戦国武将ケモナー化計画
戦国武将ケモナー化計画
見上げると、森の木々が日差しを受けて淡く輝いていた。
もう六月になるというのに、ここ最近は肌寒い日が続いている。鳥の鳴き声も虫の姿も、例年より少ない気がする。
ああ、これは異常気象だな、と僕は思った。今年の夏は異様に暑くなり、そして冬になったらとんでもない寒さに悩まされることになるだろう。
嫌だなあ、とため息をつきながら、道をのんびり歩く。
道、といっても整備されたそれではなく、多くの人間が長い時間をかけて踏み固めただけの、いわば獣道だ。顔を覗かせている石や根っこのせいで歩きにくく、薄く生えた雑草が不気味さを助長させている。
その先にあるのは、祠だ。石でできた、小さな祠。
この森を擁する村には、狐の伝説がある。
村人に助けられた狐が、恩を返そうと村に生涯を捧げたというもので、今でも夏にはお祭りをやっている。
僕も、いつまでも子供やってられないんだよなあ。
祭りにこっそり参加するとき、毎年そう思う。
そんなことを思っていると、平和な森に騒音が混ざった。どかどかという足音だ。走っているらしい。
なんだなんだ、何事だ。
「狐!」
掠れた声が聞こえて振り返る。
どう見ても十代の少年にしか見えないはずの僕を、狐と呼ぶ人はそういない。
さらにいえば、狐、と呼び捨てにする人はもっといない。
思わず頭を抱えたくなった。
必死の形相で一目散に走ってくる少女は、僕の悩みの種のうちの一つだったからだ。
「狐!」
彼女の名は知明。この森を守る一族の末裔だ。
「おい狐!」
彼女は息を切らしながら僕の目の前で立ち止まる。
その鬼気迫る態度に、いい知れない不安に襲われた。
「どうしたのさ、知明?」
そしてもちろん、その悪い予感は当たった。
「狐、私をどっかに飛ばして」
「はあ?」
今までも、やれ『ちんちん見せろ』だの、『足の裏舐めさせろ』だの無茶苦茶な要求をされてきたが、これは過去最高級の無理難題だ。
「今、すぐ! 私を助けるの!」
意味が分からない。
「な、何があったの? どうしたの?」
たずねると、彼女はカンカンにブチ切れた表情で叫んだ。
「殺されるんだよ! お母様に!」
想像もしなかった言葉。
「えっ」
そう声を出したが、特に何か考えた訳ではない。
というか、ぎょっとして思考が止まってしまった。
「おい狐! はやくしてよ!」
「あ、ああ……」
知明にいわれ、我に返る。
ふと見ると、遠くから誰かが走ってくるのに気づいた。
間違いない。
知明の母上だ。
そして、もう一つ気づいてしまった。
彼女の手には、森の陽光を受けて輝く何かを持っていた。
自然と全身の毛が逆立った。
危険な匂い。
死の予感。
知明に視線を移す。
「はやく!」
怒鳴った彼女に、僕は「どこに飛ぶか分からないよ!」と一応警告する。
「遠くならどこでもいい!」
彼女に時間は残されていない。
今や、知明の母上が持っている包丁が細身のペティナイフであることも分かる。
尻尾が逆立つような恐怖に縮こまる思いだった。
できるだけ遠い場所。
僕はそう念じて、転移術を使った。
……。
空気がおいしい。
鼻をくすぐるそよ風が暖かい。
まさに春。心なしか花々の甘い匂いを感じる気がする。
「おい」
……うーん。
「おいって!」
……うーん?
「おい狐!」
痛え!
何者かにほっぺたをぶん殴られた。たぶんグーだ。
そして、その何者かというのはもちろん、知明だった。
「やっと起きたか狐!」
彼女は目をつり上げ、不満そうに怒鳴っていた。
ええっと、何がどうなったんだったかな、としばらく考える。
数秒してから、ああそうだ、と思い出した。
知明の母上が包丁を持って襲ってきたから、転移術で逃げてきたのだった。
「ん、ああ……無事だったんだね、よかった」
ぼんやりとした頭のままそう言うと、知明は不機嫌そうにむくれたまま、僕の前足をひょいひょいと動かした。
「よかったならさっさと起きてよ」
続いて彼女は金玉袋をいじくり始めた。
うーん、悪い感じじゃない……むしろ気持ちいいかも……。
はあ……。
「がぁっ!」
痛え! いってえ! 金玉つねるな! 痛え!
