第八話 八雲八重は、憧れを夢見る。

 ああ、これは夢だ。


 そう理解した頃には、わたしの意識ははっきりと覚醒していた。

 ふわふわとした感覚が足先から脳髄を犯してまわる。心地よい震えに身を委ねればこの異世界に転生されて何度も何度も夢見た光景が目の前でリプレイされた。


 咽び泣き、それでも願わずにはいられなかった存在が目の前にいる。

 どうせ目が覚めたら全てが夢なのだ。荒神さんと会話した事実も、戯れに手を伸ばしお仕置きしてもらった感覚もすべてわたしの脳が生み出した虚構に過ぎない。

 わかってる。

 何度も同じような夢を見て、目覚め、探し、人知れず静かに涙で頬を濡らした夜が物語っている。

 これは夢だ。

 でも、もし全てが夢ならば、こんな幸せな光景は見せないで欲しかった。


 荒神さんが切り払った霧の奥。依然として薄い霜はベールのように下りたままだが、十五メートルほど先の木々の隙間に奴が立っていた。


 五柱教典に名を連ねる神々の機構人形オートマタ

 調停者にして断罪者。

 全ての機構人形の末席を預かり、最も量産された機体。白の十三番。


『なんでこんなところに使徒が』


 その聞き覚えのある声に振り返れば、≪わたし≫が苦々しく顔を歪めて使徒を睨んでいた。

 そうか、わたしと彼が出会った夢なのだ。そこにわたし自身が夢の住人と出演しても何らおかしくない。


 転生する際に獲得した天恵≪魔導の探究者≫によって引き出される書物の情報が奴らの全てを暴き立てる。

 ギルドに加入する際に受け取ったいらない教典だったけど見てほぞんおいて本当によかった。

 女神エルマネシュの導きで異世界に転生し、わたしも何度か目にしたことがあるが、まさかこんな場所に現れるなんて。


 でもこんなくだらない登場人物はいらない。

 わたしが見たいのは荒神裕也だ。

 あんたなんて小石程度の存在でしかないくせに、なに荒神さんとイチャイチャしやがって、自分に嫉妬するなんて初めてだ。


「空気読めってのよマジで」


 誰にも聞こえないように口の中で言葉を転がし歯噛みする。

 でも嫉妬の感情はたちまち消え失せ、胸に去来したのは不安だった。

 普段のわたしなら剣を振るってそれでおしまいだ。

 苦戦するような相手じゃない。


 でもこの状況が悪すぎる。

 後ろを見れば、ルーナとマリナが二人して抱き合って声もなく震えていた。ロンソン村の脅威。その象徴が目の前に突如現れたのだから無理はない。

 でもそんなの問題じゃない。≪わたし≫が彼女たちを守ればそれで済む。

 

 いま最も心配しないといけないのは彼女らじゃない――荒神さんだ。

 

 彼は世界の構造を知らない。五レベル差が生む戦力の開きがどれほど絶望的かなんて知りもしないだろう。


 だからわたしの知っている彼はきっと飛び出してしまう。


 あの白い人形に己の全てをぶつけるために。


『荒神さん! ここはいったん引きましょう。彼らは軍隊で動きます。あれが一機で散開していることは通常ではありません』


 畏れおおくも神にも匹敵する分厚い肩に手を置き、できるだけ言葉を選んで慎重に撤退を促していた。

 そうそれでいい。

 あとで殴られるのならそれでもいい。≪わたし≫にとってはご褒美だ。

 でも彼が傷つくのだけは絶対にあってはならない。


 わたしは荒神さんの大ファンだ。


 彼の癖から好みの色。どんな言葉を嫌いどんな人間を好むのか熟知している。

 それこそ原作から二次作まで幅広く描かれた彼の情報をひたすら集め、原作者が戯れに呟いたSNSでのネタのような設定まで全て頭に入っている。

 

