Awakening
…
………
……………ん、
なんだ、この感覚は……
意識がぼんやりしていて、視界もはっきりしない。
体が、重い。
しばらく経って、やっと目の前に映る景色を認識する。
薄明るく浮かび上がる木の目に、丸く象られた照明カバー。見覚えのあるこれは、きっと僕の部屋の天井だろう。
と思ったら、ゆっくり起き上がっているようだ。
自分の意思では、ない。
誰かに体を乗っ取られているような、そんな感じだ。
視線が天井から壁、壁からドアへと移っていき、ぼんやりとだが、やっと部屋の全体像が見えてきた。
と同時に、やはりここは僕の部屋だと、そう確信した。
僕の体はベッドの上で向きを変え、視界の一部に、壁にかかるアナログ時計を捉える。
6時、50分すぎか。
部屋の明るさからいって、朝であることは間違いないだろう。
そのとき、時計の下の方にいくつかの赤い点を見つける。
いや、壁だけではない。ベッドから移動して、今まさに半開きのドアをこじ開けようとしている自分の手にも。
こちらはもはや点ではない。腕の方まで、べっとりと、赤。
うすうす気づいてはいたが、状況は想像していたより最悪なようである。
部屋を出た僕の体は、ゆっくりと1階を目指して歩いている。
その廊下にも、階段にも、やはりところどころ赤いシミがある。この手形は僕が付けたものだろうか。下に降りるにつれて、その量も多くなっているみたいだ。
そういえば、家族はどこだろう。
確か僕には、母さんと父さんがいた気がする。それもはっきりしないほど、頭がぼんやりしている。
というよりも、頭が半分しか機能していないのだろう。きっともう半分は、今この体を動かしている誰かのものだ。どうしてこうなったのかは分からないが。
1階についたようだ。
リビングのドアは、開いている。
中は……血の海だ。
そこに、入る。
……母さん、父さん。
いや、これは本当にその2人なのだろうか。
そう考えたのは、記憶が曖昧なせいだけではない。
一段と濃い赤の海の中で、判別がつかないほど酷い状態で、重なり合う2体。
そのとき、自分の内側から激しい感情が湧き上がるのを感じた。それは、悲哀でも絶望でもない。
モット、モット。
もっと……なんだ?分からない。
が、この体はその2体に近づいているようだ。
と、同時に、鼻を掠める臭い。鉄臭い中に、感じる、美味しそうな香り。
たらり。
涎が垂れてくるのを感じる。
モット、モット。
…………食ベ、タ、い……!
ドクン。
ドクン。
心臓が早くなるのを感じる。
それは別の何者か、ではなく、確かの僕の心臓だった。
もしかして、と思うのとほぼ同時に、それは確信に変わった。
視界の一部、ガラスに反射して映った、自分の姿。
それは間違いない。ゲームで見慣れた姿だった。
来る日も来る日もヘッドセットをつけて戦い続けた、倒し続けたその姿。
アンデッド、ウォーカー、クリーチャー……呼び方はなんでもいい。
一番わかりやすく言えば、ゾンビである。
僕は、ゾンビになったのだ。
僕自身の思考が残っているのは、ゾンビになったばかりだからだろうか。
それとも、元々ゾンビとはこういうものなのか。
とにかく一部でも冷静な思考が残っているからには、そのまま人を食べるなんて。
まして自分の両親を食べるなんて、絶対に嫌だ。
思考が残っているということは、脳もそれだけ機能しているはずである。
僕は、できる限りの力を振り絞って、僕の体を止めた。
嫌だ、やめろ、見たくない!
そう頭の中で叫ぶことしかできなかったが、無意味ではなかったようである。
僕の体はぐぐっと向きを変えて、その2体とは別の方に動き出したのだ。
このままどこへ向かうのかは分からないが、また力なくふらふらと歩き出した体をとりあえずは半身に任せて、再び思考を開始する。
僕はなぜゾンビになってしまったのだろうか。
ゆっくりと記憶を呼び起こす。
さっき目が覚めたときには、既にゾンビであったはずだ。
その前は、学校から帰って、いつも通りゲームをしていた。
それから……思い出した。
背中に、何かが触れたんだ。
きっとあれがゾンビで、僕はそのまま襲われてしまったのだ。
ヘッドセットで視覚も聴覚も奪われていた僕は、格好のエサだっただろう。
そのゾンビは、恐らく先に下にいた両親を襲ったはずである。
それから、上に来て、僕を襲って……その後は?
いや、その前にどこからどうやって入ってきた?
