第8話

「いいかお前ら、東京の大学っていうのはな、男女で普通に飲み回しをするんだぞ。つまり間接キスだ。先生もな、昔男女入り混じって談笑をしてたんだが、ペットボトルの水を飲んだ女子から『飲む?』って日常のトーンで言われてな、正直戸惑った。だから気をつけるんだぞ、東京のイカしたおしゃれな女子に飲みかけの飲み物を勧められても、あくまで紳士的に、動じずに受け取るんだぞ!」

「女子と間接キス……だと?」

「俺たちも東京の大学に合格したら、そんな未来が!?」

「待ってろキャンパスライフウウウ」

 なんのこっちゃ。

 我が校には二つの科がある。一つは普通科。定員は二百人で、生徒は男子のみ。そしてもう一つは理数科。定員は八十人で、こちらは共学のため、例年八十人中三十人は理科や数学が得意で、近くの女子高よりも少しだけ成績がよく、ついでに男好きな(個人の偏見です)女子がやってくる。日向に代表されるように、この高校にも女子はいるにはいるのだ。

 だがしかし。

俺を含めて、この高校を受験し、そして見事合格をつかみ取った普通科男子は、入学してから最初の一ヶ月を通してみんなこう思ったに違いない。

「まさかここまで女子と接点がないとは思わなかった……」

と。

 そんなわけで、一応共学の体を取ってはいるものの、我が普通科クラスのノリは紛れもなく男子校のそれだった。授業中の話題など、そのほとんどが女子と下ネタに費やされる。

「いや、さすがに女子とはいえ私も別に東京の人間じゃないし、彼女らの生態はわからないけども……とはいえ、その先生の話を真に受けて、東京の女子大生すべてがそうだと一般化するのはいただけないでしょ」

「ごもっとも」

 今回の演劇で大道具を担当してくれるらしいお笑い研究会を訪ねる途中で、ふと思い出してこの話題を持ち出してみたところ、現役JKはこのように応えた。

「個人的にはどうよ? 飲み回し。抵抗あるの?」

「わたくしは貞淑な身ですゆえ……」

「嘘はいけない」

「なんだとお!」

 日向は怒ったように俺の肩をたたいてくる。パーソナルスペースが狭いのか、彼女はかなりの頻度でこういうことをしてくる。そういったボディータッチの多さが貞淑という言葉を裏切っているのではないんですかねえ。

「まあ、好きな人とはいかなくても、少なくとも友達以上の関係の人となら、飲み回しも別にいいんじゃない?」

「そんなものか」

「そんなものだ」

 そんなものらしい。



 訪ね先のお笑い研究会は色々と演出にうるさい所のようで、照明器具や音響設備、その他もろもろの品揃えは見事というほかなかった。イマドキのお笑いとは、もはや話術だけで成り立つものではなくなってしまったらしい。ありとあらゆるものを使用して、観客を楽しませようと視覚や聴覚に全力で訴えかける……あくまで話芸を極めんとする噺家たちからは冷ややかな目を向けられるのかもしれないが、それが時代の流れだというのならば、それもまた一つの正解なのかもしれない。

「少しキツイが、こんな風に、慣れれば舞台上の一人ひとりにそれぞれ光を当てられるようになる。まあそこは安心して俺たちに任せてくれ」

 お笑い研究会の部長(会長?)は慣れた手つきで照明器具を操りながら気さくに笑う。普通科三年生の誰かだったとは思うが、名前は思い出せなかった。

「そんなところまでよくこだわるね」

 ブレを生じさせずに平行にスポットライトを動かす術だとか、これまでの活動で培われてきたのであろう様々なテクニックを紹介する会長に、日向は感嘆したようにそんな言葉を漏らした。

「当然!」

 褒められたことに気を良くしたのだろうか、会長は声を弾ませて答えた。

「照明はお笑いの命! 観客の視線を我々の見せたいものに誘導し、そして何よりそこにいる人物を光り輝かせる! そんな役目を照明は負っているのだからね!」

 その後は一通りどのような器具があるのかを三十分くらいかけて会長から直々に教えてもらった。またどんな効果的な演出があるのかについても基本的な部分だけではあるが少々。

 たとえ小説や脚本に直接的な関係はなくとも、どんなものであれ、未知のものに触れるのというのは実に新鮮な体験だった。



「会長ちょっといい? 次のお笑いライブについて聞きたいことがあって」

「ちょっと待って。なんか飲み物買ってくる」

「あ、お茶飲む? 私の飲みかけだけど」

「ありがとー助かる」

「「うおおおおお」」

 実に自然な流れで女子部員(会員?)からペットボトルを受け取った会長に、俺と日向は思わず叫んでいた。

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