第十五話 神の恩寵


 瞬間、風が吹いた。


 走り去るのは二丈の光。

 それは目の前の邪悪な存在を滅するために己が魂を燃やす光だ。


 空気に漂う魔素が二人の乙女に収束する。

 命を刈り取る触手をよけて躱し、


「天恵≪模造信仰レリジェン・イミテーション≫ッッ!!」

「天恵≪獣姫の狂乱クレイジー・ビースト≫ッッ!!」


 ヤエとエルマの叫びが、魔素の奔流を経て形となった。

 穢れた大地に眩い光が灯る。 


 打ち振るわれる邪神の鉄槌。その触手が根元から引きちぎられるのを俺は見た。


 まず初めに変化があったのはエルマだった。

 金色の光の奔流が全身を包み、銀色の鎧がはがれて消えている。その下から純白のドレスがしなやかに動く身体を優しく包み、肥大化する両腕が獣の腕に変わった。

 茶虎色の髪が金色に染まり、荒々しい野性の動きに合わせて激しく揺れる。

  

 一見すれば些細な変化。


 しかし、獣の姫という名はではなかった。

 一秒にも満たない短い時間。

 真っ先に駆け出したエルマの身体は、並走するヤエを置き去りにした。四肢を使って大地を駆け、倍近くある無数の触腕を瞬く間に細切れにし、打ち振るわれる邪神の触手を根元から千切ってみせる。


 瞬きすら許さない閃光に、己の触手が消えうせたことを自覚させない神業。

 遅れてやってくるシュブニグラスの悲鳴に、被さるような獣の叫びが轟いた。


「阿ッ、嗚呼嗚あああ阿あッ、嗚呼アああああアアああ嗚呼アアあああAAAAッッああああ亜ああ嗚呼アアああ亜AAあAあああ――――――ッッ!!」 

「UWOOOOOOOOOOOOOOONNッ!!」


 もはや人語を介さない狂乱の咆哮。

 鋭く剥き出しになった犬歯を吊り上げ、迫りくる死をすべてその爪で引き裂き、無に帰してみせた。


 空気の爆発が周囲の木々をなぎ倒すが、獣の蹂躙は止まることはない。

 縦横無尽に大地をかけ、触手に跳び移り、邪神を撹乱する。


「亜嗚ああ、阿亜アAa亜AAAA嗚Aアあ嗚a呼ああAAああああ亜アあああッッ!!」

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!!」

 

 苛立ちに富んだ邪神の咆哮とエルマの叫びが重なり、駄々をこねる邪神の怒りが触手の嵐となってエルマに堕ちる。

 地を震わせる大地の悲鳴。

 それでもを振り下ろされる鉄槌を掴み、避け、千切り、潰し、破壊していくさまは圧巻だった。


 降り積もる黒い血肉をその身に浴び、ドレスを汚す。

 己の損傷などお構いなしに振るわれるその金色の拳は、全ての触手を正確にとらえ壊し尽くした。


「AWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNッ!!」


 野生の花嫁。

 獣の姫。その名はまさしく彼女にふさわしいだろう。

 だが――、


「GAGUッッ!?」


 物量の差は如実に表れる。

 上空に気を取られていたエルマの足に触手が絡みつく。途端、重力を無視した遠心力の負荷がエルマを振り回し、空中に放り出された獣姫の身体を囲うように鋭く変形した触手が襲い掛かった。


 二十はくだらない鋭い桐の群れ。対してエルマの腕は二本。

 躊躇わず突き出される刺突の雨は、無残にエルマの身体に風穴を空けに掛かる。


 例え、身体強化を施した肉体であっても直撃すれば即死は免れない。

 それでも落ち着いて状況を把握できたのは、後方から遅れてきたヤエのおかげだ。


「――神気一天ッッ!!」


 上空を飛び集約した魔素が一振りの刀に形を変え、エルマに迫りくる脅威の全てを断ち切った。

 輝く白い太刀筋。

 それは俺がよく知る古びた骨董品。

 刀長二尺六寸五分。神剣にして魔剣の側面を持つ矛盾した一振りの刀。

 

 銘を神殺し。


 それは天照との死闘を最後に折れた俺の愛刀だった。


 俺は≪鋼の呪い≫で一切に刀剣を握ることはできないが、黒曜を手にする前に使っていた相棒だからその性質は理解している。

 神殺しは神を討つために人間が打った名刀だ。


 悪神を討ち、人々に救済を。

 

 その理念のもとに作られた刀は全ての神格を灰燼に化す。

 

