第十二話 千匹の仔を孕みし森の黒山羊

「おっじゃましまーす」


 そう言って合流するなり、遅れてやってきた騎士共があらかじめ指示が出ていたのか輪を作るように陣形を組み、互いが互いをフォローできるように気を配る。


 息をほとんど切らさないエルマの身体はまだまだ余力が残っているようだが、他の騎士たちはどうやら違うらしい。銀色の鎧を上下に動かし、顔には滝のような汗が浮かんでいた。


「ようするにこいつらの代わりに俺を使おうって腹か?」

「にゃははっ、そう言わないでくれるとありがたいかなー。こっちも一杯一杯でさ、ここは協力しようよ。これはちょっち不味い状況だしさ」

「まずい? そう思うならさっさと俺らを置いて逃げればよかったのによ」

「ボクの任務は君と英雄さんの監視だからねー。そうはいかないのさ」


 するとあからさまに驚くヤエが俺の右隣で、声を上げてエルマを見た。


「え、ちょっとエルマさん初耳なんですけど!?」

「ウチの団長は公私混同はしない真面目ちゃんだからねぇー。いくら知人の君でも不審な行動があれば斬ってよし、って指示受けてるよ。愛されてるねぇ」

「おおかた、俺らがこの奇妙な事件の首謀者とでも思ってんだろ?」

「おーおーあーたーりー」


 ふざけた調子で声を上げるエルマの動きにつられ、騎士の奴らから冷めた視線が飛んでくる。


 おそらく使徒を撃退した時点で怪しいと睨まれていたのだろう。


 使徒とは邪神になりかけた土着神を断罪する存在だ。それをむざむざ自ら阻害するような行為をすれば、何かよからぬ企みを持つものだと思われても仕方がない。


 ヤエに関して妙に突っかかってくる変な奴だと思っていたが、道理で身に覚えのない敵対心を抱かれるわけだ。

 俺がヤエをそそのかして悪事を働いていると勘違いしていたのだろう。

 そう考えればすべてが納得いく。


「まっ、ここまで協力してくれてるってことはこの件を促した首謀者って訳じゃなさそうだけどね」

「その言い方。まるでマジで首謀者がいるような口ぶりだな」

「それは機密事項だにゃー。……それより、ここからどうすべきか考える方が先だと思うけど?」


 そう言って視線を走らせるエルマにつられて回りを見渡す。

 無数の眼球と目が合い、完全に囲まれていた。


 大鬼の数はほとんど減ったが、ホブゴブリンやゴブリン。オークなど多種多様な化物が下卑た笑みを浮かべ勝鬨を上げている。

 空気を激しく震わせる様々な音に肩をすくめれば、頭の猫耳を抑えるエルマと目が合った。


「で、俺もそろそろ飽きてきたんだが撤退していいのか」

「英雄さんが想像以上に頑張ってくれたからねー。ここまでやればほぼノルマは達成したかな。命あっての物種だしね」

「別にあなたのためにやったんじゃありません」

「それでも十分だにゃ。あとはボク、が――?」


 ブスッと頬を膨らませるヤエを一瞥したエルマが肩を揺らし、短刀を両手で構えた瞬間、不自然に動きが止まった。


 静寂が支配する森の空気に重苦しい緊張が走る。


 周囲をくまなく囲い、勝利を確信していた魔物の群れに動揺が生じていた。

 その表情はどれも焦りがあり、俺達を前にしても集中を欠いたその動きは異常の一言に尽きる。


 それは同様に全員が抱いた疑問であり、好機だった。


「なにか様子が変ですね。まるで何かに怯えているような雰囲気ですけど」

「副団長。どうしますか。いまなら自分が殿しんがりとなって道を開きますが」

「馬鹿言わないでそれはボクの仕事。とりあえず全員待機。ボクの合図で全員一斉に――」


「――ッ!? 伏せろッ!!」


 エルマの言い掛けた言葉が続くことはなかった。

 残酷なまでにどす黒い臭気が鼻につき、直感が大音量で警告を告げる。

 咄嗟に反応して伏せなければおそらく死んでいた。

 それほどまでの速度と鋭い一撃。


 俺の言葉に反応できた者がどれだけいるかわからない。

 ただ、無理やり頭を押さえつけていなければ、エルマの上半身が消失していたのは確かだ。

 轟音が頭上を通過し、森のカーテンに隠れる。


「い、いまのは一体」


 震えるエルマの声を無視し、ひたすら触手が消えた森の奥を凝視する。


 目の端で捉えた触手のような鋭く太い管。およそ人間を丸ごと飲み干せるような大樹の闇が、再び空気を切り裂いて襲いかかってきた。