完全に目が覚めた。
知明はしかめ面をしたまま僕を見下ろしている。
「なに、どうしたの?」
尋ねると、彼女はころりと僕を立たせてくれた。
「ここ、どこ?」
たち上がって、知明はあたりを見回した。
「どこって……」
つぶやいて、僕も辺りを見回してみる。
まず目に入ったのは、瑞々しい広大な草原だ。蝶がひらひらと飛び交っている。生えている草花には規則性がなく、人間の手が加えられた様子はない。
さらに、遠くには見たこともないほど旧式な家屋が並んでいる。
一度火がついたら数秒で焼け落ちてしまうのではと思うほど完璧な木造住宅。屋根は藁でできている。明らかに建築基準法を満たしていない。
……建築基準法がどんなものなのか、詳しくは知らないけれど。
結論から言うと。
「ここ、どこだろう……?」
全然わからない。
少なくとも村ではない。村から出たことがないから、こんな場所は知らない。
途端に、知明は口をへの字にした。
「もう、使えないなあ!」
使えないっていわれてもなあ……。
「どこでもいいって言ったじゃん……」
ぽつりとつぶやくと、地獄耳の知明が目を釣り上げた。
「こんな全然知らない場所に飛ばされるとか聞いてないよ!」
キンキン耳に響く高い声で喚かれる。思い通りにいかなかったからだ。
うーん、いつも通り。
「その……どうするの?」
控えめに尋ねると、彼女は顔をしかめた。
「誰かに聞いてみる!」
ややあって、彼女は大声でそう宣言した。まるでスサノオがヤマタノオロチを倒しにいくと宣言した時みたいに。
もちろん、実際に見たことはないけれど、こんな感じだったんだろうな、と。
たぶん、頭の中はまだ沸騰してるんだろうなあ……。
どかどかと威勢よく歩き始めた知明の後ろから、とぼとぼとついて行く。
どうやら憤りで、知らない場所に投げ出された不安もどこかへ吹き飛んでいるらしい。悪いことじゃない。
けれど、その足もやがて止まることになった。
「……ええ」
知明がつぶやく。この知明がドン引いて足を止めるのだから、僕はもっとだ。
人々の様子がおかしい。
誰も彼もが和服、そうでなければぼろ布を着ていた。
綺麗汚いの差はあれど、少なくとも洋服を着ている人は誰もいない。
何がどうなっているんだ。
気のせいか、風が冷たい。
辺りを見回してみる。
やはり、誰を何度見ても和服を着た人ばかりだ。中にはこちらを不思議そうに見てくる人もいる。
その光景は、何ともいえない気味の悪さがあった。
ふと、その気味の悪さの中に、何かの気配を感じた。
あまりに強いそれに引きつけられるように白髪の、紳士そうな老人に目を向けて、
「……!」
言葉を失った。
この感じ、間違いない。
たぶん、知明や他の人は全く気づいていないと思う。
でも、僕はわかる。
あの人は、狐だ。
僕と同じ、狐。
老人も僕に気づいたのか、じっとこちらを見つめてきた。
「知明、あの人だ! あの人に話を聞いてみよう」
思わず、知明のズボンを引っ張っていた。
「え? は? あの人? どの人?」
知明は大混乱しながら僕についてくる。
狐の老人の方も、僕たちに気づいたようだった。
「おじいさん!」
僕がそう叫ぶと、狐の老人は「これはこれはめずらしい」と笑った。
「我が同胞を連れた女子とは」
おじいさんに話しかけられても、知明は「え、この人?」などと混乱している。
放っておくことにした。
「おじいさん、ここどこ?」
尋ねると、狐の老人は「ふうむ」としばらく考えていた。
「おそらく、言っても信じられんと思います」
そう前置きしてから地名を教えてくれた。
当然、僕はわからない。
知明を見上げると、彼女はものすごく顔をしかめていた。
「あの、つまり?」
見たこともないような表情を見せている彼女と、狐の老人を見比べる。
「つまり、というと?」
「いや、あの……旧国名とかあんま覚えてないんで、都道府県で説明してくれると嬉しいんですけど」
というか、いつの時代の人ですか、あんた。
知明はご老人に向けて大変失礼な言葉を、ぼそりと吐いた。
瞬間、毛が逆立った。
たぶん、この狐の老人は僕よりも遙かに強い力を持っている。
気分を害されたら、一巻の終わりだ。殺される。死ぬ。完結。
「ふむ、矢張りな」
老人が答える。
おそるおそる狐の老人の表情を伺うと、僕たちの方を見てすらいなかった。
「娘さん、わしの家に来てくれませんか」
やがて、狐の老人はにっこりと笑った。
老人の家は人里を少し離れた森の奥にある、妙に立派な家だった。
やはり地震が来たら一発で倒壊しそうな旧式のものではあるのだが、威厳がある。圧倒されるくらい大きい。
姿は見えないが、たくさんの妖怪の気配を感じる。
なんだったら、先ほど熱々のお茶を出してくれた女の子も、あれは多分狸だ。
そのお茶を一口飲んだ狐の老人が、ふう、と息を吐いた。
「申し遅れましたな。わしは裕次郎と申しまして、九尾の狐にございます」
「きゅ、九尾……!」
おいマジかよ! ただの狐の妖怪じゃなくて、九尾様だったのか!
