第9話
外国人夫婦が仲良く電車を降りるのを見送ってからさらに二、三時間電車に揺られ、私たちも池谷駅で降りる。
「変な駅だね」
高徳線と鳴門線の接続駅であるところの池谷駅舎は、線路と線路に挟まれるようにして建っていた。西の線路は高徳線、東の線路は鳴門線。その二つがYの字のごとく合流して、合流後は徳島駅までまっしぐらとなる。
「それよりも、暑い……」
如月はそんな駅の特徴に気を割く余裕もないとばかりにぐだあっとホームのベンチに腰掛けていた。
「次の鳴門線の電車まで四十分って……接続悪」
「それは仕方ないって」
幸いというべきか、思いのほか電車は早くやってきた。接続の関係で、出発までの二十分はこの駅で停車するのだそう。熱中症になる心配はなさそうで安心する。
鳴門線は想像していたよりも短く、すぐに終点の駅まで到着した。
「着いたってばよ」
「なぜにナルト……」
「いや、鳴門駅だし」
如月はこの次にどこへ向かうのか教えてはくれなかったが、ここまで来れば私にもこの先の予定は容易に想像できた。きちんと観光の王道を外さない如月のチョイスが憎い。
さあいざ行こう、目指すは――
「うっわ次のバス一時間後かよ」
「接続悪っ!?」
「それは仕方ないって」
「さっきのセリフが私に帰ってきたあ!」
ここから目的地までは五キロほどの道程で、観光用のバスが通っているのだそうだ。しっかり観光事業として客を呼び込みたいのならもう少しバスの本数を増やすべきなのでは? と思わないでもなかったが、周囲のバスを待っているであろう人たちの数を見る限り、まあ、そういうことなのだろう。四国の足は電車ではなく、車だということだ。そしてそれは観光客も同じ。
「んじゃあ、少し遅めの昼食にするか」
「お、いいね……徳島の名物って何かあったっけ?」
「徳島ラーメンというものがあるらしい」
「ラーメンなんてどこも同じじゃない?」
「まあそう言わずに――あそこにまんま『とくしまラーメン』って名前の店があるじゃん? あそこ行ってみようぜ」
「うーむ。ま、そうだね。行こう」
改めて周囲を見渡すと、それらしき飲食店は近くにそれくらいしかなかった。バスの時間も鑑みて、そもそも選択肢はあのお店くらいしかなかったことに気づく。
ラーメン店はまさかの食券制だった。東京に越してきたときにはほとんどのラーメン店が食券制で、これが都会かと一人感動していたのだが、まさかラーメン店に押し寄せる食券化の波は全国にわたって進行しているだと……?
私と如月はそれぞれ定番メニューと思しきオーソドックスなものを注文する。
「トッピングは豚バラか生卵か選べますけど、どうします?」
「生卵で」
「あ、俺は豚バラでお願いします」
不思議な選択肢だ。スマートフォンで軽く徳島ラーメンについて検索してみると、生卵と豚バラはどちらもトッピングとして徳島ラーメンを特徴づけているものとのこと。
「お待たせしました~」
定員の間延びした声とともにやってきた「とくしまラーメン(八百円)」は、しょう油と味噌を混ぜたような茶色のスープが印象的だった。少し塩味が強い気もするが、気にするほどでもない。スープの絡みづらいストレートの麺と合わさってちょうどいい塩梅になるからかもしれない。
「ごちそうさまでーす」
「でーす……予想以上に美味かった」
「ねー」
軽く感想を述べながら駅まで戻る。まだバスの時間まで三十分ほどあった。
ふと、私はバス停横の建物の中であるものを見つけた。
「……ん? 足湯がある」
「足湯?」
建物内で三畳ほどの大きさの木枠から湯気が踊っていた。お年寄りの女性が一人、気持ちよさそうに浸かっている。見たところ公共施設のようで、木枠の横の水道で足さえ洗えば、誰でも無料で入れるようだ。
「入ってみるか」
「うん」
