第一章 GOD EATER

第一話 Call of Tempest ~嵐の呼び声~

◆◆ 荒神裕也――

 

 無意識に鼻を動かせば爽やかな風の匂いが鼻腔をくすぐる。近くに森があるせいなのか肺に取り込む酸素がやけに冷たく感じられる。

 わずかに湿った匂いを全身に取り込み強制的に脳の覚醒を促せば、徐々につられて身体の内側で眠っていた感覚器官が呼び覚まされた。

 

 朝か。


 黒い視界に僅かな光がかかり、うっすらと瞼を持ち上げた。

 辺りを見渡せば、格子の窓から零れる朝日が角材や薪などが雑多に並ぶ埃臭い納屋が朝日に顔を覗かせ、その腹の内を明かし始める。

 それほど物は溢れ返っていない雑多な空間。それでも人が生活できるような環境ではないのは確かだ。昨夜は暗がりで気付かなかったが薪や角材の他に、錆びついた鉈や斧が置いてあるところを見ると倉庫に近いのかもしれない。

 それでも以前は誰かがここに住んでいたのだろう。申し訳程度にしつらえられた二組のベットが隣り合うように重なり、人が住んでいた名残りを物語っている。

 


 昨晩は諸々の事情であまり眠れなかったが、まあこんなに気分がいい朝は久しぶりだ。不幸にも日ノ本で生きていた頃は取り込んだ穢れの汚染が最終的に魂まで及んで眠れない日々が続いていたため、この程度の浅い眠りでもよく寝たと感じられた。


 あとはこいつがいなければもっと快眠できたのだが――


 そうして硬いベットの上に視線を向ければ、そこには口元からよだれを垂らしイビキで小さく洟を鳴らすヤエの姿があった。


「……ったく、男がいるってのに無防備なもんだなコイツは」


 むしろ、清々しいくらい堂々と無様を曝す姿を見るとその図太い神経に呆れを通り越して逆に感心させられるから不思議だ。

 薄いインナーとハーフパンツという出で立ちでスヤスヤ寝こけている。


 ベットの上に散らばった黒い髪に、女特有の丸みを帯びた肉付きの身体。

 年齢からしてもおそらく喰いごろだろうその身体は、中身はともかく若い馬鹿なら放ってはおかないだろう。


 現に、ここの村人の若い男どもの多くがこの変態の整った容姿に魅せられ、呆けて目を追っていた。


 中身が腐ってるとも知らねぇで暢気な奴らだ。


 男と女が夜に床を共にすれば、ある程度の奴はを連想するようだが、あいにく俺の頭はそこまで緩みきっていない。

 外面はそこそこ見れても中身がゲテモノじゃ、襲う気にもならねぇ。


 そんなわけで一切の未練なく視線を外し、大きくあくびを噛み殺した。

 

