第五話 荒神、面倒ごとに巻き込まれる

「夢じゃなかったあああああああああああああああああ!!!!」


 起き抜けに震わせる絶叫が森を木霊させる。

 黒髪の女が気絶してからきっかり五分。唐突に目を覚ましたと思ったら急にあたりを見渡し、俺を見つけていきなり頬をつねりだしたかと思えばこれだ。

 うるせぇったらありゃしねぇ。

 幸いにも先ほどの絶叫であたりの様子を窺っていた動物たちは一目散に逃げていった。ここにはいるのは俺とローレリア姉妹、そしてこの身元不明の女だけだ。


 銀色の薄い西洋甲冑に身を包み、短く切りそろえられた黒髪を振り乱す大和撫子のような女。中身が全く淑女らしくない喧しい性格をしているが顔は悪くねぇ。

 だが「神降臨キタ!!」だの「よしこれで勝つる」だの訳の分からねぇことを叫んでは奇声を上げるばかりで全く会話にならねぇ。

 俺自身を作ったアニメの向こう側の世界ってのはこんなクソみてぇな奴ばかりなのだろうか。

 あの日ノ本でも穢れに精神を冒され狂った女を数多く見てきたが、その中でこいつはあのクソ女神と並ぶくらい腐った思考回路をしてやがる。


「キメェ」

「キメェいただきました!!」


 仰け反るようにして体を掻き抱き、ぶるぶる震える謎の女。

 既視感のある鼻息の荒さはまさしくあのクソ女神と同族かそれ以上の変態だ。

 黒い瞳を爛々と輝かせては「やばいマジで尊い」とか言って徐々にすり寄ってきやがる。終いには気色悪い動きで両手を出したり引っ込めたりを繰り返してはハァハァと鼻息を荒げて始末だ。


 これがこの世界のデフォかと本気で不安になり隣を見ればどうやら違うらしい。

 今まで黒髪の女を甲斐甲斐しく世話していたルーナも気まずそうに頬を掻き、目を逸らすあたり、とりあえずこいつが異端なことだけはわかった。


「あ、ああああ、あの。はじめまして、荒神裕也さん!! わたし、あなたの嫁、じゃなかったあなたのファンです!! 握手してください!!」

「うっせぇ。普通にしゃべれねぇのかテメェは」

「キャアああああッ!? 触れちゃった触れちゃった本当に触れちゃったどうしようもうぜってーこの右手洗わねぇ!!」


 突き出された右手を払いのけただけでこの反応。ますますあのクソ女神を彷彿させて欠陥がブチ切れそうだ。

 断言できる。こいつは絶対あのクソ女神の関係者だ。


「あのヤエさま、大丈夫ですか? もしかして頭の打ちどころが――」

「ヤエおねぇちゃんなんかへーん」

「へ? ルーナちゃんにマリナちゃん」


 よほど周りが見えていなかったのだろう。ヤエと呼ばれた女が駆け寄るマリナを受け止めると、宝を見つめるような輝いた瞳から一転。周囲を見渡し、その顔色が徐々に青ざめていった。


