3-10 伝説の勇者の力 海を切り裂く
ひざまずく姫様アリーが俺を見上げた。
恍惚とした表情。
赤く染まった頬。
震える手。
アリーに何が起きたの?
「あの……アリー……」
「古の伝説より蘇りし勇者に、わらわの全てを捧げるのじゃ。一族が受けし大恩を返さん……」
そう言うとアリーは服を脱ぎだした。
「ちょっと! アリー!」
「うお! おいおい!」
「ニャ! ニャ! ニャ!」
「どうしちゃったの! なんだよ!」
「わらわの体……髪の毛一本、涙のひとしずくまで……勇者に捧げるのじゃ……」
アリーは次々と身に着けていた服を……。
いや、まずいでしょ! これは!
「はい! ストップー! みんな止めて! 力ずくで止めて!」
俺の指示を受けて、長身レイアとネコ獣人カレンがアリーを抑え、ちびっ子魔法使いエマがシーツをアリーに巻き付けた。
「アリー! 待てよ! 落ち着けよ! な!」
「だめだニャ! お姫様がはしたないニャ!」
「嫁入り前なんだよ! 乙女の純潔なんだよ!」
「離すのじゃ! わらわの純潔は勇者殿に捧げるのじゃ!」
カ……カオスだ……。
一体何がどうしたのか……。
レイアたちが力任せにアリーをリビングルームに引きずって行った。
しばらくしたら落ち着くだろう。
――十分後。
「すまなかったのじゃ……」
アリーはすっかり落ち着きを取り戻し、照れ臭そうにリビングのソファーに座って紅茶を飲んでいた。
服装もいつもの冒険者スタイルに戻っている。
俺たちもソファーに座り、お茶を飲みながらアリーの話しを聞く事にした。
アリーはいつもと同じ口調に戻っている。
「ナオトは魔王について、どれくらい知っておるのじゃ?」
「そうだな……えーと……二千年周期で現れて、魔物が活発化するとだけ……」
「ふむ。概ねその通りじゃ。魔王がどこに現れたかは知っておるか?」
「冒険者ギルドにある本に書いてあったな。六千年前は、南の大陸。四千年前は、東の王国。二千年前は、北の森」
「うむ。その北の森と言うのはエルフ国の北にある森の事じゃ」
「えっ!?」
エルフ国は海を挟んだ向こうだ。
意外と近いかな……。
「ああ、ティターン族にも言い伝えが残っているぜ。魔王との戦いでティターン族も随分死んだらしい」
「ニャ! 猫人族でも有名な話ニャ。北の森に現れた魔王が魔物を引き連れて、獣人たちを襲ったニャ」
長身レイアとネコ獣人カレンの一族にも伝承が残っているのか。
「北の森に現れた魔王は配下の魔物を引き連れて、南へ南へと攻め下ったのじゃ……。エルフ族、ティターン族、獣人諸族、ドワーフ族が力を合わせて戦ったが、魔王の力には抗しきれず……」
「負けたのか?」
「うむ……。南の海岸まで追い詰められたのじゃ。魔王の軍勢は迫り、逃げ場がなく、みなが絶望した時じゃ! 海が割れ人族の勇者が現れたのじゃ!」
「ブッー!」
俺は飲んでいた紅茶を盛大に吹き出してしまった。
海が割れる?
モーセ?
出エジプト記だっけか?
「なんじゃ! ナオト! 人が真面目に話しておるのに!」
「ご、ごめん! 俺のいた世界にも似た話があってさ。海が割れて、困っていた人たちが救われるみたいな話があって、それで驚いて……」
「おお! そうであったか! ナオトのいた世界にも勇者がいたのじゃな!」
あり得ねえ。
海は割れないよ。
たぶん、潮の満ち引きで、浅瀬から海水が無くなったのだろう。
まあ、でも、夢を壊してはいけない。
アリーたちエルフ族のロマンは尊重しよう。
「そ……それで……勇者が現れて、どうなったの?」
「勇者は神に選ばれし戦士で、たちまちに魔王の軍勢を蹴散らしたのじゃ。そして当時のエルフ族の王と協力し、魔王を倒したのじゃ……」
語り終えてアリーは感無量と目をつぶった。
「なるほど。勇者はエルフ族の恩人と言う訳か」
「そうじゃ。その時のエルフ王は『再び勇者が現れた時は、身命を捧げ大恩を返すように』とエルフ族に厳命したのじゃ」
そう言う事情があって、さっきのアリーの行動か……。
ただ、俺は自分が勇者とは、とても思えない。
魔王なんて恐ろしいのと戦いたくないし。
誤解は早いうちに解いておこう。
「アリー……。その……申し訳ないのだけれど……、俺は勇者じゃないと思うよ」
アリーはクワッと目を見開き、身を乗り出した。
「なぜじゃ! 先ほど神から与えられた力を見せたではないか!」
「俺が神様から貰った力はあれだけ。神のルーレットだけなんだ。みんな知っての通り、俺のステータスは低いし、スキルは全てスクロール屋で買ったスキルだし。勇者ならもっと特殊なスキルを持っているとか、もの凄く高いステータスじゃないかな?」
「む……。確かにそうかも知れぬ……。しかし、神から魔王を倒せと神命を受けたのじゃろう?」
「うーん。神様からは魔王を倒せと言われたけれど、今の俺じゃ弱いから無理ですと正直に答えたよ」
「そ、そうなのか?」
「うん。嘘ついてもしょうがないでしょ? 魔王って強いでしょ? だったら弱い俺が倒しますって、大見得切っても神様の迷惑になるでしょ? だから俺は魔王の事を調べて、居場所を探そうと思っているんだ。勇者が現れた時に備えてね」
俺は全てを話した。
なんか気分的にすっきりしたな。
今まで一人で抱え込んでいた事だから、他人に聞いて貰って良かった。
まあ、アリーはがっかりしたかもしれないけれど――。
「良く分かったのじゃ! やはりナオトは勇者なのじゃ!」
アリーは真っ直ぐに俺を見つめて、俺を勇者認定した。
いや、待て、なぜそうなる!
