第2話

 俺が日向茜に初めて出会ったのは、高校三年生の頃だった。別に三年の時に転校してきたとか、そんなわけではない……ように思う。ともかく、一、二年の頃には親交なんて全くなかったわけだ。

 だから、

「えーと如月くんで合ってるよね? あのさ、演劇、興味ない?」

と、三年生になって数日が経ったある日、文芸部の部室でのんびりとしていた俺に、日向が目を大きく見開いて笑いかけてきたというのが初邂逅になるのだろう。

 肩甲骨のあたりまで伸ばされた髪を後ろで一つに結った、とても目力の強い女子生徒だった。元々目が大きいのと、涙に覆われた瞳が存分に周囲の光を反射しているのが原因だろう。ついでに臆面もなく堂々とこちらの顔を覗き込んでくるものだから、自然と目と目が合ってしまう。というよりも、半ば強制的に目を合わせられてしまう。

「……で、誰?」

 俺は日向の迫力に圧倒されながらも、数秒間の沈黙ののち、辛うじてそう返した。いや、彼女の名前を知ったのは初日ではなくそれから幾日か過ぎた後だった気もする。記憶が定かではない。

「日向茜。日に向かう日向に、あかねさすの茜」

けれども確か、こんな風に彼女は名前の漢字を説明してくれたことは覚えている。

「下の名前が葵だったら面白いのに」

「いやいや、それでも日と向の順序が違うから」

「アレそうだっけ?」

「それに親戚には葵ちゃん、もういるから」

「なんだつまらない」

「人の名前をつまらないとは何事かあ!」

 ふざけ半分に、笑顔と怒り顔を同居させて表情を崩す日向。彼女の右頬には特徴的なえくぼが浮かんでいた。それが右頬にしかできないことに俺が気づくのはそれからだいぶ後になってからのことだ。

 感情表現の豊かな人だと、日向に対する俺の第一印象はそんな感じのものだったように思う。喜怒哀楽がはっきりしている。とはいっても哀の表情を拝める機会なんてほとんど訪れはしなかったが。彼女の顔の上にはいつも喜や楽が踊っていて、独占禁止法違反待ったなしの占有率を誇っていた。

「文化祭で生徒会が出し物をすることになって、それで演劇でもやろうかなって思ってるんだけど、それで肝心の脚本を文芸部にやってほしいの」

 と、こちらの質問やら何やらを何も解決しないままに、要するにこちらの話を何も聞かないままに、日向は端的に用件を突きつけてきた。

「とりあえず手芸部が衣装を作ってくれるって。演者は生徒会から適当に犠牲者を選ぶとして、大道具や照明、音響辺りはお笑い研究会が何とかしてくれるらしいから、あとは脚本だけなんだ」

「いやいやいや、ちょっと待って。別に文芸部は脚本に精通とかしてないから。そもそもウチが協力したとして、メリット何もないじゃん」

「大丈夫だって。文芸部、今年も文化祭は小冊子を無料配布するんでしょ? ちゃんとカーテンコール辺りで宣伝したげるから」

「いやそれはありがたいけど……それだよ、こっちだって小冊子の作業がまだ全然終わってないんだから。時間的に無理。手伝えない」

 実のところ、俺に関していえばすでに原稿は出来上がっており、あとはほかの面々の作品の完成を待つばかり。手伝えないことはないでもなかった。がしかし、俺は歴史と伝統のある文芸部の(数十年前に木造校舎が全焼してすべての資料が消え失せてしまったので、本当に歴史があるのかは不明だが)部長なのだ。うかつに仕事を呼び込んでそれで失敗しては元も子もない。

「フッフフフ……」

 しかし、日向はその返答も予想済みといった風にいやらしい笑みを浮かべる。

「私知ってるんだ~。毎年、文芸部の部誌が出るころに、どうしてかパソコン室にある予備のコピー用紙がごっそりなくなってしまう怪奇現象。ねえ如月くん、不思議だねえ~?」

「なっ……!?」

 あの時にかいた冷や汗の気持ち悪さは今でも忘れられない。本来なら部誌や小冊子は文芸部の購入した用紙を使って刷られるのだが、毎年誰かがアホみたいに大量の原稿をよこしてくるので、仕方なく我々は学校の購入したコピー用紙を拝借したりしなかったりしていたのだ。

「脚本、請け負ってくれるよね?」

 日向は、まるで向日葵のような満面の笑みを浮かべた。

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