 愛だけならきっと天照ちゃんに浮気するような女神に負けない。わたしはそれほど彼のことを愛している。

 でも――


『……喧嘩売られた相手に、ケツ振って逃げろってか?』


「――ッ」


 低めの響く声がわたしの存在全てを犯し尽くし、色の薄いサングラスに隠れた深紅の瞳がわたしを心臓を鷲掴む。

 夢なのに震えがとまらない。鳥肌が立った。


『なぁ? テメェは俺があんなクズに負けるとでも思ってんのか?』


 途端、荒神さんの背中から刀剣を思わせる刺すような純粋な殺意が溢れ出した。

 堪らず喉を鳴らし、身体が自然と後退する。


 すると≪わたし≫も同じように小さく後退って見せた。


 きっと恐怖からではない。彼の邪魔をしてはならないと身体が反応して、脳が命令するよりも早くわたしの魂が私自身を動かしたに違いない。


 そう感じるほど、わたしの魂は満たされていた。


 ああそうだ。長い転生生活で忘れていた。わたしが見たかったのはこれだ。

 胸が苦しい。締め付けられるような思いが物理的な痛みでなく、感動という魂の鎖で締め付けられる。


 どんな強敵であっても楽しそうに殺気をたぎらせるその背中。

 獰猛な笑みの裏に隠れた無邪気さ。

 魂が乗り移ったようにはためく漆黒のジャケット。


 何度も夢見た、後ろ姿。 

 わたしが愛した背中だ。


 見惚れていた。

 瞬間、全ての感情を爆発させたような地響きと揺れが森を震撼させる。

  

 ああダメだ止められなかった。でも当たり前だ。例え夢の中の≪わたし≫でも彼を

 彼の生きざまに惚れたから。彼のその生き方が尊いと魂が屈服しているのだから。


 白の十三番の基本レベル二十はくだらないだろう。

 それはわたしの天恵≪魔導の探索者≫が物語っている。

 ありとあらゆる文字を解読し、その秘密を詳らかにしするわたしの天恵は、一度見たものなら一行も漏らすことなく記憶領域に保存することの可能だ。それは書物だけでなく、生物にも当てはまる。

 おそらく生前、数多の同人誌と作品を金を惜しまず収集してきた末に昇華したスキルなのだろう。女神がこちらに転生する際にといっていたから間違いない。


『荒神さんダメです。そいつは――!!』

 

 届かないと知りながらあらん限りの声で叫ぶ。

 喉がはち切れんばかりに振るわせたわたしの声が衝突音と共に掻き消え、衝撃波があたりを蹴散らした。


「――っ!?」


 顔の前に腕をやらねば目も当開けられないほどの突風の嵐。身体を叩く轟音のあとに少女たちの悲鳴が聞こえ、慌てて後ろを振り返れば、自力で地面にしがみつく姉妹の姿があった。けれど祠の泉の聖水は今の衝撃で半分吹き飛ばされ、神域の端では幾本も大樹がなぎ倒されている。


 そして立ちこめる土煙の向こう。そこには鬱陶しそうに土ぼこりを切り払い、黒曜のみねを肩に当て、白の十三番を光の粒子に還した『推し』の姿があった。


『ん? ああなんだ、殺しちゃまずかったのか』


 それはまるで≪Suicide Crown≫ 第四巻に出てくる鬼神の一柱、茨城童子を討伐した時の台詞だ。

 完璧だ。監督がいれれば五体投地で感謝していたかもしれない。

 呆気に取られて荒神さんを凝視すると、そこには何でもないように余裕の表情でこちらに歩いてくる荒神裕也の姿があった。


『ふっ――。どうだ、あの程度。俺にとっちゃカスも同然だな』


 そう言って楽しげに笑って見せる。

 それは決して敵には見せない仲間内の、それも限られた人物にしか見せない笑顔のはずだ。

 その笑みが≪わたし≫に向けられている。

 夢の≪わたし≫を殴り殺して変わりたい。その笑顔は本来わたしに向けられるはずだったものだ。

 そうして自然に顔を綻ばせればまるで失敗したように、顔に手を当て気まずそうに視線を逸らす荒神さん。


 きっとついいつものノリで浮かべた笑みだったに違いない。


 それでもその子供っぽい仕草がアジャストで胸に突き刺さり、激しい雷撃と共に感動が脳を通さず出たうわ言が見事にシンクロした。

 

「『……惚れ直した抱いてください』」

『寝ぼけてんのか』


 呆れ気味に目をひそめる荒神さん。

 ごめんなさい。でもさすが≪わたし≫、やっぱりそうなるよね。

 でもそうじゃない。

 きちんと伝えなきゃならないことがあるだろう≪わたし≫!!


『なんでレベル二十も差があって勝てるんですか!? やっぱり神なんですか!? 神ですよね!? 結婚してください!!』


 そうじゃない!! ほら引いてるよ、ドン引きだよ。今は感想とか感動とかはどうでもいいから。……いやどうでもよくはないか、うん。でも取りえずその溢れ出るパッションと感動は丁寧に包装、梱包ののち色鮮やかな袋に包んで隣に置いとけ――ってテメェ、ちゃっかり荒神さんの手握ってんじゃねぇぞおい、羨ましいなこのブスが!?


