第二十五話 終幕のカーテンコール


 叫びが光の尾となって瞬時にシュブニグラスのもとに迫り、振りかぶった浄化の剣が白い輝きを放って、斜めに振り下ろされる。


聖天断罪ネメシスッッ!!」


 それは白き太陽の化身。

 天上から引き出した神々の神気は宿主をズタズタに破壊しながら血の障壁を砕き、炎のように燃え上がる白い刃が邪神の血肉を完全にとらえた。


「はああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」


『あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああッッ!?』


 交じり合う二つの叫び。


 断罪する者とされる者の魂のぶつかり合いが空間を歪ませる。

 崩壊しかかった≪空間の亀裂≫がカサブタのように落ちては剥がれ、景色を黒く崩していった。


 それは世界の修正力が追い付かないほどの一撃。

 神の領域に一歩踏み込んだ者の一撃は、遠目から見てもわかるほど圧倒的な神威を放っていた。

 

 黒く浮き上がる血管から破邪の光が零れ、苦悶の叫びをあげる邪神の内部をズタズタに損壊させた。

 そして刃の切っ先は薄氷を砕くような音と共に、徐々に胸の中心に沈み、


「――なっ!?」


 ガラスが弾けるような硬質な音と共に、レイブンの身体がはじけた。

 血液が四散し、端整な顔が血で染まる。


 途端、蠢く黒い髪が触手に変化し、レイブンの身体に神の怒りが叩き込まれた。

 鞠のように身体を地面に叩きける長身の身体が、何度も宙を踊る。


「レイブン卿ッ!!」

「――ぐっ!? はぁッ!!」


 横から抱きとめる形でヤエが飛び出し、無理やり勢いを殺さねば、家屋の残骸に頭部をぶつけ脳漿を地面いまき散らしていたかもしれない。

 微かなうめき声が、ヤエの腕の中で小さく鳴る。

 天恵の過負荷オーバーロードにも似た神気の暴走は案の定、レイブンの身体をズタズタに引き裂いていた。


「レイブン卿!! 返事をしてくださいレイブン卿っ!!」

「……案ずる、な。意識はある。……それよりどうなったのだ。邪神は――」

「まだ、存在を確認しています」

「な、に――、あの一撃を受けて……そうか、そうだったな」

 

 おそらくあまりにも強力な一撃を受け、記憶が混濁しているのだろう。


 突き立てられた白い刃に爛れた黒い右手が添えられ、神威を振るう神の大剣がその華奢な指先によって粉砕された。


 その事実を遅れて認識したレイブンは、砕けた刀身を一瞥し、悶の表情を浮かべながら大きく息を吐いた。


「私は、失敗したのだな……」

 

 落胆の声が空気に溶ける。

 膨大すぎる神気の力は人間に扱えるようなものではない。

 なまじ、武具を手にしたところで握るのが精一杯で気軽に扱えるような状態ではないだろう。

 それだけこいつは天上から引き出した神気を神威を振るったのだ。


 これは当然の代償。


 身動きを取れぬまま、砕けた眼鏡の先がいまもなお立ち上がる邪神に向けられる。


「――くっ、ここまでやっても、届かぬか」

「……いいや、そうでもねぇみたいだぜ」

「なに?」


 疑問の声に応えるように白い蒸気を上げて、身体を掻き抱くシュブニグラスが苦悶の叫びに身もだえする。

 

『あ、嗚呼アあああああ、あああああああああっ■■■■ッ!!!?」


 爛れた指先が白と黒の血肉を抉りだし、大量の冷や汗がその白い肌にびっしりと浮かぶ。

 左肩から斜めに垂れ下がた半身はゆっくりと泡立つように修復されていくが、その再生速度は酷く遅い。


 その指先で目玉を抉りだし、端整な顔を掻きむしる邪神の口から言葉があった。

 

『神域、展開』

 

