第15話

 肌を突き刺すような寒さが襲い掛かりロウは体を震わせ、目を覚ます。


「あぁ、そっか」


 ロウは半開きの目で隣を見る。そこには一糸纏わぬ姿のキャシーが気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 昨晩、ロウとキャシーを抱いた。愛しているわけでも自分の女にしたいなどと言う独占欲もない。彼女を救うには過ちを犯すしかなかった。

 キャシーの精神は使い古された雑巾のようだった。肉体的に繋がることで簡単に築くことのできない固い精神的繋がりを得ることができた。


「おはようございます。ロウさん」


 仕方がないとは言え、関係を持ってしまったことに頭を抱える。

 そんなロウの気苦労など知らないキャシーは屈託のない笑みをロウに向ける。


「あ、あぁ。おはよう」


 交わったからであろうか。キャシーがどうしても魅力的に映ってしまう。

 ぱっちりと見開いたエメラルドのような綺麗な瞳。

 真っ直ぐに伸びる睫毛。

 綿糸のように流れる金色の髪。

 雪のような白い肌。

 決して大きいとは言えなくとも確かにある胸。

 彼女の魅力に耐えきれないロウは目を逸らす。


「しちゃい……ましたね」


 昨晩のことを思い出したキャシーは顔を赤らめ、目元だけが出るように毛布に包まる。

 今まで金の為に行った性交とは違いロウとはただ愛し合う為だけの交わりとても甘美で今まで感じたことの


「あと、ロウさんって意外と下手なんですね」


「仕方ないだろう。経験がなかったから」


 ロウには女性経験が皆無であった。

 確かに壊滅後の世界で男を誘い、体を交えようとする女はいた。ロウも誘われたことがあった。

 だが、欲望に忠実に従い、共に寝ればもう二度と目覚めることはない。そういう女は男を寝かしつけた後にその無防備な首を掻いて殺す。そして、男の財産や食料を奪い去り、命を食いつないでいく。

 そういう背景があった為、当然ロウは誘いを断り続けた。だから経験がなかったのだ。


「でも、逆に安心しました」


「どうしてだ?」


「ロウさんがちゃんとした人なんだって知れたから」


「酷い言いようだな」


 キャシーの冗談にロウは苦笑いを浮かべる。


「でも、触れ合って……繋がって気付いたの。あなたは完璧に見えて完璧じゃない。誰よりも繊細なのに強がる弱い人」


「俺が……弱い?」


 言葉の意味が分からない。

 いや、本当は分かっているものの認めたくないからと心の奥で認知しないように封じ込めていた。転生する前からずっと。

 今までロウは生きる為には見栄を張って少しでも強い人間として見せなくてはならなかった。カマキリが体を広げ、自分を強く見せるようにロウも誰にも寄せ付けない空気を出すことで強く見せた。

 無論、そんなことはただの強がりで本当に意味があったかはわからない。しかし、その癖が今でも残っているのだ。


「……情けないな」


「そんなことはないです。人だから弱い部分があって当たり前です」


「ダメなんだ。俺は強くなくちゃ……」


 キャシーの言う通り人は完璧な強さなど持ち合わせていない。必ず弱さを抱えている。しかし、弱さは罪だ。弱者は自らの正義、使命を掲げてもただ強者に踏みにじられ、殺されるだけ。

 ロウの使命は特にわかりやすい。転生者を殺せるほど強くなくては果たすことはできず、多数の人間が死を迎えることになる。

 それ故に弱者であることは許されない。武力もしくは精神のどちらかが転生者に劣っていれば勝つことはできない。それほど、ロウは険しい獣道を辿っている。

 どんな状況でも強がるロウをキャシーは心配する。生物は休息がなければ体を壊してしまう。心も同じだ。強がり続けては心が疲弊し、いつしか壊れてしまう。

 だから、キャシーは我儘を言う。


「なら、ここにいる時だけは弱いロウさんでいてくれませんか?」


「どうして?」


「ここはロウさんの帰る家だから。家くらいはゆっくりくつろいで欲しい」


「家……?」


 キャシーはロウの大きな背中に抱き着く。

 ロウの背中にキャシーの温もりが伝わる。


「だから、辛くなったらここに戻ってきてください。温かい料理を作って待ってますから。兄と一緒に!」


「そっか……」


 キャシーの何気ない言葉。しかし、ロウにとっては涙が零れそうな程嬉しい言葉であった。

 ロウには家どころか居場所さえなかった。前の世界にも、この世界にも。それは自分が受け入れてくれる家族も仲間もいないことを示していた。いくら心が強くても孤独というものは耐え切れない重み。前の世界では強がることで何とか耐えてこれたが、この世界に来てから違う。罪人でもない無垢な人間を食うという悪魔に等しい行為がロウの心を酷く傷付けた。

