第十四話 宴の幕開け


 しなる死の影が空気を裂いて降り注ぐ。触手の足場から飛び降りれば、二本の死の刃が自分自身の触手を斬り飛ばした。

 どす黒い飛沫が空に飛び散り、空気に霧散し消えていく。


「唖亞あああ嗚呼アぁあああアアあああ嗚嗚呼あああAAAあああッッ!!」


 奴にしてみれば俺らは目の前を飛び回るうるさいハエに近いだろう。

 苛立ちを含んだ悲鳴が八つ当たりのように地面を抉る。


 追撃する触手の嵐に、無意識に背中を預ける。

 背後で空気を切り裂く音が震え、自然と口角が持ち上がった。

 一切乱れのない剣戟は、シュブニグラスの触腕を斬り飛ばし、弾き飛ばした。


 着地と同時に地面を蹴る。


 血と土が混ざったひき肉が轟音と共に辺りに飛び散る。

 一瞬の隙が死に直結する刹那の世界。


 高揚感に胸が躍る。


 振り下ろされた黒い大木を転がるように回避すれば、正面から悲鳴が上がった。

  

「ひっぃいいいいいいい!?」


 発狂し、地面に伏せる騎士と目が合った。


「たす、助けて――」


 どこの誰とも知らねぇ馬鹿が残ってやがった。

 あいにく構っていられる時間はない。


「荒神さん、上!!」

「チッ――手間ぁかけさせんな!!」


 重心を傾け駆け出し、騎士の腹部を蹴り上げる。

 もう一度言おう、ここは一瞬の隙が死に直結する刹那の世界だ。

 こんな雑なことをしていれば当然、それ相応の報いが飛んでくる。


 忍び寄る死の影。


 鞠の如く飛んでいく騎士を一瞥し、瞬時に黒曜を振り上げれば――


「はッ――!!」


 迫りくる触腕がエルマの一撃によって大きく弾かれた。

 重力を感じさせない軽い着地のあと、悲鳴が響く戦場で爆発のような声が全ての理性ある者に鋭く響き渡った。


「残った者は直ちに引け!! 今すぐ団長に報告。殿はボク達三人が引き受ける」

「副団長、貴女死ぬ気ですか!?」

「いいから行け!! 君達がいても足手まといだ!!」


 俺につかかってきた騎士が唇を噛み、残った騎士たちに肩を貸して離脱していく。その未練がましく後ろを振り向いては懸命に前に進んでいく姿を見送り、エルマは俺に申し訳なさそうな苦笑を浮かべた。


