第16話
昼時の屋上には、平時より多くの人が群がっていた。九月とはいえ太陽の光は相変わらずきつく、給水塔の影に隠れていなければ到底いられたものではない。いつもよりも男女のペアが多いことが特徴であった。大概、二か月後には別れているのが鉄板だ。
学園祭といえば高校生活の華である。高校生活という刹那的で、何物にも代えがたい貴重な三年間を最も如実に反映する最大の出来事だ。正直、学園祭の規模としてはあまりにしょぼいわが校においても、それは例外ではない。
中庭で家庭科部が販売していたパンケーキを口に含んだ。さすがほぼ毎日料理をしているだけあって、それなりによくできた味だった。
屋上に続く扉が開かれた。出てきた女生徒——もとい律は、周囲を見回した後、俺を見つけては笑顔を作った。
「せっかくの学園祭なのに屋上で一人お昼ご飯を食べているかわいそうな光くんを見つけて、やってきました」
色褪せたプラスチック製のベンチ、律は俺の隣に腰を着けた。
「クラスの方はいいのか」
「今、軽音楽部が体育館で演奏始めたらしいから、空いてるんだ。はい、どっちがいい?」
律はいちごミルクとコーヒーを掲げる。いちごミルクを選ぶと、律は心底意外そうな顔をした。
「たまには、な」
体育館での歌声とギターの音がここまで響いてきた。よく耳を傾けるまでもなく、下手だとわかる。
「あーあ、光と一緒に学園祭回る計画、崩れちゃったな~」
律は独り言のようにつぶやく。こちらを見てはいない。姿勢が実に綺麗なことが、まるで俺への批難のように思える。告白した側と、断った側。こんなにも微妙な空気になるとは知らなかった。
「でも、友達ではいてくれるんだよね?」
「そりゃ、もちろん。気の合う貴重な友人を簡単には手放したくはないしな」
「はぁ。本当に光は、悪魔みたいな人だよね」
律は薄ら笑いを浮かべながら俺の目を見た。俺が悪魔? なわけあるか。
「私、光に粘着するから。私を振るってことがどういうことなのか、思い知らせてやるんだから。私が本当に重い女だって、わからせてやる」
なんだこいつ、本人を目の前になんて宣言をしていやがる。
「前から思ってたけど、律ってかなり変わってるよな」
「光だけはそれを言う権利ないよね? こんな美少女を振っておいて」
律は体をずいと寄せてきて高圧的な視線を送ってくる。律にお断りを入れた日以来、むしろ律は以前よりも俺に積極的に話しかけてくるようになったし、態度は日に日に大きくなっている。
「私、本当は恋愛なんて興味なかったんだよ。それどころか、毛嫌いしてた」
「どうして?」
「両親が離婚したから。私は母の実家である山梨に戻ってきたの。あれ、あんまり意外って感じじゃない?」
律は他人事のように語る。
「変な時期の転入だし、何かしら事情があったことくらいは察するよ。離婚って聞いても、驚きはしないな」
「ちょっとは同情してくれてもいいのに」
「同情されるの、好きそうには見えないけど」
律は頬を膨らませて何やら抗議してくる。何が何だかわからない。
「女子はね、共感を求める生き物なんだよ。あーでも、こんな話をして同情するような人だったら、光のこと好きにはなってないだろうし」
よく人目があるところで好きだとか簡単に言えるな。凛以上に吹っ切れている。さっきからこちらのことを盗み見ている男子生徒が気にならないのか。
「九重さんはいいなぁ。光とずっと一緒にいられて、これからも一緒だなんて。私も幼馴染だったら光に選んでもらえた?」
「さあ、な。そもそも凛は俺の人格形成にかなり影響しているし、それが違う人間に置き換わったら、俺も全く違う人間になっていたかもな」
いちごミルクを飲み干す。
「違う人間、ね。ふうん。つまり、私が光の幼馴染だった私が光を育てるっていう楽しみもあるのか……。いいなぁ……」
律は遠くに視線をやる。俺を盆栽か何かと勘違いしているようだ。
出会ってから二か月近く経過して、四条院律という人間に対する見識を、俺はようやっとある程度確定させることができた。初対面時の高貴な印象は表の顔で、その裏では常人離れした独特な感性を持っている。確かに頭はいいのだが、それは勉強以外にさほど発揮されることはなく、生き方としてはそこまでスマートではない。しかし本人もそれを自覚しているようだ。自分を振った相手に粘着するなど、残された貴重な青春の使い方としては愚かもいいところだ。でも、それでいいと思っている。私の青春は、私の好きなように使う。誰にも咎められる筋合いはないわ、と。その相手が果たして俺でいいのかについては、疑問しかないけれど。
「学園祭終わった後、クラスで打ち上げあるらしいけど、光も行くよね?」
「行かないつもり。そういうのを避けるために、敢えてクラスのグループチャットにも入ってない。存在自体を知らなければ行く義理もないし」
「本気で言ってるの? ふーん。じゃあ私もいーかない」
「そりゃあまずいだろ。俺はいてもいなくても変わらないけど、律はクラスの主役だろうに」
「光に『二人っきりで打ち上げしよう、クラスのことなんてどうでもいいだろ』って言われた、って委員長に言っちゃおうかなー」
律はまるで俺の口調とは違うキザな言い方をした。普通に考えれば俺がそんなことを言うはずがないとわかるはずだが、俺がどのような人間であるか、クラスの人間が把握しているとも思えなかった。あらゆる人間から反感を買う可能性も否定できない。
「わかった行くから。勘弁してくれ」
「よし」
律はしてやったりとピースサインを作った。体育館での演奏が終わったらしく、拍手の音が鳴り響いた。つまらないなりにも、それは紛れもなく学園祭であった。
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