第五話 荒神裕也の受難

◆◆◆ 荒神裕也――

 

 どうやらここでも俺の存在は邪魔らしい。

 視線を少し外せば部屋の端では眼鏡の男とヤエが昔話に花を咲かせている最中であった。

 このまま消えられたらどれほどよかったか。しかし現実はそう甘くはない。


「どうしてこうなった」


 いまさらぐだぐだ言っても仕方ねぇが、こんな愉快で面倒な状況に放り込まれる覚えはねぇ。


 話は十分くらい前に遡る。



 俺が出ていこうとするのをめざとく反応する変態に呼び止められ、クソメガネに睨まれたのはつい先ほどのことだ。

 そのままなし崩しに逃げられると考えていたが変態の気配察知能力を甘く見ていた。気配を消しきったはずのになんて感覚してやがる。

 仕方なく邪魔にならないように壁に背中を預ければ、満足したように頷くヤエの姿があった。

 そして衝撃的な一部始終に目を丸くしていたルーナも件のキザ野郎に「少し席を外してくれないだろうか」と頼まれば断われないらしい。

 現在は俺の隣で上機嫌な雰囲気を全身から醸し出している。


「(何がそんなに嬉しいのかねぇ)」


 結局、死ぬまで女心ってもんを理解しきれなかった俺だが、ここに来てなんとなく隣にいるクソガキの変化に気付けるようになっていた。

 おそらく同性のヤエはもっと目ざとくルーナの変化に気付いたのだろう。その証拠に俺を避けるのではなく隣に居直ろうとする少女を見て、何やら怪しい感情に囚われ百面相を浮かべていたのは記憶に新しい。


 こうしている間にもなぜか徐々に変態どもの思考が理解できるようになっている自分が嫌になる。

 変態に対する理解度=同じ穴の狢になりかけてるってんなら俺は迷わず首をつって死ぬ所存だ。生き恥は晒せねぇ。


 しかし――、


「テメェもあれだな。も少し賢く生きてぇんならもっちと他人を警戒するってことを覚えろ。襲われても知らねぇぞ」

「――? 襲われる、ですか?」


 と言って何のことかわからねぇように首をかしげるルーナ。

 テメェの羞恥心はどこ行った。

 先の身を挺した無謀っぷりといい、度々女の成長ってのは驚かされるばかりだが、少しばかりはっちゃけすぎじゃねぇかコイツ? 


 無防備に異性の身体に胸を押し付ける意味をまだ理解してねぇようだ。

 これが頭の悪い馬鹿なら相手なら、即喰われて終いだろう。

 

 生憎、こんなクソガキをどうこうするほど落ちぶれちゃいないが、こいつの将来が本気で心配になってきた。

 飴玉やるからついてきてと言われホイホイ裏路地に行くガキを見ているようで心臓に悪い。


「(こんなお人よしでもなかったんだがなぁ俺は)」


 何かが変わりつつあるのは確かなようだ。

 これがあの変態のように変な方向に向かないことをただ祈るばかりである。


 そうしてうんざりしたように窓から視線を外せば、僅かに俺の肩に身を寄せるルーナが窓をのぞき込み、騎士の居場所を暴き始めていたのには驚いた。


 知識や常識がやや緩いのはともかく、勘や洞察力の類は鋭いらしい。


 一つ一つ確認するように問いかけてくる方角に視線を走らせれば、そこには確かにクソメガネと似たような型の鎧を身に着ける騎士の姿があった。


「こんなに多くの騎士様が家の前に張り込んでいるの初めて見ました。まるで推理物の物語の一シーンみたいでドキドキしますね?」

「テメェは気楽でいいなおい。こっちは指名手配されるかの瀬戸際だってのによ」


 あんな連中、束になってかかってきたところでどうにでもなるが、後ろに控えた二人を相手に逃げるのは少しばかり面倒だ。

 特にあのクソメガネ。

 俺になんの恨みがあるのか知らねぇが、執拗に殺気を飛ばしてくる様子は見ていて疲れる。

 この短い間でも五度、俺に斬りかかるような鋭い殺気を感知した。


「やっぱり、レイブン卿が気になりますか?」

「あん? ……間違い探しはもういいのかよ」

「アラガミ様が興味がないようなので、……それで何かありましたか?」


 俺の視線に気づいたのか、窓の格子から目を離し、覗き込むように俺を見つめるルーナが首を傾げた。

 こういう時の他人の機微に鋭いのもこいつの美点だろう。

 話が早くて正直助かる。

 