 悪魔に居場所など必要ない。ただ、世界を放浪し、転生者を殺すだけがロウの存在意義だと決めつけていた。

 だが、キャシーが居場所を作ってくれる。それは戦う悪魔「狼鬼」としてだけではなく、人間「保谷ロウ」としての価値を見出してくれたのだ。

 それはロウにとって最大限の救いであった。


「なら、また戻ってくるよ。必ず……この家に」


「はい!」


 キャシーの我儘をロウは聞き入れ、またこの家に戻ってくると約束する。

 二人は小さな笑みを交わし合う。

 そのやり取りはどこかむず痒くも愛おしいものであった。


「お腹、空きましたよね。朝食の準備してきますね」


「あぁ、頼む」


 慣れない感覚に戸惑い、二人はぎこちなくなる。

 ぎこちない会話を交わし、ぎこちない動きで身に衣服を纏わせる。

 全ては若者故の初々しさが原因だろうが恋を知らない二人は気づくことはない。


「さぁ、外の様子はどうなっているのかな」


 二人は着替え終える。

 そして、キャシーは霧の濃さを確かめようカーテンを開ける。

 それが絶望への幕開けになるとは知らずに。


「きゃあ!」


 カーテンを開けると窓の外には瞳に生気の色がなこgい人間達がこちらを凝視していた。

 パペット達はロウとキャシーを発見すると、怪力でガラスを叩き割り、列を成して中へと侵入してくる。


「キャシー逃げるぞ!」


「えっ!?」


 ロウはキャシーの細い腕を潰してしまうのではと不安になってしまうほど強く握り、急いで階段を駆け上がる。

 背後からは操り人形達がゆっくりと迫ってくる。

 捕まれば、同様に操り人形にされ、感情ある生物としての一生は終わるだろう。

 二階にあるロウの宿泊部屋に駆け込む。そして、部屋の隅に置いてあるクローゼットをドアの前に移動させ、中に誰も入れないように封鎖する。

 直後、外からドアを殴る鈍い音が止むことなく鳴り始める。


「間一髪……か?」


 一先ず、危機を回避できたとロウは安堵したいところ。だが、ドアにも耐久性にも限界はある。いずれは突き破られ、侵入されてもおかしくはない。

 そう遠くない危機をどう凌ぐかと脳内で策を廻らせる。

 

「何これ……」


「酷い……有様だ」


 キャシーが絶望に満ちた表情で外を眺めている。一体、外はどうなっているかとロウはキャシーの隣に立って窓から街の様子を確かめる。

 街は人形達が蔓延っていた。生気のない人形達が不規則に歩き回っている。そして、建物や物陰に隠れている生者達を引きずり出しては、生きたまま四肢をもいで殺していた。

 まるでゾンビ映画のワンシーンのような状況にロウは唖然とするしかなかった。


「あれは何なの!? この状況は何ですか!」


 突然、日常が壊れ、まだ平和だった街が地獄に変貌した瞬間を目の当たりにしたキャシーは取り乱す。

 キャシーは何も知らない。この街を覆っていた霧は悪魔が撒いた毒だということを。

 そして、この街はキャシー達が気づかぬ間に悪魔に支配されていたことを。

 今更、教えたところで状況も犠牲者の数も変わらない。だが、真実を伝えなければこの状況を飲み込めないだろう。

 ロウは意を決して真実を語り始める。


「あれは操り人形だ。転生者っていう化け物が力を使って死体を人形のように操っている」


「……なんでそんなこと知っているの」


「俺は転生者を殺して、人々を救うのが使命だから」


「……人助けってそういう……」


 この時、大層な使命を背負っているとしかキャシーは思わなかった。


「……疑問に思わないか?」


「え?」


「化け物相手にただの人が対抗できるかって」


「それは……ロウさんが強い……から」


「……この際だから言う。俺も転生者なんだ。この惨劇を起こした奴らと同じ化け物だ」


 ロウの告白によってキャシーはようやく気付いた。ロウは人には見えなかった理由が。

 ただの人などでは背負いきれない使命を背負っていたからだ。だから、彼を人とは思えなかった。

 

「俺が早く動いていれば……」


 街を見下ろしながら、ロウは固く拳を握りしめる。

 キャシーは転生者など知らない。だが、無関係な人間を死に至らしめる存在など善であるはずがない。寧ろ、憎むべき悪の存在だ。

 そして、ロウはそんな悪と同等の存在。ならば、ロウ自身も悪なのか?

