第七話 荒神、喧嘩を売られる
そうして侵入者を喰らうように開けていく森を歩いてどのくらいたっただろうか。空から零れる太陽の欠片はまるで異物を歓迎するかのように俺たちが進むべき道を示すべく白い目印を点々と地面に映しだしている。
この森に入るのは二度目でまだ慣れていないというルーナやマリナも、普段入れないという背徳感が後押ししているのか興奮気味にあたりを見渡し、風に揺られる緑の万華鏡を見上げては大きく声を上げていた。
「ついさっきまでゴブリンに襲われたってのに無防備なものだな」
「それで続きの説明はいいですか?」
「ああ、頼む。たしか冒険者として生きる理由だったな」
説明を聞く限り、冒険者とは神々が冒険者個人を守護するという責任を神自身が放棄する代わりに、神々から天恵を与えられた人間のことを指すらしい。
先ほども説明があった通り、この世界は何も人類が覇権を握っている訳ではない。魔獣や竜種と言った人類に仇成す存在がいる以上、この全てが許された世界では魔獣側にも人を殺す
神々は基本的に全ての生命を信仰の見返りという形で守護しているが、自由を保障している神々も全てを守ってくれるわけではない。
そこには必ず、守護しきれなかった存在がいるのだ。
「まぁそこは神様は全能でも全ての人を守ってくれるわけではないっていう証明ですかね。だから多くの人は自分のケツは自分で拭くから力よこせと主張したわけです」
「そんなん認められんのかよ」
あまりにも横暴な主張で笑えてくるが、やはり俺の世界の常識はもはや通じないと痛感させられる。
大きく頷いて生真面目に同意してくるあたり、この世界では神にも見返りを求めることが許されているらしい。
「ずいぶんと傲慢でたくましい奴らがいたもんだな」
「その選択を選ぶのも個人の自由ですから」
そう言って苦笑するヤエは、その傷一つない頬を掻いたみせた。
「まぁそんなわけで、神々を強請って得た力はステータスという形に現れて、魔獣や亜人なんかを倒すと強化されるんです。だからわたしの傷が瞬時に直ったのもその天恵の一つのおかげです。……まぁ、絶対に死なないって訳じゃないんですけどね」
するとヤエが手をかざした先に半透明の四角いボードが出現した。
「これがステータスです」
「ほぉ―これがねぇ。……何も見えねぇのは仕様ってやつか?」
「はい。パーティー申請したり、情報を強引に開示の能力がないかぎり基本的に名前と職業以外見えないようになってるんです。――でも、荒神さんがどうしてもわたしの全てを知りたいっていうなら、わたし荒神さんに全てをさらけ出すのもやぶさかじゃありません!!」
「そういう面倒なのは今はいい」
「あう!? もう、いけずぅ」
迫りくる額を叩いて進行を押し留める。
しかし、ステータスねぇ。
受け取ったステータスに目を落とせば、そこには今もなお食い下がって手を伸ばす鎧女の基本情報が記されていた。
名前: ヤクモ=ヤエ
レベル: ■■
称号:孤高の聖騎士
技能:■■■■
:■■の■■■
:■■■■
MP受容量:■■■
確かに個人名以外は何もわからねぇ。
いわゆる名刺みたいなものか。おそらく中身を覗ければもっと
虎穴にはいらずんば虎子を得ずともいうが、君子危うきに近寄らずともいう。この馬鹿の場合は後者のを選んだ方が無難だ。
好奇心に負けてうっかり口を滑らせようものなら骨の髄までしゃぶられかねない。
この変態にはそういう謎の執念があるのだ。ステータス開示の見返りにどんな要求が待っているか考えたくもない。
ただ――
「なぁ、このMP受容量ってのはなんだ」
「へ? ああ、それですか。それはその人がどれだけ大気中に漂う魔素を体内に取り込むことができるのか、という値です」
律儀に俺の質問に答えるあたり真面目ではあるらしい。
