第10話

 午後九時、第三講義室。

 特に用事もない俺はバザー係長に連れられて、当日はバザー会場へと化ける第三講義室のレイアウトの打ち合わせに付き合わされていた。まあ、第三講義室などと大仰な名前が付けられてはいるものの、実際はただの教室でしかないのだが。

「『幸福に生きよ』――何かのゲームでそんな言葉を見たけど、やっぱりその通りだ。人は幸せになるべきなんだよ」

「それエロゲーだろお前」

「何で分かるんだよ!?」

 実のところ打ち合わせは一時間ほどで終了し、後はただ何となくの流れで、残った者たちによって適当な話や粗雑な議論が繰り広げられていた。連日の文化祭準備による身体的な疲れや、受験がいよいよ現実的な問題として俺たちの前に立ちはだかってくることへの精神的な疲れ、そして外は暗く周囲に誰もいない、そんな夜の学校への興奮……これらが混然一体となって、俺たちは半ば酔っているような気分に浸っていた。いったい何に酔っていたのかは自明だ。そんなもの、何も知らないくせに偉そうなことを語って悦に入る自分たち自身に他ならない。

「こんばんは~バザー係長いる~?」

「あーはいはい。どした?」

「バザーの物品って清流会館に保管してるんだよね? 会館の鍵がかかってないって見回りの先生が言ってたんだけど、何か知ってる?」

「いや知らない。そもそも今日は回収日じゃないから清流会館行ってないし」

「そっか。じゃあ先生には後で伝えておくとして、もう一つ。明日の学校公開で保護者会があるから、そこでバザーの物品回収に協力してくれってことを係長直々にお願いしてほしいんだって」

「うっわマジかよやりたくねー」

「はっはっはー、頑張ってくれたまえ」

 そんな第三講義室に顔を出していくつか事務連絡を交わしに来たのは日向だった。

「ところで何してたの?」

 日向は俺たちを、ひいてはこの部屋を見渡して首をかしげる。部屋の中では椅子や机が散乱し、ついでに黒板にもとりとめもない何事かが余白憎しとばかりに書かれていた。実際に机がどこに何個必要なのかを調べるため、黒板に見取り図を書き、机は俺たちによって移動させられたままなのだった。帰る前に直さなくてはならないと思うと憂鬱でならない。

「ちょうどいい、日向にも訊いてみようぜ」

 バザー係長はそんな憂鬱も気にしないとばかりに会話に日向を招き入れる。

「ズバリ……日向にとって生きる意味とは?」

「生きる意味?」

「そうそう」

「う~む……」

 日向は顎に手をやって目をつむり眉根を寄せ、唸る。

「ちなみにみんなの意見は?」

「ああ。俺は『幸せになるため』で、おじいちゃん――ああ、副係長のことね――は『死にたくないから』……如月は何だっけ?」

「『意味はない』」

「そうそう、それ」

 そもそもこの「生きる意味」議論は、半ば鬱モードに入っていた副係長(「和」なものが好きなようで、その老獪な趣味や考えのせいで中学時代からおじいちゃんと呼ばれていたそうな。今回のレイアウトに関しても大分自分の趣味をねじ込もうという姿勢が感じられる)が事あるごとに死にたいと連呼していたことが始まりになっている。死にたい死にたい死にたい……それを慰めようとしたのか、それとも業を煮やしたのか、俺と係長はそんな彼に対して「ならば死ねばいいじゃないか、おじいちゃんはどうして死なないのか」と若干彼の現状を責めるような発言をしたのだ。

「死にたいけど、死ぬのは痛い、辛い、苦しい……それに何より親に申し訳が立たない。だから僕は生きてる。死ねないから生きてる。死にたいけど死にたくないから仕方なく生きてる――だから僕の生きる意味は『死にたくないから』。消極的な理由さ」

 というのが副係長の弁。生きる意味を論じるにあたって対になる死を持ってくるあたりが最高にひねくれている。人生を苦行のようなものと捉えているところに仏教的な印象を受けた。

 議論はそこから発展していって、そして今に至る。

 副係長の意見に対して、バザー係長は生きる意味を「幸せになるため」と答えた。なんとも性善説的で理想的で、ここはお花畑かと錯覚してしまうような、そんな意見だった。

「そりゃ幸せにならなきゃダメだって、俺たち人間だろ? 好きなものを腹いっぱい食べたり、みんなに認めてもらったり、好きな人と子供を作るのだっていい。そういった幸せをつかむことこそ人間に課された使命だ」

 優しいバザー係長らしい考えといえる。生きることを肯定的に認識しているところが副係長と好対照だ。

「それで、如月くんはどうして『生きる意味はない』なんて答えになったの?」

 それぞれの立場を聞き、最後に日向は俺に目を向けた。俺に焦点を絞る。俺の心に光を当てようとする。

「いやいや、みんな現実的に考えてみてくれよ。俺たちは人間だ。人間は哺乳類で脊椎動物で、そんな感じに最終的に俺たちの根源をたどっていけば、それは一個の自己を複製するたんぱく質に行き着くはずだ。その原初の生物は決して何らかの意志や意味をもって生まれたわけではない。あくまで物理法則にのっとって、偶然の果てに誕生したわけだ。そこに何の意思があろう? そもそも俺たちのこうした意見や考えだって、すべては脳の中の電気信号の結果によるものだ。その電気信号だって元々は素粒子の科学的なぶつかり合いによって送られている……どうして俺たちは生命の誕生に、理性に意味を持たせようとするんだ? おこがましい、神にでもなったつもりか? すべての現実は偶然に帰結するんだ。そこに意味はない」

 というのが俺の意見だった。一気にまくしたてる。セリフの量から見るに、一番酔っていたのは俺だったのかもしれない。

「現実主義者め」

「なんとでも言え」

 少し熱が入りすぎてしまったのを感じたからか、それとも単なる感想だったのか、副係長が茶化すように端的な言葉を発した。現実主義で何が悪い。そうさ俺は現実主義者だ。

 バザー係長は人生を肯定し、バザー副係長は人生を否定し、そして俺は人生をありのまま受容していた。

「で、日向はどう? 『生きる意味』」

 そこでいよいよといった風にバザー係長が尋ねる。日向は先ほどからずっと顎に手をあてて沈思する姿勢を貫いていた。

 果たして。

「うーむ……まあアレだね」

目を開き、顎に当てていた手を後ろで組むようにして、

「よくわかんない」

 日向はいつも通り、向日葵のような笑顔を咲かせて答えた。

 バザー係長は人生を肯定し、副係長は人生を否定し、文芸部長は人生を受容し。

そして生徒会役員は何も考えていなかった。

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