第二話 這い寄る喧騒

 らしくねぇことをしたと今でも自覚しているが、いくら悩んだところで過去は戻らねぇ。つい、クソ神の言いなりになってただ不幸を嘆く馬鹿どもとルーナが被ってらしくないことまで語った気がする。


 だがいずれは誰かか教えなきゃ無ねぇことだし、苛立ちが我慢できなかったからしょうがねぇ。

 そしてしょうがねぇついでに、俺がこうして食事に没頭していたとしても何ら問題はないはずだ。


 適当に作り上げた簡易スペースに腰を降ろせば、同じように隣に座るルーナが三つ目のパンを俺に手渡してきた。


 口に詰め込む食材の味が俺の味覚を刺激してくる。

 瑞々しい葉野菜を噛み千切れば、あとからやってくる甘い肉汁と調味料の塩気が口に広がり、口の中を覚醒させる。

 日ノ本にいた頃は旨い不味いの二択しか感じなかったたが、そういう訳かこの世界に来てからというもの味覚の幅が広がった気がする。

 食材一つとっても同じ味わいが存在しないのには驚いた。


 覗き込むように俺の食事風景を観察するルーナはどこか嬉しそうに俺の喰いっぷりを凝視して、続く新しいパンをよこしてきた。


「……にしてもうまいなこれ。なんていうんだ」


「あっ、サンドイッチです。こっちは卵サンドでその、不格好ですけど頑張って作りました。その、……お口に会いましたか?」


「ああ、初めて食ったがなかなかだな」


 そうですか、とぎこちなく言葉を溢して、真っ赤になって俯くルーナ。

 これでも俺は他人の機微に鋭い方だ。間違ってもあの唐変木とは違う。

 

 明確にそれが何かと口にするのは俺らしくないが、説教をかます前と今とじゃ明らかに表情に違いがある。


 まず、その琥珀色の瞳だ。

 柔らかく俺を見つめる瞳にあるはずのない熱を感じる。まるで熱病に浮かされたようなその表情にはどこか身に覚えがあり、俺みたいなクズに向けられるようなものでない事だけはわかった。

 サンドイッチを受け取る際に小さく声を漏らし、慌てて手を引く仕草など既視感がありすぎて頭が痛い。

 

 ったく俺がどんなクズか知らないから、そんな曖昧な感情が抱けるのだ。

 取り繕った外面だけ判断すると痛い目を見ると知らねぇのかこいつは。


 女って奴は時に男以上に単純になるから嫌になる。


 これもガキ特有の勘違い衝動だ諦めるが――


「お前も趣味がわりぃな」

「――へっ!? ななな、なんですか?」


 ボソッと小さく呟くと、過剰な反応が返ってきた。

 後ろの変態もそうだが、どうにも女って奴はわかりやすい生き物だ。感情を隠すなんて当たり前のことをしようとしねぇ。

 そこが美徳の点であり、行き過ぎればあの変態のように欠点になるわけだが。


 そのわかりやすすぎる反応に苦笑し、炒り卵を挟んだサンドイッチを目の前に突き出してやった。


「なんでもねぇよ。――ほらテメェ喰え」

「えっ?」


 一瞬、目を瞬かせ、言葉の意味を理解することに努めるルーナ。

 からかっている訳ではない。ただ反応が面白いだけだ。

 ククッと喉を鳴らして目まぐるしく変わる面相ぶりを眺めていると、ようやく思考が追い付いたのか、一瞬で湯だった顔を紅潮させるルーナがわかりやすく狼狽え始めた。


「……いらねぇのか?」

「い、いえ。そのお気持ちだけで、その、十分です。私は家で食べてきたので。それに私までいただいてしまったらヤエ様の分が――」

「だとしてもこの量は多すぎんだよ。んだよ、これ。軽く五人分あるんじゃねぇのか? それともテメェは俺を牛かなにかと勘違いしてんのか?」

「その、少し張り切りすぎちゃいまして――じゃなくて、とにかく結構です。そんな直接口に押し付けて頂かなくても――」


 と言った所で派手な腹の虫が鳴った。

 思考はともかく身体は正直なようだ。あっ、と小さな声を漏らしその細い腹部を抑えるルーナ。徐々に瞳に水の幕が張りだし紅く俯く顔からは「すみません」とか細くなく声が聞こえてきた。