これはアレか、電車やバスといった公共交通機関の接続の悪さにいら立っている私のような人間をなだめるための施設なのか。だったらずいぶんと気が利くではないか。
靴を脱ぎ、靴下を丸めて靴の中に収める。足を洗うための水道、その水はぬるかった。人工的に温められている。
なんと。
「まさかこんなところで足湯に出会えるとは……はあ~」
「いかにも観光って感じがする~」
温泉には絶対の自信がある土地柄の出身である私たちだが、ぶっちゃけお湯でさえあれば何でも大好物な人種なのだ。こういったものに目がない。たとえ今が残暑厳しい猛暑日であろうと、入らずにはいられない私たちであった。
バスが来るまでの十数分を、こうして私たちはのんびりと過ごした。
「だってばよ~」
「だってばよ~」
バスは海峡に架けられた大きな橋を渡り、大毛島へ上陸すると海岸沿いを力強く駆けていった。意外と道程は長い。バスを待ってよかった。
しばらく行くとバスは山道を登り始める。学校前や美術館前といったバス停を通り過ぎ、いよいよ目的の鳴門公園へ到着する。
料金を支払ってバスから降りると、潮の香りが風に流されてやってきた。こういった匂いには海が近くにない住人のほうが敏感な気がするのはうぬぼれだろうか、ともかく、私たちは他の観光客たちについていくようにして道を進んだ。
「大鳴門橋っていう島と島を伝う橋の下に遊歩道があって、それが渦潮の見えるポイントまで続いてるんだって。お一人様五百円、時間無制限」
歩きながら如月が解説してくれる。
鳴門の渦潮。これは私でも知っている。というか徳島の観光名物はこれしか知らない。世界最大級の渦潮だ。旅行のパンフレットでよく見る。
「あ、ねえねえ今渦潮見ごろだって」
「マジで!?」
遊歩道の入り口の建物、その手前にあるボードには、「渦潮が大きく見える目安時刻」としてちょうど現在の時刻が記されていた。
「いやー日頃の行いがよかったからだな」
電車とバスの接続の悪さ、それによる遅れがまさかここにきて活きてくるとは……巡り巡って幸運な私たちだった。
チケットを購入しゲートを通ると、いきなり轟音が私たちを襲う。強風によるものなのか、はたまた上を通る自動車たちが起こす振動によるものなのかは分からなかったが、とにかく騒がしい。よくよく考えてみれば私たちはただ橋の下を歩いているだけなわけで、うるさいやら潮風がうっとうしいやらはそもそも大前提な話である。
左側通行という看板の案内に従い三百メートルほど進む。金網から覗く海を注視しながら歩いたが、渦らしきものは見えなかった。
「おお……」
大鳴門橋やもう少し先にある明石海峡大橋――確か世界最長のつり橋だった気がする――を紹介するコーナーを抜け、やがて私たちは二十メートル四方ほどの広場までたどり着いた。そこで行き止まりのようで、何十人もの観光客がガラスに額を押しつけんばかりに海へ視線をやっていた。
一面ガラス張りの壁はもちろん、床にも一部ではあるがガラスが張られている。数人の観光客がその上でワーキャーと下を覗きながら騒ぎ、その場を離れると同時に、どこからか参上した緑色の制服を身にまとった清掃員がモップでガラス上の汚れを拭きとり、またどこかへと消えてゆく。
なんという企業努力。
「あ、あそこ空いたよ如月」
言って、目の前の空いたスペースに体を潜り込ませる。
空よりも色の濃い海と、所々に存在する小島の白い土と緑色の植物のコントラストがまず私の目を引いた。巨大な蛇のようにうねる潮に、鋭角だけで成り立っているかのようにゴツゴツとした小島の地形……自然の力強さを感じる。
ふと視線を横にずらすと、渦を間近に見ようとする遊覧船だろうか、かなり大きな船がゆっくりと旋回していた。
「おお、渦だ! 渦ってる!!」
遅れてやってきた如月は、眼下に自然の織りなす絶景を認めると声をあげて興奮していた。
「渦だあああ!」
一瞬、胸が締めつけられるような感触が私を襲う。
