幕話 懺悔
◆◆◆ ???――
わたしのわがままが全てを狂わせてしまった。
一人の幼子が『わたし』を抱えて、森を走る。
悲しみを。
痛みを。
その小さな胸に宿し、森を突き進む。
段差に足を取られ、土まみれになろうとも彼女の足は止まらない。
暗がりの闇をかき分け右も左もわからない状態で目的地を目指している。
辛い役割を、任せてしまった。
でもこれはこの子にしか任せられないこと。
わたしを宿すに足りる器を持ったこの子にしかできないこと。
殺したくなかった。
誰にも死んでほしくなかった。
忘れて、ほしかった。
だから殺して欲しかった。
『わたし』が『わたし』を切り離したとき、その覚悟はすでに決めていた。
それでも彼女に頼ってしまったのは、わたしの中にある甘さが原因だ。
死にたくない。
消えたくない。
共に生きたい。
もう一つの側面の『わたし』の嘆きが、苦しみが彼女に届いてしまった。
神域の祠で断罪のときを静かに待っていたあの時。
死を待つ身だったわたしを少女は救いあげた。
『いっしょに逃げよ。このままじゃみんなに殺されちゃう!!』
顔中に汗を張りつかせ、力も資格もない少女がわたしに訴えかける。
たかだか一度、命を救っただけの小さな命。
その弱く儚い命がわたしの身を案じて危険を顧みずに助けに来てくれた。
『大丈夫、わたしがなんとかするから。守り神様をまもるから』
『そんな!? ――なんで、どうして守り神様が死ななくちゃいけないの!! そんなのおかしいよ』
『いやだよ!? いなくならないでよ!! わたしまだなにもしていないのに……』
少女の世界を通して様々な言葉が、わたしに突き刺さる。
嬉しかった。
神格としてこの地に根を下ろし三百年。
わたしは信仰されるべき神として彼らをずっと見続けてきた。
代わる代わる時が移ろうなかでも、彼らの信仰が途絶えることはなかった。
それはきっと、わたしの加護を必要としていたからだろう。
わたし自身、彼らが真にわたしを信仰しているのではないことは、捧げられた祈りから知っていた。
所詮、神と人との関係はそのようなものだ。
いらなくなれば切り捨てられるような存在。
それでも、わたしは構わなかった。
直に触れることは叶わないけど。
同じ時間を歩めない存在だけど。
わたしはあなた達を愛していた。
夜が明けば畑を耕し、太陽が昇れば祈りを捧げ、月が輝けば静かに眠りにつく。
春も、夏も、秋も、冬も。
色とりどりの表情を見せる子供らがわたしは好きだった。
これからも彼らと共に生きたいとそう願ったこともある。
それがもはや叶わぬ夢であろうとも。
それでも彼女は諦めなかった。
きっと幼い少女が自分なりに考え、導き出した唯一の選択だったのだろう。
それが全ての過ちだったとしても、わたしは彼女の行いを罰する気にはなれない。
その想いは悪からほど遠い、最も慈しむべき願いなのだから。
一人の男がもう一つの側面の『わたし』を消滅させた。
おそらく神がこの世界に送り出した渡航者の一人だ。
そして彼こそがわたしの死だ。
ことごとく全てを食い散らかし、無へと還す深淵の闇だ。
いまも神域を離れ、依り代を失った『わたし』は核を求めて彷徨っている。
あれにもはや自意識などない。
ただひたすら破壊と享楽を甘受し、呪いを吐き続ける邪神だ。
そしてわたしの半神でもある。
涙の雫が頬を伝う。
それがわたしのものなのか少女のものなのかはわからない。
それでも幼子の足は止まることはなかった。
全てはわたしの『望み』を叶えるために。
その無垢なる願いがわたしに全ての覚悟を決めさせた。
森を抜ける。
火の手が上がる。
憎しみに彩られた怒りの炎だ。
あれだけ賑やかに弔いの儀を行っていた村人たちの姿はない。
黒く膨張した闇が、月明かりに照らされ村の全てを飲み込まんとする。
「……本当に、いいの?」
幼子の息も絶え絶えな声が、胸の中に響く。
ええ、もう大丈夫。あなたは?
「わたしも平気。だって、守り神様といっしょだもん」
そう言って無邪気な笑みを浮かべる少女。
彼女の中には数々の葛藤があった。
わたしを宿したとき、わたしはこの子の全てを知った。
村の英雄相手だろうと、命の恩人であろうと、この小さい少女はわたしのために怒り、そして泣いてくれた。
その全ての感情はわたしのために向けられたものだった。
わたしの代わりに怒ってくれてありがとう。
わたしの代わりに悲しんでくれてありがとう。
こんな浅はかなわたしを、愛してくれてありがとう。
そして――、巻き込んでごめんなさい。
「ううん、泣かないで。わたしは、――大丈夫だから」
胸に手を当て、はにかむような笑みを浮かべる少女は一歩を踏み出した。
深淵の闇に手を伸ばす。
それは神の供物となることを受け入れた少女のささやかな祈りだった。
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