 やりすぎたか。

 まぁここら辺が潮時だろう。あまり弄って泣かれても面倒だ。

 いちいち俺の目を気にして「はしたない奴だって思われたらどうしよう」と小声で呟く幼いガキに助け舟を出してやった。


「この食料がテメェ等の村でどれだけ貴重なもんかはわかってんだ。遠慮して我慢するくらいなら、さっさと喰っちまえ」

「……では、失礼します」


 するとようやく観念したのか、ひな鳥が餌をねだるように小さな唇を開け瞼をきつく閉じるルーナ。

 まったく、少し甘い言葉をささやかれた程度で心が傾く程度のにはこのガキもまだ子供だという事だろう。

 いままで感情を抑圧してきた分、他人への甘え方を知らねぇのかもしれない。


 コイツに限ってないとは思うが、あの変態のような趣味に傾かないことを祈りつつ、卵サンドをその小さな口に押し込んでやった。

 

 朝日が格子の隙間から零れ、埃臭い納屋に明かりを入れる。

 どの世界でも朝は同じようなものなのだろう。

 異世界に飛ばされようやく一日たつがあまり違和感は感じない。


 それでも一つ確信していることがある。


「(まぁ、こんな静けさがずっと続くわけねェか)」


 格子の外を一瞥し、確信にも近い予感を噛み締め、サンドイッチを飲み下す。

 まぁ俺には関係のねぇことだ。敵なら敵で叩き潰せばそれで終いだ。


 いまは手に入れた束の間の平穏を味わったって罰は当たらない。


 そうして黙って食事をすることしばらく。

 完全に会話が途切れた。

 他人を気遣うなんて殊勝なこと俺ができる訳がねぇ。

 実際、会話が途切れてやることと言えば食事に没頭するだけである。


 小動物並みにチマチマとお手製のパンをかじるルーナと目が合えば、弾かれたように大きく肩を震わせる少女の口から突然、妙な奇声が漏れだした。


「それにしてもヤエ様。起きませんねよっぽどお疲れだったのでしょうか」


 沈黙に耐えかねての話題提供なのだろうが、話を変えるのが実に下手糞だ。

 ――が、あえて指摘して泣かれるのも面倒なので、適当に会話に合わせてやる。


「どっちかってぇと、この変態を相手した俺が一番疲れてんだがな」

「それは、その――おつかれさまでした」


 ガキに労わられるのがここまで精神的に来るとは思わなかった。

 しかし振り返ってみると――、


「あれはひでぇなんてもんじゃねぇな」

「たしかに私もちょっとあれは――」


 そう言って言葉を濁す変態の親友が、どこか遠い目で天井を見上げる。

 ため息交じりに頭を振れば、いまも網膜に焼き付いた光景がありありと思い浮かび、その惨状はまさしくカオスだった。


 説明すればいた問題は至って単純だ。


 使徒戦後。

 鼻血を派手にまき散らし気絶したヤエを肩で担ぎ、村に向かえばそこに待ち構えていたのは、歓迎ではなく拒絶だった。

 初めは歓待の言葉を口にしかけていた姉妹の親父も、俺を見るなり徐々に血相を変えて震えはじめた。

 おそらく俺自身にかかった呪いを本能的に察知したのだろう。村長の動揺を呼び水に村の住人にも不自然な恐怖が伝播していくのがわかった。


 そこまでの流れはすでに予想済みだ。いつも通りの反応だったし、俺も長居する気はなかったから別にそれでよかった。


 所詮はすれ違うような僅かな出会いだ。涙を呑んで別れを惜しんでいたらそれこそキリがねぇ。

 

