第二十話 胎動

◆◆◆ 荒神裕也――


 吐き出される呪いの雨も、呪詛の叫びも全てが消えうせた。

 代わり零れるのは、全てを洗い流す獣の慟哭。

 月明かりを飲み込む夜が、叫び声をあげた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 それは天高く木霊する赤子の産声に似ていた。


「――ッ!? なんだ。こいつは」


 奇妙な頭痛が脳を縛りつける。


 嘆き、悲しみ、喜び、憂い、そして感謝?


 感情の波が一緒くたに交じり合ったような奇妙な○○に脳が震えた。

 平衡感覚が奪われ身体が僅かに傾く。


 この感覚には覚えがある。

 クソ神どもの魂を喰らたときに起こる記憶障害。

 魂の共鳴だ。


「(クソ、ッタレ。頭が、割れる)」


 知らない景色が脳裏によぎる。


 それはいくつも広がるのどかな村の景色。

 揺れる木の葉が月に照らされる春の夜空。

 蠢く闇。


 黒く濁った≪信徒の涙≫。


 そしてドアップで写されるマリナの無邪気な笑顔。


 それはいくつもの単語となり、魂に直接書きなぐられる。


『助けて』


 不意に頭に響いた女の声。

 それは何かを願うようにノイズの混じった声で魂に刻み込まれる。


 助ける? この期に及んでまだテメェの救いを求めるか。


『――、助けて』

 

 再び響く女の声は徐々に闇の底に消え、

 森の奥から漂う強い神気が心臓を震わせた。


 それは不定形の闇の前に立つ少女から醸し出され――、

 

「マリナ、いまおねぇちゃんが行くから!!」

「――はっ!?」


 ルーナの悲痛な叫びにより現実に引き戻される。

 隣を見ればいまにも飛び出そうとする少女の肩をレイブンが拘束していた。


「俺は――なにを」

「荒神さん気付きましたか!! 急に崩れ落ちてそれで――」


 いつの間にかヤエが隣に寄り添いる。どれほどの時間、気を飛ばしていたのだ。不安げな視線で俺をのぞき込むヤエを見る限りほんの一、二秒だろうが、


「状況は」

「最悪です。不定形の闇にマリナちゃんが――」

「放してくださいッ!! 妹が、マリナが危ないんです!!」

「行くな娘ッ!! 貴様まで殺されるぞ!!」

「妹を、マリナを見捨てろと言うのですか!!」


 感情のままに叫び、前のめりに身を乗り出す。

 しかし完全に固定されたレイブンの身体を動かす膂力をルーナは持たない。

 そして、無垢な少女に動きがあった。


「      」


 少女の口がなにかの言葉を紡いだ。

 それは人の放つ言葉ではない。

 闇が溶け落ち、地面に這いずる。

 それを受け入れるように笑みを浮かべて両手を広げる少女。

 そのを差し出し、

 

「マリナッッ!?」


 ルーナの叫びと共に、――全ての闇が少女の身体を喰いつくした。


「う、そ――」


 乾いた声がレイブンの腕の中から洩れる。

 その震える琥珀色の瞳はただひたすら最愛の妹に向けられる。

 咀嚼するように蠢く闇。

 それは幼子の一切を喰らいつくし、やがて――


 大きく脈動した。


「いや、離して!! マリナが、マリナがッ!!」


 腕の中でもがく叫びが顔を濡らす。


 まっすぐ伸ばされた右手は虚空に伸ばされ、


「――えっ?」


 ルーナの口から疑問が漏れた。


 それは呟いた本人すら信じられない言葉だったのか、視線が僅か下に落ちる。

 正確にはその胸元。

 心臓という人体の生命活動で最も重要な機関が収まった場所に、。 


「マリ、ナ?」


 そう認識したころには遅れてやってきた咽かえる血液が口から泡を漏らし、赤黒い血液が地面を濡らす。


 致命傷。


 誰もが声を出せぬまま、目の前に広がる現実に放心するなか、膝から崩れ落ちる少女から声にならない言葉が零れた。

 それは闇に蠢く球体へと向けられ――


 一つの魂の匂いが消失した。

 

「ルーナちゃん!? ルーナちゃん!!」

「おい娘、どうしたッ!! いったい!!」

「……お前ら、まさか見えてなかったのかあの黒い刃を」

「黒い刃だと? 貴様なにを言っている一体何があった」


 力なく崩れ落ちるルーナの身体を慌てて抱え直すレイブン。その表情は驚きに満ちており、ヤエの必死の叫びに反応する様子もない。


「どうしよう荒神さん。ルーナちゃんが息してない!!」

「……」

「荒神さんッッ!!」 


 ルーナ=ローレリアの死。

 その原因が誰にも感知されていない。

 そう、俺以外の全てに。


「クソッタレ。……野郎、やりやがったな」


 握る黒曜の指先がきつくなる。

 すると一人分の命を平らげた闇の拍動が徐々に大きくなった。それはまるで大きな心臓のように何度も脈打ち、やがて――。


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