 久しぶりに横になって寝てもみたかったが変態がいる以上それは諦めるしかない。

 現に寝込みを襲われたのだ。

 その全てをことごとく返り討ちにし、沈めてやったが、この変態の前で無防備に寝ればどうなるのかは昨夜の攻防を経て十二分に理解した。


 もう同じ過ちを犯すことはないだろう。


 大きく息をつき身体をほぐす。凝り固まった身体が血液の流れと共に徐々にほぐれていく。


「――っ」


 扉の向こう側に人の気配を感じ、瞬時に黒曜に手を伸ばす――が、すぐに思い直して様子をみた。

 少なくとも外でまごつく人間の気配に敵意や悪意といった類の感情は感じられない。

 現に扉が三度、規則正しいリズムを刻みだせば、俺の中で張り詰めていた警戒心はあっけなく霧散していった。


 敵意を持つ者ならばこんな愚行を侵さない。

 本当に俺に敵意を持った人間ならば、闇に乗じて謀りごとを企てる馬鹿どもの方がまだ利口だ。


 のか何度も躊躇う気配を見せては戸惑いの声を僅かに漏らす来訪者。

 「――の最中だったらどうしよう」などと掠れた声を口づさむ少女の声には聞き覚えがあった。

 あまりにもトロいので、苛立ち扉をあけ放つ。

 その建付けの悪い樫の扉からの向こう。驚いたように目を丸くするルーナと目が合い、そして明るい微笑みと共に朝の挨拶が飛んできた。


「あ――、起きてらしたんですね。おはうございますアラガミ様」

「……なんの用だ」


 少なくとも昨日の一件で誰かがここに尋ねてくるなんてことはないと思っていたのだが――。

 

「あの、ご迷惑でなければ、こんなものをどうかと思いまして」

「なんだそれ。毒か?」

「そんな違います!? 昨日から何も食べてらしてないので、その――、簡単なもので申し訳ないのですが、朝食です」

「冗談だ。んなに慌てなくてもわかってる。……入れ」

「はい、その――。失礼します」


 なぜか赤面して部屋の中に入るルーナ。

 自分達の村の私物がそんなに珍しいのか? 忙しくあたりを見渡しては、僅かに鼻をひくつかせ、小さく安堵している姿があった。

 それでバレていないつもりなのだろう。


「――ああ、なるほど。ませたガキだな」


 何をためらっていたのかだいたい察しがつき、悟られないよう口の中で言葉を転がす。

 その気色悪い想像が一周回って怖気を感じさせるが、そういう年頃なら仕方がねぇ。あえて見ないふりをしてやるのも一つの優しさだろう。


 そのまま促すように適当にスペースを作ってやれば、素直な言葉が返ってくる。


「ありがとうございます。それでその――、昨夜はよく眠られましたか?」

「……そいつは皮肉で言ってるのか」


 だとしたら耳が痛いが、どうやら違うらしい。

 悪意の感情一片たりともねぇ、曇りのない眼で首を傾げられた。


 はあるのに、まだイメージが結び付けられないあたり相当の箱入りのようだ。

 十六でこれかと呆れたくなる。

 こうも純粋なガキだと扱いに困る。もし悪意の類が少しでもあったら速攻でその首をはねているんだが、皮肉が通じねぇ奴は何ともやりにくい。


 その点で言えば、目の前の少女の妹も同じような類で面倒くさい部類に入るだろう。

 ふと貧民街のクソガキどもの顔が頭にチラつき、吐き捨てるように舌打ちする。


 今更見捨てた奴らのことなんざどうでもいい。


 灰がかった髪を掻き乱して欠伸をしてみせれば、小さく堪えるように口元を抑えるルーナの口から笑いが漏れだしてきた。


「やっぱり、寝かしつけるのは大変でしたか?」

「ああ、最悪だった。昨日も三度起きて三度とも飛び掛かってきやがった」

「ふふっ、そうですか。そうだと思いました」


 まぁ、あんな現場を見ちまえば俺の苦労も容易に想像できるだろう。


 右腕に吊った籠を持ち替え、重い樫の扉を閉めるルーナ。年齢のわりにはよくできた娘だが、その表情はどこか同情の色を含んだ苦笑に満ちている。


「よく眠ってますね」

「ああ、ただ眠ってるだけなら何ら問題なかったんだがな」


 その視線の先を追ってやれば、そこにはだらしなく腹部をさらけ出し、今も愉快な寝言を口にするクソ女がいた。


「こいつと二人っきりってのは別に意味で精神的によくねぇ」


 すると今まで無邪気に表情を変えていた少女が言葉を詰まらせ、開いた口をゆっくりと閉じて目を伏せた。


「――その、ごめんなさい」

「ありゃテメェのせいじゃねぇだろ、いちいち気にすんな鬱陶しい」

「……いえ、それでもみんなを説得できなかった私の責任です」


 冗談で吐き捨てたつもりだったが、どうやら本気にさせたらしい。

 わかりやすく肩を落とし項垂れる少女の顔に暗い影が差しかかった。


「命を救われておきながら恩をあだで返しました。本当なら家に招待しないといけないのに、謝礼を述べるどころかこんなあばら家に押し込んで、……私の父が無礼を働きました。本当にごめんなさい」