 しかし問題は後ろで暢気に寝こけたクソ変態だ。


 怒りに我を忘れて喚き散らかす程度ならまだいい。

 

 この野郎。よりにもよって大衆の面前で自ら奴隷宣言なんぞふざけた奇行に走りやがった。


「わかるかルーナ。俺のあの時の絶望を。いままで糞みてェな人生だったがあんな屈辱生まれて初めてだったぜ」

「――心中、お察しします。でも、あの、村の皆にはきちんと誤解だって伝えておいたんでその――すみません」

「わりぃと思うならこの変態殺しちまってもいいか? もう我慢ならねぇ」


「ふぇふぇふぇ、しょれほどでも――」


 いまも幸せいっぱいですといったアホ面が憎い。


 なにがこの変態雌犬の素敵なご主人様を愚弄するな、だ。

 人をありもしねぇ変態加虐趣味のクソ野郎に仕立てあげた挙句、ものの見事に俺まで巻き込みやがった。

 あまりにも久しぶりにブチ切れっちまったから、容赦なく黙らせ空き家に放り込んでやったが、逆に喜んで受け入れようとするからなおたちが悪い。


 筋肉もろくについてねぇ身体のくせに、鳩尾に三発いれても笑って耐えるこいつの根性はどっからくるんだ。


「昨夜も唐突に目覚めたと思ったら抱き着いてきやがった。こいつの執念は一体どうなってんだよ、クソが」

「それほど身近にアラガミ様がいるか心配だったのでしょう。それがちょっと暴走しすぎてしまっただけで、悪い人じゃないんです。ただその、情熱的なだけなんです」

「……なぁ、フォローしてて悲しくならねぇかお前」

「ごめんなさい。ちょっとあまりにも昔とかけ離れすぎて私もいっぱいいっぱいなんです。あの頃は本当に格好良くて私の自慢大友達だったんですけど――」


 ですけど辺りに悲壮感が漂っている。

 まぁ村の英雄とまで言われた奴があそこまで変態だったらさすがにショックだろう。

 まさか、この俺が他人に同情する日が来るとは思わなかった。


 そして壁に立掛けた黒曜に手を伸ばせば、不思議そうに俺を見つめる琥珀色の瞳と目が合った。

 その開きかけた唇に人差し指を押し当て黙らせる。


「――ッ ――――!!」


 かすかに聞こえた人間の息づかい。

 この村には少なくとも三十人以上の住人が身を寄せ合うように暮らしているのだ。人の気配があったって何ら不思議じゃない。


 ただ、早朝の日課にしては異様な賑わいだとは思ってたが、か。


 私生活で着ることのねぇはずの擦れあう金属の音に、僅かな鉄臭い香りが建物全体を囲うように展開されている。

 数にして、二十ってところか。


「――さて、そろそろだな」

「えっ?」


 腑抜けた声が漏れた途端、樫の扉が半分軋むほど強い衝撃が響き渡る。それは上品なノックとは程遠い荒々しいもので、悲鳴に身をすくませたルーナが俺の身体にしがみついてきた。


鹿からして朝からろくなことにならねぇ予感はしていたが、まさかこうなるとはなぁ」

「それって――」


 言いかけた声は結局言葉を形作ることはなかった。


 ルーナの肩を抱き飛び退くのと破砕音が響き渡るのは同時だった。

 分厚い樫の扉が来訪者の足によって踏み倒され、飛んできた木材の飛沫を黒曜で打ち払う。

 そして礼儀知らずの侵入者へ視線を飛ばしたとき、眼前に広がる黒いシルエットから放たれる鋭い一閃を放つ凶刃が、容赦なく振り下ろされた。

 

 こうして静かな朝は終わりを告げた。

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