その疑問は、すぐに解消されることになる。
この半身、自分で玄関のドアを開けて、外に出たようである。
素早いやつ、道具を使うやつ、巨体化するやつ……ゲームだけでなく、映画やドラマでいろいろな種類のゾンビを見てきたが、どうやらこいつはドアを開けられる程度には知識のあるタイプのようである。
道に出れば、既に眩しいほど明るい日差し。
今はちょうど仕事や学校へ通う人が動き出す時間帯だ。
人に遭遇するのも時間の問題だろう。
そのとき、こいつはどうするのだろう。
できれば僕の意識があるうちは、人を襲ってほしくないものだが。
いや、待てよ。僕の家にゾンビが侵入してから、だいぶ時間が経っているはずだ。
だとしたら、もうすでにこの町は……
そのとき、何かが頭の隅をかすめる。
なんだろう、大事なことを忘れている気がする。
何か、守らなければいけないものがあるような……でも、何を?
くそ、思い出せ。きっとすごく大切なことだ。
半分になった頭の中の引き出しを、片っ端から開けていく。
もう少し……そうだ、何かすごく、大事な……人、が……
やっと、ぼんやりと浮かび上がってきたその姿。
透き通るような肌。揺れる髪の毛。
……儚げな、少女。
その悲しげに揺れる瞳に、ドクンと脈を打つ心臓。
そうだ、彼女だ。ああ、なぜ今まで忘れていたんだ。
彼女は無事なのだろうか。
この町にひとり取り残された、かわいそうな彼女。
守らなければ。
でもどうやって?肝心の僕が、こんな状態だというのに。
……いや、できるはずだ。
このゲームの主人公は、きっと、僕だ。
だとしたら、こんなウイルスに打ち勝つ力だって。
そうだ、さっきも僕の衝動に勝てたじゃないか。
そう考えると同時に、僕の体はゾンビとは思えないほどしっかりした足取りで歩き出していた。
ほら、できるじゃないか。このまままずは、彼女を見つけ出そう。
今、何時だろう。さっき7時前だったから……もしかしたら、あの場所に。
あそこで僕を、待っていてくれるかもしれない。
いつもの坂を、いつもより早いスピードで登っていく僕の体。
それが僕の意思なのか、獲物を見つける本能なのかは分からないが。
それでも、彼女を見つけ出し、守れる自信が僕にはあった。
坂の頂上が見えてきた。
と同時に、頭のてっぺんから、徐々に姿を現す彼女。
……やっぱり、いてくれた。
僕のことを、待っていてくれた。
よかった、それにまだ無事なようだ。ああ、神様ありがとう。
こんなときでも、相変わらずカワイイ彼女。なんて、オイシソウ、な。
今すぐ、タベテしまいたい。
っ、違う、くそ、しっかりしろ。
気づけば、信じられないくらい強い衝動に呑み込まれそうになっていて。
必死に僕の意識を取り戻す。
その間に、やっと僕の存在に気付いたらしい彼女。
その顔が、こちらを向いて。
その目が、僕を捉えて。
……ああ、怖がらないで。やっと、会えたんだ。
姿はちょっと変わってしまったけど、僕が、ボクが、守ってあげるからね。
そのとき、横から彼女に近づく、もうひとつの人影。
怯えて立ちすくむ彼女。
だめだ、それはボクのモノだ!ボクが先に食べ……っ、いや、違う、守るんだ、彼女を!
僕ならできる。
そうだ、これくらい、楽勝じゃないか……!
瞬間、まるでヘッドセットをつけたときのように。
敵の動きを冷静に把握して、立ち回りを考える。
大丈夫だ。
このまま行けば、確実に、僕の方が早い。
このまま彼女を突き飛ばせば、あいつの襲撃から守れるはずだ。
そのあと僕が迎え撃って、押し倒した後にあいつの手でも食いちぎってやろう。
それからゆっくりと、彼女を連れて逃げるんだ。
「……わー!!」
ドンッ
気づけば、仰向けに倒れている僕の体。
ズキズキと頭を走る鈍い痛み。
迎え撃たれたのは、僕の方だった。
すぐに体を起こそうとしたが、もうその力すら残っていないようだ。
かろうじて少しだけ首を持ち上げれば、彼女の方を見る。
怯えた目でこちらを見る彼女。
その前に立ちはだかる、男。
「っ、ゆうくん……」
……ゆう、くん?ダレダ、それは。
ボクは、僕は……
その瞬間、フラッシュバック。
頭の中で、2つの僕が、完全に一体化する。
違う、いやだ、ボクが、守るんだ……
だって彼女は、僕のものだろ、彼女は、彼女は……あれ……?
そこで限界がきて、朦朧とする意識の中、最後に聞こえた会話。
「ゆうくん……!」
「大丈夫か、しおり!」
そうか、キミ、しおりっていうのか……
***
「今日午前7時ごろ、埼玉県内の路上で、近くの高校に通う女子生徒が襲われるという事件が発生しました。この事件で、傷害の疑いで無職の
また、容疑者の自宅では、この家に住む母親と父親とみられる遺体が発見され、警察では関連を調べており、容疑者の容態が安定次第、取り調べを行う方針です。
また、詳しい情報が入りましたら随時報道いたします」
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