第5話 アルバイト

 タイムスリップはする。

 見た目は変わる。

 不安にならない方がどうかしている。 

 「ジュンさんどうしよう、これから」

 きわめて常識的な質問だ。

 常識的な質問には、現実的な回答で返す。

「この時代で生き延びる事になったようだ。とりあえず今の時代でどれ位食いつなげるのか? カオリ、この時代で使える金が幾らあるんだ。数えてみろよ」

 人は、とりあえずやる事があると落ち着くものだ。

 カオリは紙幣とコインを数え始めた。

「焼き鳥屋から使ってないから、18,450円あるわ」

 ジュンにはそれがどの程度の価値かピンとこない。

「2020年の価値でどの位だ。誰か分かるか? 大まかな感覚でいいけど」

 カズが手を上げた。

「新聞では、来年の大卒初任給は平均2万円程度って載ってました。2020年の初任給は約22万円位ですから凡そ10倍となりますね」

「サンキュー、ここは安宿だから朝晩ついて一人800円、5人で4000円かぁ。2020年の水準に直しても決して高くはないけど、昼飯を別に摂ると4日もてばいいところか。宿代のディスカウントが必要だな。カオリ、ちょっと女将さんのところ行って料金値切ってこいよ」

「エー、イキナリ指名しないでよ。私が行くのぉ?」

「交渉事は先ず、一番下から行くの。最初から上が出たら、その後交渉の余地が無くなるだろう。公平を期すために多数決で決める。カオリに賛成の人」

 全員の手が挙がった。

 仕方がない部屋を出て、トボトボと交渉に向かっていくと玄関の引き戸が開く音がして中年男が入って来た。

 中年男はホールに入るとカオリを見つけいきなり話しかけてきた。

「お前らに会いに来た。昨日は、捜すのに全く苦労したぜ」

 カオリにはすぐ分かった、バンドコンテストでアンプを提供していた男だ。

「あ、あの。私のこと・で・す・か?」

「ああ、そうだよ。捜しているのはTWO HUNDREDって言うバンド。あんた、そこのボーカルだろ。日本語で言うと歌うたい。歌手。ところでバンマスいる。バンドの仕事があるんだ」

「ハ、ハア」

 宿の女将が気配を察したのかスリッパの音をパタパタさせてやって来た。

「いらっしゃいませ。何の御用ですか?」

 女将は、男をソファに座らせるとお茶を用意し始めた。

 カオリもスリッパの音をパタパタさせて部屋に戻って行った。

「大変だよ。みんな」

 ジュンがウンザリした顔で答えた。

「大変なのは、ウンザリだよ。昨日から続きっぱなしだ。でっ、今度はどうなった?」

「それがさ……」

 カオリは、手短に中年男が自分達を捜してバンドの仕事を持って来ている事を伝えた。

 追い詰められた状況と思いがけない展開に皆、驚きを隠せない。

 ジュンが4人を見渡した。

「どうする、会ってみるか」

 全員沈黙の了解で答え、ノソノソと立ち上がった。

 入口のソファで20代の中年男達は顔を揃えた。

 5人が自己紹介をするのも、もどかしく男が名刺を差し出した。

 そこには、『小田原芸能プロダクション、吉祥寺本社。代表取締役・小田原雅二郎』と書いてあった。

「マッ。こう言う者です。面倒だからマサと呼んでくれ」そう言うと偉そうにソファから足を投げ出し、タバコに火を点けると顔を上に向け煙を噴き出した。

「で、俺たちにご用件は何ですか?」

 ジュンがそう尋ねるとマサは慌ててタバコの火を消して話を始めた。

「エッ! まだ伝わってないの? そ、そうだよな、まだ話してないし」

 カオリが呆れている。

「そうよ、私と会ってからまだ5分も経ってないじゃない」

 ヒロが割り込んだ、「先ずはお話し聞きましょう」

 営業責任者は、取引先との交渉に長けている。

「まあ、話すわ。この間のコンテスト良かったよ。も感動したけど、テクもいいな。俺のハートに『ビッ! ビッ!』ってきたのよ。これは10年にひとつの逸材だ。いや、100年かもしれない。ビールズは『リバプール』から。TWO HUNDREDは『鹿屋』から。売り出し文句まで頭に浮かんだぜ」

