第三話 剣戟と後悔

◆◆◆ ルーナ=ローレリア――


 埃が舞い散り、一つの死体が出来上がる――はずだった。


 それはおそらく刃を交えた両者が考えていたことがことだろう。


 私の眼には一合噛み合った刃しか捉えられなかったが、実際にはその短い時間の中で様々なやり取りが行われていたはずだ。

 現に、いまは倉庫と化していた納屋の壁に無残な刀傷がいくつも刻まれていた。


 結果的に突然の来訪者の一撃はアラガミ様の持つ黒曜と呼ばれる漆黒の木刀によって防がれたが、本来であればどちらかが死んでもおかしくない。


 それほどの剣戟の嵐が一瞬のうちに行われていたことを肌で感じ取った。

 重なり合う音が連続して聞こえ火花を散らす。

 息を継ぐような一呼吸の間。僅かに両者の距離が離れたところで私は耐えきれずに声を上げた。


「アラガミ様、私のことは――」

「いいから黙ってな、せっかく楽しいところなんだから水差すんじゃねぇよ」


 耳元で囁かれる言葉に顔を上げ、言葉を詰まらせた。

 二十はくだらない使徒との戦闘でさえ手傷を負わなかった恩人の頬に薄く紅い筋が伸びている。

 おそらく肉までは達していない浅い傷口。


 けれどその傷は私を気遣ってついたものだと直感してしまった。

 

 頭上から忌々しそうな舌打ちが響き、逆光で輝く男性の方から憎悪の叫びが飛ぶ。

 迫りくる剣の圧。

 本気の殺気というものを初めて知った。

 噛み合う一撃が互いの首筋に伸びては、火花を散らす。

 撃ち合うたびにすさまじい衝撃音と、突風が私を巻き込み、けれど光を反射させる刃の切っ先は決して私に届くことはなかった。


「――くッ!?」


 そして激しい轟音のあと、堪らず後ろに弾かれ後退したのは侵入者の方だった。

 アラガミ様は依然と私の肩を抱きよせ、その場から微動だにしていない。


「チッ――薄皮一枚裂いた程度か。人質がいなけりゃもちっと動けんだがな」

「――貴様ッ!!」

 

 そんなはずはない。アラガミ様は私を守ってくださっただけだ。

 人質なんて――

 堪らず否定の言葉をあげようとしたとき、やや角ばった男の人の指が歯の隙間に侵入し、否定の言葉は意味をなさない音となって口内で霧散した。


 背筋を走る奇妙な感覚が腰を震わせ、驚きよりも先に羞恥心が身体を震わせた。


 あまりに突然の出来事に目を白黒させ指の持ち主を見上げれば、色眼鏡の奥で輝く深紅の瞳が私を射抜いた。

 大きく高鳴る鼓動。

 殺気立つ鋭い眼光が私に黙れと訴えかけている。


「どこを見ているこの下種がッ!!」

「――ッ」


 侵入者の眼鏡の男性の叫びに、再び剣が弾かれる硬質な音が響き渡った。

 そしてその闘争の最中、私は見た。


 輝く青い意匠に胸に刻まれた鷹の紋章。

 ≪至宝の剣≫と名高い四人の聖騎士が束ねる銀翼の騎士団。

 そして王都の宝と名高いオリハルコンの鎧を身に着けた人物と言えば――

 

 そこまで認識し、アラガミ様の考える全ての意図をようやく理解した。


 小さく歯噛みして、唇に血をにじませる。


 どういう経緯で聖王都の騎士様がこの村に訪れたのかはわからない。


 部外者に村の内情を許可なく伝えたり、幇助ほうじょするのは村の掟で禁止されている。

 それは村の価値を守るためであり、集団組織としての尊厳を保つためだ。

 信用の失った集落に未来はない。


 厳格に定められた掟は誰も破ってはならない。


 それは村に住むものなら誰でも知っている当たり前のことだ。


 きっと昨夜、彼らに秘密裏で行われた会議で何かしらの決断が下されたのだ。


 片や村の英雄である大恩ある冒険者。

 片や村に災いをもたらすであろう謎の男。

 どちらを信用すべきかなんて私にもわかっている。


 その両者の関係者であるという理由で、私はその会議に参加することできなかったが、おそらく村の皆は彼のことを知りもしないで村の脅威と断定し、密かに処罰する腹積もりだったのだろう。