 焼けたパンと肉の香りが漂う籠から手を離す少女の右手が微かに震えている。

 よほど後悔していたのか、よく観察すると目元にうっすらだが隈が浮かんでいた。


 ということはこの食料提供はその贖罪の証というわけか。

 ガキのくせに律儀な奴だ。後ろで寝ている変態にも見習わせたいくらいだ。


 湿気た謝罪が室内に溶けて消える。


 顔を上げるのを待ってはみたが、深々と腰を折った身体はピクリとも頭を上げようとはしない。

 それがこのガキにできる精一杯の誠意なのだろう。

 それでもまだ満足できないのか、ようやく顔を上げた少女の顔には後悔の色が張りついていた。


 『テメェの自慰じい行為に付き合うつもりはねぇ』と突き放すのも、

 『別に責める気なんてさらさらねぇ』とフォローするのも簡単だ。


 前者は、背伸びしたがりのガキに対しての叱責。

 後者は、純粋に俺が感じた本心だ。


 だがこの女はそんのどちらの気休めを口にしたところで納得しないだろう。

 どうせあとで昨日の出来事を思い返し、勝手に自責の念に駆られるに決まってる。

 こういう馬鹿は何人も見てきた。


「はぁ――、で、俺はなんて言えば正解なんだ。いつまでも睨めっこしてる趣味は俺にはねぇぞ」

「――ッ。そう、ですよね。すみませんでした」


 正直、相手するのも面倒くせぇがこっちにも一宿一飯の恩がある。


 ここで適当にあしらうほど俺は恩知らずじゃねぇ。

 受けた恩は恩で返し、受けた屈辱は十倍にして返すのが俺の信条だ。


 短く嘆息し、俺はあえて受け取った籠の中を無遠慮にあさると、パンと肉それからは野菜の挟まった軽食を右手で鷲掴み、口の中に突っ込んだ。

 「アラガミ様?」と不思議そうな見上げる瞳と久しぶりに視線が交わる。


 ったく、他人を気遣うなんざ俺の柄じゃねぇってのに――。


 そのまま口の中の何度か咀嚼したのち、ルーナを見下ろし口の中の食べ物を嚥下すると、何でもないように口を開いた。


「大体、テメェが気にするのは筋違いだろう。謝罪ならテメェのおやじにさせろ」


「けど。私は、村長の娘で――」


「責任と私情をごっちゃにさせてんじゃねぇ。何度も言わせんな、テメェは謝り、俺は気にしてねぇ、それでこの話は終いだ。……だいたい、こんなならず者のチンピラに家を貸すよう交渉しただけでも上等なんだ。テメェみたいなクソガキがこれ以上、無理に取り繕って大人ぶる必要はねぇんだよ」


「大人ぶってなんかいません!! 私は、もう――」


「大人か? そう言ってる時点でお前はまだ子供なんだよ」


 彼女がこうまで意固地に大人ぶるのは、その魂の根底に責任という見えない鎖が絡みついているからだろう。

 まるで息継ぎの仕方を知らねぇ赤子だ。同情を通り越していっそ哀れだ。


「どういう教育を施されたのかは知らねぇが、テメェの親父は俺と同じくらい狂ったクソ野郎だな。テメェの話を聞いてると虫唾が走る」


「そんな!? 父は、悪くありません。悪いのはちゃんとできない私で父では――」


「そこで自分を否定するよう教育された時点で、擁護もへったくれもねぇんだよバカが。ここまで追い詰められといて、何も気づかねぇとは哀れを通り越していっそ滑稽だな。一生、クソ親父の奴隷でテメェは満足なのか?」


