隠章 神、下界を見下ろす

幕話 神々の戯れ

 不滅の楽園、アルレヒア。

 それが僕らが作った世界の総称ならば、は一体何と名付ければいいだろうか。


 人間の尺度で言えば天界とも取れる天上の奥の奥。大空に隠された深淵の先に地上を見つめる四柱の神がいた。

 そのうちの一柱。信仰神の役割を持つトールは、飾り気のない椅子に腰かけ生まれたばかりの新たな世界をディスプレイ越しに見守っていた。


 ここに正式な名前はない。

 

 僕は適当に、悠久の間と呼んでいるが呼び方は様々だ。

 神々の安息所、天上の庭、エトセトラetc.

 見渡す限りなにもないようで何でもある世界。望めばすべてが叶い、実現する全ての可能性を内包した世界だ。

 現に喉が渇いたから適当にイメージすれば、手のひらに収まる金のゴブレットに並々注がれたネクタルが現れる。


 神の僕が言うのもなんだが、便利な世界である。

 

 ネクタルを口に含み、下界を覗くための『ディスプレイ』から視線を外せば、そこには三人の弟妹きょうだいが、父上に与えられた各々の仕事に熱中していた。


 五柱教と名がつく通り本来なら五柱いなければおかしいのだが、一柱はいまもに留まることを自ら望み、僕らの指示を受けて今も活動中だ。

 まったく熱心なことで頭が下がる思いだが、父上から与えられた任務は千年や二千年程度で終わるような仕事じゃない。


 僕らは世界の始まりから終わりまで、世界を管理し見届けるのが仕事だ。

 そんなに頑張り続けたら、いつか精神の方が参ってしまう。


 というのは建前で、ただでさえ弟妹から頼りない兄という情けないレッテルを張られているのだ。正直、これ以上弟に頑張られると長男としての僕の立場が危ういのでもう少し手加減してほしいと思う今日この頃だ。


「まぁ無理してなければそれでいいんだけどね」


 そう呟いて、ネクタルを口に含み大きく息をつく。


 今日も今日とて世界は平和だ。

 そんな静かな職場で役目を全うしていた何でもない一日。


 悠久の間に苛立ちげに物に当たり散らす弟の声が響き渡った。

 何事かと後ろを振り返れば、神をも射殺す鋭い眼光が飛んできた。


「あーもう!! おい、どうなってんだトール!!」


「どうしたロキ。そんな難しい顔をして。お前がそんなわかりやすく感情を振りまくなんて珍しいな」


「どうもこうしたもあるか!! 俺様が送り出した白の十三番が全滅した。それもたった二人の人間相手にだ」


 ブスッとした頬を膨らませ、ガリガリと頭を掻きむしるロキ。

 よほど悔しいのか鋭い犬歯をむき出しにして、天上に吠え立てる姿はまさに獣だ。


 しかし、ロキが制作した使徒が破れるなんて五年ぶりか。

 珍しいこともあるものだ。


「それ本当なの? 邪神に返り討ちにされたとかじゃなく?」


 いままでディスプレイに視線を落とし眉をひそめていた妹も、さすがにロキの叫びに興味を引かれたのか会話に加わってくる。

 水と緑を混ぜた柔らかい髪を指先で払い、顔を上げればその会話にその表情はどこか驚きと怪訝に満ちていた。


「戦神の俺様が作った作品が土着神程度の神格に壊されると本気で思うかフレイヤ。見ろ!! 確かに送り出した始まりの森で消失を確認した」


「あら、本当だわ。――へぇ私たち創造神に牙を剥くようなそんな罰当たりなことする人間もいるのね」


 投げてよこしたディスプレイに視線を落とし、驚きに口元を抑えるフレイヤ。興味深そうにその結果だけを凝視し「見てみたかったな」と呟いている。

 時間を戻せれば、それも可能だが僕ら神とて万能ではないのだ。

 父上ならまだ可能だったかもしれないが、僕らにその権能は授けられていない。

 

 ゆえに、実際に使徒をことごとく打ち倒した光景を見たのはロキだけであり、僕らはあくまでその結果を知ることしか許されていない。

 