ついでに魔素についての説明を求めると、鬱陶しい進撃が突如として止み、待っていたとばかりに活き活きと唇が動き出した。
「エルちゃんが言うには、世界中に漂う極小の原子レベル物質らしいです。目に見えませんけどなんとなーくわかりません?」
「俺の世界の感覚で言えば≪穢れ≫みてぇなもんか?」
「う~ん。本当に心底残念ながらわたしは≪Suicide Crown≫の世界に行ったことないんではっきりと断言できませんけど、たぶんそんな感じです」
「……たしかに、微かに匂うな」
「それが魔素です。わたし達冒険者や魔導士の感覚では空気に例えて魔素が薄いとか魔素が濃いとかで判断するんですけど、荒神さんは匂いで判別できるんですね」
もう一度、鼻をひくつかせると、確かに薄っすらとだが嗅ぎなれた香りがする。
日ノ本ほど腐った匂いは漂ってこないがあくまで気がする程度の微かな匂いだ。俺の鼻でやっと感知できる程度だから、常人じゃ全く気にならないレベルの素粒子なのだろう。
「ちなみに話を戻しますけどこのMP受容量も等級があって下から順に、青、赤、黒、銀、金、白金の五つで分類されます」
「何か違いがあんのか?」
「特にありませんよ? あ、でも需要量が大きいほど使える魔導式や魔術が広がるので冒険者の格付けになったりします」
「なら需要量の総量は一生そのままか」
なんとなく気になって問いかけると、横につくヤエが悩ましげに両腕を汲み、曖昧なうめき声を上げはじめた。
「それが実際の所は何もわかってないそうです。ギルド側はどれだけ神々を信仰しているかによって与えられる天恵の総量が変わる!! なんて力説してますけど、眉唾ものの妄言もいいところです」
「そうなのか?」
「はい。だってわたしなんて全然ギルドが崇める五柱教の神々なんて信仰してないのにレベルが上がるごとにガンガン受容量上がってますし」
そりゃギルドって組織も面目丸つぶれだな。
神々を崇めるなんてクソにも劣る行為に興味はないが、道理でここで生きる人間が亜人や魔獣と言った存在相手に生きていけるのか納得した。
「……その天恵ってやつはあいつらにも適用されないのか」
「ルーナちゃんたちにですか?」
先頭で楽しそうに談笑して見せる二人の姉妹に視線を移しせば、今度はさらに臓腑をねじるような呻きが隣から漏れ出る。
「うーん、まぁそれを選択すのも彼女たち次第ですけど、結局は冒険者ギルドで宣誓しないと授けられませんからねぇ」
「無理なのか」
「いや難しいんじゃないですかね。冒険者になるのも基本的に自由ですし絶対に恩恵を受けられないって訳じゃありません。けど、彼女たちロンソン村の人は五柱教とは違うこの森に住まう土着神を信仰してますからね。彼女たち個人が神々の天恵を受けるにはここの土着神と縁を切らねばならないんです」
ようは信仰する対象によってそれぞれの神が信者を守るという仕組みか。
俺のいた日ノ本の世界でも信仰というクソッタレな習慣は存在したが、神々が人間を助けるという事はなかったから不思議な響きだ。
神を信仰することが当たり前。そこに自由意志など存在せず正しく生きて選定されるのを待つしかなかった綺麗すぎる世界のクソ神とはえらい違いだ。
「しかし離れてく信者を呪わねぇとは、この世界を作ったクソ野郎はずいぶんと心が広いんだな。俺んところとは大違いだ」
「まぁ荒神さんのいた≪Suicide Crown≫とは世界観が随分違いますからね。神様もいまは落ちぶれないように信仰集めに必死なんですよ」
そう言って小さく苦笑してみせる。
俺の世界の事情を知っているからの笑みなのだろう。
こういう時に知らない土地で自身と同じものを共感できる奴がいるってのは楽だが、この変態と心が通ってしまったような気がして嫌気がさす。
なんで俺が出会うような奴は漏れなく変人の類が多いんだ。
いまのところマトモなのはあの姉妹二人だけだ。クソ女神とこいつは話になんねぇ。
