第十七話 束の間の休息

◆◆◆ 荒神裕也――


 シュブニグラスとの戦闘の末、


 逃亡したはずの騎士が先導する形でレイブンとそのほかの団員を率いて、祠にやってきたのは全てが終わってからのことだった。


 全壊した神域。

 天を切り裂く黒き閃光。

 

 それだけでも十分驚愕に値する事案なのに、邪神の消滅まで確認してしまえば言葉も出ないだろう。


 さしものクソメガネも邪神を三人で討滅したことに驚きを隠せないのか、到着するなり荒れ果てた戦闘痕と現場を見て絶句していた。

 それでも開口一番がヤエとエルマの安否だったのは相変わらずと言わざる負えない。

 

「詳しい話は、後日聞きかせてもらう」


 と真面目な顔で言われ、不安げな色を顔面に張りつける村に戻ったのは二時間後のことだった。


 そして夕暮れ時という事もあり、なし崩しに宴会が開かれ――、


「勇者ヤクモに乾杯!!」

「「「「乾杯ッ!!」」」」


 今に至る。

 名家ヘルガ=レイブンクローの名で開催された勝戦祝いは、盛況を喫した。


 大盤振る舞いされる資源は後日全て、領主を通じてレイブンが買い取るとのことで話がついていたらしい。

 食材を惜しみなく振る舞う村人は自分たちの守り神が討滅されたことも忘れ、飲めや歌えの大騒ぎを繰り広げていた。


 木製のジョッキが重なり、あたりから香ばしい料理の匂いと共に様々な身分が一同に会して語り合う。


 それは任務に赴いていた騎士たちが語る一部始終だった。

 集団暴走に加え、邪神の出現。果敢に立ち向かう副団長と村の英雄の存在。

 おそらく邪神の叫びはこの村まで届いていたのだろう。

 酔いが回って語る騎士の身振り手振りに、村人たちは熱心にその英雄譚に耳を傾けていた。


「……賑やかなもんだな」


 どこか意気消沈していた村人たちも、貴族の宴とあっては湿気た面をしてはいられない。騎士に混ざって宴を盛り上げていくうちに、彼らの表情から徐々に活力が戻っていった。


 村の中心では盛大な鎮魂の儀式が執り行われており、組み木を盛大に燃やす村人が各々の祈りを込めては騒ぎ。信者の祈りを煙に変えて天高く夜空に伸ばしていった。


「どうですか荒神さん。楽しんでいますか?」


 そんな賑やかな宴からあえて身を離し、一人静かに葡萄の果実酒を口に含んでいると、隣から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 視線を移せば、木製のジョッキを両手に抱え、私服姿のヤエが気配を殺して俺と同じように隣の壁に寄り掛かっている。

 その表情にはどことなく誇らしさが刻まれていた。


「……なんでテメェがここにいるんだよ。クソメガネはどうした、邪神討滅の件で話があるんじゃなかったのか」

「そりゃもうサッサッと終わらせました。いまは村長さんと話しているみたいです」

「なら村の英雄様がこんな廃れた場所に来る理由はねぇだろ。……見ろ、村の奴らが主役のテメェを捜してんじゃねぇか」

「まーたまたぁーわかってるくせにぃ。わたしが真の英雄を置いて一人寂しく晩酌させると思います? ――はい、おかわりのぶどう酒です」


 何を言っても離れないのはもう経験済みだ。

 ステータス機能で位置情報が握られている以上隠れても無駄だろう。

 仕方なく木製のジョッキを受け取り、礼を言えば「どういたしまして」と笑顔が返ってきた。


 並々に注がれた深紫の液体を喉に流し込めば、僅かな酸味のあとに甘く芳醇な匂いが食堂を通って、鼻腔に広がる。

 初めて飲む酒の味。

 けれどもその味は初めて邪神との邂逅を思わせる、衝撃があった。


「……うめぇ」


 大きく息をつくと、隣を見ると壁に寄り掛かりながら下からのぞき込むヤエと目が合った。

 その黒曜石の瞳は村の中心で上がる篝火を反射させ、どこか深い色を灯している。

 