尻尾を丸める勢いな僕とは違って、知明は「あー、なるほど」と冷めた反応だ。
「人間の娘よりも狐の方が驚くとは」
う、うるさい!
叫びたいが、九尾様にそんな口はきけない。
「だって、喋る狐見て驚かない人ってそういないでしょう。同じ妖怪ならむしろ納得」
だが、何も知らないせいか、知明は九尾様に向かって軽い口調だ。
しかも、僕と同等扱いまでしている。恐ろしい。
「なるほどのう」
と、九尾様はにこやかに笑った。
意外と怒ってないらしい。
ひやひやする僕をよそに、知明は自己紹介をした。
「で、いったい何がどうなってるんですか?」
そして、強引に本題を切り出す。
「ああ、そうでしたな」
九尾様は神妙な顔でうなずき、けれど少しの間勿体ぶるように黙った。
「お嬢さん方は、随分未来から来られたようでございますな」
「……は?」
知明と僕と、同時に同じ言葉を発してしまう。
九尾様はそんな僕たちを見て笑った。
「いや、この戦国乱世には相応しくないお姿ですから」
「戦国……乱世?」
知明が眉をひそめた。
何か知っているらしい。
「……え、それって、五百年前の? 織田信長とかの?」
身を乗り出して、食い気味で叫ぶように言う。
足が湯飲みに当たって、ひっくり返るんじゃないかと冷や冷やした。なんだか、この家に来てからいろいろなことに冷や冷やしているような気がする。
「ああ、近頃領地を広げているお方にございますな」
「ご存命!」
知明が、九尾様の言葉に目を剥いた。
「え、じゃあ、マジで五百年前なの? 安土城とかあるの?」
いつの間にか、敬語が吹き飛んでいる。
「ええ。一月前に見物に参りました。さすが天下を握ろうとする者の御城にござりますな。それはそれは荘厳なものにございました」
九尾様は意に返す様子もなくそう言った。
マジか、と知明がつぶやく。
「……」
僕に至っては驚きすぎて声が出なかった。
次にものすごく後悔した。やっぱり転移術なんてやらなければよかった、と。
慣れていないのだから、無理なお願いは聞くべきではなかったのだ、と。
「実はお嬢さんも薄々は気づいておりましたでしょう?」
九尾様に言われ、知明は黙ってうなだれた。
結論。
僕たちは、過去の日本にタイムスリップしてしまった。
それも、一年や二年という騒ぎではない。
「やっぱり……気のせいとかそう言うんじゃなくて、本当に戦国時代、なんですね……」
知明が顔をしかめる。
彼女が言うには、五百年。
途方もなさ過ぎて、何から考えればいいのかわからない。
「ほう。後の世ではそう呼ばれとるか。わかりやすくてよい」
九尾様がそう独りごちる。
それは、僕たちにとっては死刑宣告にも等しいものだった。
今度こそ、何も言えなくなってしまった。
「ところで、若いの。おまえはどうして妖術を使ったのかね? ……まあ若い娘を見たら攫いたくなる気持ちは分かるがの」
だが、九尾様がそんなことを言い出したので、僕は思わず「違います! そんなんじゃないです!」と叫んでしまった。
知明がにやにやと笑った。
頭を抱えたくなった。彼女が何を想像しているか、なんとなく分かってしまう自分が嫌になる。
「ち、知明に頼まれたんです! 知明の母上様に襲われてて!」
「何とまあ」
九尾様が初めて、本気で驚いた表情を見せた。
「父親ならまだしも、母親が自らの子を襲うとは。なぜそのようなことに?」
いやいや、待て待て。父親もだめだろ、自分の子供殺しにかかったら。殺人未遂で逮捕だ。
とっさにそう思ったが、そういえばそうだ。
そもそも、どうして知明は母上様に襲われていたのだろう。
知明は口をとがらせた。
「断ったんですよ、結婚」
「え?」
予想外すぎる言葉に、思わず声を上げてしまう。
「ほう」
九尾様も妙に興味津々という様子だ。
「お母様がお見合いしろってうるさかったんですよ。だから知るかって言ってやったんです。ついでに結婚する気なんてないって言ったんです。そしたらブチ切れられたって感じ」
「お見合い? 知明が?」
彼女はまだ高校生だ。十七歳になったばかり。いくら何でも早すぎないか。
思いついたネタの思いついた部分だけ書いて置いておく アスカ @asuka15132467
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