る男の口から満足げな声が漏れる。
「なるほど、それはよい報せだ。よい報せだぞウェズコット」
全ての束縛から解放された男の身体が床に崩れ落ち、男は大きくせき込んだ。
むせかえる声に僅かに血の匂いが香る。
姿なき声は、それでも這いずるように闇を闊歩し男を見下ろしているようだった。
「そうか、準備が整ったか。ならば計画を前倒しにし、例の計画を実行に移せ」
「は、ははぁ――ッ!!」
即座に跪き、首を垂れる小太りの男。
その頭上から、口の中で残虐さを転がすような声が響く。
「気取られてはならん。我が神にも、そして忌々しい貴族にもだ」
怒りに満ちた声が、静かに。それでいて全てを凍らせるようにまき散らされる。
その声に恐れ戦く男は、額を床に付け頭を己が魂を守るようにして震えだした。
そして冷たい笑い声が一瞬途切れたかと思うと、不意に興味深そうな息づかいが講堂を満たした。
その視線がいましがた立ち去ろうとするウェズ͡͡コットに向けられる。
「ウェズコット。いましがた我が従僕が面白い知らせを持ってきたぞ」
「それはいったい――」
「邪神討滅の件。≪青の聖剣≫と≪孤高の聖騎士≫の他にもう一人の人間が絡んでいるらしい」
「そ、そのような情報、私はなにも――」
「そうであろうよ。我が愛しき従僕でさえ調べ上げられたのは名前だけだ。あとの情報は一切抹消された痕跡がある」
慌てふためくウェズコットを見下ろし、玉座の男が嘲笑う。
そして――、
「――アラガミ=ユウヤ」
報告があった人物の名前を口にし、玉座の男は唇を薄く持ち上げて不敵な笑みを漏らした。
「ふっふっふっ、面白いではないか。邪神討滅に関わっておきながら世間にその名が知らされていない。関わっただけでも英雄視される手柄だというのに。……これはなかなか面白いぞ」
そう独り言ち、一人の従僕に目を向ける。
「ウェズコット」
「はっ――」
「例の計画と並行してこの者の身元を洗え。これは命令だ」
「し、しかし我が君。それでは……」
「二度目はない。その時を迎えたのならばウェズコット、それは貴様の最期となろう。……行って貴様の為すことを成せ
慌てて去っていく男を見つめ、満足そうに息をつく男は古びた大聖堂の天井を見上げる。
その暗き瞳は不気味に何かを感じ取り、
「洛陽の時は近い」
宣言するように不気味な笑みを浮かべた。
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