北方から海峡に潮が流れ込むことによって行き場を失った力が暴走している。流体力学なぞよく分からないが(高校時代は理数科で勉学に励んでいた私ではあるが、理数科にだって理科が嫌いな人種も存在するのだ。主に私のことだが)、それでも感覚的にどうして渦ができるのかはいざ実物を見て少しは理解できたような気がした。
私たちの真下の海は、小島が点在する場所とは違って白く染まっていた。これはアレだ、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』の波が白色なのと同じ現象だ。具体的な現象名は知らないが。
そしてその白い海のあちこちで渦が確認できる。渦とは高さ的にずいぶん距離があるので目測は難しいが、三~五メートル大の渦が現れては消え、現れては消え……よどみに浮かぶ泡沫がかつ消えかつ結ぶかのごとく、一度として同じ渦は存在しない。
さて、どうしよう。
「渦だねえ……」
「渦だな……」
それ以上の感想が出てこない。
いや、確かにすごいことはすごいのだろう。こうして恒常的にいくつもの渦ができる場所というのは世界でも珍しいだろうし、こうして橋の下に遊歩道まで作って観光地化しているのも素晴らしい。
ただ、結論から言ってしまえば、宣材写真として使用されるような超巨大渦潮なんてのは、そう都合よく現れてはくれない、ということだった。もっとこう、橋を破壊せんばかりにぐわあーっと広がって、そのまま何十秒間も回転する渦を想像していた私にとって、今回の渦は少し迫力に欠けた。そういった旅行パンフレットの表紙をでかでかと飾れる渦というのは、やはり本職の方々が頑張りに頑張った末に撮れたものなのだろう。カメラを携えて写真で食べてゆける人というのはすごいなあ、と私は素直に感嘆した。あれこそ瞬間を切り取る技といえる。
瞬間。
瞬きと瞬きの間。
まばたきとまたたきの間。
いつだったか、ある個人の体験が巡り巡って「東京の女子大生は間接キスをいとわない」という俗説に一般化されたことがあった気もするが――ついでに当時の私はそれを一笑にふしたような気もするけれど――なるほど、今度は私たちが一般化の妖怪にばかされる番だったか。
宣材写真のように立派な渦がいつでも見られるものと、私たちは勘違いをしていましたとさ。
「わっ!」
「うわひゃあ!?」
その後、私たちは「ガラス張りの床でいちゃつくカップルごっこ」をして、遊歩道を後にした。
清掃員の方ごめんなさい。
「あー、でも何だかんだ写真はいろいろ撮ったなー」
「裏を返せば、それだけ納得のいく写真が撮れなかったともいう」
「まあそうなんだけどさ。とはいえお土産コーナーで焼き増し写真を買うのも癪だしなあ」
遊歩道を抜け、私たちは展望台のほうへと来ていた。大鳴門橋の白い骨組が存分に日光を反射して眩しい。真っ青な空と海、奥に見える山々の緑と相まって、絶好の撮影スポットとなっている。
「あ~……抹茶ソフトなんて買うんじゃなかった。喉乾く~」
「大人しく飲み物買ってりゃいいのに」
展望台横の木陰になっているベンチで一息つく。売店で買った抹茶ソフトは暑さゆえかものすごいスピードで溶けてゆく。舐めるのを止めるわけにもいかず、私は一人でアイスと謎の格闘をせねばならなかった。
すると、私たちに声をかける人があった。
「あの、写真撮ってもらっていいですか?」
タオルを首にかけた、メガネの青年だった。年は私たちと同じくらいだろうか。
「ああ、いいですよ。どんな感じで撮ります?」
「じゃあ、橋をバックに」
如月がベンチを立って展望台のほうへと向かう。青年からスマートフォンを受け取り、横に構える。青年は両手でピースサインを作った。いい笑顔をしている。
「はい、チーズ! ――こんな感じで大丈夫ですかね?」
「ああ、はい。ありがとうございます!」