「あれ、もしかしてわたし気絶してた?」

「はい五分ほどですが、わたしたちをゴブリンの軍勢から逃がしてくれて、覚えてないんですか?」


 不安そうに眉を顰めるルーナの言葉に、空に視線を走らせ呻きだした。そして弾かれたように目を大きく見開くと勢いよくルーナの肩を掴みだした。


「――ッ、逃がしたゴブリンの残党!! 大丈夫? ルーナちゃんどこも怪我してない!?」

「落ち着いてください。ゴブリンの残党ならここにいるアラガミ様が助けてくださいました。私とマリナに怪我はありません」

「うん!! お兄ちゃん強かったよ。こう木の棒でバーンって」


 俺の動きの真似をしているのか落ちた小枝を拾い、その場でクルクル回っては拙い動きで興奮気味に語って見せるマリナ。

 するとその元気な動きをしばらく眺めた黒髪の女が、ルーナの腕にしがみついていた両手を緩めてゆっくりと地面に座り込んだ。

 青ざめた肌赤みが差し、黒髪の女が大きく息をつく。


「そう、か。よかった。悲鳴が聞こえてたからもしかしてと思ったけど、本当によかった」


 黒髪の女は銀色の甲冑を撫でおろし、静かにそう呟いた。


「荒神さん」


 凛とした刀剣の鋭い一言が森に静寂をもたらす一言に、身体が震える。

 あのふざけた雰囲気は鳴りを潜め、改めて俺の名を呟く黒髪の女はまさしく武人だ。凛然と背筋を伸ばし、俺へと向き直る姿は白ユリのように儚く美しい。

 その黒曜石の瞳に宿る真剣に似た輝きに俺はどこか懐かしさを覚えていた。

 その小さな唇がゆっくりと動き、一言一言に真摯な魂が宿っていく。


「この度はわたしの大切な友達を助けていただいてありがとうございます。あなたが助けに来なかったら本当に取り返しのつかないことになるところでした」

「……気にすんな。俺は売られた喧嘩を買っただけだ。大したことはしてねぇ、……とりあえず顔上げな」

「はい、このお礼はいずれどこかで」


 そう言って顔を上げる黒髪の女は、ゆっくりと息をつき小さくはにかんで見せた。

 実際、転生体の簡単な動作確認しておきたかったのは真実だし、こいつが恩を感じているのならそれはそれで儲けもんだ。

 助けるつもりなどなかったが結果オーライと言うやつだろう。


 すると、慎ましい微笑みから言って耐えきれなくなったように視線を左右に動かし始めた。

 その不審な行動に眉を顰めると、喘ぐように口を動かす女の口から絞りだすような言葉が漏れ出た。


「あの、改めてわたし、八雲八重って言います。えっと、ひとりで盛り上がっちゃいましたけど、荒神、裕也さん? ……でいいんですよね?」


 目覚めた時とは一転して萎らしいものだ。徐々に自信なさげに萎んでいく言葉に大きく息をつくと、何度かかぶりを振るって呆れた目で女を見た。


「……俺の名前を知ってるってことは、お前もあのクソ女神が言ってたアニメの向こうの世界。地球って世界にいた人間ってことでいいんだな」

「じゃあやっぱり荒神さんなんですね!?」

「いいから答えろ」


 身を乗り出すヤクモの動きに問答無用で黒曜を向ける。間違いはないと思うが油断するとすぐに話が脱線する可能性がある。

 殺気を込めて低く声の調子を落としてやれば、恐怖とは別種の震えと共に歓喜の声で大きく頷くヤクモの姿があった。


「はい!! わたしは十四番目の渡航者です」


 するとルーナの方で息を呑むような声が聞こえてきた。

 まさか友人が渡航者だとは思わなかったのだろう。だがいまはどうでもいい。


「なら俺を知っているのも」


「それはもちろんあなたの大大大大ファンだからです。発売当時からあなたのキャラデに惚れて、それ以来ずっと追いかけてました。西に新刊が出れば学校を休んででも手に入れ、東でイベントがあればグッズを買いあさりチケットを死に物狂いで手に入れる。それくらいあなたを崇拝していました!!」


「ねぇねぇおねぇちゃん。イベントってなぁーに?」

「しっ――、マリナ。アラガミ様とヤエ様はいま大事なお話の途中です。邪魔しちゃいけません。教養が足りていない私たちじゃ理解できないけど、きっと冒険者の方にしかわからない重要なお話かもしれない」


 そう言ってマリナの口をふさぐルーナだが、安心しろ。俺もこいつが何を言ってるのかさっぱりだし、たいして重要なことは言ってねぇ気がする。

 理由は簡単。こいつがあのクソ女神と同類だからだ。


「でも追いかけすぎて、トラックにひかれてSuicide Crownの最終回を見ることなくこの異世界に転生させられちゃいまして――、でもあのクソ女神、最後の最期でマジぐっちょぶ。わたしの人生に一生の悔いなし」


 どうやらこいつも一度なにかの琴線に触れると話が止まらない質の人種らしい。

 興奮気味に親指を立てては、訳の分からねぇこと騒ぎ立てているがここは無視しても大丈夫そうだ。

 俺の知り合いにもこういう輩は存在したから扱い方はなんとなく心得ている。

 刺激せずきちんと話の筋道を導いてやれば、おのずと自分から情報を漏らすようにできている。


「……てことは、テメェもあのクソ女神に転生とかふざけた真似された口か」

「はい、死んだと思ったらいつの間にか真っ白な空間にいて、エルちゃんと出会って。なんでも同じく敬愛するアニメの同志として話がしたかったみたいです。でも話していくうちにリバカプマジありえねぇ!! とかで天照君と荒神さんのどちらが尊いか論争になって、つい勢いで――」

「転生しちまったと」

 

