第四話 目覚めのキス
◆◆◆ 荒神裕也――
「娘、ヤクモを知っているのか!! 言え!! 彼女は、ヤクモは無事か!? いまどこにいる!?」
何か変な単語が聞こえたと思ったがどうやら俺の聞き違いじゃねぇらしい。
自殺志望の震えた馬鹿の躊躇いの声が、室内に溶けては消えていく。
「ア、アラガミ様」
どうやら伝えていいものか考えあぐねているらしい。
助けを求めるようにこちらに目配せしてくるが俺は関係ねぇ。自分で蒔いた種だ自分で片付けろ。
武骨な剣を降ろし、いまもなお左手で激しくルーナを揺するクソメガネ。
とりあえず色々言いたいことがあるが、奇行に走り出した馬鹿をシメるのはあとまわしだ。そのまま顎をしゃくって先を促せば、言いにくそうに震える指先をベットを向けた
「あの、後ろで寝ています」
そう言った後のルーナに対する扱いは呆れを通り越していっそ清々しかった。男はルーナに対する興味を完全に投げ捨て、押し退けるように肩をどけ速足でベットに歩み寄ってみせた。
「無事であったか。心配をかけおって愚か者が」
その表情はどこまでも穏やかで、殺気に滲んでいた先ほどまでとは比べ物にならないくらい優しげな声が掛けられる。
黒髪を指先で払うように振れ、間抜け顔の見下ろす騎士。その垣間見せた柔らかな表情はほんの一瞬で、すぐ元の険しい顔つきに変化した。
「あの、ヤエ様とはどういった関係なのでしょうか?」
「部外者の貴様には関係――いや失礼。村の者が言っていた部外者は貴様であったな、チンピラ」
恐る恐る駆け寄ったルーナの肩を押しのけ、その先に立つ俺と視線がぶつかる
向けられる瞳に浮かぶ感情の色は、並々ならぬ怨念が見え隠れしている。
状況はわからねぇが恨まれてはいるらしい。
この世界に落とされてまだ一日と経っていないがこんなメガネの知り合いができたとは思えねぇ。
という事は、俺でなくヤエに関する事情だと察することができるが――
「いうに事欠いてチンピラか――。はっ、じゃあそう言うテメェはメガネか? いきなり因縁つけてきてなに様のつもりだ」
「黙れ外道が。女二人をかどわかし、監禁するような下衆に言われる台詞ではない」
「あん?」
どうしてそう――いいや。そういう事か。
なんとなくだが話が見えてきた。
「そう言うテメェなんだ。そこで寝てる馬鹿の親かなにかか」
「貴様のようなクズに答えることなど何もない。身の程をわきまえろ」
その憎悪には見覚えがあった。
愛する者を殺された、男の眼。
「……あほらし」
「――貴様!!」
そう言って吐き捨ててやれば、喉元に剣が突きつけられるがいつまで経っても剣が頸動脈を斬る気配はない。
互いに視線を絡めれば、殺意しかなかった瞳に僅かながら対話の色が垣間見える。
どうやらこいつはこいつの方で情報に食い違いがあったらしい。
このまま戦闘を続行してもよかったが、何より勘違いから始まる決闘などバカらしくてやる気も起きない。
殺しあいたいのはお互い様だが、確認すべき余計な目的ができちまった。
それに――。
「わたひのために、あらそわないでくだひゃい」
こんな空気でやり合うほど馬鹿じゃない。
お互いの視線が寝言をほざくヤエに向け、その間抜けな顔に毒気を抜かれ大きくため息をつく。
黒曜を肩に預けて戦闘の意志がないことを示して見せれば、向こうも同じように武骨な剣を鞘に納めるクソメガネの姿があった。
「……休戦か」
「ああ不本意だがバカらしくて萎えちまった」
それにこっちは安堵で胸を撫でおろすクソガキへの仕置きが残っている。
子犬のごとくこちらに駆け寄ってくるバカの頭をひっぱたけば「きゃっ!?」と甲高い悲鳴が上がり、目を白黒させたルーナが不思議そうな顔で俺を見上げてきた。
どうやら殴られた理由すらわかっていないらしい。
低い声で威圧してやれば、頭を抑えるルーナの方から小さなうめき声が返ってくる。
それでも何か言いたいことがあるのだろう。クソガキにしては珍しく唇を尖らせ、一丁前に反抗の意志を向けてくるので、さらに硬く握った拳を掲げてみせた。
「い、痛い。痛いですアラガミ様!? 執拗に額をぐりぐりするのはやめてください。あっ、そこはダメで――ッッッ!?」
