第2話 井の頭公園

 東京の西部、武蔵野市と三鷹市に挟まれた一角に井の頭公園がある。

 吉祥寺と言う繁華街に接して武蔵野の面影を残すその公園は、街の喧騒から独立して多くの人々から愛され続けている。

 春夏秋冬、表情を豊かに変えるが特に夏が美しい。

 夏の日射しを浴びた樹木たちがしっかりと根を張り、力一杯枝を広げてたくましい塊となってそそり立つ。

 その姿は時を超えて武蔵野の原野が今に蘇った様だ。


 生命の躍動に溢れたその姿を前にした時、人は時を越え今へと続くメッセージを力強く受け止める。

 憧れを求める「夢」、恐れを克服する「チャレンジ」、失敗という切ない「挫折」、新たな目標へと向かう「成功」と言うそれぞれのステージに向かい合った時、「勇気」という言葉を思い出させその背中を力強く押してくれる。

 心にたくましい勇気を感じた時、人は目の前に壁となって聳え立つ「今」に向かう事が出来る。

 長い時を刻み続けてきた公園の樹木には、そんな見えない意思と力がある。

 今に向かう勇気が必要な人がいた時、ちょっとしたきっかけでその力が眼を覚ます事がある。

 その時、人は隠してきた本当の自分と向かい合うことになる。


 2020年7月4日土曜日。

 盛夏に入ったとは言えまだ日射しは優しく、これから本格的にやって来る夏の険を控えていた。

 穏やかな風は、その日射しをオプラートのように包み水面を撫で、小さな波がきらきらと輝いている。

 池を囲む鬱蒼たる樹木は、競い合う様に背を伸ばして少しでも空に近づこうとしている。

 公園の片隅、昔からある売店の近くに浅いV字形に設置された2つのベンチがある。

 そのベンチでオヤジバンドが音合わせをしている。

 1964年に流行ったオールディーズが終わると、5人が笑って眼を合わせた。

 歌を歌っていた赤いTシャツの女性が軽く背を伸ばした。

 背丈は160センチ位、肩まで伸ばした髪が軽く揺れている。

「ネェーッ!ジュンさん意外に良かったね。今の曲」

 ジュンさんと呼ばれた男がスティックをタオルに持ち替え、軽く汗を拭いた。

 年齢は50台半ばか、背丈は170センチ位。年齢のわりには髪は多く、濃い目の眉と合わさって強気な印象を与える。

「カオリが言う通り一応の『グルーヴ』は出てたけどやっぱり暑いよ。ヒロよぉ、オリンピックはもっと暑いぜ大丈夫かね?」

 ヒロと呼ばれたギターを弾いていた男もウンザリ気味だ。

 年齢は50代前半、背丈は160センチを少し越えた位でやや太めの身体と楽天的な目が安心感を与えてくれる。

「多分寒くはならないでしょ。バンドは室外競技か? 公園でリハやる必要ないでしょ。カラスだって寄って来ねぇよ。カラスに聞かせるのに『CROW』するか。シャレにもならんわ。なあ、リョウ」

 ベースをいじっているリョウと呼ばれた男がメガネを少し上に上げた。

 年齢は40半ばか、細身で背丈は180センチ位あり黒縁のメガネが銀行員の様な印象を与えている。

「ヒロさん、そういう駄洒落を無駄知恵って言うの。オレは一人で鳴らせて感じが掴めればいいんだ。それに店の屋上でやる月末納涼大会までそう時間もないし。ナァ、カズ」

 カズと呼ばれた男はギターのチューニング中だ。

 40歳前半で背丈は175センチ程。身体は引き締まり、アスリートの様だ。そのわりには優しい顔つきをしており、押し出す印象は身体にくらべ強くない。

「僕もリョウさんと同じかな、どっちかっツゥーと。お中元商戦ご苦労さんの演奏が業務命令ときたら、やんなきゃしょうがないっすよ。サラリーマンだよ人生は」と、半ばあきらめ口調だ。

 カオリと呼ばれた赤いTシャツを着た女性が仕方なさそうに肩をすぼめた。

「皆、投げやりね。しょうがない、遅れたけど旅行のお土産上げるよ」

 カオリは、スカートのループにつけているのと同じキーホルダーをリュックから取り出した。そこには「鹿屋」と刻印された金具がついている。

 ジュンがスティックをベンチに置いて手を差し出した。

「オーサンキュー、もらえる物なら按摩の笛でも。鹿屋行ったんだ。何で又そんな所行ったの?」

 カオリは、優しく皆の手のひらにキーホルダーを乗せながら答えた。

「そんな所で悪かったわね。大学の同級生の結婚式で行ったのよ。1泊2日の弾丸旅行。正直言って疲れたわ。田舎だし、交通不便だし、私には相手いないし。そこまでして買ってきたんだから大事にしてよ!」

