第1.1話 『ある城内の怪』

ある城に惣兵衛と言う武士がいた

腕っぷしが強く、また小器用な男で武芸に秀でていた


この惣兵衛、ある戦で馬から落とされ、目を傷つけてしまう

しかし落馬して視力をほぼ失ってなおも戦い続けて

生き延びたのだから、たいした豪傑である


目を悪くしてからは、手先の器用さを活かして

戦には出ずに城内で武具の手入れと番をするようになった


ある時、惣兵衛は手入れに没頭して辺りが暗くなるまで働いた

目に頼らないせいか、手元が暗くなるのも構わず作業していたそうだ

いそいそと帰り支度を済ませて、家路を急いだ


帰路の途中、塀の影に隠れるように白い人影が見えた

訝しく思い、近寄るとそれは上等な着物を着た美しい少女だった

奉公人かと思って惣兵衛が問う


「こんな時間に何をしておる?」

「散歩を。人が多いと出歩けませんので」


少女は驚いた様子で、しかし小さく澄んだ声で答えた


「夜の一人歩きは感心しない。早く帰れ。送ろう」

「嫌です。戻っても退屈なだけです」


その声があまりに拗ねた調子だったので

惣兵衛は無理に帰すのも気が引けて、少しばかり考えてから言った


「退屈ならば話をしてやろう。気が済んだら戻ると良い」

「なら、城の外の話をお聞かせください」


少女の声が弾むのが分かった

惣兵衛は戦場でのことや、城下で見聞きした話を聞かせた

いくつか話し終わると少女は満足して帰ると言い出した

「送ろう」と言う惣兵衛に、少女は振り向いて

「明日も話を聞かせて」と言って闇夜に消えた


それから惣兵衛は、たびたび白い少女と話をするようになった

毎度毎度「明日も」「明日も」とねだられるので断れずにいた

そのうち、話すこともなくなってくると

方々で面白い話を仕入れて回るようになった


面白い話を知る者を探していた惣兵衛は、山寺の住職を紹介される

その住職は、説法や話の読み聞かせが上手いと評判だったが

歳で目を悪くし、弟子の顔が見分けられなくなってからは弟子を取らず

今では独りで寺を管理していた


同じく目の悪い惣兵衛と住職は

日々の暮らしの不便などを語り合ううちにすぐに打ち解けた

惣兵衛が、さて話を仕入れようと事情を話すと

それを聞いた住職はすぐに「その少女は鬼だ。近づくな」と重々しく言った


曰く、あの城には見た者を亡者に変える妖鬼が住み着いており

白い少女こそ、その妖鬼であると言う

惣兵衛は「そんなはずはない」と言うが、住職が一言問うと

答えることができなかった


「何故、その少女を“美しい”と思った?

その目、ろくに見えていないのだろう」


惣兵衛には、確かに少女の顔が見えていた

黒く長い髪も、白い肌も、上等そうな着物も見えていた

美しい横顔も、話を聞く楽しそうな笑顔も見えていた

そのどれもが、見えるはずの無い物だった


「その目だからその程度で済んでいるが

これから先も関わり続ければ、どうなるかわからん」


惣兵衛は心底が冷える思いを覚えて、住職の言葉に従った

それからは日が沈む前に急いで城から出るようになり

白い影に見えれば木漏れ日すら避けて通るようになった


そんな日がずっと続いた。ずっとずっと続いた


ある日、惣兵衛が仕事を終えて

いつも通り日が沈む前に城を出ようとすると

部屋の出口に白い影が立っていた


「追ってきた」と思った惣兵衛は身構えた

そこに居たのは、間違えようもない

少女だった

いつでも切りかかれるように構えながら、妖鬼の出方を伺う


惣兵衛には、その少女の顔がよく見えていた。綺麗な顔だった

だが、今の少女の顔には表情が無い

瞬きすらなく、無感情で、冷え切っていて、しかし白く澄んでいた

白磁で面を作れば、きっとこうなるだろうと思った


数瞬か、数刻か、数日にも思える硬直の後

不意にその顔が動いた


少女は声を出さずに泣いた


牙を向いて飛び掛かってくるかと思っていた惣兵衛はあっけにとられた

その涙も、何粒か数えられるほど、見えるはずの無い目に鮮明に映っていた


「あなたも私が怖いのですね。隠さなくても良いのです

 私も自分が怖いのです


 皆、私を見るとおかしくなってしまう。あなたもそうなるのでしょうから

 そうなるかも知れないと思うから私から逃げているのでしょうから

 

 あなたは目が見えないから。話もできたから

 ずっとそうしていられると思ってしまった

 

 でも、怖いのですね

 でも、私も怖いのです

 でも、もう一度だけ、話を聞きたくて」


その続きは聞こえなかった。少女は泣き続けていた

惣兵衛は、それを見るうちに構えを解いていた

白い影を妖鬼と思えなくなっていた

しかし、どうすれば良いか分からなくなった


すすり泣きと沈黙の間に、日は暮れていた

惣兵衛が言った


「もう一度だけ、話そう。山寺で面白い話を聞いてきたから」


涙を手でぬぐった影は、嬉しそうに笑った

そこに居たのは、間違えようもない

少女だった


それ以来、城内の妖鬼はぱったりと現れなくなった


しばらくして、山寺に頭を丸めた子供が預けられた

その子はよく学び、よく住職を助け、里にお使いに来ることも多かった

とても美しい子で、皆から可愛がられたという

惣兵衛はよく山寺を訪れて、その子供に話を聞かせていたそうだ



終わり

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