 リョウが首を傾げている。

「何で、オレたちが鹿屋なの」

「だって皆、鹿屋って書いてあるキーホルダーぶら下げてるだろ。俺も若い頃いたんだ。懐かしいなぁ」

「いや、キーホルダーは私が」

 言いかけたカオリをジュンが眼で制した。

 マサは構わず続けた。

「東京で下宿して大学行ってる金持ちの学生さんと見た。皆、幼馴染だろ? どうだ当たりだろう。素人っぽさがウケルのよ。そこでだ、夏休みの間だけバンドのアルバイトやらないか」

 カズが条件の探りを入れる。

「問題は、契約の中身ですから。ご承知の様に僕らお金に困ってないし。ただ夏休みの間だけ寮が改築に入っちゃって。とりあえず旅館に泊まってますけど、『もう明日にでも鹿屋に帰ろうか』って話してたんです」

 相手がそう思いこんでいるなら、話を盛って優位に立った方がいい。

 マサの作り話はいつの間にか相手のカードとなってしまい、事態は不利になっていく。


 マサは2週間前に唯一の専属歌手に逃げられたのをつくづく後悔した。

 直近には契約済みのステージが控えている。このままではステージに穴を空けてしまう。それはこの世界では廃業を意味する。

『何とかしなくてはいけない』そう思い悩んでいる時にコンテストで出会ったのだ。『こいつらなら、空いた穴を何とか埋められるかも知れない。でもバンドが世の中に受け入れられるか?』躊躇している内に帰られてしまい、あちこち捜して旅館に入っていくところを偶然見つけたのだ。

 だから又逃しては大変と、朝一でやって来たのだ。

 もう後へは引けない。

「よし、じゃあ。ざっくばらんに行こう。ギャラ折半でどうだ」

 5人はがっかりしたように、思い切りため息をついた。

「分かったよ、お前らが6割。俺が4割。それにお前らの為に宿用意してやる。その代わり部屋代としてギャラの1割を頂く。これでどうだ」

 マサはカズの『寮が改築中』という言葉から当座の泊まる所ないことを察知した。

『バイトに加えて宿を用意すれば乗ってくるかも知れない』

 丁度、今は使っていないお袋の残した連れ込み旅館がある。それを使わせて1割取れれば折半と同じだ。営業する気もない家が金に変わる。

 5人にとっても良い話になってきた。

 焦ってはいけない。

 ここは、少し作戦タイムをとろう。

「少しだけ時間を下さい。部屋で相談してきます。小田原様、申し訳ありませんが少々お待ち下さいませ。失礼いたします」

 そう言うと5人は立ち上がり、「スッ」と一礼し部屋に戻って行った。

 お茶を下げに来た女将とマサがソファに座り5人を見送っている。

 顔を見合わせてつぶやいた。

「若いのに、妙に礼儀正しいのよね。立ってる時も両手を前で重ねたり、お辞儀もきれいだし、でも育ちがいいのとも違うのよね」

 部屋に戻る5人の背中を見ながらマサも呟いた。

「何か、ヤケに人ずれしているって言うか。言葉遣いも何か職業的な感じがするんだよなぁ」


 部屋の戸をカオリが閉めると座卓を囲んで話し合いが始まった。

 ジュンが口火を切った。

「さあ、みんなどうする。先ず、カオリはどうだ」

 カオリは左手で名刺をつまみ、右手の人差し指ではねながら首を傾げている。

「ネェ『小田原芸能プロダクション吉祥寺本社』なんて、何か名前が込み入ってない。その昔『銀座ジュワイオクチュールマキ新宿本店』ってあったけどさ似てない? ヒロさんは」

「ワシらの状況も込み入っているからお互い様よ。言えた義理じゃない。リョウは」

「手持ち現金では、この旅館に居ても4日程度。じゃあ、ここを出たと言って何処で暮らす。身分証明が出来ないオレたちに部屋なんか貸してくれないだろ。1964年でホームレスをごめんだ。なあカズ」

「そうですね。ついでに仕事もあれば何となくこじんまりと暮らせそうだし。夏休みのバイトにはちょうどいいんじゃないですか」

 意見がまとまったのを見てジュンが提案した。

「夏休みのバイトか。やってみるか」

 カオリも興味津々だ。

「何にもせずに焦れているよりいいわ。バンドのアルバイトなんて面白そう。私は賛成」

「その賛成に賛成!」

「その賛成の賛成に賛成!」

 意見は一致を見た。

 再び5人は男と女将の待つソファに向かった。

 ジュンが皆を代表して結論を伝えた。

「合意しました。夏のアルバイトとその間の宿もよろしくお願いします」

 これでWIN、WINの関係だ。目出度く契約が成立した。

 マサは宿の準備の為一端帰り、明日の昼頃迎えに来る事となった。

 

