第十三話 初めての『痛み』
◆◆◆ 荒神裕也――
柄にもなく昂って気を緩めた結果がこれか。
ったく心底笑えねぇ。
ゴドンッッッ‼‼‼ と鼓膜を叩く轟音が背中を叩き、大樹が一本へし折れた。
「――くッ、は!?」
衝撃。
臓腑の全てが痙攣し、飛び回る。まるでピンボールだ。激しく揺れた内臓は元の位置に戻ろうと蠢き、他の内臓にぶつかり体内の中で暴れまわってやがる。
改造儀礼服、八岐大蛇を貫くほどの威力。
口腔からせりあがる温かい何かを地面に吐き出せば、粘着質な赤黒い何かと共に錆び臭い香りが鼻腔をくすぐった。
痛ぇ。
この世界に飛ばされ始めて負った明確なダメージ。
皮膚を浅く裂くのとはまた違う痛みが、身体の節々を痙攣させる。
「な、るほどな。本物の痛みすら、俺はまだ知らなかったって訳か」
味も、匂いも、痛みでさえも新しい。
それは情報量の少ない世界では味わえない本物の感覚だ。
奇しくもこんな形で、クソ女神の忠告を実感する羽目になるとは思わなかった。
「しかし、あの速度は反則だろぉよ」
大気を震わせる咆哮が悲しみの刃となって突き刺さった。
そう思った瞬間、漆黒の闇が目の前にいた。
ギリギリだった。黒曜で攻撃を逸らさねば、あの死んだ騎士のように胸を抉られ死んでいたかもしれない。
咄嗟に受けた手首が軋みを上げている。顔を持ち上げれば、阿鼻叫喚の悲鳴の嵐が鼓膜を叩いた。
それは人間と魔物、両方の悲鳴が織り交ざった絶叫の協奏曲だった。
喰っている。
喰われている。
呪詛をまき散らし、暴れ狂う死の触腕。
シュブニグラスの黒い触腕が器用に魔物を絡めとり、裂けた胴体に放り込み、咀嚼していった。
逃げ惑う騎士たちにもはや生きる気迫などない。
絶望的な光景に魂を抜かれ、放心している。
黒曜を地面に突き立て、上体を起こす。
幸いにも骨は折れてねぇよォだ。
「――大丈夫ですか荒神さん!?」
悲鳴のような声が身体を叩き、息を切らして駆け寄るヤエが俺の姿を見て息を呑んだ。
なんだ、失望でもしちまったか。
俺はその方がありがてぇんだが。
短く息を漏らせば、至ってまじめな声が飛んでくる。
「まだ戦えますか?」
「ああ、なんとかな。……戦況は」
「見てのとおりです。いまエルマさんが何とか騎士さんたちを守っていますが長くはもちません」
あいつはこんな状況でもまだそんなことやってんのか。
さっさと戦線離脱して報告に向かえばいいものを、
「どいつもこいつも優等生で嫌になるぜ」
不安そうな顔が俺を覗く。
「んなしょぼくれた顔してんじゃねぇよ。久しぶりでビックリしただけだ。なにも心配するようなことじゃねぇ」
「ですが荒神さん、あなた目が――」
「潰れちゃいねぇよ。せっかく楽しくなってきやがったんだ。この程度の怪我で寝てられねぇよ」
改めて黒曜を構え、走り出す。
背後から俺を呼ぶ声が飛んでくるが関係ねぇ。
入り乱れる狂詩曲の最中、無数の深紅の眼球が正確に俺を捕らえ、素早く触腕をしならせる。
まったく、モテる奴はつらいねぇ。
本能的に俺が天敵だと感じ取ってやがる。いい感度してらぁ。
だが――、
「舐めてんじゃねぇぞクソがッッ!!」
早々何度も喰らってられるか。
正面から伸びる触手を弾き、斬り飛ばす。
≪邪気転化≫
ため込んだ≪穢れ≫を刀身の切れ味に回し、薄く纏った黒曜の一撃。
身体に纏った≪穢れ≫が刀身に移動する分、身体にかかる負荷が悲鳴を上げるがそんなもんはどうでもいい。
いつも通り戦うだけだ。
斬り飛ばされた触手が逃げ惑う魔物を引き潰した音を確かに聞いた。
歯ぎしりするように鳴る不気味な擦過音が、一つ二つと迫りくる。
それを躱し、斬り飛ばし、叩き潰していく。
「唖AAあああああAAAAぁAA嗚呼アAAAAAAA嗚嗚呼アアあAAAA唖亞ッ――」
