第14話

「このパソコン古くね? いかにも最新型みたいなゴツイ見た目のくせにワードの起動すらままならないぞ」

「それ。パソコン室にある奴のほうがよっぽど優秀だから。……ただいちいち使用許可とるのがマジでめんどい」

「なー、俺もこの前無断使用がバレて怒られたわ」

「マジかよ、やるな如月」

 わが校の生徒会長は、部屋の最奥にある席でクラス企画がそれぞれ品位を伴った適切なものであるかの審議を一人でしながら応えた。ヨーヨー釣りを行いたいクラスについて、果たしてビニールプールの使用は安全なのか、お客さんは汚れないか……そんな傍からすればどうでもいいことに頭を悩ませている。後で実地実験を敢行するとのこと。

 ここは生徒会室。俺は清流祭で行われるバザーがどのような意図で行われるか(今年は熊本地震の被災地への寄付金調達という名目)を伝える原稿に写真を織り交ぜて二、三枚の紙に編集、印刷している最中だった。出来上がったものはバザー会場に貼りつけ、このバザーがただのお金儲けではないというアピールにする。

ではなぜ生徒会に俺がいるかというと、バザー係長が生徒会室のパソコンで印刷しようとしたら、そのパソコンがあまりにも低スペックなものだったので、助けを呼ぼうということで俺がここまで召喚されたからである。

「あ、そういや会長は演劇の話はどこまで聞いてんの?」

「ああ、明日辺りに軽く台本を読み合わせたりして、あとは前日にリハーサルだと」

「ほーん……それ俺も行かなくちゃダメ? 文芸部の看板とポップ作んなきゃいけないんだけど」

「そんなもん前日準備で何とかなるだろ」

「まあ如月は優秀だからそれくらい屁でもない作業量ですけども?」

「んじゃあ文句言わず参加しろよ!」

 生徒会長とはクラスメイトとして三年間の付き合いがあった。書記だったか会計だったかを好き(日向談)だというのは知らなかったが、しかしまあそれでも軽口を言い合えるくらいの仲ではある。最近は「俺は受験よりも清流祭を盛り上げる方に命懸けてるから」が口癖。

「ただいま~」

「おかえり~。分かったぞ、このパソコン……」

「おお、さすが如月! じゃあ印刷できるんだな?」

「いや、このパソコンは無理だ。大人しくパソコン室を管理してる先生(名前は知らない)に頭を下げよう」

「えー」

 生徒会室に戻ってきたバザー係長は俺がさじを投げたことを知ると即座に面倒くさそうな表情へと顔面を切り替えた。俺がパソコンと格闘している間に、実行委員としての仕事に忙殺されて成績が下降気味の彼は、そのことでネチネチとキタムーから嫌味を言われに職員室へ呼び出されていたのだ。

「でも待てよ……バザー係担当の先生に生物室の準備室みたいなの持ってる人いたよな?」

「生物室の準備室?」

「アレだよ、生物室奥にある小さな部屋。あそこパソコンとプリンターあったよな? その先生に頼めばいいんじゃね? 俺行ってくる!」

 そんなわけで、バザー係長は生徒会室に戻ってきたと思ったら、俺からUSBメモリを受け取ってすぐにまた出ていってしまった。相変わらず忙しない。

 忙しないといえば最近は、もっと忙しないはずの広報係長、日向――下の名前は何だったろう、確か向日葵みたいで実際は向日葵じゃない……ああそうだアレだ、茜か――は一体どうしたことだろう。初稿兼完成原稿を渡して以降、俺は彼女の姿を全く見ていなかった。広報としての活動がいよいよ大詰めを迎えているのだろうか。

 まあ何であれ、どうせ明日の読み合わせで顔を合わせることに変わりはなかろう。

 文化祭当日まで残り一週間を切っていた。



 残り一週間を切ってくると授業も中止、一日のすべてが準備時間となり、いよいよ祭りへの士気も高まってくる頃あいだ。インターハイを目指す引退間近の運動部の面々もようやく準備に加わり、非日常感がより一層前面に出てくる。放送係はスピーカーの点検と称して、当日のリハーサルや生徒会長や実行委員長が出演したローカルラジオの録音、果ては公募で決められた当日に流す音楽などを好き勝手に流している。

「またこの曲!? 流れすぎじゃない?」

「ずっとコレ流してるよねー」

 バザー会場へ机を運ぶ最中、二年生の教室の中から女子たちのそんな会話が耳に入った。

「――だそうですが?」

「ヤベエヤベエ……」

 前夜祭では実行委員会がダンスを披露するのだが、その曲目がさきほどの会話の「流れすぎている曲」なのだった。生徒たちを曲に馴染ませようと、三曲に一回くらいの割合でこの曲を流していた実行委員会及び放送係である。

