第3話

 関西本線の列車は名古屋駅から出発して、ゆっくりと亀山駅を目指す。亀山駅というのが一体どこにあるのかは知らないが、今乗っている車両がわずか三、四両ほどしかないというところから、まああまり発展した土地ではないのだろうと適当に想像する。

「日向はどこ行くの?」

「とりあえず西に……アレだよアレ、自分探しの旅ってやつ。行き当たりばったりの旅。如月は?」

「俺もまあそんな感じ。自分探しかは分かんねえけど、四国でも一周してみよっかなって。いやあまさか日向と名古屋駅で再会するとは思わなかった。俺の母親は昔、能登半島の先っぽで知り合いと偶然会ったらしいけど、まあ名古屋も名古屋ですげえ偶然」

 久しぶりに会った如月はずいぶんテンションが高いようだった。いや、単に昔(といっても二、三年前だが)よりも明るくなっただけかもしれない。いつも冷静で、表情のあまり変わらない男だったのをよく覚えている。

車窓に目を向けると、相変わらず工場のような建物ばかりが続いている。錆びた鉄骨と、時折四日市市や四日市工場などと、「四日市」の文字が目の前を通り過ぎてゆく。どうやらここは四大公害病でおなじみ、四日市市らしい。

私は別に旅程も何もあったものではなかったので(一応それっぽく次の電車の発車時刻を気にしてはいたが)大人しく軽い気持ちで如月についてきていた。

「うわマジか、ここ四日市市なのか」

 しかしここが四日市市なのは如月も知らなかったらしい、写真を撮ろうとスマートフォンを取り出す。

「へい日向、ピースピース」

「え、私? 四日市市を撮るんじゃないの?」

「いいじゃん、鉄骨だけだとなんか味気ないし、彩りを添えてくれ」

「やだ~茜照れちゃう! きゃぴっ」

「あ、そういうのいいんで。早くしてくれます?」

「てめえ……!」

 電車はやがて亀山駅へ到着する。



「ここからどうするの?」

「奈良駅を目指して乗換。日向はどうする?」

「うーん……まあ岡山駅辺りまではついてこっかな。あ、あと茜でいいよ。前みたいに」

「いや、前も日向って呼んでたし」

「いいからいいから」

 もう日向でもないので、名前のほうがありがたい。

「? まあいいけど――お、アレじゃね電車?」

 如月は訝りながらも応じてくれた。そんな彼の指さす先を見ると、

「え……しょぼ」

全身を茶色に染めて、やたらとやかましい稼働音を響かせる二両編成の車両が私たちを待ち構えていた。思わず率直な感想が口をついて出てしまう。

 まあそれでも、そこまでは別に何の問題もなかった。こういった風情あるローカル列車の旅というのも乙なものだ。駅舎に貼られた付近の地図を軽く確認してみたところ、この路線はどうやら山間を渓流に沿って進むらしい。天気もいい。存分に車窓から覗く風景を楽しもうではないかと、むしろ嬉々として私たちはその列車に乗り込んだのだ。

「……」

「……」

「……暑」

 結論から言うと、この列車、車内に冷房のたぐいが存在していなかった。いまだに残暑厳しい九月上旬、燦々と照る太陽は確かにそびえたつ山々の緑をとても美しく映えさせていた。そりゃあもうインスタ映え映えですよええ! その太陽が同様に私たちにも照ってさえいなければねえ!

 列車は一、二時間で奈良駅へ到着した。さすが巨大観光地といったところか、近代的な造りのはずの駅舎には、欄間や柱など、所々に木材が使用されている。それら和の要素がタイル貼りの床と微妙に不釣り合いで、しかしその不釣り合いが、どこか普段とは違う、異国に迷い込んだかのような感覚を抱かせる。

「ああ~涼しい。どうして駅のほうが広くて冷房が効きづらいはずなのに、こんなに気持ちいいんだ……」

「ホントひどい目にあった。なんで隣にいたおじさんはあんな暑い中で眠れるの?」

 口々に言いながら奈良駅を出る。途端にまた熱気が私たちを、まるで待ってましたと言わんばかりに襲い始める。

「大仏でも見るの?」

「うんにゃ」

 せっかくの奈良なのだ、四国へ渡る前に何か寺社仏閣でも見学するつもりなのかと思ったが、どうやら違うらしい。如月はスマートフォンで地図を確認しながら道を進んでゆく。

 その中で商店街のような場所に出る。鎌倉の小町通のような、そんなどこか昔を思わせる観光客向けの通りだった。

「おお、あったあった、近鉄奈良駅」

 のんびりと奈良の名物らしいお菓子や食べ物などを眺めながら歩いていると、如月が弾んだ声を上げた。

「……アレ、ひゅう――茜って一八きっぷだっけ?」

「うん。え、まさか私鉄使うつもり?」

「数百円の範囲だから、大丈夫大丈夫」

「え~、ま、いっか仕方ない」

「というか俺も一八きっぷだし」

「ならなんで私鉄……」

「それは見てのお楽しみ」

 青春一八きっぷとは、一日二三七〇円でJR乗り放題という、なんともお得な特別切符だ。ただし急行や新幹線には乗れないので、お金はないが時間だけはある、そんな大学生にぴったりの旅行券となっている。

 どうやら今から乗る路線は近鉄奈良線というらしい。改札を抜けるとそのまま地下へと潜ることになるが、如月によると二、三駅も走れば電車は地上へ出るとのこと。

 そして、

「……うおお」

トンネルを出た先に待っていた景色に思わず声が漏れる。草原だった。背丈は五十センチほどで、深緑の細長い葉の一本一本に薄橙色の夕日が照りつけている。

「すご……如月はこれが見たかっ――」

「うん? どこだ平城宮?」

「平城宮?」

 如月のほうを向くと、彼は彼で車窓から覗く風景の中で何かを見つけようとしているようだった。

「ここは平城京跡なんだよ。近鉄奈良線はその平城京跡の中をぶったぎるようにして走るなんとも不遜な路線でさ。でもあと二年後にはさすがにこの路線も遠慮したのか地下を走るように工事するらしくて、だから一度この電車に乗ってみたかったんだ。ここから平城宮を写真に撮りたいんだけど、探すの手伝ってくれ」

 右側にあるはずだからと、如月は列車の窓から目をそらさずに色々と説明してくれた。

 これはアレか、私は日本史選択ではないから詳しくないが、「平城京」という都市があって、その中の天皇が住んでいた場所が「平城宮」ということか?

 そうこう考えている間にも電車は進んでゆく。元々車窓の風景を眺めるのは好きだったし、何より私も平城宮を見てみたかったので、私も如月に付き合って必死にそれらしき建物を探す。

「ん? んん? ねえ如月アレ見てアレ!」

 やがて電車の右前方から茶色の大きな建物が迫ってくるのが見えた。それがどうやらとても大きく立派なものらしいと気づいた瞬間、私は如月の肩をバンバン叩きながら声を上げていた。

「おお、すっげえ! アレだアレだ平城宮! 茜、写真!!」

「はい来た!」

 急いでスマートフォンを取り出す如月に向かって、窓の向こうから覗く千年以上も前の遺産をバッグに(どうせレプリカだろうが、この際そんなことはどうでもいい)して、私は適当にポーズをとる。平城宮と私とで、千年以上もの時を超えた二つのものが、写真という一枚のものに収められる。過去と現在のシンクロだ。そうしてこのような写真は二年後にはもう撮れなくなるという。瞬間を切り取るというカメラの機能はさすがだった。

 もう少しお静かに願いますと、次の駅で運転手からそんな注意を受けたことは忘れておこう。

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