「えっ!? いや、今、話したよね? 俺はステータスが低くて、弱いって」
「だからこそ神はナオトに神のルーレットを与えたもうたのじゃ。他の番号なら経験値が沢山得られて、レベルアップが早まるのじゃろ? 昨日がそうなのじゃろう?」
えーと……、そういう考え方もあるのか……。
困ったな。俺は魔王なんかとは戦いたくないのだが……。
「いや、まあ、そう言う考え方もあるのか……。あー、昨日みんなのレベルアップが早かったのは、神のルーレットのお陰だよ。昨日は『経験値倍増』にベットしたから」
「そうだったのかよ! おかしいと思ったぜ!」
「ニャ! それであんなにレベルアップが早かったのかニャ!」
「謎が解けたんだよ!」
「ほれ見た事かじゃ! やはりナオトは勇者じゃ! エルフ族が勇者に受けた大恩を返すのは、今ぞ!」
アリーはすっかりやる気になっている。
誰か止めてくれないか?
「アリー! 待った! その大恩と言っても二千年前でしょ? そんな大昔の話しをしてもだな――」
「エルフにとっては、それほど昔でもないぞ。わらわの五代前のエルフ王の話しじゃぞ。わらわの高祖父、ひいひいおじいさんの時代じゃ」
「あー、エルフは長寿……」
「そうじゃ。五百年は生きるからのう。二千年前はそれほど昔ではないぞ」
そうか……、人間とは時間の感覚が違うのか。
人間で二千年前と言われれば、紀元前で遥かな大昔。
けれど、高祖父、ひいひいおじいちゃんの時代と言われれば、明治とか? 幕末とか?
そう考えると、エルフにとって二千年前はそれほど昔でもないのか。
「わらわはエルフの王女として、この身をナオトに捧げるぞ。なんなりと好きにいたせ」
そこに戻るのか!
アリーの頬が紅色になっている。
美形エルフのアリーに、こうまで言われるのは悪い気分じゃないが、後々『やっぱり勇者は別でした』って事になると怖い。
「えーとですね! まず! 俺は勇者じゃないから! 神様と連絡は取っているけれど、そこは違うから! それから、俺は魔王を調べる為に、この世界をあちこち旅するつもりだ。だから――」
「わかった。わらわが、供しようぞ」
「アリー!」
「ナオトが自分で勇者ではないと言うなら、それはそれで良い。じゃが、神から使命を受けたのじゃろう? わらわはその使命を手伝うのじゃ」
アリーの決意は変わらない。
それでも俺は念を押す。
「外国へ行く事になるよ?」
「わらわは修行中の身じゃ。知見が広がり大変結構じゃ」
「ふう。わかったよ。アリーよろしく頼む」
「任せるのじゃ!」
俺はアリーの気持ちを受け入れる事にした。
エルフ族の受けた大恩を……なんて言うのはちょっと重いけれど、優秀なパーティーメンバーは手放したくない。
それに美形だし。
「俺も付き合うぜ! 金はねえから、金の事はナオトに任せるけどよ。前衛は俺に任せろ!」
「ニャ! ニャ! 私も一緒ニャ!」
「ありがとう。頼りにしているよ。お金はさっき見ての通り、神のルーレットで稼げるから心配しなくて大丈夫だよ」
レイアとカレンも俺と行動を共にしてくれる事になった。
しかし、ちびっ子魔法使いエマは違った。
「うーん。私はわからないんだよ……。この街に家族が住んでいるんだよ……」
「エマ。気にしなくて良いよ。すぐにこの街を出る訳じゃないよ。まだ将来の話しだから」
「うん……わかっているんだよ……」
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