『とりあえず初夜は十発お願いします!!』


 ああちくしょう自分の節操のなさが憎い。お前は万年発情期か!? いやそりゃ、十六年ぶりの神降臨だからわかる。確かにわたしでも同じこと口走る。絶対口走る。けどお前、推しの前ぞ!? 

 夢の中でくらい荒神さんの役に立って見せろ八雲八重!!


 するとわたしの激励が届いたのか、思いっきり自分の頬をひっぱたく≪わたし≫。ハッと覚醒し首を振りつつ太陽が傾きかけた青空を指さした。


『――じゃなく。使徒は一体じゃありません他にも』


 言いかけた言葉が鐘の音で遮られた。

 聞き覚えのある音色。飴を引き伸ばしたような甘く重なり合う振動が空を満たしていく。思わず泉の方に視線を向ければ上空から舞い降りる使徒の群れが優雅に水の上に降り立つ。

 全てが同じ装備。そして彼らはその装飾過多な鎧のわりにはシンプルな聖槍を天に掲げ、その鋭い先端を≪わたし≫達に向けていた。

 その数二十。


『――おい、お前はそこで震えてるガキどもを頼む。宴の邪魔だ』


 止める間はもはやなかった。

 獰猛な笑みを浮かべ一気に使徒に肉薄する。鳩が飛び立つように使徒が空を滑空し、逃げ遅れた三体の使徒が黒曜の一撃で淡い光の粒子に還った。


『歯ごたえねぇぞテメェ等!! もっと本気になれよ、なぁッ!!』

 

 神聖な森の神域で一人の男の声だけが木霊する。

 

 すると餌に群がる神の使いは、次々にその鋭いランスで荒神さんを啄みに掛かった。八は超える槍の雨が怒涛の嵐のように激しく振るわれる。

 その全ての攻撃を寸前で見切り、躱す荒神裕也。

 時にランスを黒曜ではじき、使徒を蹴り動きを阻害させてみせた。

 型にはまらない自由な戦法に翻弄される使徒。けれど荒神さんは心底楽しそうに目の前で槍を貫き損ねた使徒を叩き潰してみせる。


 彼らに感情があればきっとその姿に恐怖していただろう。

 当然だ。明らかに格下と侮っていた相手に蹂躙されているのだから。

 しかし彼らは所詮命令を受け、実行するだけの玩具兵士トイソルジャー。逃げるなんて機能そもそも持ち合わせていないのかもしれない。

 

 あんなに素敵な表情をまじかで眺めることができて心が震えないなんて、敵ながらもったいないと心から思う。


『いいじゃねぇかやっと歯ごたえがでてきやがった。もっと楽しもうぜぇ!!』

 

 歓喜に振るえる叫びが森を震わせる。

 その表情は全てのしがらみから解放されたように生き生きしていた。


「ああ、もしかしたら荒神さん。もしかしてあなたの最期は――」


 生涯をかけた想いは成ったのですか?

 そう言いかけて、わたしは緩く首を振るった。

 