「如月、作戦変更だ。もうちょっとサブリミナルの頻度を下げるよう放送室へ伝えてくれ」

 ヤベエヤベエと唱えていたバザー係長は俺と一緒に抱えていた長机から俺を剥がし、一人でかつぐと力強く進んでいった。

「俺放送係に知り合いとかいないんですけど……」

仕方がないので、俺は踵を返して放送室へと向かった。



「あ、如月くんお疲れー」

「知り合いいたし……」

「知り合い?」

「ああ、こっちの話。ちょっとバザー係長から伝言があって、ダンスの曲が流れすぎてみんなから不興を買ってるので、流す頻度を抑えるようにだってさ」

 校舎の隅、設計上どうしてか余ってしまって仕方なく使用されているような、そんな謎のスペースに放送室はあった。俺自身これまでの学生生活で入ったことなど一度もなかったのだが、果たして、その先には見知った文芸部員がのんきに昼食を食べていた。

「ああ、分かった対処しとくー。そっかやり過ぎたか……」

「正直キツかったわ、いつまでコレ流す気だって、そう不満に感じてたやつもいるかもしれない」

 俺のことだ。

「あはは、ゴメンゴメン」

 彼女は文芸部員の三年生で、また……何の部活だったか、とりあえず何かしらの部長としても活動する女子だった。聞けば放送係長も担当しているとのこと。最近なかなか文芸部に顔を出さないわけだった。

「小冊子の進捗のほうは?」

「すでに完成してる。あとは看板の作成と……当日図書館に誰か部員いたほうがいいかな?」

「別に要らないんじゃない? 前回は和綴じ本を作成しようっていう体験だったからみんなシフト入ってただけで」

「そっか。じゃあ看板だけか」

 文芸部の展示について軽く言葉を交わす。そういえば今回の小冊子に彼女は作品を出していないのだったか。まあ正直に言ってしまえば、彼女の作品のレベルは(検閲)ので、ありがたい。

 俺は「それじゃあ、頑張って」と言葉を残し、薄暗い部屋の中、一人で弁当を頬張る彼女と別れた。



 放課後に行われた台本の読み合わせはつつがなく終了した。配役は生徒会の主要メンバーにあらかじめ日向が声をかけていたようで、全員駄々をこねることもなく進行していった。さすが、生徒会なんていう体のいい雑用係に自ら進んでなったマゾヒストたちである。

「てめえ俺になんてカッコさせるんだよ……」

「恨むなら手芸部を選べ手芸部を!」

 衣装に関しては少々生徒会長が駄々をこねないでもなかったが、そんなもの俺のせいにされても困る。会長としては好きな人の手前、あまりふざけた格好はNGなご様子。

「さて、いざ実際にやってみて何か変更したい点などはありますかな?」

「いや別に……大丈夫でしょ」

 俺は日向と共に体育館の戸締りをしながら今後について話し合っていた。といっても元々がごく短い寸劇のようなもの、特に難しいシーンもなく俺としては出すべき指摘もないというのが本当のところだった。決して面倒だとかそういうのではない。

「……で、日向は何でまだ衣装着てんの」

「可愛いでしょ?」

「否定はしないけども」

「おっとその反応は予想外だった」

 発起人としてもちろん劇に出演する日向は、ライオンを模した衣装を身にまとっていた。ゆるキャラのように全身が隠れるものではない、何というか、真っピンクの部屋に住むようなメルヘン女子がパジャマに着るような、そんな感じの服装だった。ドンキにありそうなコスプレ衣装といえば分かるだろうか。

「そもそも台本の読み合わせで衣装を着る必要なかっただろ」

「えー、気分だよ気分。楽しかったでしょ?」

 鍵を閉め、体育館を後にする。鍵はどこへ返せばいいのだろうか。体育教官室の先生はすでに帰ってしまったのかいなかったので、職員室まで行くと、当直の先生に事務室へ返すようにと言われ、二転三転の返却劇になってしまった。

 事務室から出ると、そこには衣装から普通の制服姿へと戻った日向が待っていた。俺が鍵を返す間に、彼女は出演者全員の衣装を手芸部の部室へと返却していたのだった。

「いやー今日はありがとね。んで、もう一つお願いがあるんだけどさ……」

「まだあるの……」

 これで解放されると玄関へ足を延ばそうとする俺を日向は引き留めた。俺は十分疲れたのだが、まだ俺をこき使うつもりか。

「実は終わらなさそうな作業がまだ残ってて……如月くんに手伝ってほしいなー、なんて」

 なんだかんだで人には優しい奴だという自負のあった俺だったが、この時ばかりは自分でもどうして首を縦に振ったのか――つまりは日向の頼みに応じようと頷いたのかをすぐには理解できなかった。

 俺はその時どんな顔をしていたのだろう。嫌々ながら渋々といったような表情だろうか、それとも疲労に顔を歪ませていたのだろうか、それともそれともまさかの可能性で嬉々として頷いたりなんて可能性もあったのだろうか。