「しかしあの神が堕ちるとは想定外だったけど、こんなハプニングも起きるとは残念だったね、ロキ」


「お前が俺様に指示したことだろうが!? なに他人事のように頷いている!! せっかくの連勝記録を更新していたというのにこれではまたリセットではないか!!」


「僕に当たるなよロキ。僕だってショックなんだ。せっかくこれまで順調にいってたのに……これでまた仕事が増えた」


 わかりやすく肩を落とすと、俺の肩を叩いて慰めてくれるフレイヤ。

 その表情はどこか苦笑気味だ。


 まぁ世界を運営していればこういう時もあるのはわかっていたが、手に塩欠けて見守っていたものが消えるのはいつ直面してもキツイ。


「ご愁傷様、トール。せっかく各国で余計な争いを生まないように分散してた信仰下だったのにね」


「まぁアルレヒア全て見渡せるわけじゃないからね。でもよほど信仰が廃れなければこうはならないんだけど、……一体、彼らは何をやらかしたのやら」


「そういう私も最近残業続きで大変だわ。ほんっと魔物の出現もここのところ確かに活発になってきてるし、これって異常じゃない?」


「まぁ環境担当のフレイヤの愚痴もわかるが、問題は俺様のほうだ。……どこに始末してもらう?」


「ロキがもう一度、強力な使徒を送ればそれで済むことじゃない?」


 フレイヤのいう事はもっともだ。

 ロキの制作した使徒はなにも白の十三番だけじゃない。それはあくまで最下層の邪神を相手にするものであって、もっとランクの高い使徒などごまんと居るだろうに。

 しかし、妙なこだわりを持つのがこの男だ。

 首を横に振り方をすくめてみせた。


「二度も敗北する趣味はない。それにもう一度、使徒を送って敗れてみろ。今度こそ俺様たちの信仰の沽券にかかわる」


「お前が敗北を勘定に入れるとは珍しいな」


「また敗北するのが怖いだけなんじゃないかしら?」


「ふん、冗談。そもそもこんな雑務。俺様が手を悩ませるより人間どもに任せた方がうまくいくと思っただけだ。断じて他意などない。断じてだ!!」


「はいはい。それで貴方はどこに任せた方がいいと思うわけ?」


「あまり辺鄙な国に任せると俺様の仕事が増える。かといって邪神このまま野放しにしておくわけにもいかない。知恵を貸せ兄妹!!」


 そう言って肩眉を上げてみせるロキ。

 いや、それ完全にお前の事情だよね? という言葉は兄の情けで飲み込んでやる。

 すると呆れかえったように額に手をやるフレイヤが、僅かに肩をすくめてみせた。


「なら聖王都のアルビニオンでいいんじゃない? 私たちに従順だし、ここらへんでご褒美上げてもいいんじゃないかしら?」


「フレイヤ。これは父上から任された公務だ。私情を挟んではいけない」


「はいはい。――じゃあ前にエルが地上に送りだした十四番目の子、名前なんだったけ? とにかく彼女に片づけてもらえば? ねぇエル? ……エルマネシュ?」


 いくら呼んでも返事がない。

 この悠久の間に端などないがそれでもかなり離れた場所で膝を抱え、ディスプレイを熱心に見つめている。


「エル。フレイヤが呼んでるぞ」


「ふえっ!? ……え、なに?」


 僕の言葉にようやく反応するエルマネシュが周囲を見渡し、疑問符を頭に浮かべていた。

 まぁ彼女らしいといえば彼女らしいか。


「だから邪神の件、十四番目の転生者に任せていいでしょって話。聞いてた?」


 フレイヤの声に、両耳が激しく動いたのを僕は見逃さなかった。

 徐々に紅潮していく頬が興奮に色づき、我が妹ながら勇ましい足取りで駆け寄ってフレイヤの手を取るエルマネシュ。

 その瞳は今まで以上に強い輝きで満ちていた。


「ええそうね。それがいい、それがいいわフレイヤ。私も大賛成ッッ!!」


「? 他の世界から魂を引っ張ってくる転生の仕事がなくて暇なのはわかるけど地上観察もほどほどにしなさいよ?」