二人の様子を眺めながら、もし私が如月についてこなかったら、彼もこんな感じに誰かに写真を撮ってくれとお願いしていたのだろうかと、私はそんなことを思った。どうだろう。如月は景色だけ撮って一人で満足してそうではあるが。
撮影が終わる。にこやかにお互いは頭を下げあって、青年はその場を去ってい……くと思われたが、
「あ、お二人も撮りましょうか」
「へっ?」
「うん?」
青年はいらぬ気遣いをした。
「なぜに自由の女神ポーズ……」
「いやー、アイス持ってたしなんとなく」
「自由の女神はアイスなど持っていない!」
「あんなの誰が見てもアイスじゃん」
「一瞬すんげえ怪訝そうな表情をしたぞあの人」
「まあまあ、旅の恥は掻き捨てなさい」
スマートフォンに保存された写真データを見ながら如月は文句を垂れる。別にいいではないか、ふざけねばツーショットなぞやっていられない。
私たちは展望台を後にし、バスで来た道を逆に歩いていた。とはいっても別に歩いて鳴門駅まで帰ろうというわけではない。
「さっきバスで美術館前に停留所があったろ? あそこの美術館に行きます。五時には閉まっちゃうらしいから、なるはやで」
大塚国際美術館。
山をくりぬいて作られたような建物の中に、世界中の名画を原寸大のまま焼きつけられた陶板(陶磁器の板。とっても長持ち)が所狭しと並べられている、日本で二番目に大きな美術館だ。大塚製薬グループによって建てられたものであり、建物の隣には大塚製薬の別荘として真っ赤なお城が堂々と夕日を浴びている。
「常設展に二千円もかかる……だと?」
「あ、お金ないんだったら払おうか?」
「てやんでい施しなどいらぬ」
「だからなぜに江戸口調……」
なかなかに強気なお値段だった。これが私立美術館たる所以か。しかし如月の持つパンフレットによると、全ての作品を観るのに二、三日もかかるほどこの美術館は膨大な展示数を誇るらしく、まあそのあたりを考慮してしまえば案外お得なのかもしれない。大人は三千円以上もするらしいし、むしろこの大学生の時期に来られてよかったともいえる。
入口を進んですぐに長大なエレベーターが待ち構えていた。一応ここは西日本だということで右側に寄り、登ってゆく。
「……なんで上がった先が地下三階?」
「山の頂上が一階ってことなんじゃね?」
ともあれ、チケットを購入した際にいただいた「おすすめコース」のマップにおとなしく従って進むことにする。有名どころだけをおさえた超王道コースだった。ガイドさんに付き従うこともできるらしかったが、あいにくサービス時間外。
「……アレ、写真撮っていいんだ。旅行雑誌にはいろいろ条件があるって書いてあったんだけどな」
如月がマップを眺めながらつぶやく。
「よっしゃ、んじゃあとっとと回るぞ! 閉館まであと二時間しかない!」
「おおー!」
控えめな声で決起した私たちだった。
まず初めに訪れたのは、システィーナ礼拝堂をそのまま再現したかのような部屋だった。この礼拝堂の天井や壁にはかの有名な画家(本人は終生彫刻家と主張していたが)、ミケランジェロの手による天地創造の神話が一枚一枚描かれている。天井の真ん中では、アダムと思われる裸身の男とひげを生やしたおっさん(ヤハウェ)が互いに腕を伸ばしあっていた。ボーイズラブの予感。
そして正面の壁では『最後の審判』がでかでかと私たちを見つめていた。本来はそこにも数枚天地創造の絵があったらしいのだが、後年偉い人がそれを消してミケランジェロに最後の審判を描くよう強制したとか。そして登場人物たちの衣服が乱れているのは、元々全裸でミケランジェロが描いたのを「けしからん!」と、のちの人が服を描き足したのだとか。
うんちくが増えてゆく。
