第12話
「今日は、山の方の神社でお祭りがあるそうです」
「ふむ」
最終日の朝。この朝食ももう食べられないのかと思うと、少し寂しい。
「藤原君も行きますよね?」
「夕方からだろう? それなら行ってもいい。それまでに本日分は終わらせておく」
「最終日くらい、勉強さぼればいいのに」
律が言う。お前はそもそも全日さぼってただろ。
「じゃあ、午後四時になったらここに集合ね。おじいちゃんが神社まで送っていってくれるって」
そこで解散となり、俺は自室に戻った。しばらくして、
「藤原君、ちょっといいですか」
部屋の外から静の声がする。
「うん、いいよ」
「やっぱり勉強していました。私も少し勉強しようと思ったのですが、どうも集中が持続しません。藤原君の側で勉強すれば、ちょっとははかどると思ってお邪魔したのですが……」
手には英語長文の問題集があった。
「いいけど。ほかの二人は?」
「近くの小学校のグラウンドでバトミントンをすると言っていました。私はここ数日で遊び疲れたので、残ることにしました」
静は俺の前に腰かけた。机に目いっぱい広げていた参考書を端に寄せる。
俺が二時間と少しで終わらせた問題集であったが、静を見たところすらすらと解けている様子はなかった。律であれば、おそらく一時間とかからずに解ききってしまうのだろう。
「藤原君は、東大を目指しているんですよね」
「一応」
「将来、何の仕事をしたいとかあるんですか?」
「ない。全く」
会話はそこで途切れた。俺の返答があまりに簡素過ぎて、静に悪い印象を与えてしまっただろうか。
勉強することに意味はあるか。おそらくない。ただ、その意味のないことをどれだけ積み重ねられたか、忍耐できたか、それを大学入試で測られるのだろう。
「藤原君、私の話を聞いてくれますか」
静は手を止めて、俺の目を真剣に覗いてくる。そんな風に見つめられたことは初めてで、思わずこちらも手を止めてしまった。
「うん?」
「私は小説を読むのが好きです」
「知ってる」
「でも最近は、読むだけでなく書く方にも興味がわいてきました」
「うん」
静はそこで一呼吸おいて、ペンを置いた。
「私は、小説家になりたいです。今まではわからなかったですが、それが私の夢だと気づきました」
一瞬、時が止まったかのように感じた。
なぜ静は、俺にこんなことを話そうと思ったのだろうか。
「そうか」
「本当はこんなこと、誰にも話す気はなかったんです。でも、藤原君なら笑わないで話を聞いてくれそうだったから、つい話してしまいました」
そう言われたところで、何を言い返せばよいのかまるでわからない。笑えるわけないだろう、人の夢を。それがどれだけ非実現的なことであろうと。
「俺は神山さんが羨ましいくらいだよ。夢を語れる人はすごいと思う。それがどんな夢であれ」
自己分析が得意であることは、時にデメリットとしてはたらく。物事を始める前から、終わり方の想像がついてしまう。そして大体、その想像通りに物事は進む。だが、百回に一回くらいだろうか、それは想像を超えた形で終結する。もしくは、終結せずに次の段階へ進む。自己分析が得意だと自負する人間は、百ある物事のうち、比較的スムーズに事が進みそうな十をあらかじめ選んでスタートする。
しかし、自己分析が苦手な人間は、その百に片っ端から手を出す。一見、前者の方が効率的に見える。実際、ほとんどの場合においてはそうだ。だが、百のものごとに手を出す非効率さが、時に新たな発見をすることがある。
「見えている」人間は視界は広いが、視界外のことに関しては、「見えていない」人間の方が力を発揮することがある。
と、随分長たらしい思考を俺は三秒間ほどで終えた。
「応援するよ。俺は何も力になれないだろうけど」
「いえ、私は藤原君に助けてもらいたいのです。小説家になるのであれば、文学部に進学することが近道だと思います。できるなら、その、早大の文学部に進学したいのです。数多くの有名な作家の出身大学に行くことが、近道だと思ったので」
それはずいぶん、大きく出たな。少なくとも、この程度の長文に時間をかけているような学力であれば、到底太刀打ちできる相手ではない。俺も併願で受験するつもりでいる大学だ。学費を払うことが難しいため、おそらく進学することはないけれど。
「今の学力ならば、まず受からないとわかっています。だから、藤原君に教えてほしいんです。でも、時間を取らせるわけにはいきませんし、勉強のやり方を教えてほしいです」
「わかった。得意な国語は置いておいて、まずは英語だ。難関私大の英語は、まず単語を多く覚えない事には始まらない。だからまず、学校で配られた単語帳であれば……」
静が、俺に多少なりとも影響を受けて勉強を始めたというのなら、悪いことをした。勉強をする人間は優れていて、そうでない人間は怠惰であるとするのは、浅はかな考え方だ。
命短し恋せよ乙女。その中で思春期の後半、高校生の時期というのは、他の何物にも代えがたい。
「いいのか、本当に。本をひたすらに読む青春のあり方だって、俺はいいと思うけど」
「いいんです。それに、全く本を読まなくなるわけじゃないですし。それに、本をたうさん読んだからって、いい小説が書けるとも思わないんです」
静に勉強の進め方を解説しながら、読書感想文を書き殴り終えると、正午になって二人が帰ってきた。
「あれっ、二人で勉強してたの?」
律が部屋に入ってくる。
「りっちゃん、お帰りなさい。藤原君に、勉強のやり方を教わっていたんです」
「ふーん。それなら、私に聞いてくれてもよかったのに」
律は少し不満そうにバトミントンのラケットを振った。
「バイリンガルに英語の勉強のやり方を聞いても仕方ないだろ。凡人の俺の方が適任だな」
律に向かって言ってやると、律はやはり不満そうに去っていった。
「なあ、律にはなんかあったのか?」
「さあ、なんでしょうね」
静は、すべてを悟っているとでも言いたげに微笑んだ。なんだ、わかっていないのは俺だけなのか?
しばらくして、真白が飯を知らせに来た。昼飯の最中も、律はすこし不貞腐れているようだった。だが、俺が首を突っ込むことでもないだろうと思い、そのまま自室に戻って数時間勉強した。
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