第二話 荒神、クソ女神の事故に巻き込まれる
「こほん。それで話を戻すけど、これからあなたには異世界に転生してもらうことになります」
「……それはあれか? また誰かもわかりゃしねぇ奴の娯楽になって無様に生きろって言いたいのかテメェは」
「ちょちょちょ、落ち着いて。あなたの疑問はもっともだけど違うの」
何が違う。結局同じじゃねぇか。
湖面に水色の景色、のぞき込めば映し出すのは俺の顔ではなく、緑に彩られたも森一面だった。
やがてその大地は徐々に縮尺していき、ついには緑と青の丸い球体が緩やかな回転を経て映し出された。
「私はあなたに生きてもらいたいだけ。異世界に行けば、あなたはあなたのまま何ものにも干渉されず、この新しい世界で生きることができるの」
「つまりもう一回分の人生をプレゼントしますってか。だがおあいにく様だな。俺はもう生きる気はねぇんだ。どうせこれ以上生きたところで結果は変わらねぇからな」
「そう? 確かにあなたの人生は過酷で無慈悲なものだったわ。でもね? 神の私から言わせてもらえば荒神ちゃん。あなたは全く生きていたとは言えないわ」
「……どういう意味だ」
殺気を乗せて睨みつけてやっても動じない。それどころか、ベールに隠された真摯な言葉は臆することなく向けられた黒曜を柔らかく包み込み、退かせてみせた。
「言ったでしょ? あなたは所詮、人間の娯楽から生まれた存在に過ぎないって」
「そいつは皮肉か、だとしたら的を得てるな。つまりテメェはこう言いたい訳だ。俺の存在全てが偽りで意味のないもんだった、そうだろ?」
「いいえ、それは違うと断言できるわ。あなたの人生は確かに意味があった。この女神の私の心を動かすほどに」
そう言って緩やかに首を振るクソ女神。
ここまで馬鹿にしたような物言いをしても、その真摯な態度は決して崩れない。
それどころか吐き出される言葉は唐突な存在力を得て、徐々に俺の魂を蝕み、僅かな痛みを走らせる。
大きく息を吸う音が聞こえ、その唇がたおやかに言葉を紡ぐ。
「確かにあなたにとって
「つまりテメェはなにが言いてぇ。俺を利用して何を企んでる」
「そこからして間違ってるの。私があなたに与えるのは新たな人生だけ。これからあなたが赴くその世界は人間が作り出した設定や運命の存在しない可能性が無限に存在する世界なの。人間の作り出したゲームやアニメの何億倍もの情報が混在する現実の世界」
「……」
「そこへ導き、送り出すのが私の仕事。それ以降はあなたの自由よ。企みなんて――」
そう言って僅かに顔を伏せるクソ女神。
やっぱりあるんじゃねぇか。テメェだけの企てが。
まぁ当然だ。でなけりゃわざわざ
「勘違いしないで。私はただあなたが戦乱のなかで役目と苦しみから解放されたあとどう生きて何を成すかを見たいだけ。私の企みなんてせいぜいそれくらいで、あなたにどうこうしてほしいなんてこれっぽっちも願ってないわ」
「ふん、どうだかな。……だが俺を生かす意味をテメェは本当に理解してんのか? 殺しも盗みも、禁忌も犯した。俺らの世界をのぞき見してたんだろ? なら、この世の考え尽くす限りの悪逆と冒涜をまた繰り返してもテメェは構わねぇのか?」
「……ええ、確かにそれら全てはあなたの自由よ。でもね――」
静かに朗々と紡ぎ出される言葉。
その声が一瞬だけ途切れたかと思うと、
「あなたの世界のファンの私を舐めないでよね」
「――ッ!?」
瞬間、刺すような痛みが全身に走り、俺の身体は無意識にその場から飛び退き、反射的に黒曜を構えさせた。
幽鬼のように揺らめくクソ女神の存在力。
押し潰さんばかりの重圧が初めて俺の五体に神への畏怖を感じさせた。
凍る背筋と共に、噴き出した冷や汗が頬を伝う。
――死。
初めて明確なイメージが頭を過ぎり、今まで感じえなかった恐怖が魂に刻み込まれる。