 ジュンが早速ベルトのループにキーホルダーの金具を通している。

「わかったよ。八つ当たりするなよ。鹿屋か、俺も知ってるよ。昔、海軍特攻隊の基地があった所だろ。ご苦労様。ありがたく頂くわ」

 残りの3人も金具をベルトのループに通した。

「カチ、カチ、カチ、カチ」4つのキーホルダーの輪が閉じた。

「じゃ、気を取り直してもう1曲やろうよ。私はビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』がいいな。いいでしょ。ネェ! やろうよぉー」

「土産もらったし、マァーいいや。やってみっか」

 そう言うとジュンがスティックでカウントを取り始めた。

「ワン・トゥー。ワン・トゥー・スリー・フォー」

 リードギターのヒロがイントロのメロディーを入れサイドギターのカズがリズムを刻み、ベースのリョウがバックを支えカオリが歌う。

 驚く程のグルーヴが生まれた。アンプなしのギターにベース、パットのドラム、マイクなしのボーカルとは思えない程素晴らしい出来だ。思わず曲の世界にのめり込む。

 すると曲のうねりが強烈なグルーヴとなって、周りに発散し始めた。


 やがてグルーヴに共鳴するかの様に木が震え、池にさざ波がたち、異常な空気が周りを支配し始めた。

 程なくベンチ裏の空間に小さな黒いシミ浮かんだ。それが少しづつ広がり5人の後ろから大きな闇となり忍び寄って来る。

 演奏に夢中の5人は、何も気づかない。

 エサを摂る事に夢中になり、腹を空かせた猛獣が忍び寄ってくる事に気づかない小動物の様だ。

 曲も中ほどを過ぎるとベンチの後ろはすべて暗闇に包まれ、暗黒の壁が空まで届き、5人の上から覆いかぶさって来た。前から見ると演奏をし続ける5人だけが夏の日射しに包まれ、スポットライトを浴びた様に輝いている。


 演奏が終わった。

 お互いを見詰め合おうとしたその瞬間。

 まるでその時を待っていたかの様に「グワッ」と言う、動物の唸り声とも風とも思える音がし、闇が一瞬で5人を包み込んだ。

 包み込むと、今度は「ヒューン」という音と共に暗闇は反転し、何事もなかったかの様に夏の日射しが公園を照らしていた。

 歌い終わったカオリが軽く額を手で押さえている。

「今のグルーヴ出てたね。すごく良かった。だけど私、歌の最後の所で軽く目眩がして。どうしたんだろう。暑さにやられたのかなぁ」

 4人も少し不安そうに顔を見合わせている。

 ジュンも人に言えない眩暈を感じていた。

「ああ、やっぱり暑さが効いたのかな。ヒロ、今何時だ?」

 ヒロも同じ感覚を覚えたのか少し弱気になっている。

「正確には3時5分過ぎ。今日は、もう帰ったほういいかもね。ちょっと早いけど、軽く一杯やりながら反省会するか?」

 そんな会話を交わす中、20メートルほど前にある売店から3人の若者が不思議そうな顔をして近付いて来た。


 口を半開きにして近付いて来る。

 5人の前にやってきて、その中のリーダーらしき一人が口を開いた。

「あのぅ、君たちいったい何処から来たの?」

 カオリには、何を言っているのかさっぱり分からない。

「何処って。私は高野台。この人は国分寺。それから……」

 どうも話が噛み合わない。

「イヤ。そうじゃなくて。何処から現れたのかって聞いてんの。なあ」と、男は賛同を得る様に後ろにいる2人を振り返った。

 2人は頷くと、その中の眼鏡をかけた長身の男が腕を組みながら確認するように尋ねて来た。

「僕たちが聞きたいのは、どうやってそこに現れたかなんだよ。そう、ほんの少し前。時間にしたら僅か5分位前なんだけどさ」

 もう一人の小太りの男が少し焦ったように前に出ると後を引き継いだ。

「俺たちは、さっきまで君たちのいるベンチに座っていた。あんまり暑いからかき氷を食べようって売店に行き、ベンチに背を向けてかき氷が出来上がるのを待っていたんだ。かき氷が出来上がって、おばさんがこっちを向いた時『あれェー!』って大きな声を上げたんだよ」

 話は又、最初の男に戻った。

「振り返ると、君たちがいた。そして歌まで歌っている。僅かな時間で何処から現れたのか? ギター持って。芝生の方から来ればすぐ分かるし、林の中から現れたのか?」

 残りの2人が首を前に出す様に声を揃えた。

「まさか、空から降ってきたんじゃないよなぁ」

 カオリは何の事かサッパリ分からない。

「ずっとここにいたわよ。あなたたちこそ、何処から来たのよ? 私たちが歌う前、売店にお客さんの姿なんて見えなかったわ」

 何だか分からないが面倒なことに係わり合いになりたくない。

 ジュンが面倒臭そうに答えた。

「お互い宇宙人って事にしておこう。それでいいだろ。俺たちゃ、もう帰るんだ。お話は終わり。ジ、エンド。さあ行こう」

 皆、不思議な眩暈を感じていたので帰りを急ごうと荷物を取り纏め始めた。


 3人は大いに慌て、さっきのリーダーらしき1人が早口で喋り始めた。

「チョ、チョット待ってくれ! 君たちがどこから現れたかは、どうでも良いんだ。宇宙人でも海底人でも河童でもカワウソでもかまわない。時間は取らせないから少しだけ俺たちの話を聞いてくれないか」

