第11話

 一階と二階に、もはや私的に芸術と呼べるようなものは何一つとして存在していなかった。現代音楽や現代絵画に代表されるような大衆に媚びない現代芸術なぞ滅んでしまえ。キュビズムを私に見せるな。

「いやちょっと待って! せめて! せめてゲルニカだけは観させてくれ茜!!」

「ミーハーめ」

「元々そういう趣旨の美術館なんじゃないの!?」

 そうだった。

 一応如月についていって『ゲルニカ』を確認する。中学の美術の授業で確かとても大きな絵であると学んだ気がするが、前述のナポレオン戴冠画の方が何倍も大きかったのでそこまで圧倒されはしなかった。こんなものを描くためにピカソさんは三ヶ月も要したというのか。変な話だ。



 いよいよ閉館時間が迫ってきた。鳴門駅までのバスが発車するまでの数十分を、私は地下三階の模倣システィーナ礼拝堂で過ごしていた。横長の椅子に座って首を痛めながら天井画を眺めるが、知識のない私は残念なことにそこから聖書の物語を読み取ることは適わなかった。そういえば確かミケランジェロもこの天井画に根を詰めすぎたせいで首が曲がってしまったのだったか。今なら彼の気持ちを数万分の一ぐらいは理解できているかもしれない。

「そろそろ行くぞ」

「はーい」

 上を向いていた私の視界を遮るようにして如月の顔が現れた。私は椅子から立ち上がって礼拝堂を抜け、長いエスカレーターを降りる。

 美術館を出ると外は暑かった。今が夏だったのを思い出す。バスを待つ来客のために設置されているのだろうか、すぐ横の休憩室でペットボトル入りのお茶を買って涼む。

「一応これで今日の予定は終了」

 如月はパンフレットをリュックにしまいながら言う。

「じゃあこの後はどうするの?」

「次の観光地までだいぶ距離があるので、そこまで今日のうちに出来る限り進んでおく」

 バスに乗り込んで元来た道を帰る。海峡に架かる橋の上から望む海は夕日を鱗のように乱反射させていてきらびやかだった。

 鳴門駅からは高徳線直通の鳴門線で徳島方面へと向かう。相変わらずというか仕方ないというか、やはり次の電車までは時間があったので、すぐ近くのドラッグストアで軽食を購入する。というよりもその真なる目的は涼しいところに避難したかったからというのが適当か。買い物に勤しむ主婦たちはお互いに知り合いらしく、そこに世界の狭さを感じる。いや別に悪口とかそういうことじゃなくてね?

 電車に乗って数十分、雨が降り出した。

「うわ、雨かよ……」

 つい先ほどまで夕日がきれいだったのを嘲笑うかのような降りっぷりだ。夕立らしく、所々雲の隙間から青い空が覗ける。

「まあ夕立みたいだし大丈夫でしょ、野宿するわけじゃあるまいし」

「……」

「嘘だろオイ」

「待ってくれ! 俺も正直分からないんだ!」

 如月は両手を前に出してストップのポーズをとる。

「今日は出来るところまで電車で移動するってさっき言ったろ。徳島まで行って、そこから徳島線っていうので四国のど真ん中を目指すんだ。ぶっちゃけ、俺はそこがビジネスホテルを経営できるほど発展しているのか分からない!」

「また随分とぶっちゃけたな……」

「ついでにちょっと調べたところネットカフェは存在していませんでした! ついでにさっきから駅の構造を見てきたけど、とても人が寝泊まりできそうな駅舎はない!」

「……うわあ」

 窓の外へ目をやる。雨は間断なく降り続けていた。というかさっきより強まっていた。西日本豪雨からあまり日が経っていないというのに……当たり前だが、やはり自然現象はこちらの都合などお構いなしだ。

「考え直しませんか如月さん。今日は大人しく徳島駅で夜を明かしましょう、ねえ?」

「いや、そうすると五日間以上かかってしまう……」

「……うわあ」

 青春十八きっぷは五日間分を一万円と少しのお値段で売っている。つまり一人旅をしようと思った際は必然的に四泊五日、五日間の旅になりやすく、今は私も如月も旅行二日目、五分の二日を消化している。もし旅程が遅れて十八きっぷの効力が切れてしまった場合は、四国から東京まで最悪一万円くらいかけて帰らねばならなくなってしまうのだ。

「最悪この観光地は諦めよっかな~なんて場所は……」

「これでも厳選していてね」

「詰んだ……」

 如月は旅程を崩さないためにも、意地でも徳島駅から先に進むらしかった。

「よし、てるてる坊主を作ろう」

「神頼みかい」

「てるてる坊主頼みだい」

 もはや私たちには祈ること以外に残された道はなかった。祈るよりほかなかったのだ。

 しかし私たちは忘れていた。最強の敵の存在を。

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