「怖いでしょ? いままでは原作者の思いのまま。それこそ人間の娯楽のために運命のレールの上でしか生きることを許されてこなかったんだから。……感情も、思想も、その願いですらあなたはただの一度として自分の意志で選び取ったことがない」
吐き気が全身を襲い、滝のような冷や汗が首筋を震わせる。
敵がいる。滅ぼすべき敵が。
しかし、俺の意志とは裏腹に身体が全く動こうとしない。
「――ク、ソがッ」
「無理しない方がいいわ。あなたは初めて自分の意志で恐怖というものを感じている。……神の前ですものその反応は当然よ」
「――ッ、なめんな!!」
しかし踏み出した一歩が重い。
けれど奴の足取りは軽やかで、一歩一歩近づくたびに、死の重圧が俺の身体を拘束していく。
乾く喉を鳴らし、血流が何度も何度もせわしなく身体に警告を送る。けれど俺の身体は動くことを許さず、戦う気さえ起こさせない。
なんだこれは。
なぜ俺はなにもできない。こんな感情、俺は知らない。
「全話52話構成の一年間――多くの年代があなたと天照ちゃんの戦いを通して、己に新しい価値観を植え付けていったわ」
「――なん、の、話、だ」
「こっちの話よ。でもあなたには聞いてほしいの。あなた達が為した物語の尊さを」
苦しげに肺から洩れる声に奴ははぐらかすように言葉を紡ぐ。
理解しなくてもいいと言外で訴えているようだった。
要は独り言。ただの自己満足にすぎないと奴は言っているのだ。
それでも続く言葉はまるで何かを絞り出すように俺の魂に訴えかけてくる。
「あなた達の在り方を通して多くの人が胸を打たれた。それこそ社会現象になるくらいにね。……ある人は困難に立ち向かう勇気を。ある人は友人を守るために犠牲になる尊さを。そして神である私は苦難を前にただ一人の愛すべき家族を守り切るために生きる気高さを知ったわ」
彼我の距離はもうほとんどない。
殺される。そんな感情が胸の内から湧き上がり、歯を食いしばる。
しかし――、
「そんなあなたが最後になにを願い、どんな思いで散っていったか知らないわたしじゃない!!」
白い足元に一粒一粒、小さな雫が点々と地面を汚し、目を見張る。
何故こいつは泣いている。何故泣く必要がある。回る思考が鈍く頭を揺らし、僅かに胸が軋みを上げた。
この痛みは一体――
「ごめん、興奮して涙出ちゃった。とにかくあなたは十分、新しい世界で新たな生を謳歌する権利があるわ。少なくともわたしはそう思った。だから自分を卑下にしないで頂戴。……その卑屈さがあなたの魅力の一つなんでしょうけど」
「テメェに一体、なんのメリットがある」
「天照ちゃんが泣いてたから」
「あん?」
すると唐突に、空気が変転したような感覚が襲い、あれほど重圧に押さえつけられていた身体が嘘のように軽くなる。
訝し気に眉を顰めれば挑みかかるような鋭い声が飛んできた。
「天照ちゃんが泣いてたからよ!!」
まるで子供が玩具をねだるようにこぶしを握り締めて、全身で感情を表現して見みせる。その姿はどこか見慣れた幼なじみと被り、思わずたじろぐ自分がいた。
先ほどまでのプレッシャーが嘘のように立ち消え、それでもクソ女神の捲し立てる身勝手な主張は止まらない。
「あんな悲痛な泣き声聞いちゃったら、物理法則の壁や異次元のルールなんて無視して転生させざる負えないじゃない。もう、どうしてくれるの!? お父さんにばれたらわたし神様やめなきゃいけないかもしれないんだからね」
「俺が知るか」
鼻で笑う。するとクソ女神の彫刻のような白い指先が泉の方に向けられ、途端に触れてもいない水面が突然波紋を描き出した。
「そう、だから私も知らない。あなたがどんな人生を歩もうと、それはもうあなたの勝手。わたしの目的はあなたの魂と願いを掬いあげて新天地に送ることなんだから」
そう言ってクソ女神の指差す泉の上に、確かに『俺』が立っていた。