経穴など人体の急所を心得ている俺だ。
ガキ一人泣かせるなど造作もない。
身をよじり痛みから逃れようと抵抗するルーナから悲痛な悲鳴が上がった。
「おーおーそりゃよかったなぁそりゃ生きてる証拠だ。死んでりゃ味わえなかった喜びをせいぜい噛みしめてろこのバカ女」
お前だけはマトモでいて欲しかったのだが、もはや叶わぬ夢らしい。
とりあえず拳を引いてやると、床に座り込んだルーナから睨みつけるような視線が飛んできた。
「んだ、その小動物にも劣る覇気のねぇ目は。言いてぇことがあるならはっきり言え、その口は飾りか」
「……痛いです」
「当然だ。痛いようにしたんだからな。それでまだ何か言うことがあんのか?」
すると、ルーナの瞳が動揺に彩られ、左右に飛ぶ視線がせわしなく動きだす。
大方またくだらないことでも考えているのだろう。
「アラガミ様はやっぱりそういう趣味を持つ方なんですか?」
と思ったらとんでもねぇ勘違いをしていやがった。
「ヤエ様から聞きました。アラガミ様はすごい鬼畜だって」
「おい待て、テメェいま何を端折りやがった。言え、テメェの勘違いの寄ってはこの場で叩き殺す」
すると顔を真っ赤に赤らめ、その瞳に宿る信頼の色が僅かに揺れはじめた。そして
何度も躊躇うように口を開閉させた後、まごつく唇がとんでもねェ勘違いを口にしやがった。
「えっと、その――私にはまだ早いんですけど。アラガミ様は痛がる相手を見て愉悦に浸るような、その性的感性というか、その――そういう趣味をお持ちなんですか?」
「あの馬鹿の妄言を真に受けてんじゃねぇ。何を吹き込まれてたか知らねぇが、俺にそんな趣味はねぇ!!」
「じゃあなんで痛くしたんですか?」
「ただの仕置きだ、バカが」
思春期って奴がここまで厄介だとは思わなった。
未だに非難がましい声に項垂れる馬鹿ガキの言葉に、大きく息をつく。
初めて会った時とはだいぶ印象が違うが、どうやらこっちがコイツの素らしい。子供っぽい純粋さは結構だが、いまはとにかく面倒くさい。
それに――、
「ったく、この短期間で鬱陶しい目つきになりやがって。遅めの反抗期か知らねぇが余計な手間を増やすんじゃねぇ」
「反抗期じゃありません」
「それが余計な手間だってんだよ。テメェはあれか。そこでいまだ寝こけた馬鹿と同種のバカなのか」
「……馬鹿じゃないです」
どうやら反省する気はねぇらしい。
いや、悪いと思っているからこそ反抗的なのだろう。
琥珀色の瞳に、あの
経験でわかる。この眼はテコでも自分の考えを曲げない目だ。
「……どういう腹積もりであんなバカげた行動に出たのか知らねぇが力がねぇくせに出しゃばんじゃねぇ」
「――それでも私」
「死んでも後悔しねぇ――か? なに驚いてやがる。テメェみたいな馬鹿の考えなんざいくらでもわかる。それで? テメェのわがままでたった一人残された妹がどうなるかわからねぇほど馬鹿なのかテメェは」
そこまで言ってようやく押し黙るルーナ。
おそらく妹の存在など頭の片隅にもなかったのだろう。
自分が何をしようとしていたのかに気付き、ようやく震えだした。
こいつがこの先どうなろうとそれはこいつの勝手だ。俺がいちいち干渉してあれこれ口出しするようなことじゃねぇのはわかっている。
だがその信念に身を任せ、大事なもんを取りこぼした馬鹿を知っている身としては黙っているの後味が悪い。
別に親切心で言っている訳じゃねぇ。
ただ、こんな貴重な眼をする馬鹿をむざむざ見殺しにするのは惜しい。そう思っただけだ。
自分い言い訳するようじゃいよいよヤキが回ってきた証拠だろう。
ヤキが回ったついでに柄でもねぇ忠告が口から飛び出た。
「自分の信念に囚われて好き勝手行動するのは構わねぇが、その行動の裏でテメェの帰りを待つ奴がいる人間がいることも考えろ。衝動に囚われて行動する先は破滅しかねぇぞ」
「……はい」
静かに、ただ一言呟いて頷くルーナを見届け、もう一度重い溜息を吐き出した。
ったく、朝からなんで親父みたいな説教かまさなきゃならねぇんだ。
この異世界に飛ばされてからずいぶんと色々あったが、この一日でこんなに変わるもんなのか?