「ああ、あの変態とどういう付き合いなのかは興味ねぇが、黒曜をその身に受けといて立てるやつはそういねぇから一応な。……何か知ってんのか?」

「あの、そこまでは詳しくありませんけど重要人物の方々の顔は一通り父に叩き込まれましたので――」

「情報の精度にゃそこまで期待してねぇ、知ってんなら何でもいい。――話せ」


 すると一度、俺から視線を外した琥珀色の瞳が、いまもヤエと会話を交わす騎士の男に向けられた。

 おそらく件の男を前に本人の話をするのは気が引けるのだろう。

 注意深く観察し、こちらに注意が向いていないことを確認したうえで、耳元を手で覆い隠すとそっと静かに吐息を漏らした。


「(私も詳しく知っている訳ではありませんが、あの方は聖王都を守護する騎士団のなかでも最大規模の兵力を有する銀翼の騎士団の創始者。至高の騎士団長、ヘルガ=レイブンクロー様です)」


「へぇ団長。なるほどな。道理で上物の匂いがするわけだ」


「(聖王都アルビニオンの≪至宝の剣≫と名高い四人の内の一人で、知将として国の防衛力では随一と伺っています。貴族や教会など数多の上流階級の方々とのコネクションを持ち、噂では王都のまつりごとにも口を出せるほどの権力者だと聞いたことがあります)」


「あの鼻もちならねぇ上から目線はそれが理由か。だがそれは裏打ちされた実力があっての行動。――はっ!! なるほどなぁあの変態が妙に仰々しく俺に語って聞かせるわけだ」


 あくまで直感だが、俺とあいつは似ている。

 性格や容姿、その思考回路まで全くの真逆なのに、妙な同族嫌悪を感じていたのはそれが原因か。


 おそらくあのクソメガネはそれを知りもしねぇだろうが、知ったところでさらに苛立ちを募らせるだけだ。


 どれほどの神気が込められているか知らねぇが、神気を直接武具に纏わせても身体が破裂しないところを見るとどうやらあいつもという訳だ。

 腰に吊った武骨な剣も黒曜とまともに打ち合えたところを見る限り、聖剣か神剣の類だろう。


「じゃあやっぱりいますぐここから逃げるのは危険ですね」


「……なんで嬉しそうなんだよテメェは」


「気のせいじゃないですか?」


 何を吹っ切ったのかは知らねぇが、俺に絡むのだけは面倒だからやめてほしい。

 現に、背中に突き刺さる殺気がうざくて仕方ねぇ。

 普通にクソメガネと喋っているはずの変態の方から妙などす黒い感情がほとばしってやがる。


 終いにはわかっててやってんのか「どうしました?」と首をかしげるのだから質が悪い。

 五割増しに鋭さを増すどす黒い感情は、無情にも俺の身体に刃を突き立てていく。


「なんでもねぇよ。それに俺をテメェは俺を舐めすぎだ。あんな包囲網、突破すんのにはさほど苦労はしねぇ」


「それは――、どういうことですか?」


「単純な話だ。……確かに兵の配置は完璧、一分の隙もねぇようだが、テメェに見つかる程度の雑兵どもが俺一人に勝てるような練度を積んでると思うか? 答えは簡単だ。その気になりゃ全員蹴散らせる。あとはあのクソメガネと変態が油断してる間に……っておい、なんだこの手は。どういうつもりだ」


「………………ちょっとなにいってるかわかりません」


「テメェ」


 がっつり袖を掴んどいてなんでもねぇはねぇだろ、おい。

 いつの間にあの変態どもに影響されやがった。下らねぇ駆け引きなんざ無駄なんだよ、おい目ぇ逸らすな。


「舐めてんのかテメェは?」


「こりぇはじぶんのいしでふ」


「ああん? んなことしてテメェに何のメリットがある」


「ありゃがみしゃまと、いっしょにいられましゅ」


 言うに事欠いてそれかよ。


「チッ、あの変態同様テメェも染まってんな。頭腐ってんじゃねぇのか」


「ぷはっ――。それでアラガミ様をとどめておけるなら何でもします。まだ恩も何も返せていないので」


「開き直んな。それと恩返しってのはいつから押し売りになったんだよクソが」


 そのまま手刀をルーナの額に落とせば、今度こそどす黒い殺気が背中を刺した。

 まるで絡みつくようなヘドロを背負ってる気分だ。

 不快感で頭いてぇ。


 そして性懲りもなく後ろから変態の呼び声が飛んでくる。


「あ・ら・が・み・さん? ルーナちゃんとキャハハウフフするのは結構ですけど、ちょーーーっとこっち来てもらっていいですか? 私たちの今後に関わる大事な話があるので」


「……テメェは俺の何なんだよクソが」


 答えはだいたい予想つくが断じてテメェと関係を持った覚えはねぇ。


「あれ? まだなにもいってませんよ? もしかして――」


「…………やべぇ、死にてぇ」


 ニヤつく変態の表情を見て死にたくなったのはこれで何度目だ。

 在りし日の闘争の思い出に浸りながら、ぬるま湯に浸かり切った自分自身に絶望する俺であった。

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