全長175以上の大男。灰を被った汚ねぇ色合いの髪に、鋭い生意気にくすんだワインレッドの瞳。ひねくれた性格がそのまま張りついた顔面は、俺らしくて男前だが女が寄りつく面ってのは顔を覚えられて面倒な時は多々ある。
神喰らいの代償で蝕まれた視力を隠すために掛けた薄いサングラスもそのまま。
黒をベースに編み込まれた改造儀礼服、八岐大蛇も遜色なく再現されている。試しに映し出された俺に手を突っ込んでみれば、揺らぐように画面が歪みすぐに元の形に戻っていった。
「これがあなたの転生先の身体。原作者の作ったプロフィールに則ってあなたの身体の構成要素そのまま全部突っ込んだからたぶん違和感はないと思うわ」
「俺は行くなんて言ってねぇぞ」
「あそこまで言ってまだ考えを変えない気!? いいえ。無理にでも行って貰うわ。だってもうここまで来たら転生の手続きするだけだもん」
「それはテメェの都合だろうがクソ女神」
「何と言われようともう後戻りなんてできないの。バレたら大ごとだしね。――で、話を戻すけどあなたがいま送り出す世界は『使徒』と呼ばれる神のみ使いが存在するわ。もちろん有名どころなゴブリンやドラゴンといった亜人や幻想種もね」
「ドラゴン、亜人? テメェはいったい何言ってんだ」
聞きなれない言葉に眉間にしわを寄せると、クソ女神の雰囲気が明らかに落胆した色に変わった。重苦しい息が吐き出されたかと思うと、首を何度も横に振り、嘆くような言葉がベールの隙間から漏れ出てくる。
「ああやっぱりそうよね。知らないわよね」
「……馬鹿にしてんのかテメェ」
「はぁ、こういう時ほんと現代人って説明が楽でよかったわー。転生とか言ってもすぐ『待ってましたぁ!!』喜んでくれるし、あなたの世界じゃテレビゲームなんてものはなかったものねぇ」
「おいだから何の話だ」
「一から説明するのも面倒だし、実際に現地に飛ばしてから十四番目のあの子に『説明して』もらってちょうだい」
どうやらこのポンコツの眼には俺が心底うんざりしていることがわかってねぇようだ。いい加減、黒曜で殴り殺してやろうかと思い始めたその時、思い出したかのように柏手を打つクソ女神が唐突にその指先を黒曜に向けだした。
「あーそうそう。ちなみにあなたの全ての能力はこの天恵と交換してもらうルールになってるから。その神の魂を喰らう黒曜とあなたの禁呪は没収させてもらうわ」
「……なぜだ」
「だってあなたの能力危険すぎるんですもの。平和に暮らすならそんな物騒なスキルはいらないわ。それに別世界の概念をそのまま持ち込むと、世界が混乱しちゃう可能性があるから」
「それは結局、テメェ等神の都合じゃねぇか」
「まぁね。わたしとしてもあなたのアイデンティティの二つを取り上げるのは心苦しいのだけれどこれだけは我慢してちょうだい」
「耳が腐り落ちてんのか? 俺はいかねぇって言ってんだろ。転生なんてまっぴらだ」
「わがまま言わないで頂戴。それになにも丸腰で頬りだすわけじゃないわ。ステータスとか基本的な能力のほかに、新しい世界で生きられるよう英雄クラスの力を授けるのが決まりになってるから」
「それこそ、ルール違反なんじゃねぇのか。生まれながらにチートとか」
「なぁにわたし達の作った世界だものそれくらいは許されるわ。それに迷惑料も兼ねてるしね。……それで我慢してもらえないかしら?」
「英雄、ねぇ」
ふと浮かんだのはあの直情馬鹿の顔だ。
ったくあのお人よしもたいがいだが、俺も俺で知らず知らずのうちにあの馬鹿にほだされてたみてぇだ。ほんの少し前のことなのにもう懐かしいなんて感じやがる。
だからこそ、俺は睨み上げる形でクソ女神を見据えてはっきりと言い放った。
「いらねぇよ」
「ふぇ?」
呆気にとられたような声を上げて固まるクソ女神。
表情が読めねぇのは鬱陶しいことこの上ねぇが、声の調子からして鳩が豆鉄砲喰らったようなアホ面をぶら下げてるに違いない。
