第4話 1964年

 ジュンたちもカーブに立ち、道路の先を見渡した。

 カーブの先は直進する道路と中央線の立体交差になっているはずが、高架が消え踏切になっている。

 眼を疑い、思わず前傾姿勢のまま踏み切りまで引き付けられてしまった。

「ねぇー、ジュンさん私たち道間違えたかな。それとも線路の工事かしら」

 誰も答えられるはずがない。

 踏み切りの前に近づいたところで遮断機が降り、「カン、カン、カン、カン!」という警報と共にオレンジ色の列車が轟音を立て目の前を通過して行った。

 車体の横には「高尾」と行き先が書いてある。

 横っ面を張るように今度は反対側を列車が通過した。その横には「東京」と行き先が書いてあった。

 どこから見ても中央線だ。


 リョウが声を押し殺す様に呟いた。

「101系だ。こっちは410型。なんで走ってんだ? いま頃」

 カオリには、急に番号だけ言われても何のことか分からない。

「リョウさん、もうちょっと分かりやすく説明してよ」

 今度は、踏み切りの警報と競い合う様に声を上げた。

「いいか、101系って言うのは、旧国鉄で1960年代前半に作られた列車のタイプだ。主に中央線で使用されていた。もう60年近く前の車両だから今走っているはずがない。410型って言うのは車だ、日産ブルーバードの製造型だ。アフリカのサファリラリーに初めて参加した頃の車だ、これも1960年代前半に作られている」

「つまり昔の電車や車が走ってる。と言う事」

「そうだ、1台だけじゃない。周りを見ろ」

 踏切に並ぶ車の列を指差した。

 ジュン達も振り返った。そこにあるのは見慣れたクラシックカーのパレードだ。

「ブルーバードだけじゃない。トヨタのパブリカにいすゞのヒルマン、日野ルノーまで走っている。しかもこれは何かのパレードじゃないぞ。タクシーまで含めて生活の匂いがする」

 ヒロは別の事に気づいた。

「オイ、オイ、オイ、オイ! 変なのは車だけじゃないよ。東急百貨店がない。消えている」

 カズは別のことに気づいた。

「ヒロさんの言う通りだ。名店会館って書いてありますよ。それに交番の位置も変わっている」

 東急百貨店は名店会館と言う見た事もない建物に変わり、屋上からサーチライトが夜空を照らしている。それに線路に向かって高架の左下にあったはずの交番が踏み切りの右側に移っている。

 何本か列車が通り過ぎるとやっと踏切は開き、5人は恐る恐る渡り始めた。踏み切りを渡りきると右に折れ駅北側の改札口に向かう。公園に行く時と逆のコースを歩いている事になるが景色は全く異なっていた。

 高架がないのでその下にあるはずの「アトレ吉祥寺」と言うショッピングセンターが無い。周りを見れば3階建て以上の建物がほとんど無く歩道の上は軒先からトタン屋根を伸ばしてアーケードの様になっている。

 

 100メーターほど歩いたところで駅北側にある改札口に着いた。

 駅の構内から「カチ、カチ、カチ、スチャン、スチャン」と言う金属的な音が聞こえてくる。改札口で駅員が切符を鋏で切る音だ。

 ジュンが思わず唸った。

「懐かしいビートだ」

 ヤケクソの呑気だ。それがかえってカオリの不安を煽る。

「そんな事に感心してないで。お願いだからこの変な状況解決しようよ。やっぱり駅が違うんでしょう。ネッ、そうよね」

「カオリお前には悪いが、その逆。駅の位置は俺の脳内GPS通り。俺は半径5メーター以内のものは見落とさない。カズ、駅の看板読んで聞かせてやれよ」

「5メーター以内なら見落とさないの当たり前でしょ。じゃ読んでやるな。漢字で『吉祥寺』その下にひらがなで『きちじょうじ』って書いてある。そう言う事」

「フザケナイでよ!」とは、言ったものの真実は曲げられない。

「本当だわ、でもいったい何が起きたの?」


 ヒロが駅売りの新聞を買って来た。

 全員が集まり首を伸ばして覗き込む、まるで滑川アイランドのフラミンゴだ。

「この通りならエライ事だ。ワシらタイムトラベラーだぞ。何なんだこれは! それでは発表します。新聞によると今日は昭和39年、西暦1964年7月4日、曜日は偶然同じ土曜日。腕時計と駅の時刻は一緒。それを信じれば時刻は夜の9時だ。新聞の見出しは『自民総裁選真っ向から対立。池田対反池田』その他にも報告があるぞ新聞は12円だ。売れ残りの朝刊だけどね。それから2020年の10円玉は売店で使えたよ。コインの発行年まで見ないからね、それにニセ金じゃない。いずれ時代が追いつく」