「……私は村長の娘としてちゃんと責任を果たしています。無理なんて、してません。例え恩人のあなたであろうとその発言は許せません。撤回してください」


 初めて噛みつくように睨みつけてくる琥珀色の瞳にはっきりとした怒りが宿る。

 おそらくこれが彼女の素なのだろう。

 無理して仮面をかぶっていた頃よりだいぶ人間らしい表情だ。


 だが――。


「まだ足らねぇ。そうして依存先を守ってねぇと安心できねぇんだろ? だが、その依存先がなくなったらどうなるかテメェは考えたことあるか?」


「それは――」


 そこまで言って、言い募っていた言葉の勢いが初めて萎みだした。


 おそらくその先のことなど考えたこともなかったのだろう。


「全て父の言う通りにしていれば間違いない。父の期待に応えれば道を示してくれる。だから期待に沿えるように早く大人になればいい――、大方こんなところか」


「どうしてそれを――?」


「自分で言っておいてなんだが吐き気がするくらい甘い考えだな。そんでもって、テメェがどれだけの甘い考えで生きてきたかわかったか?」


 依存だって別に悪くはねぇ。

 何かを支えにして生きていく人間なんざこの世にごまんと居る。その全てを否定するつもりはさらさらねぇ。

 だが問題なのは依存先が永遠のものであると勘違いし、離れられなくなることだ。


 そのクソ親父の命も有限だ。いつか必ず終わりが来る。


 こいつはその当たり前の事実から無意識に目を逸らしていた。だから一度誰かに指摘された程度でこんなにも狼狽える。


「まるで迷子のガキだな。これで大人だってほざくんだから笑えるぜ」


 他人の言いなりに生きてきた人間の末路は悲惨だ。


 期待にそえねば、使い捨てられ交換される。

 そんな中でも死に際に幸せだったと言い聞かせて死んでいく人間は哀れで惨めだ。


「結局、テメェは自ら考え行動することを放棄し、クソ親父にいいように使われてる未来に甘んじた傀儡なんだよ。そこに気付けなきゃテメェはいつまでたっても独り立ちなんざできねぇ。大人にはなれねぇんだ」


「……ならどうしろと。父は、私に期待しています。次期村長として色々なことをできるようになれと、もっと精進しろと。日々、指導してくださいます。その期待を裏切った私はどうすればいいんですか?」


「んなもん簡単だ」


 そこで言葉を区切り、はっきりと言い放つ。 


「テメェはテメェらしくただ自由にしてればいいんだよ、バカ」


 そう言って無意識に伸びた指先が少女の髪に触れた時には全てが遅かった。

 ここは貧民街じゃねぇ。ゆえに頭を撫でろとうるさくせがんでくるクソガキどもは皮肉にもいないのだ。

 しかし気付いた時には後の祭り。

 身構えたようにきつく目を瞑る少女の姿に見かねて、中途半端に伸ばした手をそのまま丸みのある頭にのせる。亜麻色の髪を指で梳いてやれば、指の間からすり抜けるような感覚と共に、僅かに小さな声が漏れ出た。


「責任なんざ勝手に生きてりゃ嫌でもついて回んだ。いまのうちから肩ひじ張って、何かしようなんて気張らなくたって、何とかなるもんなんだよ」

「……そんなこと、初めていわれました」

「それだけテメェはまだまだガキで人に恵まれてねぇお子様ってことだ。まぁ、人に恵まれねぇってところは俺も似たようなもんだったがな」


 視線を落とせば、気恥ずかしそうに視線を逸らす少女が先ほどとは違う色を頬に浮かべて俯いていた。


「……こ、子ども扱いしないでください。私、これでも成人してます」

「俺から見りゃまだまだ甘えたがりのガキなんだよ、テメェは」


 額を小突いてやれば呻くようにして、額を抑え、正面から唸り声が上がる。しかしその顔色は先ほどまで湿気た面を浮かべていたよりよっぽどマシで子供らしい少女のあどけない笑顔だった。

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