第四話 荒神、目的のものを見つける

「ちっ――、試運転にもなりゃしねぇ」


 血にまみれた黒曜を振るうと、身体にこびりついた血液や肉片までもが蒸気と共に消えていく。それと同時に、胸糞悪くなる泥くせぇ味が口の中に広がり顔をしかめた。

 こんなまじぃ魂が存在すんのか。


「マリナ!!」

「ルーナおねぇちゃん」


 まさにお涙ちょうだい。

 必死に抱き合いながら大粒の涙を流す姉妹。成り行きで助けちまったが、どう考えてもこの後面倒ごとに巻き込めるパターンだ。

 さっさと消えてクソ女神の言う『あの子』とやらを探そうと踵を返すが、


「あ、あの」


 やはり運命は俺を放っておいてはくれないらしい。呼び止められてしまった。

 このまま森を突っ走ってもいいが、闇雲に動いても時間の無駄だ。大きく息を吐き振り返ると、安堵の表情を浮かべた女とその幼女の二人と目が合った。


「まだ何か用か?」

「この度は危ないところを助けてくださりありがとうございました。おかげで妹もこうして無事で、あっ――、わたしロンソン村の村長が娘、ルーナ=ローレリアといいますそしてこっちが――」

「いもうとのマリナ=ローレリアです。助けてくれてありがとーお兄ちゃん」

「あっ――、こらマリナ」


 無邪気な笑みを浮かべて駆け寄ってくるマリナと呼ばれる幼女。このガキは正しく危険を察知できない年頃なのだろう。何のためらいもなく俺に抱き着くと、その大きな茶色い瞳を輝かせて俺を見ていた。


「すごいねお兄ちゃん。ゴブリンだけじゃなくホブゴブリンまで倒しちゃうなんて。ねぇお名前聞かせて!!」


 マリナの方から視線を外せば畏まったように頭を下げる姉のルーナ。どうやら妹の無邪気さにつられて勝手に危険でないと判断したらしい。

 わかりやすく胸を撫でおろしては妹を引きはがすように近寄ってきた。

 ったく、この世界の人間はどうなってやがる。

 不用意に人間に近づいて襲わるっつう思考はねぇのか。


「あの、無礼だと存じておりますがお名前をお聞かせいただいてもよろしいですか」


 恐る恐るといった形で言葉を吐き出すルーナ。一瞬、偽名を名乗ろうかとも考えたが、今後のことを考えて面倒くさくなりやめた。

 どうせ巻き込まれるのは目に見えているし、何より今は情報が一つでも欲しい。

 多少なりともこの世界の情報を引き出せるのなら名前の一つや二つ惜しくない。

 それに恩義一つでも感じているのであれば後々何かの助けになるはずだ。


「……荒神裕也だ」

「アラガミ=ユウヤ様、ですか。不思議な響きですね」

「ああ好きに呼びな。それと俺からも一つ聞きてぇ。ここはどこだ」

「えっ? ここは始まりの森だよ」


 ルーシーの手で引きはがされ頬を膨らませた表情から一転、キョトンと首をかしげるマリナの方から声が上がった。 


「……始まりの森?」

「はい、由緒正しき勇者様が五千年前に初めてこの世界にやってきたことからそう呼ばれています。別名、渡航者の森とも言います」


 渡航者。


 つまり異世界から渡ってきたやつらのことを指すという訳か。

 『あの子』に聞けというのは俺と同じように異世界から渡ってきたものに聞けという意味か。


「紛らわしいこと言いやがって」

「あ、あの何か気に障ることでもしましたでしょうか」

「あん?」

「い、いえ。何かお怒りの様子だったので。何か私どもが失礼を――」

「……いいや、テメェ等には関係ねぇことだ。気にすんな」

「そ、そうですか。すみませんでした」


 よほど俺が怖いらしい。抑えようと左手で掴む右腕の震えが隠せていない。

 まぁ助けてくれと懇願して無視するような奴のなかに善人がいねぇのはわかり切ってる。むしろ俺はその最たる存在だろう。


 そう言い淀んだのもつかの間。餌を求める鯉のように喘ぐルーナの口から控えめな提案が飛び出してきた。


「あ、あのアラガミ様。よろしければ村においで願いませんか」

「……なんで俺がテメェ等の送り迎えまでしなきゃなんねぇんだ」

「――ッ!?」


 伏せた顔を勢いよく上げ、慌てて視線を逸らすルーナ。妹の方はよくわかっていないようだ。


「な、なんでそれを――」

「考えれば簡単なことだ。ゴブリンなんて化物のうろつく森だ。俺であれば問題ないがテメェ等じゃあ取って食われるのがオチだもんな。報酬で釣って体のいい護衛にでもしようって魂胆だろ」