 翌7月6日、月曜日、11時。

「いが屋」の前に白と水色のツートーンカラーに色分けされたフォルクスワーゲンのミニバンが横付けされた。車から降りたマサが腰から下げた手拭をとって汗を拭いている。強い日射しの空を忌々しそうに見上げた後、少しきしむ玄関を開けると中に向かって挨拶をした。

 すると5人の若者が楽器を下げてゾロゾロと出て来た。後から女将が出てきて新聞紙に包んだお弁当らしきものを一人ひとりに手渡している。皆は軽く一礼をすると順番に車へと乗り込んでいった。

 車の中は猛烈な暑さだ。

 カオリが髪に絡みつく汗を旅館の手ぬぐいで拭っている。

「ねえリョウさん、このミニバン、エアコンついてないの? めっちゃ、暑い」

 リョウがミニバンの解説をした。

「これは、フォルクスワーゲンのトランスポーター1。バック・トゥー・ザ・フューチャーでテロリストがマーティーを追いかけまわしたミニバンのシリーズだ。あとエアコンは望み薄、小型化が進んでいないんだ。今はかろうじて家にクーラーがあるかどうかの時代。車につくようになるには後10年位は待たないと。だから見ろ扇風機がついてる」

 そう言われてカオリが車のサイドピラーを見ると小さな扇風機が申し訳なさそうにプル、プルと震える様にまわっていた。

 女将と挨拶が終わったのかマサが乗り込んできた。

「パッタン」と頼りなく閉まるドアの音が身売りされた様な気分にさせる。

「じゃあ、いくぞ」そう言ってギアをローに入れアクセルを吹かすと車は空冷エンジンらしいバタ、バタと言う乾いた音をさせ、後部を少し落しながら走り始めた。 マサの隣でリョウが車内を見回している。

「この車いいですね。車といい、アンプといい、よく手に入れましたね」

 マサは忙しくハンドルを回しながら吉祥寺の狭い路地を器用に抜けていく。

「ああ、これな。良く走るぜ。丈夫だしアンプだけじゃなく屋根にも荷物乗っけて走れる。俺みたいな商売にはピッタリだ。空冷エンジンは昔扱った事があるから簡単な修理は自分で出来る。米軍基地で働いた事があって、中に知り合いが沢山いる。車だけじゃなくアンプや楽器もそこで手に入れたんだ」

 車は五日市街道へ出ると東へと向かった。

 道路はアスファルトが溶けて波打ち、車は右左に傾ぐ。まだ東京オリンピックの開発とは縁がない様子だ。

 後ろの席ではカズがサイドピラーの取っ手に掴まり体を安定させている。

「ところで僕ら、何処に向かってるんですか?」

「吉祥寺と西荻窪の中間くらいにある善福寺公園だ。そこに事務所とお前らが暮らす家がある。部屋は各自に一部屋づつ。居間に食堂、厨房にシャワーのついた風呂もある。昨日一日かけて掃除しといた。もうすぐだぞ」

 車が女子大の正門を過ぎ左に回り込むと、善福寺公園へと向かう下り坂の手前に下宿とも旅館とも見える建物が見えて来た。女子大の寮と道路を挟んで建っていて、表札には「お料理、南風荘」と書いてある。

 敷地の回りには申し訳程度に板塀が囲ってあり、それが入り口を隠している。

 カオリが車から荷物を降ろしながら建物を見上げた。

「マサさん、ここ旅館? 下宿?」

「両方」

「ハァ?」

「昔連れ込み旅館、その後学生下宿。今空き家。俺のお袋がやってたんだ。でも3年前に亡くなって、空き家のままさ。離れにある一軒家が俺の事務所兼自宅だ」

「ラブホかぁ、それで入り口が分からない様になってるんだ」

「アンタ、なんか詳しいね」

「そ、そう言う訳じゃないけど、耳学問! 下宿だけでもやればいいのに」

「めんどくせぇーんだよ。それに若い奴らは嫌いなんだ。あっ、お前らは別よ。仕事のパートナーだからな。まあ、いいや。弁当食って荷物の整理でもしろよ。離れ以外は全部使っていいから。それから事務所の楽器やアンプはそっちに運び込んでリハしとけよ。明後日から仕事始めるからよ」