 それは私にも秘密裏で推し進められていた計画だったに違いない。


 もし伝えでもすれば、絶対に反対すると目に見えていたから。

 それは昨日、初めて村長である父親に激しく抗議した私の姿が物語っている。


 きっと計画に携わっていた誰かが早朝、納屋に向かう私を見てアラガミ様を逃がすと思い込み、密告したのだ。


 そう考えれば全てのつじつまが通る。


「ごめんなさい」


 無意識に謝罪の言葉が口からあふれた。


 村の者の計画がいつ実行される予定だったのか私にはわからない。

 それが明日か明後日になるのか。それとも彼がこの村から消えるまでか。

 もしかしたら村の者に関わりさえしなければ、そのまま見逃すつもりだったのかもしれないのに。


 わたしの軽率な行動が彼を危険に追いやってしまった。


 全ては、私の愚かさが招いた失態だ。

 これでは子供だといわれても仕方がない。

 

 この激しい攻防の最中、彼はきっと私を置いてどこかへ消える算段をすでに立て終えていることだろう。


 一人置き去りにされた私は確実に村の掟に従い、処断せられる。


 それが死か国外追放か私にはわからない。

 けれど、私の進むべき道に破滅しかないのは確かだ。


 そうならないためにアラガミ様はあえて一芝居打ってくれたのだ。


 少なくとも脅された末の行動だとわかれば、周りの感じ方も変わってくるはずだ。現にこの納屋に突如現れた騎士様は、私が人質に取られていたと勘違いし、激高してアラガミ様を殺しにかかっている。


 わかりやすい悪という構図はすでに出来上がっていたのだ。あとはアラガミ様が自ら作り出した悪役を演じれば、全てが丸く


「(だからアラガミ様は自ら悪役を買ってでて――)」


 彼は初めからそれを狙って、私に余計なことを喋らせないようにしていたのだ。


 剣戟が激しくなる。狭い室内でもお構いなし繰り広げられる戦闘は、納屋に存在する全てを切り倒す。

 一合二合撃ち合うたびに建物が軋みを上げる。

 あと一つ、屋根を支える柱を切り離されれば建物の倒壊は免れない。


 きっと、その瞬間が別れの合図なのだろう。

 まるで誘導するかのように後退するアラガミ様の動きが、その予測に確かな根拠を与えていく。

 急所を狙いあう殺し合いの最中、色眼鏡の奥で深紅の瞳と視線が交わる。

 そして――、


「   」


 言葉は激しい剣戟の音でかき消された。

 拘束していた腕から温かい体温が逃げていく感覚がする。


 いやだ。まだ何も恩返しできないのに別れたくなんてない。

 けれど私がいくら喚いたところで現実はすぐ目の前に迫っている。


 彼の横顔が、今生の別れを物語っている。


 なら――、


 耳元で鳴る焦りの声を確かに聞いた。

 たぶん。私が今後の生涯初めて捉えることのできたほんのわずかな隙。

 

 逞しくそれでいて優しく抱きかかえてくださった腕を自ら振り解き、迫りくる断罪の刃の前に身を躍らせる。


「――ッ!? このバカ」


 切り捨てられても構わない。

 村長の娘の身体一つで、この戦いが終わるなんてうぬぼれもいいところだ。

 それでも、私はアラガミ様とこんな別れ方はしたくなかった。


 全ての映像がスローモーションで流れる。

 眼前に迫りくる白銀の刃。それはまっすぐに私の前に振り下ろされ――


 痛みがやってくることはなかった。

 その代わりに、オーガのような荒々しいアラガミ様の言葉とと同時に、鋭く響く眼鏡を掛けた騎士様の言葉が私の鼓膜を震わせた。


「テメェ死にてぇのか!!」

「ヤクモ=ヤエは無事か!!」


 そうしてお互いの口から間の抜けた声が響けば、私を挟んで睨みだす二人。

 一方はオーガのような形相で相手を睨み、もう一方は侮蔑の感情を込めた鋭い目つきでアラガミ様を凝視していた。


 あまりに突然の言葉に頭が混乱する。

 どうして騎士様がヤエ様の名前を。


 そこまで考えて、迫るように私の目を凝視する天色あまいろの瞳に不思議な光が灯った。


 正直にしゃべらなきゃ。


 不意に溢れ出した、謎の使命感が私の唇を勝手に動かしていく。


「あ、あのヤクモ=ヤエとは、女の聖騎士様のことですか?」


 気付いたときにはもう遅かった。

 慌てて口に手を当てると飛び掛からんばかり勢いで私の肩に指が喰い込む。

 咄嗟の痛みに顔をしかめるが、眼鏡を掛けた騎士様は必死の様子で声を荒げ、私の肩を激しく揺すってみせた。

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