「チッ――!!」


 押さえつけていたエルマを抱えて横に飛び退る。

 途中、か細い女の声が胸元から聞こえるが関係ねぇ。そのまま身体を入れ替え着地すれば、伸びた触腕は魔物の障害物も関係なく森の奥から伸びていた。


 それは全ての存在に影を落とす黒い闇だった。


 本能が、自ら全ての生命活動を停止させようと錯覚するほど驚異的な存在力の塊。

 背筋に冷たいものがこみ上げ、無意識に喉を鳴らす。


「なるほど。こいつが――」


 いつの間にか笑っていた。

 全貌の一端だけでこれほどまでの存在力。


 ここまで俺を喜ばせる存在は一つしかない。


 黒曜を握る右手が不自然に大きく震えた。


「――おい、サザン!?」


 飛び出そうと身を屈めたところで、背後で騎士の誰かの声が響く。

 振り返ればサザンと呼ばれた騎士の身体は半分消失していた。


 おそらく一度目は反応しても、二度目の触手は反応しきれなかったのだろう。


 銀の鎧ごと上半身が消失し、無様に極彩色の臓腑を地面にぶちまけた。

 それは先ほどエルマに殿を提案していた騎士の死体だった。


 駆け寄ろうとするエルマを腕から解放し、素早く立ち上がる。


 硬直したように動かない魔物が俺たちを襲う様子はない。

 それどころか「IGA、IGA」と言葉にならない音を発しその場にいる全ての魔物が恐れ戦くように平伏し、震えていた。

 

 異様な状況に、異様な光景。

 あれほど死を恐れなかった存在が、すべからく戦意を失っている。

 幸いにも、死んだのは一人か。


「おい、いつまで呆けてるつもりださっさと立て」


 声を掛けても反応が返ってこない。

 突然の仲間の死に、ここにいる全ての騎士が心を折られている。

 突如現れた触手に、本能的に勝てないと悟った結果だろう。


 仲間の死に動揺し、狼狽えて目を逸らすことで精神を保っているのだ。


 下半身だけになった騎士を一瞥して、大きく息をついた。


「これ以上無駄死にしたくなけりゃ、テメェ等いまから村へ走れ」

「貴様!? サザンの死を無駄死にだと!?」

「死んだらただの『もの』だ。生きてるテメェがここで悲嘆にくれたってそいつは帰ってこねぇぞ」


 ひと際元気なのがまだ一人いたらしい。

 だがこんなこと奴に暇を割いている時間はいまはない。


「そいつの死を悼む暇があれば、さっさとここから去れ」

「――ッ!? 貴様が。貴様が使徒様の邪魔さえしなければ、サザンはこんな目には――」

「うるせぇ。そいつみてぇにテメェまで死にてぇのか」


 胸ぐらに掴みかかる騎士に顎をしゃくってみせるれば、怒りに満ちた表情が恐怖に彩られた。

 森の奥に視線を向けた男の目が泡を食ったように激しく戦慄く。


「なっ――!? あ、あいつは」

「ったく――、昼間動かねぇっつったのはどこの誰だよ」


 騎士を押しのけ、闇の底を睨みつける。


 肩にかけた黒曜が、喜びに打ち震えるように大きく身震いした。


「さてと、ついにお出ましだ」


 蠢く闇は大樹をへし折り、ゆっくりとその姿を現した。

 それは生物と形容するにはあまりにも愚かしい冒涜的な存在だった。

 

 四本足の巨大な蹄が大地を揺らす。

 身体全体を覆う黒い触手は、戯れに平伏する魔物を潰し、楽しんでいる。プチュプチュと水袋が割れるたびに奇声を上げ、全てを等しく破滅へと導くための触腕が無造作に振るわれる。


 一見すれば山羊にも見えなくもないその姿。


 しかし、本来顔があるべき場所に顔はなく。無数に異様に膨らんだ腹部は、何度も胎動を繰り返していた。

 触腕から覗く無数の赤い瞳が俺を捕らえる。


 すると触手の奥に隠れていた虚に富んだ山羊の頭が、赤黒い呪いを大地に振りまいて顔を出した。

 冒涜的なまでに甘く、そして狂うような血なまぐさい香りが脳と魂を震わせる。

 

「土着神、シュブニグラス――」


 誰かの呟きと共に全長十五メートルを超える黒い闇から悲鳴が上がる。

 それは、全ての生命を冒涜する呪いの言葉。


 全てに絶望した神のなれはてがあげる最初の産声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る