「――っと、とりあえず勉強会はここまでですね」
すると前方から興奮気味なマリナの声が響いた。顔を上げれば同じようにあどけない喜びを顔面に貼り付け、開けた空間を指さすルーナの姿があった。
「ヤエ様、アラガミ様!! あれです。祠が見えました」
遠目で確認しきれないが、岩に囲まれた木箱が確かに中央に据えられていた。
「あれが祠か、ずいぶんとチンケなもんだな」
「まぁ土着神の祠はだいたいあんなものですよ。神社や社なんて建てられるのはよほど名の通った力のある土着神くらいですからね。ここ周辺で信仰されてる土着神ならあれでも上等です」
そう言って小さく耳打ちするヤエの言葉に、続いてマリナとルーナの後を追う。
そこは確かに神の住まう神域だった。
しかしよく観察すれば空間が拡張されていた。
半径二十メートルほどの木々の密集しない開けた空間。
その中央にはいまも湧き出た泉がコポコポと小さな音を立てていた。僅かに香る水の匂い。そしてルーナが指し示す通り、泉に中央には最低限の岩で積み上げられた雨よけの中に古びた小堂が鎮座している。
おそらくこれは外から見た祠の景色だ。実際に神域の中に入ればその姿はまた違ったものに見えるだろう。
神域とは一種の結界だ。
神が望みさえすれば例え半径一メートルの空間ですら、一つの別世界として改変することが可能だ。
そして――
「――あん? こいつは」
案の定、神域に踏み込めば、あれほど喧しかった命のざわめきが掻き消えた。
空間が拡張されただけのようだが、それでも妙な胸騒ぎが身体を震わせる
鼻をひくつかせれば、森に漂っていた魔素の匂いがほとんど感じられない。そしてその代わりに嗅ぎなれた匂いが鼻腔をくすぐった。
まるで磨き上げらた銀のような澄んだ空気が周囲に充満している。
「微弱だが、神気の類か?」
「あ、やっぱり神喰らいの荒神さんならわかります? わたしでも神聖だなぁくらいにしか感じないんですけど、さすがです!!」
この程度なんでもねぇよ。
これは禁呪具の黒曜を手にした時に受けた呪いのようなものだ。この程度、日ノ本で生きてきた≪神殺し≫の連中なら感知して当然の感覚だ。
俺は奴らの五十倍ほどクソ神の気配を感じるのが敏感なだけだ。
むしろこんな駄々洩れの神気を感知できないようでは≪神喰らい≫なんて大層な名を背負う資格はない。
僅かに香る神気の匂いは澄んだ水が湧き出る泉の底が怪しい。
しかしなんだこの匂い。
確かに神気は感じるが俺の鼻はそれ以外にも二種類の異臭も感知している。そしてその匂いは泉のなかではなく森の奥から漂っていた。
信徒の涙を握りしめるルーナが意気揚々と泉の上に浮かぶ祠に近づこうとした時、俺とヤエは同時に声を上げた。
「待て」
「待ってください」
すると姉の雄姿を見守るマリナが不思議そうな顔で俺たちを振り返った。
「どうしたの?」
「……いやな予感がします」
「いやなよかん?」
舌足らずな口でそう呟き、首をかしげるマリナ。
「はい。ですから一度わたしの後ろに隠れてください。ルーナちゃんも」
珍しく表情を険しくするヤエは一人孤立するマリナを招き寄せ、少女の肩を抱き自身の後ろに下がらせた。
どうするべきか困った表情で交互に祠とヤエを見つめるルーナ。
すると季節にしては寒すぎる泉の上に突如、薄い霜が降り始めた。
水温の冷たさに驚いたのか、軽く悲鳴を上げて身を引くルーナ。握りしめた信徒の涙を胸の前で握り後退しはじめると、その動きに合わせて霜は濃い霧となって白い視界があたりを埋め尽くしはじめた。
「おねぇちゃんこっち来て!!」
妹のマリナもさすがに異変に気付いたのか声を荒げて姉を呼ぶ。
キチキチという不明瞭な音が森から木霊し、濃霧に飲まれたけたルーナも周囲の異変に慌ててヤエのもとに走り出した。