「楽しかったですか?」


 わずかに喧騒の鳴りを潜める宴の外れ。

 感情を押し殺し、けれども抑えきれあかった抑揚を持つ声。


 俺の人生全てをその一言に凝縮させたような言葉に、傾きかけたジョッキの手が僅かに止まった。

 唐突に吐き出された言葉に目を見張り、改めてヤエの瞳を覗けば、瞳の奥に柔らかい光が灯っているのが見えた。


「……楽しかった、か」


 言葉を区切り、ジョッキを回す。

 混沌とした深紫色の酒は、その水底を決して晒さない。

 けれども――、


「ああ、久々に全力を出せた」


 果実酒を喉に流し込み、酔いに任せた言葉が口から零れた。

 夜空を見上げれば知らない星屑がいくつも頭上を照らしている。


 それは正直な感想だ。


 背負うものがあった頃の戦いとは違う解放感。

 純粋な命のやり取り。

 自由な闘争。

 俺の望んでいたものは確かににあった。


「テメェの言う通り、今日はホントに楽しかった」

「そう、ですか」

「……なんでテメェが涙ぐんでんだよ」

「いやだって……、荒神さんがようやく満足できる場所ができたんだと思うと、感動しちゃって――」


 おそらく俺の過去を知っているが故の反応なのだろう。

 その人生に他人の心を震わせる何かがあったとは思えないが、感じ方は人それぞれだ。


「んな泣くほどのことでもねぇだろ」

「でも、この感度は言葉にできましぇん。ならやっぱり泣くしかないじゃないですか!!」


 半分以上言葉になって無いし、どういう理屈だ。

 大きくため息をつき好きに泣かせると、子供のような泣きじゃくる女の声が夜の外れで静かに震わせる。


「……満足したか」

「――はい、ご迷惑をおかけしました」

「ったく、テメェらオタクってのはどうしてこうも情緒不安定な奴が多いんだ」

「それはやっぱり、素直でいい子だからですよ」

「自分で言うことかそれ」


 鼻を鳴らし夜空を見上げるヤエを小突いてやると、嬉しそうな声が返ってくる。

 まったくあのクソ女神といい、わからねぇ奴だ。


 しかし――、


「……これで終わったと思うか」

「? 終わったんじゃないんですか? 何か気になることでもあるんです?」

「いや。ただの胸騒ぎだ。忘れてくれ」


 そう言うと、不思議そうに顔をしかめて、首をかしげるヤエは、何かを思い出したように柏手を一つ打った。


「……それでいまにして思うんですけど。なにも手柄までわたしに譲る必要はなかったんじゃないですか?」

「今更か。……俺が欲しいのは富とか名声じぇねぇ。結局、あれでよかったんだよ」


 邪神を討滅したのは横にいるヤエのおかげという形で、クソメガネには説明した。

 

 見知らぬ放浪者の俺が討滅したと話すより確実に信憑性があるし、変に目立ちたくないという俺個人の考えを優先した結果だ。

 現にレイブンは俺の報告を完全に信じ切っており、村の人間も邪神討滅の件は英雄として数々の偉業を成したヤエのおかげということであっさりと受け入れられた。


 そう言う意味では、面倒な手柄を押し付けたわけだが、意外にもヤエは素早く俺の意図を察し、騒ぐことなく話題を合わせてみせた。


「まぁあの決断も荒神さんらしいっちゃらしいですけど。もうちょっと村の人達も荒神さんに感謝してもよくないですか? わたしばっかり感謝されて気分が悪いです」

「……お前が気にしてんのはそこかよ」

「他になにがあるっていうんですか?」


 そう言って首をかしげるあたりマジで言っているのだろう。

 自分に対しての不当な扱いで怒るならまだわかるが、他人のために腹を立てるという心境はいまいちわからない。


「もう!! なんか考えてきたら腹が立ってきました。ちょっと行ってきます!!」

「やめろっての――ったく、せっかくの宴に水を差すんじゃねぇよ」

「でも、このまま荒神さんが誤解されるのは一ファンとして黙っていられません!!」 

「そういう英雄的役割は俺の柄じゃねぇし、俺が奴らの守り神を殺したのも事実だ。いまさら真実を語ったところで宴に水を差すだけだ。いいからここで大人しくしてろ」

「……はーい」


 正直、面倒な反論で異を唱え、無理やりにでも俺の功績にしようと躍起になるかと思ったが、本当に忌々しいことに余計な気遣いだけは回るらしい。

 それでもやはり内心、納得していないのか。大きく頬を膨らませるというブサイクを曝すヤエは、観念したように大きく息をついてみせた


「荒神さんが納得してるならわたしがごちゃごちゃ口を出すことじゃないですね」

「それでいい。俺はこの村ではただの役立たずの悪党ってスタンスを取り続けるつもりだからな」

「うーんさすが『うまい飯を食えば、明日への不安なんざたいがい忘れっちまう』といって貧民街の子供たちを励ましたツンデレの台詞は違いますねぇ?」

「テメェ――」

「ふふっ、これでも荒神さんのファンですからね。荒神さんのことならしっかりココに記憶してます、よッ!?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて頭を叩く仕草にイラっと来て、思わず手刀を額に振り落とす。

 衝撃を与えれば全部忘れるかと思ったが、どうやら根強く脳内に刻まれているらしい。痛がる素振りしか見せない。


「――っつぅ~~!? 愛が重いぜ!!」

「……面倒な奴に目ェつけられたもんだな」


 ジョッキを傾け、果実酒を飲み干す。

 面倒な奴と言えば、この手の話題で二番目に喧しく俺に突っかかってきそうな奴がいないことに気が付いた。


 あれだけの重傷だ。容易に外に出られるとは思えないが騎士たちに連れられて行ったきりその姿は見ていない。


「そういや、エルマはどうなった」

「エルマさんですか? さすがに邪神との戦闘での消耗が激しいみたいで今は大人しく寝ています。たぶん一週間は起きないでしょうね、あれ」

「……あんだけの傷でよく死ななかったもんだな」

「まぁ天恵持ちですからね。わたし同様、加護持ちならあれくらいじゃ死にませんよ。今回は、指一本欠損してないみたいなんで奇跡みたいなもんですけど。さすが副団長の地位に就くだけのことはありますよね」

「そォいうテメェも大概規格外だがな」


 実際、村についた時点で蓄積したダメージを除いて、エルマの身体に刻まれた傷はほぼ完治していた。

 獣人は傷の直りが早いという事もあるが、それを差し引いても異常な回復力だ。


「そういやシュブニグラスとの戦闘を見て思ったがお前、あの戦い方は――」

「あっ!! やっぱり気付きました!? そうです、そうです、そうなんです!! あれはもちろん荒神さんの大親友の――」

「お姉ちゃんが守り神様を殺しちゃったの?」

「――キャアアアアアアアッ!?」


 邪神の冒涜的な存在を前に狂わなかったヤエの口から絶叫がほとばしる。

 突然の叫びに驚き、思わず身構える。

 そして今も発狂するヤエの背後。よく目を凝らせば、そこには――


「……マリナか?」

「うん。どうしたのお兄ちゃん? そんなにびっくりしたような顔して」


 幽鬼のように暗闇から姿を現すマリナが、ヤエの袖を薄く掴んでいた。

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