創作息抜き怪談 文字版
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第1話 『約束の木』
俺は仕事を辞めた
自分勝手な上司に振り回されて
ろくに仕様も固めない営業に振り回されて
それでも「いつか報われる」と言う先輩の言葉を信じた結果が
炎上案件の尻ぬぐい役
そしてそれが終われば、全てが俺の責任にされていて
周囲の連中は見事な手の平返しを見せてくれた
その上、何も知らない人間は「世の中そんなもんだ」なんて
身勝手な理屈を捏ねるもんだから、ほとほと嫌になった
「ふざけるな!」
「俺が被った泥を今度はお前らで分け合えばいい!」
「“世の中そんなもん”なんだろ!?」
その時、そう言えれば良かったがそんな気力もなかった
俺は適当な理由を探して会社から逃げ出した
もう、疲れ切っていた
何も考えられない日が何日か続いて、不意に実家に帰ろうと決心した
すぐに両親に電話すると、理由も聞かずにいつ帰るのか聞かれた
しばらく泣いてから日程を相談した
里帰りの当日、日も傾き出した頃、俺は閑散とした田舎の駅前に立っていた
一時間に一本だけバスが来るロータリーに軽トラが一台停まっている
その運転席から、俺と同年代のガタイの良い男が声をかけてきた
「おう、久しぶりだな」
「お前……Aか?」
思い出すのに少し時間がかかった
Aは小学校の頃、俺のクラスメイトだった男だ
ガキ大将と言う程ではないが、クラスの中心人物で良くも悪くも目立つ奴だった
その頃の自信満々で偉そうな、悪ガキの面影が十数年経っても残っていた
「早く乗れよ」
促されて軽トラの助手席に乗った
車が動き出すとAは懐かしい笑顔を見せて、デカい声で話始めた
Aはよく笑う奴だった。それは今も変わらないようだ
Aは俺が両親に話したことを全て知っていた
退職の経緯も、大泣きしたことも知っていた
「ちょうど暇だったから迎えの運転手に選ばれた」とか
「お前は昔からモテなかったな」とか
「おかげで田舎に引っ込むのも身軽で良かったんじゃないか」とか
ずけずけと楽しそうに話している
その時の俺には、Aの無遠慮さは不快ではなかった
受け答えしていくうちに俺も自然と笑っていたし、
いつの間にか、俺もAの暮らしぶりを聞いていた
「今も悪ガキやってんのか?」
「んな歳じゃねぇよ」
「じゃあ、その指なんだよ?筋モンの女にちょっかいでも出したんだろ」
Aの右手の小指は第二関節から先が無くなっていた
そのことを口に出した瞬間、Aの表情が強張った
言ってから「不味いことを聞いてしまった」と後悔した
「なぁ、こんな話知ってるか?」
俺が謝罪するより先にAは「噂話」を語り始めた
「俺たちが行ってた学校に怪談があっただろ
今にして思えば、ありきたりな話ばっかりだったけどさ
それが最近、新しい話が混ざってるんだよ
『約束の木』って話なんだけど
校庭に一つだけ、小さな穴が開いてる木があってな
それに小指を入れて約束をするんだよ
“指切りげんまん”みたいにな
その約束を守り続けてる間は、幸運に恵まれる
でも、約束を破ると……」
「おいおい。“指切り”されるってか?」
「ああ、俺の小指もそうなんだ。つか、先にオチ言うなよ」
Aの話を聞いて「指を失った理由を隠したいんだな」と俺は思った
やはり、調子に乗って踏み込み過ぎたようだ
俺は、話を逸らせたかったのもあって、その怪談話に乗っかることにした
「なぁ、懐かしいし、ちょっと学校に寄ってくれよ」
「別に良いけど、もうすぐ日も暮れるぞ?」
「ちょっと見るだけだよ」
学校まで数分山道を登っていく
移動中に「校舎には鍵がかかっているだろう」と言うことで
ならばと、校庭だけ見ることにした
校庭に着く頃には空は真っ赤に染まっていた
「懐かしいな」とAと話しながら歩く
校庭は、記憶の中のそれよりも随分小さく思えた
子供の頃は、息が上がるほど走ってやっとたどり着いていた校庭の端の木も
今では、少し歩けば手が届く
何とはなしに、木に手を伸ばした。手が木に触れた
指が木の輪郭を撫でるとそこに穴があった
「おい、A。穴がある」
「だからなんだよ」
俺の下らない報告にAは苦笑いで応えた
小指を突っ込んで、Aの方を見る
「こうやるんだろ?」
それを見たAが、真っ青な顔で俺を突き飛ばした
「バカ野郎!俺の話、聞いてなかったのか!?」
「はぁ?いや、あの怪談、マジで言ってたの?」
「あ……いや、危ない虫とかも居るからさ。木の穴って」
Aはため息をついてから「もう帰るぞ」と吐き捨てるように言った
木の穴から勢いよく抜けた俺の小指は、少し擦り剥けていた
気まずい空気の中、擦り傷を舐めながら車に戻るとAはすぐに車を出した
さっきまでとは打って変わって、車内は静かだった
実家に着くと俺はすぐに、Aに運転の礼を言って車を降りた
去り際にAが「気を付けろよ」と言っていたのが引っかかったが