白い壁の中、淡い水色の発光物が掻き分けるように徐々に近づいてくる。
息を切らす吸気が霧の中からわずかに聞こえてくる。
そして淡い水色の光がヤエとルーナの距離が五メートルまで導いたとき、白い霧を切り払う黒く不格好な砲弾がルーナ目掛けて飛んできた。
「――キャッ!?」
肉を打つ音共に、頭上高くに肉塊が舞う。
無理矢理、頭を押しつぶす格好で彼女をその場に伏せさせたが、間に入っていなければ危なかった。
それでもこの恩知らずは誰が助けた理解してないのか、ひでぇ暴れようだ。
「おい、落ち着け。俺だ」
「――あ、アラガミ、様?」
間抜けな声に恐る恐る顔が上がる。そこでようやく頭を押さえつけている人物が俺だと認識すると、申し訳なさそうなか細い謝罪の言葉が返ってきた。
「落ち着いたな」
「はい。あの、助けていただいて――」
「気にすんな。それより後ろの花畑の背中にでも隠れてろ。また来るぞ」
耳元で囁き、指示を出せば大きく肩を震わせたルーナが気まずそうに視線を逸らした。震えた身体が駆け出すように霧の中に消えていった。
おそらく無事にたどり着けたのだろう。
「なんだ? あの反応」
まるで名残惜しいとでも言いたげに俺の裾を離さず、震える指先を離して消えていきやがった。
あれじゃあまるで――、と思いかけたところで頭を振る。
「俺もこの世界に転生してずいぶんと焼きが回ってんな」
あの後ろ姿にどこか既視感を覚えている自分がいる。後悔でもしてんのか、俺が?、
笑えねぇよ、クズ野郎。
そうして濃霧で包まれた空を一瞥し、打ち振るった黒曜に目を向ける。
飛んできた砲弾は、この濃い霧のなか寸分たがわず正確に少女の頭に狙いをつけていた。一瞬で彼女のもとに駆け寄らなければ、少女の頭は今頃土の染みとなっていただろう。
続いて放たれた投擲物を匂いで感知し、同じように黒曜を片手で斬り上げる。
ガッ!! と音に似合わない重量感が手首に加わる。枝を何本も断ち切る音と共に角度を調節して打ち上げれば、不意に頬に生温かい液状の粘着物が付着した。
わずかに錆び臭い匂いと共に、食べなれた腐った味。
「なるほど、肉弾丸って訳か。しかし霧で目隠しってのはうぜぇな」
止むことのない肉弾丸に飽き、いい加減この積もり積もった苛立ちを発散したいと思ってたところだ。
黒曜を握る右手が唸りを上げる。
「――姿を見せやがれクソがッ!!」
打ち振るう暴風が霧の壁をたちまち吹き飛ばす。
忠告なしに広範囲で暴風を発生させたが飛ばされた間抜けはいないようだ。
さすが俺のファンとしつこく名乗るだけあって事前に察知できたらしい。姉妹に覆いかぶさるようにして突風から身を守り耐えてみせた。
まぁ褒める気はねぇが奴の実力なら当然の判断だな。
そして全員が無事だと認識すると、俺は先ほどまでくだらねぇ茶々を入れてきた不届き者へと目を向けた。
「それで、熱烈な歓迎のあいさつをしてくれたテメェ等はいったいどこのだれですかぁ?」
「―――――ッ ―――――」
言葉にもならない錆びた金属を擦り合わせた不快な音が返ってくる。それで返事のつもりか。
それは頭上から零れる日の光を全く通さない森の奥。
暗闇のカーテンの奥から這い出すように白い化け物が顔を出した。
顔など存在しないのっぺらぼう。
作りかけの人形のようにつるりと滑らかな顔面が日の光を反射させている。
それは厳つい装飾が施された西洋鎧に身を包み、一対の翼を背中から生やした顔のない人型の化物だった。
生ぬるい腑抜けた時間は終わりだ。
ようやく喰いごたえのあるやつが出てきやがった。
存在力の強さがそれを物語っている。
久しく忘れていた感覚に身体呼び覚まされ、獰猛な笑みを浮かべる。
「楽しませてくれよ。クソ野郎」
さぁ、宴の始まりだ。
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