「わ、わかってるわよもう――」


 そう言いつつもチラチラと画面が気になるようだ。まぁこんな仕事をしている以上わからなくはないが。

 耐えかねてフレイヤが額に手を当てて顔を横に振りだした。


「なに? お気に入りの子でも見つけた?」


「いつものあれじゃないのか。異世界のアニメだっけ? それに熱中してたんじゃない?」


「またなの!? 仕事に集中しなさいといったら何度――ええい、話を聞きなさい!! というかなに隠してるの? また何か企んでるんでしょ。吐け、そして見せなさい!!」


 ディスプレイを覗き込もうとするフレイヤから必死に見せまいと隠そうとするエルマネシュ。

 何をやっているのか知らないが大変微笑ましいものである。

 僕とロキじゃこうはいかない。


「そそそ、そんなんじゃない。そんなんじゃ、――ないったら」


「――といって、めっちゃニヤけてるし。もう!! ちゃんとしてよ? 私たちはお父様から直々に次世代の多種多様の世界の世界運用の試験を直々に任せられてるんだから。私、貴女が一人お父様に叱られる姿なんて見たくないんだからね」


「――うっ!? そ、それは確かに嫌だ」


「だったらちゃんとなさい。だいたい貴女いまの仕事がどれだけ重要か自覚してるの? なんてテスト今までやったことないんだからね? 不確定要素の魂を加えることがどれだけ危険なのかは魂と転生を扱う貴女が一番よくわかってるでしょう。貴女にしかできない仕事なんだから、私情を挟んでご破算になりましたなんてことだけはやめてよね!!」


 フレイヤのお説教が始まった。

 巻き込まれたら面倒だと呟き闘争の準備にかかるロキの腕を掴んでみせる。

 「離せこの馬鹿!!」と言われて離す馬鹿はいない。

 

 フレイヤの説教は、この手の話になると一年ほど続くのだ。それを一人で耐えろというのは酷というものだろう?


 死なばもろともだ、ロキ。


 うんざりしたように唇を尖らせるエルマネシュ。

 我が妹ながら可愛いが、それは火に油を注ぎかねないぞ。


「わ、わかってるってばそれくらいうるさいなぁもう。私だってお父さんの末の娘なんだから公私混同なんてしません。その、………………たぶん」


「なーんーでーすってぇ!?」


 案の定、怒髪天に髪が赤く燃え上がるフレイヤ。

 すると身を激しく縮ませるエルマネシュが神速の速さでロキを身代わりにした。


「ロキ助けて!! フレイヤがイジメる!?」


「ちょっと、イジメてるって何ですかイジメるって!!」


 フレイヤの鉄拳を容赦なく顔面にもらうロキ。許せ。

 それでもロキの表情に怒りはない。むしろ盾にされているとも知らずにデレデレと表情を緩める姿は大変気色が悪い。

 相変わらず兄として頼られるとめっきりに妹に甘くなる奴だ


 拳でめり込んだ顔面を整えたロキが様子で場をとりなしはじめた。


「まぁーまぁーフレイヤ、エルも反省しているんだ。この文字通りめり込んだ俺様の美貌に免じて、姉妹喧嘩はほどほどにしようぜマイシスター?」


「ロキ、マジキモイ」


「フォローしてるんだがそりゃないだろエルッ!?」


 まさに諸行無常である。

 そんな愉快な家族を背に、なんとなしにディスプレイを開く。


 それは毎度見慣れた始まりの森。

 全ての渡航者の原点であり、いま最も注目すべきイベント会場だ。


「――とまぁ満場一致という事で、今回は聖王都に邪神の討伐を任せるか。頑張ってくれよ人間?」


 そう言って、ディスプレイを指で叩く。


 信託が下された。

 あとはすべて彼らに任せるとしよう。

 叶う事ならば神々の僕らが想像もしないような素敵な結末が望ましい。


 そんな願いを込めながら四柱の神々四人のきょうだいは今日も人の営みを眺め続けた。

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