 ジュンはその勢いに一瞬たじろいだ。

「ナ、ナンダヨ。化け物のグレードだんだん落としやがって。なんか凄い勢いだけどヤバイ話だったらゴメンだからな。そうだろヒロ」

 すがるようにヒロに加勢を頼んだ。

「ジュンさん。攻撃するのは強いけど、防御に回ると弱いねェー。聞かずには帰してくれそうもない雰囲気だし、危害もなさそうだ。とりあえずお話だけ聞きましょうか」

 聞けば素直に帰してくれるなら、ここはヒロの言うことを聞くことにした。

「分かったよ。今日は体調が良くないんだ。手短にやってくれ」


先ずは、話が出来ることで安心したのかリーダーらしき男がゆっくりと話し始めた。

「悪い話ではないから安心してくれ。先ずはこっちの身分って言うか、どう言う仲間かって自己紹介しないと失礼だな。俺たちは、吉祥寺商店会の青年団に所属している。俺は団長の篠崎、こっちの2人は中野と岡田」

 ジュン達5人と挨拶を交わすと篠崎が話し始めた。

「時間もないようなので早速本題に入るな。7月に入りこれから夏休みが始まる。人の心が浮き立つ季節だ。俺たちは商売もあるけど吉祥寺は生まれ育った街だから多くの人がこの街に来て欲しいと願っている。しかし吉祥寺の街は小さい上に、新宿と渋谷と言う巨大な文化圏が交わる所なんだ。新宿の猥雑と安さ。渋谷にある山の手のお澄まし気分。両方の文化が混じりあっている。それだけにどちらも中途半端。だから油断をしているとお客さんは、新宿や渋谷にとられてしまう。ここから先は中野が話すな」


 少し小太りな中野は、汗を拭きながら引き継いだ。

「じゃあ、続けるぞ。吉祥寺には素晴らしい良さがあるだなぁ。それが我らが誇り井の頭公園! 街と自然が一体となる街は他にないよ。分かるだろ。そこで我らが誇り井の頭公園を使ってイベントが出来ないかって考えたんだ。いいアイデアだろぅ。中身は岡田から話すわ」


 背が高く細身の岡田は、自信無さそうに続きを始めた。

「あのさ君達、ビートルズって聴いた事あるかなぁ。今、すごい人気なんだ。魅力はエレキギターなんだよね。ビートルズは見た事ないけどエレキギターは聴いた事があるんだ。凄い迫力でさぁ、あれを使って若い人向けのイベントが出来ないかって考えた訳。公園のステージを使ってエレキバンドのコンテストを企画したんだけど、その先が問題なのよ。やっぱ、篠崎さん頼むわ」


 再び篠崎に話が戻った。

「そう、企画は良かった。資金も集まった。しかし当日になっても肝心のバンドが少ししか集まらない。困りはててここへ来たら君たちを見つけたんだ。ナッ頼む、コンテストに参加してくれ! エレキ持ってる奴なんてそんなにいないから、きっとなんかの賞獲れるよ。いいだろ、もうすぐ始まるし、時間はかからないから」

 3人は、交互に頭を下げながら頼み続けた。


 正直に事情を話された上、ここまで頭を下げ続けられて悪い気のする奴はいない。

 ましてやデパートで客に頭を下げてばかりいる5人にしてみればなお更だ。

 この「頭下げられ感」に対し、抵抗力の弱い者から脱落し始めた。

 カオリは特に弱い。

「エレキギターは良く知ってると言うかお馴染みだけど、でもなんか困ってそうね。どうするチョットだけ協力してみようか」

 ジュンが「またか」と言う調子で答えた。

「お前さ、その手で何回男に騙されているんだよ。学習効果ってないのかよ。こいつらと今、口聞いたばかりだぞ」

 今まで黙って聞いていたリョウが突然口を挟んだ。

「オレはやってもいいよ。バンドのコンテストなんて今時珍しくもないけどカオリの度胸付けにはいいんじゃない。ジュンさんやってみようか」

 普段は慎重なのに、いつになく乗り気である。

 ヒロが不思議そうな顔をしている。

「どうしたんだよライブで人前嫌ってる癖に、珍しいね」

 カズがそっと耳打ちした。

「違いますよ、ヒロさん知らなかったの? リョウさんの実家は昔、小さな八百屋さんやっててたんですよ。でも商売は結構厳しくて、そんな中で育ってきたからこの手の話には弱いんすよ」

「そうか、八百屋やってたのかぁ。一番ドライに見えるけどアイツいい所あるじゃん」

 ジュンが弾みをつける様に言った。

「リョウが乗り気ならしょうがない。じゃあ参加すっか」

 5人は、青年団の3人に連れられ、公園の奥に作られたステージまで向かう事となった。


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