 確かにわたしは最後の結末を見る前に、トラックに轢かれて死んだ。

 そうであればいいと何度も願い、それでも見届けることは叶わなかった。

 これもきっと、わたしの夢が生み出した都合のいい解釈かもしれない。

 でもそうじゃない。


 彼のこれまでの人生と信念は彼自身のものだ

 彼の心境をわたし如き一ファンが勝手に推し量り、結論付けるなんてもっての他だ。


 それでも、わたしは知っている。


 助けたかったものすべてがその手から零れ落ち、けれども最後まで交わした誓いだけは手放さなかった気高き魂を。


 世界に呪われ。運命に呪われ。全てを失うことすら受け入れようとも全ての罪を一人で背負うと誓ったその孤高の姿を。


 おそらく、彼の生涯に安らぎという言葉はない。


 優しすぎるその心は不器用なまでに素気なく、周囲にその優しさを理解できるほどの余裕はなかったのだろう。

 報われない人生。報われない想い。

 わたしの知る限り彼の人生にハッピーエンドという結末は用意されていない。


 でも彼の無邪気な戦い方を見て何となくだけどわかってしまった。


 きっと彼は全幅の信頼をおく最高の宿敵天照開耶に全てを託して死んだのかもしれないと。

 最高の結末を目指した気高き魂は自分が生きることを諦めたことで、最高の結末へともう一人の片割れを導いたのだと。 


 こんな非常時でもなければ本気で抱きつきたい。涙を流してあなたの全てを語りたい。でもそれは今することじゃない。

 胸の内側に灯る全ての感情を飲み込み、ゆっくり頷いた。


「いままでよく一人で頑張ったね」


 自然と言葉が口から零れた。

 いつの間に頬に伝った涙をぬぐい、両手を胸の前で優しく包む。

 するとを覚えた。

 手を握れば、夢の≪わたし≫も同じように右手を握る。

 まるで二人羽織りでもしているよな不思議な感覚。これは今までの夢の中で初めての出来事だった。

 そして、不意に頭によぎった欲求が≪わたし≫を動かした。

 

「魔導の探究者発動。情報開示、対象――荒神裕也」


 右手をかざし、彼のステータスを暴きにかかる。

 わたしの天恵≪魔導の探究者≫は例え夢であっても、その対象のステータスや弱点といった全てを暴いてしまう。それは一度だけ強すぎる敵を前に、気絶したわたしが無意識の中で天恵を使って敵の弱点を探り当てたことが一度だけあったのだ。


 だから例え夢であってもわたしは許可なく荒神裕也の情報を盗み見ないと、彼が初めて夢に出てきてくれたときに誓ったのだ。


 けれどわたしはその誓いを破った。

 あなたの笑顔を見て、感じて、十六年間我慢に我慢を重ねて積もらせた欲望に手を伸ばしてしまった。

 わたしの天秤は傾いてしまった。

 あなたのことをもっと知りたい、と。浅ましくもそう願ってしまった。

 だからこれは完全にわたしの私情だ。わがままだ。


 心のなかで何度も謝罪を繰り返していくうちに『解析完了しました』と無機質な声が頭に響く。

 そうして現れたステータス表に視線を落とし、絶句した。


「アン、ノウン」


 全てが黒のウィンドウで彩られている。

 名前もレベルも、神々から授けられた天恵すら読み取れない。例外なく全てを明らかにしてきたこの魔眼魔導の探究者をもってしても。 


「は、ははは、はははははははははは!!」


 笑いが、止まらない。


『ヤエ、ねぇちゃん?』


 不安そうに≪わたし≫を見上げるマリナの視線に恐怖の色が乗る。

 当然だ。何もないところでいきなり笑いだせばそりゃ変な目で見られても仕方ない。壊れたと思われても仕方がない。

 でも、そうじゃない。


 嬉しいのだ。


 そうだ。荒神裕也がわたし程度に全てを曝すものか。

 こんな低俗な人間に暴けるほどあの人は安くない。

 普通じゃない。

 そう普通じゃないからこそ、


「燃える!!」


 気付けばわたしは駆け出していた。


 溶けあうような甘い感覚が全身を支配する。


 わたしと≪わたし≫の間に境界はない。

 足裏を叩く大地の感覚。

 触れ合う空気の擦過音。

 短く黒髪は風の中で激しく遊び、ガチャガチャとなる白銀の鎧はわたしの心を代弁していた。

 こちらに気付いた使徒が聖槍を振り下ろすが、


「遅い!!」


 大気中に残存する魔素をかき集めて体内に取り込む。凝縮した魔素は心臓を経由し、血管を通って右手に集約していく。

 そして神域内に存在する全ての魔素を用いて

 ザンと鎧を両断する音と崩れた使徒の音が重なり、光の粒子が霧散する。

 この間、僅か一秒にも満たない一瞬の動作。


 さらに両足に力を込めれば重力を無視した跳躍が身体を宙に躍らせる。そのまま筆を走らせるように剣を振るえば、白銀の閃光が四つのキャンパス使光のシャワーに変わった。


 張り裂けそうな胸の高まりが止まらない。緩む口元が抑えられない。

 このまま、全ての邪魔ものをなぎ倒し、彼に褒めてもらいたかった。

 それでもわたしの理性はきちんと己の役割を理解していた。


 わたしはあくま引き立て役。

 