「サンキュー。新聞内容と報告嬉しいよ。だけどその前に、ちょっと待てよ冗談だろ。1964年だって。いったいどう言う事なんだ。それを信じろと言うのか」

 ジュンは新聞を奪い取る様に読み始めた。

 他の新聞はどうなのか? ヒロは、さらに人数分の新聞を買い足してきた。見出しは異なるが日付は皆一緒だ。

 5人は、新聞を手に呆然と佇んだ。電車や車の音、人の声や店先の音楽、街の喧騒がまるで耳に入ってこない、全てが無声映画のスローモーションの様に映るだけである。


 長い時間が過ぎた様に感じ、ジュンがやっと口を開いた。

「俺たち本当に1964年に来てしまったのか、ウソだろ。でも確かにこの風景は2020年とは明らかに違う。本屋の写真集で見た昔の吉祥寺そっくりだ。どうしてこうなったんだ」

 ヒロにも別の心当たりがある。

「もし、1964年だとするとワシャ今までの事が納得出来る。エレキギターを持ってる奴が殆どいなかったり、誰でも知ってるはずのJ-POPの曲を知らなかったり」

 そう言われれば、カオリも頷く事ばかりだ。

「そう、焼き鳥屋の代金が安すぎたり、福沢諭吉の一万円札を断られたり、車や電車、それに街の景色まで違う不思議な体験や現象も一致するわ」

 カズにはまだ実感が湧かない。

「タイムスリップなんて、本当にあるんですかね。じゃあ、いったい何時この時代に来たんだろう?」

 カオリがおずおずと手を上げた。

「たぶん、ベンチで歌った時じゃないかしら。あの時眩暈がして、そしてその前に動物の声とも風とも違う不思議な音が聞こえたわ」

 カズも同感だ。

「実は僕も同じ眩暈を感じたんだ、そして唸り声とも風とも違う不思議な音を聞いた。そして青年団との妙な出会いだ」

 他のメンバーも頷いている。

「皆、同じ眩暈と音を感じたのね。私達が現れて、青年団の3人が『君たち何処から来たの? 突然現れた』って言ってた事は本当だったんだわ」

 人は想定外の出来事に出会うと、逃れる為の仮設を何とか捻り出そうとする。

「バック・トゥー・ザ・フューチャーみたいな事が自分におきるなんて、信じられないわ。すぐに揺り戻しってないのかな。ホラ、地震でも後揺れがあるじゃない」

 リョウはいつも冷静だ。

「カオリ、もしかしてそれいけるかも知れないぞ。振り子の原理よ。揺れた振り子は元に戻る」

 ジュンが叫んだ。

「あのベンチに戻ろう! 今なら揺り戻しがあって、2020年に戻れるかもしれない」

 その声をきっかけに5人は荷物を抱え込むと、公園に向け慌てて駆け戻り始めた。


 車道に出ては車を止め、歩道の人を掻き分け、踏切を渡り走り続けた。そんな5人を交番の警官と焼き鳥屋のオヤジが不思議そうな顔をして見送っていた。

 程なくして公園に戻ると、5人は昼を過ごしたベンチに座り2時間ほど待ち続けた。

 何も起きなかった。

 暗闇の中、ただ樹木をざわつかせる風の音が聞こえるだけである。

 疲れきったカオリがすすり泣き始めた。

 ジュンが優しくそっと囁いた。

「カオリ、ラーメンでも食いに行くか?」

 答えがない、ただ下を向いて首を振るだけである。

 誰も言葉を続けられない。

 ジュンは星空を、ヒロは街の灯を、リョウは樹木を、カズは足元を見つめている。


 5人のいる空間を重苦しい沈黙だけが支配した。

 耐えられない空気を察知してヒロが提案した。

「街に戻ろう。2020年に帰れる何かのヒントを見つけられるかもしれない」

 とは言え、気分は重い。とても又踏み切りを越え、さっきまでいた駅の北側へ行く気にはなれない。

 駅の南側を彷徨い始めた。南側は井の頭公園が近くまで迫っている為街が小さい。時間も深夜12時近くになると街は静けさの中に埋もれ、明かりもすっかり消えてきた。井の頭線の音だけが聞こえてくる。

 まるで行き場所を失った探検隊だ。

 5人はすっかり疲れきってしまった。 

 ジュンは道に迷った案内人の様な気分になった。

「井の頭線も終電かぁ。今日は終わる。いつまでも歩いていても仕方がない。泊まれる場所を探そう」

 カズには、くすんだ暗闇しか感じられない。

「でもビジネスホテルとかありますかねェ」

「今はそんな贅沢言ってられないよ。とにかく休めればいい。カオリはこれ以上無理だろう」

「私大丈夫だよ、だいぶ立ち直って来た」と、気丈に振舞って見せたものの疲れの色は隠せない。

 細い路地を曲がると、街灯に照らされ「いがや」という小さな看板が見えて来た。板塀に囲まれた古風な旅館だ。小ぶりな門をくぐり、石畳を数歩入れば玄関だ。玄関の引き戸を開け、中に入ると入口に小さなホールがありテーブルとソファが置いてあった。その先はうす暗い電灯に照らされ、廊下がまっすぐ奥に伸びている。廊下の先は暗闇の中に吸い込まれ、永遠に続いているかの様に思える。