 何にせよ、俺の承諾に喜色満面、華やかな笑顔を浮かべた日向に、俺が平静らしからぬ胸の高まりを覚えたことだけは、どうやら厳然たる事実らしかった。

 日向の顔をまともに視認できない。見ようと努めると顔の辺りが妙に熱く感じられた。子供のように俺の手を引いて駆ける日向、その日向が俺に触れている部分だけが、やけに熱く感じられた。

 俺は今、青春をしていた。



 二階の東端に位置する多目的室には大小さまざまな段ボール箱が並んでいた。それぞれ箱にはS、M、Lと大きくマジックで書かれている。中を覗いてみると、何枚ものTシャツが紀律よく敷き詰められていた。黒色の素地にワンポイントとして赤、青、黄の三色が背中の部分に彩られている。

「あー、学祭Tシャツか」

「それそれ。全校生徒八四〇人分あります」

「まさかとは思うが、これを運べと?」

「それぐらい簡単な作業だったらよかったんだけどねえ……」

 カバンからクリアファイルを取り出しながら不吉なことを呟く日向。彼女はクリアファイルの中から一枚のA4用紙を抜き取り、俺の前に示す。

 一年一組、Sサイズ一三人、Mサイズ二四人、Lサイズ三人。一年二組、Sサイズ八人、Mサイズ――

「各クラスのサイズ表ね……この数字に合わせて、一クラスずつTシャツを箱に詰めなおしてほしいの」



 清流祭では大まかに二種類のTシャツを記念として作成する。一つは係Tシャツで、実行委員会の用意した係に配属する生徒用のTシャツだ。希望者のみ、一五〇〇円で購入可能。シャツの種類は係の数だけ存在し、物好きな人は参加してもいない係のTシャツをわざわざ購入したりもする。ちなみにバザー係のTシャツは紫地に黄色で可愛らしいキャラクターが描かれたものとなっている。バザー係長は絵も得意なのだ。

 そしてもう一つが今回俺たちが仕分けなければならない学祭Tシャツ。年度初めにあらかじめ徴収したお金から費用を捻出するため生徒全員の手にわたり、当日に一人だけ制服姿になってしまうなんて心配もない。

「こんなんクラスの総務にさせればいいじゃん、何でここまで俺たちが……」

 総務とはまあつまり学級委員長のことだ。

「いやー、そうすると絶対混雑するし混乱するし数え間違えが起こるからさ。こうして私たちがクラスごとに整理しなおすことで発注側のミスがないかを確認する役割もあるし」

「大変だねえ……」

 そんな言葉を漏らしながら、俺は一年生のクラスから順番にシャツを適宜詰め込んでゆく。日向は三年生のクラスから。

 いざやってみて分かったことだが、なるほど、確かにこれは混乱する作業だった。人海戦術は極めて有効な作戦かもしれないが、今回においてはこうして少人数で行ったほうが、紛れもなく的確に作業が進むのだった。少数精鋭というやつだ。

 午後八時から始まった雑務はあっという間に時間を奪い、すでに時刻は午後十時を過ぎようとしていた。

「終わったあ~」

「終わったあ~」

 全二一クラスのシャツの数とサイズを確認しなおして、ようやくTシャツの詰めなおし作業は完了した。二人してその場にへたり込む。窓から覗く夜空は深い闇に覆われていて、それが夜の学校という不思議な違和感を改めて抱かせてくれる。蛍光灯の明かりをここまで明るくまぶしいものと感じたのは初めてかもしれない。

「いや~正直本当に助かったよ。ちょっと一人でやるには億劫すぎてさ、マジでやりたくなかったんだよねコレ」

「誰かほかの実行委員を頼れよ、手伝ってくれないわけないだろうに」

「みんな忙しいからねー、あんまり邪魔したくない」

「俺はいいのかよ……」

「あはは、だって暇そうだったし――文芸部の作業もほとんど終わってるんでしょ?」

「優秀な部長が在籍してるものでね」

「クラス企画のほうは?」

「さあ、結局どんなことをするのか理解してるやつが一人もいない気がする。ぶっちゃけ文芸部やバザー係の手伝いを理由にクラス企画の作業を抜けられることに感謝すらしてるくらいだ」

「うわーひどっ、まあ私も似たようなものか……」

 しばらくはそんな他愛のない会話が続いた。身体的にも精神的にも疲れていたのか、とにかく建設的な会話をできた自信はない。ただダラダラとこの時間を名残惜しそうに過ごしていた。

「よし、じゃあそろそろ帰ろっか」

 と日向が揚々と言って元気良く立ち上がったのは、作業が終了してから三〇分が過ぎたころだった。動きに合わせてはためいたスカートが妙になまめかしかった。

 しかし、俺はそれをじっくりと観察することはかなわなかった。別にじろじろと日向のことを見ていたのがバレたからだとかそういう理由ではなく、それ以上の衝撃が俺を襲ったからだった。

「――アレ?」

 元気良く立ち上がったはずの日向が、その勢いのまま倒れた。

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