 恨みを込めた言葉が黒く呪われた大地を大きく鳴動させ、赤黒い輝きを放つ大地を慟哭で満たした。

 徐々に腐敗していく大地から呪いが湧きはじめ、血生臭い死臭が肺を満たし、世界を闇と呪いで染め上げる。


 星辰せいしんが歪む。

 破滅の詩に呼応して、空間が外部と断絶した最上の亜空間が形成された。

 

 それは村だけではなく、森全体を飲み込むほどの闇の結界として広がりを持つもう一つの異世界。


 邪神シュブニグラスという神が支配する死の終着点。


「ははっ、まだ、ここまでの余力を残していようとはな」


 絶え絶えに呻く乾いた言葉がレイブンの口から吐き出された。

 生命の放棄。

 それは巨大な存在を前に怯える原初の感情だった。


「もう、おしまいだ」

「そんなっ!? まだ終わってません。まだ手は残されているはずです」

「この形成された神域の意味が解らぬ貴様ではないだろうヤクモ。奴は全てを終わらせる気だ。……周囲一帯に存在する魂を己の内側に取り込むことでな。その証拠に貴様も感じているだろう、心臓を鷲掴むこの圧迫感を――」

「それは……」


 そう言い淀み、何もないはずの胸元に自らの手を当てる。

 見えていないようだが、どうやら感知はしているらしい。


 ルーナ=ローレリアの魂を攫った、死の黒腕の存在をを。


 それは同様に俺の胸部にも生えており、邪神の魂の鼓動を深く感じさせる。


「村の人間だけではない。おそらく魔物も、魔獣も全て同様であろうな。この脅威はもはや人間の手には負えない。我々は、神に敗れたのだ」

「レイブン卿!! それは貴方らしくありません!! どんな時でも知将たるあなたは最後まで希望を捨てずに戦ってきたじゃないですか。まだ諦めるには早すぎます」

「……いや、全てがもう手遅れだったのだ。人間が神を討滅しようなど、そもそも我々ではできるはずがない。神の御力を借りても討滅しきれない存在に、もはや打てる手だてなどない。……少なくとも、私は、折れてしまった」


『見えざる黒い手』がレイブンを向こう側に引き込もうとする。

 その徐々に光を失い始める天色の瞳が力なく俺に向けられ、その口元が自嘲気味に歪んだ。


「……だらしねぇったらありゃしねぇな。いつもの偉そうな態度はどぉしたよ」

「ふっ――、貴様の目には私の姿などさぞ滑稽に映っているのだろうな。嗤うがいい。貴様が決死の覚悟で臨んだ時間稼ぎすら、私は無駄にしてしまった。結局私は貴様にあれだけ偉そうなことを宣っておいて何もできずに終わるのだ」


 すまない。とクソメガネらしくない素直な謝罪が返ってくる。


「私は貴様が生み出したチャンスをものにできなかった」 

「ああ、まったくだ。テメェが任せろっつったから俺はテメェの策に乗ったんだ。ふっ、知将が聞いてあきれるぜ。神々の力を宿したところでテメェは結局、その程度の人間なんだよ」

「……」

「だがな。諦めるのはまだ早ぇ。テメェの一撃でようやく『』」

「……なに?」


 俺のたった一言が、生気を失いかけたレイブンの瞳に活力を取り戻していった。

 説明する気はねぇ。


 舞台は整った。言えることはそれだけだ。


 黒曜を振るい不敵に笑い、怒りに焚きつける邪神の瞳を見つめる。

 怒りに燃える瞳は俺を正確に敵と見据え、その全ての存在力が全身に突き刺さる。

 高鳴る鼓動が勝利を歌い、黒腕に掴まれた心臓が確信を告げる。


「さぁ、反撃の時間だ。いつまでも寝てねぇでさっさと立て。劇場はこれで終いだ。――全てを終わらせて、ぜんぶ取り戻すぞ」


 黒曜を構え、誰にも留められない最後の舞踏会が幕を上げた。

 

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