「すみませんね。巻き込んじゃって」

「別に構わねぇよ。俺はもともとやる気だった」

「いやーまさか村の守り神がシュブニグラスとは。ずいぶんと大物いたんですねぇ」


 三対一。

 言葉だけ見れば、卑怯にも聞こえる状況だが、断然不利的状況になるのは俺達だ。


 正面を見据え、その場から微動だにしない冒涜的な黒い山羊。

 あらかた供物を喰いつくしたのか、あれほどいた森の魔物はを地に残して神域を穢れで染めいく。

 あれだけの量を食ってまだ足りないのか、宙を漂う食指が残りのメインを求めて涎を垂らしている。


 孕み袋は大きく膨れてんのに卑しい野郎だ。

 そんなにうまそうに見えるかよ俺たちは。


 十五メートル級の化け物相手にたった三人。

 しかも相手は四千の軍勢を簡単に滅ぼせる邪神ときた。


「さてさて、これからどぉする」

「団長が来るまでここの三人で持久戦に一票」

「却下」

「にゃにゃ!? じゃあどうするのさ。邪神相手に他に手なんて――」

「荒神さんに任せます」

「ああん?」


 全部丸投げかよテメェ。


「ちょっ、確かにアラガミ君が強いのは認めるけどいくら何でも一人は無謀だよ!? ボクの話聞いてた? 四千の軍勢を簡単に滅ぼす相手だよ!! 彼一人じゃなにも――」

「それでもわたしは荒神さんに任せたいんです」


 呆気にとられるエルマから視線を移し、黒曜石の瞳が溢れんばかりの輝きを称えて俺を見上げた。


「だめですか?」

「そォまでして俺にやらせる理由はなんだ」

「だって見てみたいじゃないですか。本職の実力を、この眼で!!」

「――はぁ、相変わらずブレねぇのな」

「だってわたしはあなたのファンですから!!」


 いい笑顔で頷くんじゃねぇよ。

 しかし、どうやらそれしかねぇようだ。

 それにこれは――、俺のリハビリだ。

 こんなうまそうな宴。他人に横からとられるってのは少しばかり惜しい。

 それがこの異世界の神ってんだからなおさらだ。


「……あとでなにかおごれよ」

「もちろんです!!」


 あーあー、結局俺の方が折れちまった。

 だが契約完了した以上、過去の言い訳や体裁なんてどうでもいい。

 あるのはただ一つ。

 いのちを燃やす愉しみだけだ。 


「さぁて、久しぶりの神殺しだ。派手にいくか!!」


 右手に握る黒曜から今まで蓄積した全ての≪穢れ≫が表に放出される。


 それは今まで殺してきた魔物の怨念だった。

 死と罪、咎と責め苦をない交ぜにし凝縮した呪いの塊。

 他者の魂を喰らい、業を重ねた者たちのなれの果てだ。


 触れるだけで魂が汚染する祟りと呼ばれた≪穢れ≫が、魂を蝕み浸していく。

 チリチリと炙るような痛みが胸の奥を満たしていく。

 

 出し惜しみはしねぇ。全力全開を叩き込む。 


「三分よこせ。≪鬼人顕現≫を使う」

「了解、という事はアレですか? じゃあ、ついでに両足も落としておきますね」

「にゃにゃッ!? なんでそんなに落ち着いて、というか君達で勝手に納得しないでくれるかな!?」


 本能で≪穢れ≫の危険性を察知したエルマの叫びに、地鳴りが被さった。


 見れば、蹄を鳴らし、蠢く食指が待ちきれないかのように踊っている。

 どうやら向こうも準備完了らしい。

 俺が発散した大量の≪穢れ≫に呼応し、全ての生命を嘆き、呪い狂う悲鳴の讃美歌がシュブニグラスの口から上がる。

 それは心臓を握りつぶし、生きとし生ける魂を穢し、冒涜する闇の音程。

 深紅の眼球が忙しく動き、蹄を地面に鳴らすさまは、闇を鳴らす死の足音だ。

 曇天の空に咆哮を上がる。


「唖亞アアあああああアァア阿嗚呼ああアァア嗚呼ああAAAああA嗚呼ッッ!!」


「二人して動きを止めろ。あとは俺がなんとかする」

「なんとかって君、相手はじゃしん――」

「まぁまぁ、ここは荒神さんに任せます。それにアレを見られるのならわたしも出し惜しみはしません!!」


 「行きますよ」とエルマの手を取り、駆け出していくヤエの後姿を眺めていると、大胆不敵に唇をゆがめるヤエと目が合った。


「じゃあ、かっこいいところ見せてくださいね、荒神さん!!」


 無邪気に手を振り今度こそ去っていく。

 命を懸けた戦いでも全てを救うという願いを信じて疑わず、己の欲望のため偽善の刃を振りかざした宿敵の顔が頭を過ぎる。

 まるで在りし日の天照を見ているようで、どこかおかしさが込み上げてくる。


 あんな変態に、あいつを重ねるとはとうとうヤキが回ったか。

 だが――、そこまで期待されちゃ悪い気もしねぇ。


「――ったく、世界は広いな。愉しくてたまらねぇよ」


 高鳴る鼓動が抑えられない。

 復讐や使命に捕らわれない純粋な命のやり取り。

 それがこの異世界で実現できるとは思わなかった。


「さて、いっしょに楽しもうぜ、異教の邪神よ」

 

 黒曜を構え、全ての存在を否定するために生まれた命は、溢れ出た邪気をその身に纏い、不敵に笑った。

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