 ロウと言う存在には信頼を寄せていたが、転生者という悪の存在でもあるという事実が背後にチラつき、泥を塗りたくっていく。


「ぐあぁぁぁぁ!」


「もう来るか!」


 人形達の度重なる攻撃にドアは耐え切れず、やがて粉々に崩れ落ちる。そして、人形達が雪崩のように部屋へと流れ込んでくる。

 ロウは窓を蹴破り、唯一の逃げ場を開く。

 風が一気に部屋に流れ込み、あまりの強さにキャシーは思わず目を瞑る。


「捕まれ!」


「でも……」


 目を開けると、窓に足を掛け、キャシーに手を伸ばすロウが映る。恐らく、このまま一か八か窓から逃げるつもりなのだろう。いくら、ロウの高い身体能力があっても少女一人を抱え、無数にいる人形達から逃げるのは簡単なことではない。

 そして、背後から無表情の人形達が千鳥足でゆっくりとキャシーに迫っていた。

 キャシーの目に真実が映っている。逃げようと思えばキャシーを見捨て、一人で逃げればよかった。

 わかりきっていたことだ。本当の悪人ならば人を救うこともしなければ、救えずに悔やむことはない。下衆な男に襲われている少女を助けたりはしない。


「信じるよ、ロウさん!」


 キャシーは目一杯手を伸ばし、ロウの手を固く握る。

 すると、ロウはほんの少し笑みを浮かべ、キャシーを引っ張りあげ、抱きかかえる。そして、窓から自慢の脚力で跳び、宙に浮く。

 下を見れば人形達が届くはずもないくせに手を伸ばし、二人を引きずり落とそうとする。

 ただ生者にしか反応しない人形達をよそ目に二人は向かいの家の屋根に着地し、そのまま屋根を伝って逃げ続ける。


「ねぇ、この後どうするの!?」


「もう、この街には逃げ場所はない。だから、少し遠くに行かないと」


 ロウは淡々と残酷な事実を述べる。

 街中を埋め尽くす程の人形の数だ。安全が確保できる場所など確保できるはずがない。


「大丈夫だ。必ず、この街を救ってやる」


 不安がっているキャシーをなるだけ安心させようとロウ

 人形の一体がロウに飛びかかり、拳を振るう。

 ロウは咄嗟に避け、一旦足を止め、キャシーを降ろす。

 邪魔する敵は倒さんと構えを取ったその時だ。ロウの体は衝撃で固まって動けなくなる。


「あ、あなたは!」


「お兄……ちゃん」


 キャシーも襲ってきた馴染みのある顔を見て、唖然とする。

 二人の前には食卓にあった写真に写っていた男性であるキャシーの兄がいた。


「どうして……ここにいるの?」


「キャシー! 離れろ!」


 ロウの静止はキャシーの耳には入いらない。

 羽交い絞めにして、やっと動きを止める。


「離して!」


「だって……もう……」


 キャシーはロウの腕の中で必死にもがき、既に空っぽの操り人形に変わり果てていた兄に手を伸ばす。

 待ちわびていた再会の瞬間だ。例え、意識がなく死人同然だとしても再会を喜び、感動しなくてはならない。

 そうしなくてはキャシーが今まで耐えてきた苦痛が全て水の泡になるからだ。


「離し……てよ!」


「待ってくれ!」


 およそ女性とは思えない程の力でロウを振り解き、キャシーは兄の元へとゆっくりと向かう。

 涙を流し、再会を喜ぶキャシー。

 対面には無表情の兄。


「お兄ちゃん……会いたかった!」


 兄の目の前まで来たキャシーは大きく手を広げ、ハグをしようとする。

 人形の兄はそれに応じるかのように同様に手を広げる。

 やはり兄なんだ。敢えて人形として振る舞うことで他の人形達の目を欺いている。だから兄は生きている。そう思っていた。

 だが、地獄において都合のいいことが起きるはずがない。人形の兄は広げたキャシーの手を掴むと、引き千切ろうと目一杯に引っ張り始める。


「痛い痛い!」


 キャシーは涙と涎を流し、悲痛な叫びをあげる。


「ご免!」


 兄によって酷く苦しむキャシーをロウはもう見ていられなかった。

 ロウは並外れた脚力で一気に跳び、恐ろしく速い手刀で兄の腕、そして頭を斬り落とす。

 重い頭は鈍い音と共に落ち、血の線を描きながら転がる。

 キャシーは転がる兄の頭部を絶望に満ちた表情で茫然と眺めていた。


「大丈夫か?」


 最愛の兄を信頼を寄せた人の手によって殺されたのだ。無事であるはずなどなかった。


「どうして! どうしてお兄ちゃんを殺したの!」


 キャシーは服を破るかと思ってしまう程の力でロウの胸倉を掴む。