「申し訳ありません」


 自分の胸中を言い当てられて頬を紅に染め俯くルーナ。

 自分の小ささを理解しているが故の提案だったのだろう。

 見返りをチラつかせ、俺を利用する形で自分たちの安全を確保する。

 なんともわかりやすい。


「だが、おもしれぇ」

「――えっ!?」


 驚きの声を上げ顔を上げるルーナーはその琥珀色の瞳を俺に向ける。


「面白れぇっつんでんだ。殺されるかもしれねぇってわかってて言ってんだからなおのこと気に入った。いいぜ、村に招待されてやるよ」

「いいん、ですか?」

「ああ、ただの善意でなんてつまんねぇこと抜かすんだったら切り捨てたところだったが、俺を利用しようなんざあの上流貴族ども思いつかねぇ大それたアイディアだ」


 シシシっと歯の隙間から声を漏らし、


「まぁただし――」


 草むらから飛び出した人の姿をした何かへ黒曜を振りぬいた。


「邪魔者を排除してからだけどな」


 ぶつかり合う剣戟と剣戟が風圧を生む。

 抱えるように彼女の肩を抱き、巻き起こる疾風に甲高い悲鳴が上がる。

 先ほどまで生きていたゴブリンとは比べ物にならないほど上質な一撃。自然と口角が持ち上がるのがやめられない。噛み合った刃と木刀。

 そしてそれは煌めくような黒曜石にも似た輝きの瞳と目が合い、


「――荒神、裕也?」


 不意に振りかぶった黒曜の軌道が僅かにブレた。

 何故その名前を知っている。

 隠れて聞いていたか、それとも俺そのものが目的なのか。

 とりあえず今は関係ねぇ。


 ようやく骨のあるやつが現れやがった。


 黒曜は敵を殺したが最後、永遠に神気と穢れを吸収する禁呪具だ。エネルギーが底をつくなんてしょうもない結果は本来ありえねぇ。

 筋肉の一本一本の繊維に穢れを取り込み、一気に亜音速並みの速度で打ち振るう。

 一秒にも満たない瞬時の加速が獲物の命を刈り取るために牙を剥く。

 これで死ねばそこまでだ。しかし俺の中でこいつはよけるという確信があった。


「――」

「――ッ!?」


 目を丸くする珍妙な姿の女の言葉に眉を顰める。

 振りぬかれた黒曜。

 それはまっすぐ首を断つように空気を切り裂いて女の首まで伸び、


 空を斬った。


 手ごたえはない。

 しかし、黒曜を振りぬいた先で確かに鮮血が舞った。

 それは荒神が切り離した首からではなく、


「ヤクモおねぇちゃん!!」


 崩れ落ちるように後ろに倒れる女の鼻から吹き出したものだった。

 派手に転倒して土ぼこりが舞う。

 慌ただしく背後からルーナとマリナが駆け寄り、手当てを始めだした。


 どうやら二人の知り合いらしい。何度も頬を叩きながら女の名前を呼んでいる。

 死のうが死ぬまいが関係ないが、いま死んでもらっても困る。


「チっ――どいてろ。俺がやる」


 手当を始めようとするルーナとマリナを押しのけ、黒曜から漏れ出た僅かな穢れを神気に変換させる。

 天照開耶と違って俺はそこまで神気に愛されるような体質ではない。

 本来ならこんな使い方はしないが、非常時の上ここで時間を取りたくない。

 僅かに溢れ出た白い輝きを女の銀色の甲冑に押し当てると、光は徐々に女の身体を包み不規則に上下した呼吸音が正常なものへと変わっていった。


「大丈夫なのですか?」

「ああ、ただの脳震盪だ。そう心配するようなことじゃねぇ」


 目覚めるまで五、六分といった所か。

 そう伝えるとホッと胸を撫でおろして、再び甲斐甲斐しく女の世話をし始めるルーナ。よほど重要な人物なのか


 異様に血や肉片のこびりついた格好だが、ルーナたちと同じようにどこかでゴブリンにでも襲われたのだろうか。しかし、頭部の打ち身以外に負傷していないところを見ると全て返り討ちにしたらしい。

 冒険者。俺の名前。そして見覚えのある太刀筋。

 そこで耳にこびりつく聞き覚えのある言葉が思い起こされ、俺は灰の髪を掻き揚げて大きくため息を吐き出した。


「尊い、か」


 俺が打ち放った太刀筋を完全に見切ったうえで、こいつは気絶する前に俺に向けて言い残した言葉だ。

 そんなふざけたことを口走るクソを俺は一人しか知らねぇ。


「こいつがクソ女神の関係者ねぇ」


 気絶した女に目を向ける。

 そこには幸せそうな顔をして地面で眠りこける黒髪の女の姿があった。

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