 なんとなく事情はつかめた。

 つまり俺と似たような理由でこっちに放り出されたのか。

 なんだかよくわからねぇ内容の話も混ざってはいたが、そこは気にしない方がいいと俺の本能が訴えかけている。


「ん? ――ってことは荒神さんもあのクソ女神に!? ていうか最終回どうなったんですかマジで教えてください」

「ベタベタ触んじゃねぇ気色わりぃ」


 鬼気迫る表情で詰め寄ってきたので適当に払いのけてやれば、行き場のない両手が虚空を彷徨い、悲観に暮れた口元から嗚咽が漏れボロボロと泣きはじめた。

 

「うう――、ほんとこの異世界に飛ばされてただひたすら元の世界に戻ることだけを生き甲斐に考えて生き抜いてきたけど、本当によかった。まさかこんなところで荒神さんに会えるなんて生きてて本当によかった」


 感情の起伏が激しい女だとは思ったがここまでやべぇ奴だとは思わなかった。

 若干、身の危険を感じ僅かにたじろいでいると、目もとを赤く泣きはらすヤクモの動きが唐突に止まった。


「――ん、ちょとまてよ。というとこはあのクソ女神。わたしを荒神さんのいる世界に放り出すこともできたんですよね」


「んなもん俺が知るか。俺はあのクソ女神に、無理やりデータを掬い上げたつってこの世界に突き落とされただけだ。あいつの事情なんておれが知るわけねぇだろ」


「いいえ、荒神さんをこっちに飛ばせたってことは絶対できたはず。わたしが泣き叫んで懇願しても首を縦に振らなかったくせに、あの野郎ぜってぇ天照君の懇願一つで無理やりルール捻じ曲げやがったな、あのまな板女神!!」


「なんでそこまでわかる」


「わたしだったら己の存在全てをかけてでもやりますから!!」


 堂々と胸を張り言ってのけるヤクモ。


 つまりこいつもオタクとかいう同類という事か。

 妙に納得できる自分が嫌になる。

 そしてこんな変態の手を借りねばならないのも。


「……俺はあのクソ女神から詳しいことは身近な奴に聞くようにつってこの世界に落とされてここに来た。テメェの方はどうなんだ」


「あーまじか。ならマジでぐっちょぶだよ。ごめんねさっき呪い殺してやるとか思ってこれでぜんぶ報われたわもう死んでもいい」


 マジで話が進まねぇ。こんなんじゃ全て聞き出すのに朝までかかりそうだ。

 どうすべきか視線を走らせていると先ほどから気まずそうに視線を走らせているルーナが見えた。

 とりあえず、ここは話をいったん切り替えた方がよさそうだ。


「……おい、ルーナ。お前このクソ女は知り合いか」

「えっ!? あっはい!! えっと、半年前に私達の村を助けてくださった冒険者様です。今日と同じく魔物の軍勢に追われてたところを助けて頂いて」

「うんうん。あの時は今日の三倍いたから大変だったよねー。オークとオーガもいたし一人じゃきつかったなぁ」

「あの時のおねぇちゃんかっこよかった!! 一人でたくさんの魔物を倒してくれてお父様も村の英雄だって褒めてたよ?」

「おー、それは嬉しいこと言ってくれるねぇ、ほーらうりうり」

「くすぐったーい!!」

 

 そういって森に声高な笑い声を響かせる二人。そんな彼女らの戯れとは別に衝撃な事実に、顔をしかめた。


 この女が軍勢をたった一人で片付けただと。


 確かにゴブリンは雑魚だ。

 ルーナのような非力な人間にしてみれば厄介な化物だが、そこそこ知恵の回る程度で軍勢で来らればたいした相手ではない。しかしこの女はあろうことか少なくとも三十体以上の化物を一人で相手取り、さらに上位の存在を相手に一人でしのぎ切ったというのか。


 ヤクモの身体つきを観察する限り、そこまで戦闘向きの身体だとは思えない。

 佇まいや体の動かし方は確かに戦士の雰囲気を漂わせているが、鎧の隙間から覗く筋肉は村人のルーナとそれほど変わらない。

 だが実際、魂の匂いをかぎ分けられる俺の鼻は、彼女がそこそこの強者だという事を物語っている。


「(クソ女神は英雄になれるほどの天恵を授けるとか言ってたがそれがこいつの身体に影響してんのか? だが今はこの女からそれほど特別な力は感じねぇ。一体どうなってやがる)」