確認するように震えた息づかいが飛んでくる。
「い、いまなんて?」
「だからいらねぇっつてんだろ、メンドクセェ。俺はあそこで死んだんだ。なんでテメェの都合でいちいちまた生き直さなきゃなんねぇんだ」
「だって、後悔とかないの? あなただって幸せな家庭を築くとか、友達とずっと遊んでいたかったとかあったんでしょ? 主に天照ちゃんと一緒に!!」
「そいつは認めるが後悔なんざねェよ。……俺は、あいつに全てを託したんだ。俺の境遇を知って嘆いてんなら、俺の意志はしっかりあいつに引き継がれた。そこで俺の物語は終わりなんだよ。これ以上生きたところでそいつは蛇足にしかならねぇだろぉが」
「……どうしてそこまではっきり言えるの?」
「――ふっ、あいつは俺のダチだぜ。わかってるに決まってんだろ」
不覚にも思わず零れ出た言葉に、息を漏らすと、
「そっぉおおおおおおおおおおおおおおよねぇえええええッッッ!!」
感情の爆発が飛んできた。
白い大地が爆発四散するさまは神都が崩壊した時よりも圧巻だった。五色の色付き火薬が天に炎の火花を咲かせ、ファンファーレのような喧しい音楽のあとに続いて鳩の大群が色とりどりの紙吹雪を天から散らして見せる。
開耶、お前の感情の高ぶりなんてまだ可愛いもんだったのがいま分かった。
それがこのいまにも俺に飛び掛からんばかりに勢いを貯めているクソ女神がやっていると思うと心底アホらしくなる。
これなら数分前のシリアスで跡形もなく消してもらった方がまだマシだ。
「ああーほんと馬鹿なことするところだったわ!! あなた達が通じ合ってないわけはないわよね。ちゃんとお互いを理解しあってるんだもの。失敗してたらもう少しで、本当に永遠に会えなくする所だったわ!!」
「おいなんだ今の不吉な言葉は、失敗だぁ!? んなリスク聞いてねぇぞ」
「いやーダメねぇ一時の感情で動いちゃ。ほんとあなたが止めてくれてよかったわ」
数分前の自分の台詞も忘れてやがる。テメェの都合はどこ行った。
何度も頷き、飛び跳ねるクソ女神。
うざってぇくらいテンションの落差が激しい奴だ。こんな情緒不安定な奴に神の仕事なんざ務まるとは思えねぇ。
「むっ、失礼ね。これでもわたしは優秀なんだから。ただ『あの子』みたいにこうオープンなオタクには慣れないっていうか。人前に立つのに慣れていないっていうか」
「オタク? ……つーか、テメェずっと気になってたがよ何で目隠ししてんだよ」
「え、えっちょ――」
抵抗し始めるクソ女神に有無も言わさず、黒曜で薄いベールをはぎ取ってやれば、浅い悲鳴のあとにクソ女神の素顔があらわになる。
彫刻のように整った顔つきに薄い肌。キリッと整った切れ目のある目尻は大きく見開かれている。その黄金色の瞳と目が合った瞬間、白い陶磁器のような肌がぼぼぼぼっと見るからに朱色に染まっていった。
戦慄くように震える唇。人間離れした整った容姿。
にしても――
「あ、ああ――」
「んだよ。けっこうな美人じゃねぇかテメェ」
「お、推しのNTRは地雷ですっていうか顔が良いいいいいいいいいいい!!?!」
叫びと共に押し出される一撃は想像以上の痛みを伴って身体中に伝播させていく。
このクソ女神の細腕にどれほど強大な膂力が備わっているのだ。体格的にも頭一つ分高い男を難なく押し出す彼女の一撃は、正確に俺の胸部を捕らえ、
「あっ――」
という間抜けなクソ女神の言葉を最後に、俺の身体は謎の泉の中に沈んでいった。
剥き出しの魂が泉の扉を潜り、新たな世界へと送り出される。
視界が一瞬で闇に染まる。
あの白い空間に引き上げられた時とは逆の感覚が俺を襲う。
こうして不幸にも俺の新たな人生は回りだした。
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