2-5 ノンゴロドからの脱出

 逃げる段取りをつけて冒険者ギルドへ向かう。


 えっ?

 戦わないのかって?


 ステータスがオールHの俺にどうしろと?

 あんなゴリマッチョな連中に戦いを挑んでも勝てないよ。


 何か搦め手……例えば政治権力とかを利用してハメるにしても、この国に来たばかりの俺はコネも何もない。


 ならば中途半端に対応せずに……。

 全力で逃げる!

 潔く逃げる!

 きっぱりと逃げる!


 そこに恥はないよ。


 冒険者ギルドに到着し受付カウンターでセルゲイを呼び出した。


「おう! ヒロト! どうした?」


 セルゲイがドカリと俺の向かいの椅子に腰かける。

 俺なりに気合を入れて来たけれど、セルゲイと面と向かうと……やっぱり圧迫感あるな。


 心の中でもう一度気合を入れなおす。


「なあ、借金の事だけど証文とか書類はないのか?」


「書類だあ?」


「ああ。勝手に借金とかが増えちゃたまらないからな」


「何だよ。ギルドが信用出来ねえのか?」


 セルゲイが語尾に力を入れて来る。

 だが、平静を装って話を続ける。


「なら口約束だけにするか? 後で俺が借金は100ラルクだったって、この街のお偉いさんに泣きついても良いのか?」


「……」


「書類はあった方がお互いの為だと思うがなあ……」


「ちょっと待ってろ……」


 セルゲイは渋々書類を用意し始めた。


「ちゃんと明細を入れてくれよ。弓士のスクロールがいくらで、鑑定紙がいくらって」


「うるせえな! わかってるよ。ほれ! これで良いか?」


 セルゲイは羊皮紙でなく、目の粗い紙にインクで書いた借金の証文を寄越した。

 弓士のスクロールが50万ラルク、鑑定紙が二枚で10万ラルク。

 合計60万ラルクを俺に貸し付けたと書いてある。


「確かに受け取った」


「じゃあ、さっさと帰れ!」


「いや、まだ用事があるんだ」


「あ、何だ?」


「賭場で儲けてな。この借金を返したいんだ」


 ウソはついてない。

 神のルーレットで得た金だからな。


「ほう。ツイてやがるな。いくら返す?」


「全額だ」


「何?」


「借金全額返す」


 俺は小さな布袋を開いてカウンターに金貨6枚、60万ラルクを置いた。

 セルゲイの顔が驚きに変わる。


「俺も奴隷に売られるのはご免だからな。借金はキレイにしておくぜ」


 みるみるうちにセルゲイの顔が真っ赤になった。

 目も充血して顔面が怒り一色だ。


 こいつの目的は俺を奴隷として売り飛ばす事だろうからな。

 借金を回収するより、そっちの方が儲かるのだろう。


「どうした? さっき書いて貰った借金の証文分を返済するんだ。文句ないだろう? 文句があるなら、この街の偉いさんに相談するが……」


「……」


 セルゲイは無言で俺をにらみつけるとカウンターの金貨に手を伸ばした。

 俺は金貨を引っ込める。


「おっと! 受取証は書いてもらうぜ。60万ラルクを俺から受け取った。借金を全額返済して貰たってな」


「調子に乗るなよ……」


 セルゲイの顔は青白くなっていた。

 怒りのあまり今度は血の気が引いたようだ。


 セルゲイは無言で書類を作ると俺に投げつけた。

 60万ラルクの受け取りと借金の全額返済が記してある。


 目的は果たした。

 もう用はない。


「邪魔したな」


 俺は席を立ち出口へ向かった。

 後ろからセルゲイの怒りを抑えた声が聞こえた。


「オイ……ナオト……今夜はどこに泊まるんだ?」


「そうだな……賭場でもう一稼ぎしてから……あんたが紹介してくれた『ピョートル亭』へ行ってみるよ」


「へっ! そうかい! 幸運を!」


「ありがとうよ」


 振り返らずに冒険者ギルドを出た。

 通りを右に進み、左へ曲がり、また右へ曲がり、わざとジグザグに歩く。

 途中で何度か振り返ったが、尾行はついていなさそうだ。


 怖かった。

 今になって足が震えて来た。


 けれど借金を返してきちんと書類を受け取って来た。

 これが役に立つかどうかはわからないが、今後揉めた時の足しにはなるだろう。


 それより気になるのは、セルゲイとの最後の会話だ。

 俺がどこに泊まるのか聞いて来た。


 あれは今夜俺を襲うつもりなのだと思う。

 セルゲイから殺気を感じた。


 俺を殺すつもりか?

 それとも痛めつける?

 どこかに売り飛ばす?


 いずれにしろこの街にいたら危ない。

 逃げを選択して正解だ。


 もう夕暮れだ。

 急がないと日没の出航に間に合わない。


 俺は船着き場へ向けて走り出した。


 通りを必死で走る。

 すぐに息が切れだした。

 ステータスHが恨めしい。


(神のルーレットで……『経験値倍増』を使って……絶対……体力アップしてやる……)


 走りながらそんな事を考える。

 船着き場が見えて来た!


 ちょっと待て!

 もう出航しそうだ!


 船着き場の入り口でおじいちゃん係員がロープで入り口を閉めようとしている。

 俺はありったけの声で叫んだ。


「おーい! 待ってくれ! 乗るぞ! 船に乗るぞ!」


 おじいちゃん係員がこちらに気が付いた。

 船の方へ怒鳴っている。


「客が来たぞ! あの子だよ! さっき金を払ったのは、もうちょっと待て!」


 何とか間に合った。

 船着き場に駆け込み、そのまま船に乗り込んだ。


 船は湖の遊覧船位の大きな木造船で、二十人位乗客がいた。


 俺が乗り込むと出航を告げる鐘がなった。



 カン! カン! カン! カン! カン!



 船がゆっくりと船着き場を離れた。

 川の流れに乗ってどんどん船足が早まる。


 振り返ると遠ざかる夕暮れのノンゴロドが見えた。

 そしてさらに遠くなり、日が暮れて街が見えなくなった。

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