 怒りと悲しみ、そして諦めが入り混じった複雑な表情を浮かべるキャシーにロウは目を合わせることはできない。


「彼はもう死んでいた……」


「そんなのわかんないよ! 本当は生きてたかもしれないじゃん!」


「なら、何で君を殺そうとした!」


「……もしかしたら元に戻ったかもしれないのに……」


「そんな都合のいいことが起きるわけがない! そんな奇跡が簡単に起きるなら……」


 キャシーも心の奥底では理解していた。

 兄が助からないということも。そして、あのままロウが手を下さなければ自分は死んでいたと。

 だが、人間はそう簡単に割り切れるものではない。


「もう……やだよ。私は何のために……あんな辛い思いをしたの!」


 兄と思いでの為に体を売り、苦しみを味わってきた。だが、兄の死によってキャシーの苦しみは全て無下となった。

 あまりにも報われない結末を迎え、キャシーの心は完全に折れた。根元から修復できない程、木っ端微塵に。


「死にたい……死なせてよ……」


 キャシーはその場でへたり込み、まるで人形のような生気のない瞳で天を仰ぐ。


「キャシー……」


 もう救えない。ロウは確信した。

 キャシーはもう二度と立ち直ることはできない。生きがいをなくした今、例え生かしたとしても、ただ生き地獄を味合わせるだけだ。

 これも全て転生者の所為だ。霧で人々を殺し、糸で死人を操る。そして、ロウが止めを刺したが故の悲劇。回避することができない定められた運命。

 人を救うという理由があっても、動かされた死体だとしても「殺す」という行為は罪であることには変わりないことに今更になって気付いた。

 自分の愚かさに嫌気が指し、自分自身を殺したくなる。だが、ここで死ぬことはただの逃げだ。

 生きて罪を償わなくてはならない。それがロウに課せられた使命であり贖罪である。


「なら、望み通りにしてやる」


 自分の愚かさ、軽率さが招いた悲劇に対し、落とし前は付けなくてはならない。

 自分を苦しめることで。

 転生者を殺すことで。

 キャシーを楽にすることでこの惨劇を終わらす。


「あんな人形共に殺されるくらいなら俺が殺す。苦しまないように……辛くしないように。それだけが俺にできる……救いだ」


 ロウはキャシーを固く抱きしめ、恐ろしい程優しい声色で物騒なことを言い聞かせる。

 キャシーにしてやれることはただ殺して、この地獄から解放することだけ。人形達に意味もなく苦しんで殺されるくらいならば、ロウがこの手で楽に逝かせ、そしてキャシーを糧に狼鬼となるほうが断然マシだ。


「……ありがとう、キャシー。君のおかげで……本当に救われた」


 ロウはそっとキャシーの首に手をかける。

 これから殺されようとしているにも関わらず、キャシーは淀みのない笑みを浮かべる。

 その笑みを今から奪うかと思うと、手が小刻みに震え、力が入らなくなる。もしかすれば、このまま生かしても苦しむことなく、平然と生活できるのではと思った。

 この時になって先程のキャシーの気持ちが良くわかった。

 そして、罪が更に重くなる。いくら幻とは言え、希望を断ったことは紛れもない事実。


「これで……またお兄ちゃんに会える……」


「……さよう……なら」


 ゆっくりと目を閉じ、キャシーは死を待つ。

 もう、退路は断たれた。ほんのちっぽけな希望がまだ残ってたとしてもキャシーが死を望むのなら叶えてやるしかなかった。

 ロウは目一杯、力を込め、キャシーの首を折る。

 説明しがたい音と共にキャシーの首はまるで赤子のように力なく、垂れる。

 表情は酷いくらい穏やかなものであった。


「キャシー。君が今日まで生きてきたのは無駄なんかじゃない。いや、無駄にはしない。君の血肉のおかげで転生者を殺して、人々を救えるから」


 息絶えたキャシーを固く抱き締めながらロウは決意する。

 これ以上、罪なき人々がキャシーのように転生者達によって幸せを奪われないように戦うことを。幸せを奪わ転生者を皆殺しにすると。

 その為にも決別しなければならなかった。人間「保谷ロウ」と。

 そして、覚悟しなければならない。転生者「保谷ロウ」として生きることを。

 

「キャシー……愛してる。だから、力を貸してくれ」


 ロウは白いうなじに白い歯を立て、その柔らかい肉をゆっくりと噛み千切る。

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