 改めて黒髪のショートボブのヤクモを見つめれば、疑問を浮かべたような表情で俺を見返すヤクモが小首をかしげるとともに、なぜか目を逸らして赤くなった。


「あ、あの荒神さんそんなに見つめられると恥ずかしんですが」

「あん?」

「そりゃあいくらわたしが美少女だからって、そんな熱い視線で見つめないでくださいよ。私はまだ誰にも身体を許す気はないんです。……でも、荒神さんにならわたし――ぶぼらッ!!」


 いきなり飛びついてきたところをクロスカウンターを決めて黙らせる。

 女に手を出さないといっても限度がある。こいつは正当防衛だ。


「で、じゃれついてるとこ悪いが、テメェ等はなんだってこんな物騒な森にいた」

「――えっ? あ、はい。守り神様に供物を届ける最中だったんです」

「守り神?」


 不自然に眉根に力を籠めれば、大きく頷くルーナの返事が返ってきた。


「はいロンソン村だけでなくここ近辺の村々の守り神様です。三百年前、この森に現れてわたし達村人の安寧を守ってくださるだけでなく、作物の豊穣を約束してくださいました。今日はそのお供えの日だったんです」

「……くだらねぇ。テメェ等は本当に神なんているとでも思ってるのか」

「守り神さまはいるもん!! マリナだって見たことあるもん」

「で、その道中にあのゴブリン共に襲われたと。はっ――守り神が職務怠慢ねぇ大層な神もいたもんだ」


 そう小馬鹿にして肩をすくめると、頬を膨らませたマリナが何度も地団太を踏み始める。

 その様子からするに村ではよほど信仰された神なのだろう。

 だが俺は神がどれほど身勝手で、クズな存在かを知っている。

 どうせここに住むという土着神という存在ももろくな奴ではない。


「過去にゴブリンが出てくるってわかってたんならなぜ護衛を雇わなかった」

「それがわたしが護衛につくはずだったんですけどね」


 いままで地面に伏していたヤクモがよろよろと起き上がり、苦笑を浮かべた。


「はい。はじめはヤエ様が護衛をしてくださる予定だったのですけれど、時間になっても来ていただけず、わたし達だけで言ったのがまずかったようです」

「結局コイツが原因かよ」

「いやー、わたしも途中まで頑張ったんですけどねぇ。道がふさがれていたり魔物の群れがたむろしていて蹴散らすのに時間がかかって――」


 この通りですと手を広げ、血だらけの銀色の鎧を指して見せた。

 つまり足止めされたと。


「その供物って奴は落としたのか?」

「こちらにあります」


 そう言ってルーナが襟の下から紐を引っ張り出せば、淡く水のように輝く小さな鉱物が顔を出した。

 清涼な水の音と共に、僅かに甘い香りが鼻腔につく。


「魔鉱石。別名、信徒の涙です」


 聞けば、村人の日々の祈りと感謝を吸収して魔素という力を止める魔石だそうだ。

 魔石という存在がどのようなものかはっきりとは知らないが、要は俺の持つ黒曜と似たような能力なのだろう。

 感情や思念を喰らい力に変換する鉱石。

 それならば日ノ本にも似たような鉱物が存在するのでイメージしやすい。


「村から選抜された娘が、守り神様に一年の感謝を魔石に込めて捧げる。これをお供えすることが私たちの使命なんです」


 包み込むように水色の魔石を握ったルーナが、服が汚れるのも気にせず祈るように膝を折った。それに続いて妹のマリナも同じように地面に座り、俺を見上げてくる。

 

「もしご迷惑でないのでしたら、守り神の祠までついてきていただけませんか? ここからそう遠くないのでそうお時間は取らせません。もちろん、それ相応のお礼はさせていただきます!!」

「はいはーいそれにはわたしも大賛成!! 魔物が活発化した森で幼気な二人の少女を守るのは心細いのでついてきてくれるとありがたいです。何だったらな、報酬とは別にわたしも大好物の甘いものおごりますから」

「え、お兄ちゃん甘いもの好きなの? じゃあ今度マリナが今度作ってきてあげる!!」


 キョトンと間抜けな顔を曝してみせるマリナの顔が、たちまち明るい色に染まりキャッキャッと興奮気味な喜びが飛んでくる。

 明らかに確信犯だとわかるヤクモを睨みつけてやれば、してやったりと笑うヤクモが鼻をその人差し指で擦って見せた。


「……テメェ」

「へへ、荒神さんにかけてわたしが知らないことなんてないんですからね!!」


 そう言って立ち上がると、ヤクモは意気揚々と森の中を進み、祠があるという森の中央まで進んでいった。

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