 斬られた断面は再生せず、朽ち果てる。

 絡まる二人の視線。

 ノイズの走る役立たずの恩恵ステータス機能から聞こえるはずのない声が俺の鼓膜を震わせた。


『あと二分、エルマさんいけますか!?』

『GAUッ!!』


 魔素伝達による、通信機能。

 てっきり俺のものは使い物にならないと思っていたが、どうやら側だけは生きていたらしい。

 道中でステータスの概要を教わってから試しに自分でステータス開示を試みたが、クソ女神に啖呵きったとおり俺自身の意志で通常の渡航者のようなステータスの類を操作できなかった。


 となるとこれはあの変態がストーキングで強引にこじ開けた名残か。


「ったく、便利なもんだな」


 そう一人ごちると、聞こえないはずの言葉に反応する言葉があった。


『むっ!! 荒神さんが苦笑した気配が――!!』

『GAUUッッ!!』

『気のせいですって!? そんなわけありません!! わたしがどれだけ荒神さんの全てを――』


 言いかけた変態が、呆気なく蹄で潰された。

 奴にしてみれば足元にうろつく五月蠅いアリを潰すような感覚だろう。

 だが気をつけろ。そのアリは存外、


『まだ人が喋ってる途中でしょうがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!』


 しぶといのだ。

 踏みつぶしたはずの蹄を自力で押し返し、


『わたしの信仰心を舐めんじゃねぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!!』


 よろめく巨体に向けて、煌めく神殺しの一閃が天に放たれた。


「亞亜亜嗚呼アあああ嗚呼アああ亜ァああああああァああAAあ嗚呼ああ亜あああアアああ阿あああA亞ÅAaaああああぁァァああAああ嗚呼ああああ嗚呼ああああ亜唖ああAAA嗚呼AAAAああAAAAAあ唖ああ亜アああ唖あああ嗚呼ああああ亜ッッ!!」


 蹄を縦に切り裂かれる痛みは、巨体を支える前足に鋭い亀裂を伝播させる。

 いくら神殺しで邪神の身体に亀裂を入れても、核にまで届かねばその魂を殺しきることはできない。


 案の定、朽ちた端から泡立つように再生する肉が繋ぎ合わさる。だが、再生するのを見越してか、すかさず上体を崩したシュブニグラスの前足がエルマとヤエの一撃によって同時にへし折った。


 通信機能越しに、骨と肉を引きちぎり骨が砕ける音が絶叫と共に響く。


 支えを失った巨体が顔面から地面に崩れ落ちる。

 腹部の孕み袋が災いしてか、再生が間に合わず起き上がれない邪神。


 好機と見て特攻を仕掛けるエルマ。

 地面に伏した顔めがけ、迫り狂う触手の弾丸をよける。


 そして金色に輝く必殺の拳が振りかぶられ、


『――!?』


 無数の槍が胸部を叩いた。


 鮮血が舞い、地面に転がる柔らかい身体。


 金色の光が霧散し、大量に体液が飛び散った。


『エルマさんッ!?』


 油断はなかった。

 反応できたはずの攻撃。

 それでもエルマが反応できなかった理由を俺は見た。


 インパクトの寸前――、エルマの身体が爆ぜた。


『まさか、天恵の過負荷オーバーロードッ!?』


 おそらく強すぎる天恵の能力に身体がついて来られなかったのだ。

 それを承知で、エルマも天恵の能力をふるい続けていたに違いない。

 

 そのリミットが存外早かっただけ。

 そして――、


 咀嚼する為触手の先端が縦に割け、鋭い牙が隙間から覗いた。

 無数の触手が、倒れ伏して動かないエルマに襲い掛かった。 


 生きたまま肉を抉り喰らわれる人間に、美しい死に方など望めない。

 足を、腿を、腕を、腹を。その鋭い牙がえぐり取っていく。


 人間が生きているうちに上げるはずのない絶叫が、狂った神域に木霊した。


『――ッ!! エルマさんから離れろッ!?』


 まるで少しでも苦痛を長引かせようと振るわれる死の刃が、咀嚼する漆黒の捕食者を灰燼に還す。


 しかし、ここは訓練場じゃない。

 

 少しの油断が全てを失う結果になる。

 黒い影がヤエの頭上に堕ちる。


『しまっ――』


 涎を滴らせる正真正銘の死の顎。

 それはヤエたちを確実に咀嚼する為、持ち上げた上体を勢いよく降ろし、地面ごと抉り喰らった瞬間を俺は見た。


 あとに残ったのは、少女たちがいたであろう無慈悲に齧り取られた空間だけ。


 嘲笑うように歓喜に振るえる邪神の叫びが神域を震わせる。

 そして、空虚に土を食む黒山羊を眺め、たった一言。


「よくやった」


 短く、けれど最大の労い賞賛を込めて、腕の中に収まる二つの温もりに感謝の言葉を呟いた。


 

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