「はっ!! 斬られねぇとでも思ったかデカブツが。一度見切っちまえば迎撃なんざ余裕なんだよ」
別に奴の皮膚が硬いわけではない。細胞の筋に沿って刀身を入れてやれば斬れねぇことはない。
だが――
「本体斬れなきゃ意味がねェか」
彼我の距離は、およそ二百メートル。
対してこちらは木刀一本で相手しなくてはならない。
遠距離攻撃もできなくはないが、≪穢れ≫の無駄打ちができない以上、確実に仕留める手を打ちたい。
となれば取るべき手は一つ。
「馬鹿正直に特攻するっきゃねぇか」
改めて黒曜を構え、腰を落として宙を跳びまわる。
魔物の群れを掻い潜って、奴に近づくなんて馬鹿げたことはしていられねえ。
≪
足の裏に邪気の壁を形成することで足場を作る、邪気転化の応用技。
天照も神気を用いて同じようなことをして見せるが、俺の場合は完全な我流だ。
桐のように尖らせた幾本もの漆黒の棘を縦横無尽に跳んで躱せば、迎え撃つ触手の雨が枝分かれして上空から降りかかった。
「チッ――!!」
体積が小さくなったぶん、斬りやすくなったが数がうぜぇ。
僅かに空いた隙間に身体をねじ込み、次いで放たれた黒い触腕に飛びついて駆け抜ける。
三発目の触腕は正面からではなく真横から飛んできた。
「――ッ!?」
僅かな軌道変化。
いままで単調な攻撃が続いていたから、反応が遅れた。
素早く黒曜を振るうために踏ん張る右足から力が突如、消失した。
ガクッッ!? と折れる膝が黒い触手の上に落ちる。
「(やべぇ、ミスった)」
想像以上にダメージが蓄積したようだ。
我ながら転生したばかりの身体にハシャいで、慢心していた。
どうやら≪穢れ≫の方が身体に馴染んではいないらしい。
「――くっそ」
即死はしないだろうが、それでも重大な負傷を追うのは間違いない。
風切り音が鼓膜を震わせる。
臓腑を抉る鋭い一撃が、腹部へと伸び――、消失した。
ザンッ!! と断裁する音と共に、シュブニグラスの方から悲鳴が上がる。
うねる触手から振り落とされないようバランスを取れば、正面から不敵に輝く声が飛んできた。
「失礼だとは思ったんですけど、助太刀に来ました」
「テメェ」
「お礼は後であっついキッスでお願いしますね。それと、もちろん立てますよね?」
「誰に物を言ってやがる」
立ち上がり、黒曜に薄く纏わせた黒い波動が唸りを上げる。
黒曜に纏わせた斬撃を放てば、左右から挟むように迫りくる触手を縦に割り、ヤエも煌めく刀身を切り払い、触手を三枚におろしてみせた。
「……忌々しいが、借り一つだな」
「わたしはその何千倍もの喜びをあんたからもらってるので気にしないでください」
「身に覚えのねぇ恩なんざ、ねぇも同じだ」
それでも笑い返してくるあたりがコイツらしい。
俺のためなら何でもやってみせるなんて妄言信じる気にもならねぇが、少しは信頼してもよさそうだ。
少なくとも、こいつは自分の欲望に忠実に生きている。
執着する対象が俺なのは問題だが、そう言うやつは俺好みだ。
「転生したてでまだ身体の調子が掴めないんですよね? 勘を取り戻すまで付き合います!!」
「なんでそんなことまで把握してんだよテメェは」
「なんか動きが鈍いなぁーってずっと思ってたんで、当たってました?」
ったく、頼りになるんだかならねぇんだかわからねぇ奴だ。
気持ち悪いを通り越して、いっそ不気味だ。
だが戦力になるってんなら存分に使い倒すまでだ。
「なら俺のリハビリに付き合ってもらうぞ」
「はいッ!! どんとこいです」
邪神を前にしてもいつも通り。
まったく恐れ入るぜ。
大胆不敵に佇み、獲物を睨みつける邪神を睨みつけ走り出す。
全力を出すのに、相手にとって不足ねぇ。
右手に握る黒曜が、いっそう激しく唸りを上げた。
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