久しぶりに両親の顔を見て、夕食を食べ終わった時にはもう忘れていた
驚くことに俺の部屋は綺麗に掃除されていて、ほとんど昔のままだった
物置になっているのを覚悟していたが、両親が手入れしてくれていたんだろう
それか、あらかじめ連絡していたのが良かったのかも知れない
その晩は、久しぶりに明日への不安を感じる間もなく眠れた
しかし、嫌な夢を見た
俺は校庭の木に小指を入れている
小指の先に何かが触れる
引っ張っても指は抜けない
「虫?いや、もっと細い。糸?」
細い何かが指をぎゅうぎゅうと締め付ける
「痛い!痛い痛い!千切れる!!」
そこで目が覚めた
小指を見てみると、細くて黒い、光沢のある繊維が絡んでいる
髪の毛だった
俺の髪じゃない。こんなに長くも細くもない
両親の物かとも思ったが、歳を考えればこんなハリもないし、とっくに白髪だ
まるで、子供の髪の毛だった
昨日の話を思い出した俺は、その髪がいやに不気味に見えた
髪をゴミ箱に押し込んでから時計を見ると、もう昼前だった
少し冷静になって、誰かに俺の部屋を間貸ししたのかも知れないと思い至った
物置になってなかったのは幸いと思ったが、単に他の誰かが使っていたのかも知れない
居間に行って両親に聞こうと廊下を歩いている最中、母が俺を呼びに来た
「ねぇ、大変なの!A君が……」
母を落ち着かせてから話を聞くと、昨日の晩Aが大怪我をしたらしい
嫌な予感がした
夢のことも、昨日の木の話も、全部関係しているように思えた
急いで、Aが入院したという病院に行くと
「おう、見舞いにしても随分早いな」
包帯を巻かれた右手を軽く上げてAが笑っていた
「何があったんだ?」
「あれ?聞いてないのか。ちょっと事故っただけだよ」
「“ちょっと”には見えねぇよ」
「ははは。別に死ぬような怪我じゃないさ」
続けてAが言った言葉で、俺は凍り付いた
「また指が減っちまったけどな」
包帯でグルグル巻きになったAの右手の輪郭を、俺は目でなぞった
人差し指と中指を伸ばした、鉄砲みたいな形
薬指が無かった
「まさか、昨日の話のせいか」
「おいおい、本気にするなよ」
Aが笑いながら言った
俺はまるで笑えなくて、偶然だと思い込もうと努力した
その晩も夢を見た
昨日と同じように木の穴に指を突っ込む
でも、小指じゃない。薬指だった
そして、また細い糸が絡みつく
これはきっと髪の毛だ
今度は腕を抜こうとしない
じっと、指に髪が絡むのを待っている
痛みが増す。だが、声は出なかった
ブチブチブチブチ、と言う嫌な音で目が覚めた
起きると、指にまた髪が絡みついていた
恐ろしくなった俺はすぐにAに連絡した
だが、病院に電話すると「退院した」と言われ
Aの家に電話すると「まだ帰っていない」と言われた
その日から、Aは姿を消した
俺の頭で『約束の木』の話が何度もリピートされていた
あれは本当の事なんじゃないか
Aは何かを約束して、それを破ったから消えたのではないか
Aはどこか別の世界に行ってしまったのではないか
Aを取り戻す方法はないのか
その日、俺は夕方まで悩んで、最終的に学校に向かうことにした
誰も居ない校庭に、変わらずあの木が佇んでいる
俺は小指を入れて、ある約束をした
その日から、本当に俺に幸運が続いた
地元の仕事がすぐに見つかり、生活の不安は消えた
両親も健康でまだまだ現役って感じだ
それと、前の会社の上司が大事故を起こし、両腕を失ったと聞いた
その事故で取引先との訴訟や労災絡みの訴訟が起きたそうだ
小さな会社だから、あっと言う間に立ち行かなくなるだろう
あいつらには不幸だろうが、俺には幸運だ
俺が「約束」をしてから、もう半年近く経った
俺は、あれからずっと手を尽くしてAを探している
だけど、Aは見つからず、手がかりすら見つからない
警察も捜査してくれているが、何の音沙汰もない
Aの存在は、どんどん希薄になっている
探すのに協力してくれる人も減っている
俺自身、いつAを忘れてしまうか怪しい
この話をまとめたのも、Aを忘れないためだった
だって、俺の約束は「Aが見つかるまで、Aを探すこと」だから
幸運が手に入るなら見つかると思っていた
約束すれば、探し続けていられると思っていた
でも最近、一つの嫌な考えが頭をもたげてきている
幸運な俺がどんなに探しても、何も見つけられないのは
「Aが見つからないこと」こそ、俺にとっての幸運だからじゃないのか?
Aに会えば、俺はAがどんな約束をしたか聞かずにはいられない
Aは何を約束して、何故破ったのか
今となっては何も分からない
そもそも、Aが約束の木を使ったことさえ、俺が勝手に確信しているだけだ
何も分からない方が良いんじゃないか
分からない方が、俺には幸運なのかも
それが、俺の望みと違っていても
それが、誰かにとっての不幸でも
終わり
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