 ジュンが声を掛けた。

「すいません」

「はい、はい」と言う声がすると、奥からスリッパの「パタ、パタ」と言う音がし、電灯の傘が切り取る明かりに照らされて40歳過ぎの女将が出てきた。

 とにかく泊まるしかない。終電を逃したと月並みな理由を述べて滑り込んだ。

 部屋に入り布団を敷くと5人はぐったりと眠りに落ちた。

 

 明けない夜はない、どんな運命にも必ず明日はやってくる。迎えたくなくても明日は来てしまう。人は、今と言う現実と向かい合わなくてはならない。

 鳥の声がして朝の気配がした。

 ジュンはぼんやりとした頭の中でカオリが部屋から出て行く気配を感じた。

『水でも飲みに行くのか』

 再び寝ようとした時、バタバタと廊下を駆け戻って来る音がした。部屋の引き戸を開ける音がすると浴衣姿のカオリが布団に倒れこみ、口を押さえながら「ウッ!」と叫んだ。

 その勢いに全員が飛び起きた。

 ジュンが眼を見開いている。

「どうした気持ちでも悪いのか? なんか道に落ちてる物でも食ったか? それからお前のスッピン初めて見たけど、あんまり変わんねぇーな」

「バカ、言ってないでよ。とにかく信じられないの」

「もう、信じられない事は沢山だよ」

「いいからこっち来て、見てから言ってよ」

 皆カオリの勢いに押され、目をこすりながらついて行った。

 廊下の先には蛇口が沢山並んだ共同の洗面台がある。

 5人は洗面台横一面に広がる長い鏡の前に並ぶと息を飲んだ。

 その鏡に映っていたのは20歳前後に思われる5人の若者達の姿だった。


 ジュンが小さくつぶやいた。「何なんだ、これは。マジックミラーか?」

 ヒロが頬をさすっている、「同じ様に動いている」

 リョウが近くにあったタオルで鏡を拭いた。「雲ってない」

 カズは冷たい水で顔を洗って確認した。「冷たい」

 お互いを見合うと三浦は56歳、香織は35歳と言った見慣れた姿だ。しかし鏡には、明らかに若い頃の自分達の姿が映っている。

 5人は鳩の様に首を振り、何度も鏡と自分達を見比べた。

 いくら繰り返して見ても、お互いには2020年当時の年齢に見えるが洗面台の鏡には20歳前後の姿が映っている。

 そこへ旅館の女将が不思議そうな顔をしてやってきた。

「おはようございます。何してるの君たち。オシャレが気になるの? 朝から5人揃って熱心ね」

 ヒロが聞いた。

「アノ、女将さんから僕たちって幾つ位に見えます?」

「変なクイズね。どう見ても20歳位かな。いいわね若いのは、うらやましいわ。私の若い頃は勤労動員なんかで」

「アッ、いいです。分かりました。分かりました」

 そう溜息をつくと5人はそそくさと部屋に戻った。

 部屋に戻ると小さな鏡台の前に集まり自分達の姿を改めて見詰めた。その姿は何処から見ても20歳位だった。

 カオリが浴衣の裾をたくし上げると口を開いた。

「20歳の私だわ」

 膝の外側にうっすらとアザが残っている。

「20歳の初夏に転んだの。水着が着れるか心配したのを憶えている」

 それを聞いてカズがTシャツのネックを引っ張り肩を鏡に映した。

「夏休みにトラック助手のバイトで、荷物を載せる時についた傷だ。痛みと共に鮮明に憶えている。20歳の僕だ」

 他の3人は、身体の記憶はないが20歳とおぼしき自分の姿は理解出来る。

 リョウが腕を組んで答えた。

「視聴率ってあるだろ。あれはサンプルで1500件程度しかとらない。でもほぼ正確なんだ。5人で2サンプル、確率は十分だ。オレたちは20歳なんだよ」

 カオリは思わず口に手をやり答えた。

「つまり私たち同士に見えるのは2020年の年齢の姿で、この時代の人や鏡には20歳の若者に見えている。そう言う事なの?」

 ヒロが大きく頷いた。

「それで、失礼な言葉遣いの意味も分かった。皆、20歳に見えるワシらに言っていたんだ」 

 鏡を見つめ、ジュンがつぶやいた。

「何で俺たち、こんな事になっちゃったんだろう。どうしてなんだ」

 鄙びた窓から風が抜け、日焼けしたカーテンを揺らした。

 カーテン越しの日射しに照らされ、5人は顔を見合わせた。

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