 5人は、荷物を降ろし終わると建物の中に入っていった。

 敷地は200坪以上はあり、2階建ての旅館に広めの庭と離れがついている。旅館の屋根には外階段のついた大きな物干しがあり、建物を大きく見せている。旅館の2階には客室が10部屋とトイレ、1階は大きめの食堂兼居間や寝室に客間、シャワーのついた広めの風呂にトイレがある。庭を挟んだ離れはマサの住まい兼事務所である。


 5人は先ず2階に上がると各部屋に入っていった。

「ガラ、ガラ、ガラ、ガラ」

 それぞれの部屋から一斉に雨戸の開く音がした。

 2階の隅々まで夏の強い日射しが「サッ!」と入り、光のワイパーが影を一掃する。そして後を追う様に緑を含んだ風が「スゥー」と入り込み家の空気を入れ替える。樹木に囲まれ、ビルやアスファルトからの輻射熱を含まない爽やかな日射しと風だ。

 5人はその後自分の部屋を定め1階は食堂兼居間をミーティングルームとし、もう一部屋の客間は練習スタジオとして離れにあるマサの自宅兼事務所から楽器やアンプを運び込んだ。

 荷物を部屋に落ち着かせると、早速ミーティングルームに集まり「いが屋」の女将から貰った弁当を広げた。マサが事務所から冷えた麦茶を差し入れしてくれた。ヤカンにカチワリ氷を目一杯入れて飲む麦茶が最高に旨い。キーンと冷えて頭が痛くなる位だ。梅干しの入ったシンプルな塩むすびとの相性も抜群だ。

 午後も少し回り、体も動かしたせいか空腹で口も利かず夢中で食べた。食べ終わると気だるい様な静けさが支配し、再び風が吹き抜け網戸越しにカーテンを揺らした。

 カオリの持つコップの氷が溶けてカランと鳴った。

 その音をきっかけにしてジュンが話し始めた。

「部屋も決まったし、ひとまず落ち着いたな」

 カオリがコップで中の溶けかかった氷を揺らしている。

「なんかサァー、部屋の名前が『桐壺』とか『夕顔』とか馴染めないんだよね。201号室とか202号室とかなんで番号にしないのかしら」

 麦茶をコップに注ぎながらリョウが答えた。

「源氏物語の巻名から取ってるな。連れ込み旅館の名残さ、表に架かっている表札もそうだよ。『お料理、南風荘』って書いてあっただろ」

 カオリは興味津々だ。

「私、それ不思議だったの。それに、何でこんなに駅から離れた公園の近くに『ラブホ』があって、しかも料理屋の看板が出てるのよ」

「駅から離れた公園の近くだからいいんだよ。入るところ人に見られたくないだろ。それに『お料理』って書いてあれば『アレするんじゃなくて、お食事に行くのね』って思えるじゃないか」

「誰が思う訳? ここが『ラブホ』だってここら辺にいる人、皆知ってるじゃない」

「バカ、一緒に行く女の方だよ。そうやって自分の心をごまかしながら男について行く訳。『お料理』って言う看板は江戸の昔からある『あい引き宿』の流儀よ。カオリ、お前ホントに情緒ねェーな」

 カオリには、まだ決めなければならないことがある。

「歴史のお勉強もいいけどさ、それよりも暮らしていく上での決め事があるんじゃないの?」

 他の4人はポカンとしている。 

「あのね、暮らしていく上では日常のお掃除とか食事の支度とかあるでしょ」

 それはそうだ。

「しょうがないわね。じゃあ提案するね。合宿生活するんだからルールを決めなきゃ。シェアハウスの規則よ。先ず資金面、今あるお金と今後のアルバイト代は共同管理にするわ、誰でも見れるところに帳簿を置いて、週1回報告をします。お金は私が正レジとして集中管理します。でも資金の一部は個人費用として分配。お小遣いもいるでしょ。生活用品はもともとが旅館だから整っているわ。でも必要な備品が出た時はミーティングにかけて購入する。共同部分の掃除は週1回全員で、食事とお風呂の掃除当番は週替りの交代で行う。それから作った料理の出来に文句は言わない。洗濯は洗濯機もあるし個人毎にする。こんなんでどうジュンさん」

「皆、どうだ。これでいいか。ヒロ、リョウ、カズ。カオリの提案呑むか」

「賛成」

「その賛成に賛成」

「その賛成の賛成に賛成」

「今日の夕食は、特別に私が作るわ」

 5つのコップが触れた。

「カチン!」

 麦茶の乾杯で承諾し合った。

 こうして、1964年に飛ばされた5人と1964年の中年男マサの不思議な夏休みが始まった。




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