大塚国際美術館のフロア構成はB3F~2Fで、階を上がるごとに絵画の成立年代が今の時代に近づいてくる。いきなりミケランジェロが登場したということは、この階はルネサンス期に当たるのだろう……と思ったら違うらしく、主に古代や中世の絵画を展示していた。聖堂や礼拝堂といった教会の壁画が多いのは、当時宗教が絶対的な力をもって世界に君臨していたことの表れか。
地下二階へ上がると、世界史の資料集や何かで見たことのある絵画が続々と登場する。
古代ギリシアの哲学者が数十人描かれている、ラファエロの『アテネの学堂』。ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、部屋の片面の壁に修復前の複製を、反対の壁面に修復後の複製を展示するという、粋な構成をしていた。永遠に見ることは叶わない修復前の絵画をこうして保存できるというのも陶板複製の魅力だろう。過去の事物をそのままに留めておけるという意味では、どこか写真とも共通点があるように思う。
『最後の晩餐』が展示されている部屋を出て、今度はダ・ヴィンチのもう一つの傑作、『モナ・リザ』を鑑賞する。名画のオールスターっぷりに混迷と興奮が抑えられない。
レンブラントの『夜警』に、光の魔術師と謳われたフェルメールの代表作『真珠の耳飾りの少女』。
圧巻は環境展示と紹介されていた、モネの『大睡蓮』。屋外に出て実際に睡蓮が咲いている池を抜けると、そこには円柱型の壁一面に『大睡蓮』が。水分や日差しにも劣化しない陶板の強みを存分に活かした展示で、実物としての睡蓮と絵画としての睡蓮、その両方を見比べられて、そしてその二つが調和する様を愛でられる。
「もう少し涼しければ完璧だね」
「だな……」
今日の天気予報は、最高気温が三十五度をゆうに超えるだろうことを力説、注意喚起していた。
どうしてゆっくりと鑑賞できようか。
地下一階はバロック美術から近代の作品が主なようだった。ミレーの『落ち穂拾い』、ムンクの『叫び』に始まり、フランス革命が舞台の『民衆を導く自由の女神』、ナポレオンの威光が窺える『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョセフィーヌの戴冠』といった世界史に関連する絵画も増えてくる。宗教色は明らかに薄まってきた。ゴヤの『黒い絵』のように鑑賞者をただただ陰鬱にさせてくれるだけの作品群もあれば、クリムトの『接吻』のようにデッサンの狂った煌びやかな作品もある。作品に個性が出てきた。
「お、『向日葵』だってよ」
如月の指さす先に目をやると、そこには七枚の向日葵の絵があった。ゴッホの代表作だ。七枚のうち現存しているものは六枚で、一枚は太平洋戦争の空襲で焼失したとか。
「日向茜として何か思い入れは?」
「これっぽっちもございませんが」
「えーつまらない」
「なんだとお!」
以前もこんな感じの会話をしたような気がする。まあいい。
ゴッホの向日葵はみんな明るかった。ゴッホは暗色の画家としては三流だが、日本の浮世絵を見て明色の画家として超一流まで上り詰めたのだとか、確かそんな話を中学校の歴史の先生がしていたのを思い出す。二、三十万円もするという浮世絵のレプリカを持ってきて、土を表現するのに黄色を使うなんて西洋ではありえないことだと主張していたっけ。
「大体私、もう日向じゃないしね」
「え」
「あ……ごめん今のナシ」
つい自然な流れで明かしてしまった。口元に手をやってみたがもう遅い。せっかくボロを出さないように下の名前で呼ぶようお願いしたというのに。墓穴を掘った。
「まあいいや。早く写真撮ろうぜ」
如月は気を遣ってくれたのか、意に介していないといった風にスマートフォンを構える。
「ほら茜、向日葵と並んでみてくれ」
「あ、うん」
カメラに映る私は、果たして後ろで咲いている向日葵のように笑えていただろうか。
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