十八年間生きてきた俺は、こんな面倒見のいい性格してなかったはずだが――
「もしあの変態に影響されてるんだとしたらなおさら笑えねぇな、クソが」
灰がかった髪を掻き揚げ、舌打ちする。
なんつうか不幸だ。
俺が俺でなくなるような、そんな錯覚に襲われるときがたまにある。
「おら、いつまでも湿気た面してねぇでさっさと立て」
「はい。そしてその。……助けていただいてありがとうございました」
「……ただのきまぐれだ、気にすんな」
とりあえずもう一度、頭をひっぱたいて説教は終いだ。
問題は山済みだが一つは片付いた。
あと残るのは――。
「んで、突然やってきたテメェはいったい俺に何の用だ?」
壁際に背中を預け、腕を組む堅物に目を向けた。
「貴様と話すことなどなにもない。私が用があるのはそこで眠る彼女だけ、貴様のような俗物。視界に入れるのも虫唾が走る」
「テメェ――」
思わず、黒曜をその硬そうな頭に叩き下ろしてやろうかと思ったが、不自然なまでに整えられた香りに動きを止める
鼻を鳴らせば、白と青を織り交ぜた鎧からわずかな神気が香っていた。
「ああ、なるほどそいつが聖別礼装か」
祠に行く道中。ヤエの口から五柱教に関する情報を聞き出したが、どうやら神の祝福によって聖別された装備が存在するのは真実のようだ。形によって込められる神気が違うと言っていたが見た目以上に何の面白みもない普通の香りだ。
すごい聖別礼装の使い手がいると言っていたが、それはおそらくコイツで間違いないだろう。
神気の香りも匂いから察するに神域というより聖域の結界に近いかもしれない。
本気で打ち合ってみなければ強度はわからないが、おそらく天照の≪神がかり≫の劣化版に近い造りをしているはずだ。
上流階級の人間が装備する鼻持ちならない武具にしては洗練されている。
どうやら見た目以上に、マトモのな人間のようだ。
メガネの堅物。性別は違うが思い出しただけで寒気が止まらねぇなおい。
「……なんだ貴様。何か言いたいことでもあるのか」
それは先ほどの俺の台詞だ。
おそらく嫌味で使ったにちげぇねぇその言葉に、俺の堪忍袋の緒は完全に切れた。
「いやなに。あんな変態にもこんな真面目な知り合いがいたと驚いただけさ」
「なに? それはヤクモのこと言っているのか? 貴様――、聞き捨てならんぞ」
唇の端をわざとらしくゆがめてやれば、簡単に獲物が餌に喰いつく。
低く唸るように片目を鋭く引き伸ばせば、その
ルーナを説教していた間も依然と壁にもたれ掛かるようにして背中を預け、腕を組んでいた右手がここで初めて納めていたはずの柄に伸びる。
薄氷が割れる音を確かに聞いた。
いやに冷え切った声が室内を支配する。
「聞き違いではないだろうが私とて聖騎士の端くれだ。下賤な貴様に訂正する機会くらいくれてやってもいいが、どうする」
「――はっ、いまにも斬り殺さんばかりの殺気を眼鏡から放つ奴がよく言うぜ。背後から斬っちまえばそれで終いだったろうに律儀なこった」
「あいにくだが私は騎士だ。下賤な貴様に不意打ちなど卑劣な行為で命を奪うのは私の騎士道に反するだけだ。断じて貴様のためではない。……それで、答えを聞こうか」
「あん? なんで俺があの変態クソ女を敬わなきゃなんねぇんだ?」
途端、空気が張り裂けた。
距離はおよそ三メートル。互いに踏み出せば一気に間合いが詰まる必殺の距離だ。
なにかの拍子で刺激が加われば、今度こそ各々の得物が敵の首をはねるまで止まることはないだろう。
俺もクソメガネもすでに臨戦態勢に入っている。あと必要なのはゴングだけ。
舌なめずりして黒曜を構える。
こんな緊張感はあの使徒との戦闘でもなかった。
迸る殺気が小さな納屋を飲み込んで包む。
そんな濃密な殺気が充満するなか両者が獲物を抜きかけたとき――、
「ふぁああ」
「「――チッ」」
首の声と共に鋭い舌打ちが同時に鳴った。
せっかく整えた戦場の空気が再び待機に霧散していく。
張り詰めた緊張を破るのはいつだって馬鹿だと相場が決まっている。
案の定、緊張感のない間抜けな声がゆっくり場を弛緩させていく。
「もぅ朝から殺気がうるさいです。人が気持ちよく寝てたのに一体なんですか」
全員の視線が部屋の片隅に集中し、のそのそとベットから起き上がる音が聞こえる。さらに間抜けな欠伸が再び空気を震わさせれば、壁際に退避していたルーナがズルズルと腰を抜かしてへたり込んだ。
「……命拾いしたな、チンピラ」
「俺はいまからやりあったって構わねぇんだぜ?」
挑発してやるが、どうやら本気で
構えた右腕から力が霧散し、その意識は完全にヤエの方に向いている。
一歩歩み寄れば、微睡む眼が騎士の男を捕らえる。
そして――、
「半年ぶりだなヤクモ」
「あれ? その声、あなたもしやレイブン卿ですか?」
「ああ、息災のようで何よりだ。我が愛しき姫騎士よ」
そう言ってメガネの男、レイブンは俺を押しのけ、恭しくヤエのもとに跪くとその手の甲に唇を押し当てるのであった。
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