 主役の邪魔にならないように空中で身をひねり、荒神さんの後ろに着地し、剣を構える。

 迫りくる使徒の群れ。その一瞬、深紅の瞳と視線が絡まった。

 言葉などいらない。

 高ぶる鼓動が激しく脈打ち、わたしの全てを彼に委ねる。


 夢にまで見たとの円舞曲。


 まるでアニメのワンシーンのように一つ一つのステップが寸分たがわず使徒を斬り殺す絶好の位置を確保する。

 一つ一つ剣を躍らせるたびに、呼応するように背後で使徒を砕く音が響く。


 その銀吹雪の世界のなか、わたしは背中で推しの息づかいを感じた。

 パチパチとこの出会いを祝福するように霧散する光の粒子が天に還っていく。


 残りの使徒は十にも満たない少数だ。これなら二分もかからないだろう。

 名残惜しい時間が終わろうとしている。

 そう考え迫りくるランスの群れを切り払い、その首を斬り飛ばすと、


「やるじゃねぇか、ヤエ」


 初めて、夢の中でわたしの名前を呼んでくれた。

 振り上げた右手が微かに止まる。

 振り返ることはしない。それでも振り返らなくてよかったと思ってる。

 だってこんな汚い顔、見せられない。


 そんな急に、急にそんなこと言うの反則だよ。


 きっと声にするつもりのない言葉だったのだろう。

 それくらい微かな声量。

 それでも確かに聞こえた。聞いてしまった。

 背筋に寒気とは違う心地いい震えが走る。


 呼ばれた呼ばれちゃった。

 超興奮する。やばい泣けてきた。これ、これいまだったら神だって殺せる。

 

 今日の夢は絶対に忘れない。 


 背中を軸に身体を預け、振り回す白と黒が二人を中心に円を描く。

 硬い鎧がつぶれひしゃげる音と、銀色に瞬く一閃が裁断音が同時に響く。

 そして浮力を失った使徒は全員同を切り離され、泉の中に沈み消えた。


 その優し気に鈍く弾けた水音が輪舞曲の終わりを告げる。

 もう、終わりか。

 そうしてわたしは剣を魔素に還し、後ろを振り返った。


 言わなきゃいけないことがある。

 伝えたいことがある。


 静かに最愛の人を見上げ、この時を最高の思い出にするために微笑んで見せた。

 

「初めての共同作業ですね」

「頭沸いてんのかお前」


 そうして苦笑する荒神さんは黒曜ではなく、おなじみの手刀をわたしの額に打ってくれた。

 ああもうこれで悔いはない。また一人でも頑張れる。


 暗転する視界先、満足そうに息を漏らす荒神さん。

 その姿を網膜に焼き付け、地面が崩れ落ちる。

 届かないと知りながら、暗がりに手を伸ばす。

 

「――待って!?」


 衝撃が顔面を叩き、目を覚ます。

 知らない床。知らない天井。

 久しぶりに夢を見た。とても温かい夢を。

 今までは目覚めたあと胸に開いた風穴に悲しみが吹き抜け、絶望が身体を凍らせたが、不思議と恐怖はやってない。


 落ちた硬いベットによじ登り、涙をぬぐう。

 これまでずっと目が覚めるのが怖くて、眠れない日々が続いていた。

 夢から目覚めあとで一人、現実に絶望するくらいなら眠りたくなんてない。

 それでもそのささやかな夢に幸せを感じてしまう自分が憎くてならなかった。

 でもいまは何故かそんな気にならない。

 小さく洟を鳴らし、薄い掛け布団を拾い上げる。

 すると僅かに身じろぎする音が聞こえて、恐怖で顔を上げる。


 こんな知らない場所で一人眠った覚えはない。

 でも私がここにいるという事は誰かがここまで運んでくれたという事だ。

 誰かいるの?

 言葉にしかけた視線の先。

 壁にもたれ掛かったまま子供のような素直な表情で目を閉じる一人の人物がいた。


 その姿を見た瞬間わたしの身体はベットを飛び出す。

 

「――ッ、あらがみさあああああああああああああああああああん!!」

 

 そのまま宙に跳び、溢れ出る情熱に任せて手を伸ばす。

 サングラスの奥。瞼が持ち上がり、深紅の瞳がわたしを覗く。

 そのまま堪え切れず熱いベーゼを交わす、――かと思いきや、鮮やかな手刀が首筋に落ちた。


「――あふっ」


 変な声と同時に、意識が徐々に遠のいていく。

 呆れたような表情でわたしを見下ろす荒神さん。ああ、夢のようだ。

 それでもこの痛みは夢なんかじゃない。

 

「……あい、してます、あらがみ――しゃん」

 

 暗くなる意識のなか、穏やかに意識を手放す。

 それはこの世界に生まれ落ちて初めて経験する、穏やかな眠りの誘いだった。 

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